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カテゴリー ダメダメ家庭出身者の状況
配信日 03年10月6日 (10年9月17日,11年2月13日 記述を追加)
タイトル ドメスティック・ヴァイオレンスの被害者になる
夫からの妻への暴力であるドメスティック・ヴァイオレンス(家庭内暴力)の問題は最近多く聞かれます。その挙句に夫が妻を殺してしまうような極端な例も現実に存在いたします。また、逆パターンとして、妻が夫に暴力を振るったり、あるいは、暴力を振るわれ続けた側が忍耐の限界を超えて、相手を殺害してしまう・・・そんな事件も結構あったりしますよね?
先週も愛知県で離婚した妻を殺した男がいました。

この問題は、マスコミ等の報道では、極悪な夫が可憐な妻に暴力を振るう・・・と言った「邪悪な悪代官と純真な村娘」の構図に還元されて理解されているようですが、ことはそのような単純なものではありません。

ちょっと考えてみてくださいな。

〇 そもそもそのような女性は、何故に、そんな男と結婚してしまったの?

○ 自分の娘が結婚相手に暴力を振るわれている時に、その実家の親は一体全体何をやっているの?

○ 「自分の娘の結婚相手がどのような男であるか?」実家にいる親は考えたことがあるの?それほどまでに人を見る能力がないの?娘の結婚前に相手と会って話しをしなかったの?

そのように考えると、「悪代官と村娘」という単純な構図でないことがすぐに分りますね?
むしろ、女性や男性が育ったダメダメな実家の問題に目を向ける必要があるわけです。

暴力を振るう男に原因があるように、振るわれる女性の側(本人という意味ではなく)にも原因があるわけです。ここで原因というのは、倫理的な欠陥というよりも、心理的な問題です。

以下に具体的な例を考えて見ましょう。

たとえば、有名な例ですとアメリカのバスケットボール選手のアイバーソン氏の例を考えましょう。彼が妻に対して暴力を振るって逮捕されたニュースが先日ありました。

アイバーソン氏は大変な高給取りです。サラリーだけで年間5億以上はあったのではないかな?1日当たりに換算しても100万円は使えるわけです。
女性と遊びたければ、古女房などより、高級クラブで美女を侍らせる方が合理的でしょ?
「糟糠の妻」は捨てられるのが古来よりの通例ですよ。
しかし、アイバーソン氏は古女房に付きまとい、暴力を振るう。
何故に古女房にこだわり、殴りつけてまで関係を持とうとするの?

それはアイバーソンが女性を求めているのではなく、自分自身の理解者を求めているからなんですね。理解者は高級クラブで買えるわけではない。ということで、糟糠の妻に戻ってきてしまう。
出会った以降の「苦労」を共有している間柄。だから分かり合える。
いや、むしろ出会う前の「苦労」も共有しているわけです。不幸なダメダメ家庭出身という。
だから妙にウマがあった・・・話題や考え方も共通している。
「私と同じこと言う人と初めて出会ったわ!」というような、バルザックの「谷間のゆり」のような宿命の出会いとなってしまう。

そして、相手は自分を理解してくれるという関係を作り上げるのと同時に、相手を自分が守って上げるという関係を作り上げる。
別の言い方をすると、相手にとって、自分こそが最大の理解者と言える状況を求めている。
つまり、自分の居場所を求めていると言えるでしょう。
オペラ「カルメン」での最後のシーンで「レッセ・モワ・タ・サヴェ」(オレにオマエを救わせてくれ!)とドン・ホセがカルメンに対していいます。つまり「オレがいないと、オマエはダメになってしまうんだ!」と言っているんですね。

「オマエがいないと、オレはダメになる。」のではなく、「オレがいないと、オマエはダメになる。」と考えている。だからこそ必死になってしまう。必死になるにはそれなりの正義感や愛情が必要ですよ。例えそれが、自分勝手な論理であっても・・・
「オレがここでしっかりしないと、アイツは地獄へまっしぐら!」そう思っているから、すべてを投げ打って付きまとう。

では、ドメスティック・ヴァイオレンスの被害者の女性も、そもそも何故に、そのような暴力を振るうような男と結婚したの?
結婚前の付き合っていた頃からだって、そのような兆候はあったりするものです。
よくドメスティック・ヴァイオレンスの状況になって『何故に、あんな男と、一緒になってしまったの?』という周囲からの問い掛けに対して、「被害者」の女性が「私もあの頃は未熟でバカだった。」という言葉で解決してしまいます。しかし、「未熟でバカ」と言うことでしたら、ヘンな格好で渋谷で歩いている女の子?の方がはるかに上でしょ?そんな渋谷の女の子は、男に殴られているの?

色々なケースがあるでしょうが、多くは殴られていないのでは?確かに未熟でバカだったら、自分が現在付き合っている男が、将来は、課長止まりなのか?社長まで出世するのか?そのようなことは分からないでしょう。
しかし、「女性を殴るか殴らないか?」それくらいは未熟な女性でも、ちょっと相手を観察すれば分かりますよ。
と言うか、そんなことは、サルとかイヌでも、マトモなメスなら分かりますよ。

女性にしても、過去の出身家庭の問題が共通しているからこそ、その男に惹かれてしまう。
別の言い方をすると、女性にとっても、初めての居場所ができたわけです。
逆に言うと、それまでの日々では居場所がなかったわけです。
しかし、傷の舐め合いによる結びつきは、結局は、新たな傷を生むだけ。
そもそも、例え本人たちが、その当時には「未熟でバカ」としても、その女性の親も、そんなに「未熟でバカ」ということなの?自分の娘がその暴力オトコと結婚する時に、親は事前に何をしていたのでしょうか?
「あの男だけはやめておけ!」とアドヴァイスするのがマトモな親というものでしょ?
つまり、ドメスティック・ヴァイオレンスに陥る夫婦の実家は、実には当人以上に「未熟でバカ」なんですね。

以上のように、ドメスティック・ヴァイオレンスの問題は、被害者と加害者当人の問題というより、そのような当人たちを産み出した実家の機能不全と強い関わりがあるわけです。
だからドメスティック・ヴァイオレンスの被害者の女性は往々にして、夫から暴力を振るわれていても実家に助けを求めることはいたしません。
このことを、被害者の女性は「実家に迷惑をかけたくないから・・・」と答えることが通例です。
しかし、一般には子供というものは親に迷惑をかけるもの。それこそオシメの取替えから食事の世話まで、ありとあらゆる世話をかけるものです。子供は病気になることも多い。あるいは進学だと相応の費用もかかる。
そうでしょ?
しかし、子供時代から「親に迷惑をかけないように!」と意識しながら生きてきた人間には、「親に迷惑をかけること」は大罪に思えるわけです。
「親に迷惑をかけてはいけない!!」という発想そのものが、ドメスティック・ヴァイオレンスの原因なのですね。

ダメダメ家庭の親は、子供にとって支配者であって、保護者ではない。
保護者に対してだったら、迷惑を掛けることもできますが、支配者には迷惑を掛けられないものでしょ?
逆に言うと、「迷惑を掛けられない。」という言葉が、その家庭が「支配・被支配の関係」で維持されていたことを示しているわけです。被支配者だからこそ、支配者たる親に遠慮する。そのように「親への遠慮」を持っているからこそ、同じ発想を共有できる男と付き合い、殴られても親に助けを求められない。

そして、そのドメスティック・ヴァイオレンス夫と何とか別れた後で、またまた同じような結婚をして、同じようなドメスティック・ヴァイオレンスにあってしまう。
それは、ドメスティック・ヴァイオレンスの本当の原因が、ダメダメな実家にあることに気づいていないからですね。傷の舐めあいの結びつきの場合は、自分の傷にフットした、以前と同じようなキャラクターの人間とくっつくのは当然でしょ?
まずは、自分の心の傷について、自分自身で自覚しなければ、同じことを繰り返しますよ。

ドメスティック・ヴァイオレンスの問題は、法律の問題もありますが、被害者の側(本人だけでなく)がちゃんと自覚すること・・・それが第1歩ですよ。
私は女性に厳しいことを書いていますが、女性の側が気付かないと、もっと悪化することが通例です。

この手の問題の実例に詳しくない方は、大層驚かれるでしょうが、夫から暴力を受けていても、妊娠してしまって、そのまま出産というケースが多くあります。
夫から暴力を受けている状況なのに妊娠するなんて、とんでもないでしょ?
せめてそのような時は、出産しないように処置することも法律上も可能ですよね?
子供を持ってしまうと、ますます離婚できにくくなりますよね?

現実的には、むしろ女性の側で無意識的に妊娠,出産まで至ってしまい、自分自身の出口を塞いでしまうわけです。
こうなると、抜け出す手段がなくなってしまうために、当人としては対処する義務から解放されて、安心して暴力を振るわれてしまうことになる。
実は、前述のように暴力を振るう男が「アイツにはオレが必要だ!」と勝手に思っているように、暴力を振るわれる女性の方にも『あの人にはワタシが必要だ!』などと無意識的に思っている。いわば共依存状態となっているわけです。
お互いダメダメ家庭の出身者として、やっぱり理解が深い間柄なんです。
見事なまでに、傷の舐め合いとなっている。

「夫とは宿命の縁などではない・・・ただダメダメ家庭の出身者として、理解が深かっただけ・・・あの人がどうなろうともう私は関係ない!一時的な傷の舐め合いをしていただけだ。」そのように割り切るためには、自分自身の側の原因を理解する必要があるわけです。
その関係が、所詮は傷の舐め合いに過ぎなかったことを当人が自覚する必要があるわけです。
つまり、自分自身がダメダメ家庭出身者であるという自覚がないと、事態が悪化するだけ。

家庭に関わる問題は往々にして、当事者でない人が最大の犯人といえるもの。
例えば、未成年の女の子の援助交際?が警察沙汰になると、被害者の側が女の子で、加害者の側がオヤジとなっていますが、自分の娘が援助交際をやっていることすら知らない娘の親が、最大の犯人でしょ?

しかし、事件を考える際には、その親は出てこない。本当は一番の原因なのに・・・
そして、最大の原因たる親が後になって「ああ!どうして、ウチだけこんなことに?!」と大騒ぎ。
逆に言うと、親として、子供の問題に対して、事前に準備したり注意する必要があると、自分で考えていないからこそ、安心して大騒ぎできることになる。当事者意識がなく、被害者意識だけだからこそ、親として自分がやった子育てを振り返ったりはしない。
親がそんな大騒ぎをしている家庭は、その子供はまたやってしまうものなんですよ。

ドメスティック・ヴァイオレンスを生み出す背景には、それだけ「居場所」がなかった家庭環境があるわけです。だからこそ、「自分が役に立てる」関係性を維持しようとする。
そして、会話不全であるので、「支配・被支配の構図」を作ることで、相手との関係を設定する。
そもそも、ドメスティック・ヴァイオレンスの被害者となる女性は、そのような家庭環境に順応して、「支配されやすい」キャラクターとなっている。だからこそ、支配的なキャラクターの人間の居場所を作ってしまう。

そして、そのような点に自覚がないと、ボランティアが現れて、暴力オトコと被害者の女性を合わせて支配しようとする。
まさに、ドメスティック・ヴァイオレンスの状況は、「支配されやすい」キャラクターの女性と、「支配することに大義名分を付けやすい」暴力オトコがいるので、支配欲に取り憑かれたボランティアの連中の格好の居場所になってしまうわけです。

そして、そのボランティアにとっての役割と居場所を、今後も提供するように、誘導されてしまう。
しかし、それって、まさに暴力オトコが望んでいたものそのもの。
方法論には多少の違いはあっても、そのメンタリティは共通しているわけです。
女性の側も、実家の問題に自覚がないままだったら、結局は、人に利用されるままで終わってしまうんですね。
そして、子供の頃から「人に合わせすぎる」キャラクターだった人は、結局は人に利用されることで居場所を提供してしまう。
人に合わせないことを減点とみなしてしまうダメダメ家庭の人間は、支配欲を持った人間に利用されやすいわけです。

ダメダメ家庭においては、何か子供に問題があると、それについて子供に対し怒るだけとなっている。だから、子供としては、「親から怒られないようにしよう・・・」という発想が身についてしまう。
だから、発想の基本が減点法的になっている。
「目立つ不都合な点を、適宜、修正していく・・・」そんなことばかりやっている。
だから、その手の人は「ふつう」という言葉をよく使うもの。
逆に言うと、「自分としてはこんな家庭を作りたい。」と、具体的には言えない。
「ふつうの家庭」という形で、具体的に考えることから逃避している。
とりあえず、目の前で発生したマイナス面を修正するだけ。

具体的な達成目標がないので、やり取りの際に、相手に対して「分ってほしいこと」もなく、それゆえに、相手については、普段から「誰でもいい」なんて雰囲気になってしまう。
だからこそ、人を見る目がつかず、結局は、ダメダメな同類と結びついて、修羅場になってしまう。

夫が妻に暴力をふるうタイプのドメスティック・ヴァイオレンスだけでなく、親が子供に暴力を振るうタイプのドメスティック・ヴァイオレンスにおいても、暴力を振るう側は、「ふつう」という言葉をよく使うもの。
それだけ、自分で考えることから逃避していて、そして、視点が減点法となっている。
そんな人の目の前に、気に入らないことが発生したら、過剰反応するのは当然でしょ?

「ふつう」という言葉と、ドメスティック・ヴァイオレンスとは関係が深い・・・そんなことを書くと、ビックリされる方も多いでしょうが、それが現実なんですし、逆に言うと、そんな現実をしっかり認識すれば、そのような事態を予防することができますし、早期発見も可能なんですよ。

「ふつう」になりたいのに、「ふつう」になれない・・・そのギャップに対しての過剰反応が継続する事態・・・それがドメスティック・ヴァイオレンスというわけです。

************************************  終了 ****
発信後記

本文中でバルザックの「谷間のゆり」について書いていますが、あの「谷間のゆり」という小説は一応恋愛小説と言われていますが、ダメダメ家庭出身者の典型的行動がよく書かれていて、面白い小説です。
大体、女性のアントネットは「私は不幸な結婚をした!」と始終グチるくせに、本気で状況を変えようとしないし、第一そもそも「幸福な結婚」ができそうにもないことが明白な男と分かっていて結婚しているんですから・・・
R.11/2/13