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カテゴリー ダメダメ家庭は嘆き節がいっぱい!
配信日 03年11月7日 (10年10月15日 記述を追加)
タイトル 育てるんじゃなかった!
ダメダメ家庭では、グチというか、嘆き節が頻繁に展開されています。
親の様々な後悔や嘆きが子供の前で語られるわけですね。
その後悔の代表例がこの、「ああ、オマエなんか育てなければよかった・・・」と言うものでしょう。
ダメダメ家庭ではポピュラーな嘆き節です。

まあ、確かに親になったりすると、

そもそも子育てなんて楽しくないし・・・
子供だって無料で育つわけでもないし・・・
子供が病気になったりすると、鬱陶しいし・・・
自由な時間がなくなって、遊べないし・・・
学校の行事に借り出されるし・・・
そして、子供が問題行動を起こしたりするし・・・

と言うことで、子供を育てたことを後悔する言葉になるわけです。しかし、そのような嘆き節を聞かされると、子供としては「じゃあ、ワタシは一体どうすればいいの?」と思わざるを得ないでしょ?

ちなみに、子供に「向かって」、「オマエなんか育てなければよかった・・・」と嘆くと、法律に違反する可能性があります。
しかし、子供の『前』で、「子供なんか育てなければよかった。」と嘆いた場合は、法律上問題ありませんよね?
しかし、子供の心理に与える影響はほとんど同じでしょ?

と言うことで、「子供なんか育てて失敗した。」と言うおなじみのフレーズが、ダメダメ家庭では、合法的に展開されることになるわけです。
たまに書いていますが、ダメダメ家庭の問題を法律で解決しようとしても、無理。
そんなことはチョット考えればわかることなんですが、逆に言うと、家庭の問題について具体的には何も考えていない人が、一時的な感情で大騒ぎをしている・・・現実はそんなもの。

このようなダメダメ家庭で育った子供の将来なんて、言わずもがなでしょう。
しかし、それだけでは留まらない。
その「子供なんて、育てなければよかった。」というグチが世代に渡って連鎖してしまうんですね。
マトモ家庭の出身者の方にしてみれば、全く持って不思議に思われるかもしれませんが、このように「子供なんて育てるんじゃなかった!」という親からの嘆きを聞かされて育った子供が、成長後に子供を作ったりするわけ。
自分が親になることに抵抗がなかったりするんですね。
勿論、当人が好き好んで、別の言い方をすると、自分なりの判断を踏まえて親になるわけではありませんが、なんとなく親になってしまうわけです。
それこそ、別のところで触れておりますが、19世紀のフランスの作家であるバルザックの小説の「谷間のゆり」で描かれたアンリエットは「ワタシが母親になることなんて考えてもみなかった・・・」のに、妊娠して、そして出産してしまう。

「親になることを考えてもいなかった」のに、どうして親になってしまうの?

だって、「オマエなんて育てるんじゃなかった!」と聞かされて育った子供は、子育てというものを「軽く」考えているわけです。
だって、親と言うものは、ただ嘆いていればいいだけなんですからね。自分の親を見ていて、そのように思ってしまうんですね。
親になる資格も、子育ての責任も考えないわけ。

あるいは、子育てということを、そもそも考えたくはないんですね。
だって、自分の子供時代はイヤな思い出しかないんだから、思い出すのもイヤですよ。
子育てについて、何も思い出さず、何も考えないからこそ、何も処置をせず、子供ができてしまう。
子育てに対してのヴィジョンなり責任なり覚悟がないからこそ、「な〜となく」で妊娠してしまうわけ。

「適当でいいや!」と考えているんですね。
それに「どうせ、どうやっても子育てなんて楽しいハズもないし・・・」「みんなが子供を作っているから、まあ、しょうがないから、ワタシも・・・」という「ふつう」志向の付和雷同型となっているわけ。

だから逆に言うと、避妊や中絶のような、面倒な努力をしないわけです。
「何も考えず」に性行為を行って、「何も考えず」に出産する。
そして、「な〜んとなく」子育てをしているだけなんですね。
子供がほしかったのではなく、避妊が面倒だったり、中絶が鬱陶しいというだけ。
つまり、子供を肯定しているのではなく、いわば二重否定しているだけ。

覚悟もなく子供を作ってしまうのは、倫理の問題ではないわけ。
むしろ、心理の抑圧の問題なんですね。自分自身の希望や感情を殺してしまっているわけ。
この手の人は、性行為においても、自分の好きな人と、自分が望んでいる楽しい行為をやっているとは思っていないわけ。
「みんながやっている」「そういうものだから」という感覚で、「なんとなく」性行為をしているだけ。忘我のエクスタシーというよりも、心頭滅却の抑圧の境地になっているわけ。
「何となく」やっているわけだから、マズイ事態にならないような配慮などはしない。
結果として、なんとなく子供ができてしまう。

しかし、「なんとなく」できてしまって、「な〜んとなく」育てられた子供が親になつくわけもなく・・・
家庭内外で何かと問題を起したりする。
そうすると、自分が子供時代に親から言われたセリフである「オマエなんて育てるんじゃなかった!」を、親となった自分が言う番になるわけです。
そうやって、その嘆きは世代に渡って連鎖するわけ。

そんな親は、その「育てるんじゃなかった」というグチを言う前には、「生むんじゃなかった」なるグチを言っていたりする。
あるいは、当然のこととして、「あんな人と結婚するんじゃなかった・・・」と子供の前で嘆いていたりするもの。
それが、心からの後悔だったら、逆に言うと、それはそれで一つの判断でしょう。しかし、ダメダメな人はそれが判断ではなく、単なる嘆きの次元でとまっているわけ。
だから、この手の人は、「生むんじゃなかった」という嘆きを発した後で、また平気で妊娠し、そして出産して、また「生むんじゃなかった」と嘆くことになる。

嘆きの次元でとどまっていて、それが判断になっていない。
本来は「生むんじゃなかった」と判断したら、次には生まないのが当然の判断でしょ?
「結婚するんじゃなかった」と思ったのなら、離婚するしかないじゃないの?
あるいは、「育てるじゃなかった」と判断したら、養子に出すなり施設に入れるしかないでしょ?

「子供を産んで失敗した。」とかの文言を使い、「失敗」という言葉は使っていても、その心理としては「被害」と認識している。
そもそも、子供について、将来ヴィジョンもなく、覚悟もないままに、「な〜んとなく」子供ができてしまっただけなんだから、当人としては何も考えていないがゆえに、つまり「ワタシは間違った判断をしていない。」わけだから、それは心理的には「失敗」ではなく、被害となってしまっているわけ。
だからこそ、自分に対する「加害者」と言える子供に対して、謝罪と補償を求めるわけ。

そんな状況において登場したりする「子供のために我慢する。」とか「血が繋がった親が自分の子供を育てるのが当然。」というご高説はいいとして、日頃から「結婚するんじゃなかった。」「生むんじゃなかった。」「育てるんじゃなかった。」とグチを親から聞かされ続けた子供が、マトモに育つわけがないでしょ?
子供としては、親からそんなグチを聞かされ続けると、まさに心頭滅却することが習慣化してしまう。
だからこそ、何も考えないようになってしまう。しかし、何も考えないがゆえに、目の前の危険を放置して、結局はトラブルになってしまう。

先日、岡山県で子沢山の若い母親が、夫と違う父親を持つ2歳の娘のヤケドを治療せず、死に至らしめた事件がありました。

別に、父親が違っているとか違っていないということに関係なく、「軽く」出産をするような人には、遅かれ早かれ起こりうる事件なんですね。

前にも書いていますが、このようなダメダメ家庭は、そもそも子育てに対する意気込みや責任や覚悟など何もないわけです。だって、心頭滅却が習慣化されているわけですからね。
しかし、いったん、不都合なことが目の前に現れると、持ち前の被害者意識が刺激され大騒ぎすることになる。
トラブルが起こる前に、トラブルが発生しないように、事前に色々と考えるのではなく、何も考えないでいて、実際にトラブルが起こってしまったら大騒ぎする・・・それが、この手の人のスタイル。
結婚し、子供を生み、育てることも、「とりあえず」「なんとなく」で突っ走ってしまって、後になって大騒ぎするわけ。
それは母親だけでなく父親の方もまったく同じとなっているわけ。

しかし、その若い子沢山の夫婦だって、自分たちの親の家庭のスタイルを真似ているだけなんです。
そして「あ〜あ・・・子供なんて育てるんじゃなかった・・・」嘆き節も真似ることになるわけです。

その若い夫婦に対し、「重症のヤケドの娘に適切な治療を施さなかったのは、実質上の故意とみなされる。」と言った人もいるようですが、その理屈がOKなら、そのような子沢山の若い夫婦を放置した、その夫婦の実家や近隣住人も故意と言えます。

頻繁に書いておりますが、ダメダメ家庭を作る人間は、自分たちのダメダメなスタイルが「ふつう」とされているようなダメダメな環境を求めるもの。それゆえ、そんな周辺環境から、適切なアドヴァイスなり、あるいは、関係機関への通報がされることも期待できないわけ。だから、何も対処されずに、事件が発生してしまう。
後になって、「アノ家庭はどうもおかしかった。」と訳知りのコメントを出すより、事前に何とかしないとね。

(終了)
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発行後記

大阪の事件の報道を見ていると、警察関係者とか報道関係者が、いかにダメダメ家庭についてわかっていないか・・・驚いてしまいます。
まあ、ゴスロリとかリストカットとかのハデな話題で騒いだあとに、本質的な問題は全く考えることなく、キレイさっぱり忘れてしまうんでしょうね。
R.10/10/15