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配信日 03年12月3日 (10年4月7日に大規模に改訂)
タイトル テレビの報道だけを信じすぎる
さくらの花咲く春のシーズンになると、さくらの下で宴会が開かれる光景が「テレビ」ではおなじみですね?
以前に収録したシーンを毎年使いまわししているのではないでしょうが、毎年決まったように、そんなシーンが出てきますよね?
だからと言って、さくらの下で宴会をやっている人が、本当に日本の多数派なのでしょうか?

皆さんの周囲に、実際に毎年「お花見」の宴会をやっている人って、そんなにいますか?

実際の社会では、「今日は花見で宴会だ!」という話は聞いた事がありませんよ。
ましてや、「座席を取るために朝早くから新入社員がゴザを引いて番をする。」という話も聞いた事がありませんよ。

今時の会社はそんなにヒマではないわけです。それに社員も個人主義。「会社がひけた後も、何故この顔を見なくてはならないの?なぜに付き合わされるの?」という苦情が出るだけなんですね。

そのようなことはどこでも同じでしょう。しかし、テレビ的には面白くはない。東京にある山ほどある会社の中で、ほんの少数の会社がさくらの木の下に集うだけでも、かなりの数です。それがテレビ的には効果満点となる。
だからと言って、日本の会社や役所の多数派が実際に花見をやっているとは言えないでしょ?

私はここで「花見問題?」を取り上げるつもりはありませんヨ。

重要なことは、そのような現状は「自分の夫」から聞ける事項だ、ということです。
何も専業主婦の立場であろうとも、自分の夫が毎年花見をやっているか、当然のこととしてわかりますし、取引先が花見をやっているか、夫に直接聞けばいいわけ。何もテレビの情報を当てにしなくてもね。

テレビの情報はどうしてもフォトジェニックなものが要求されます。これについては、当然ですね?
だから偏りがある。しかし、本来は身近に情報源があるはずです。
学校の問題においても、テレビ報道より前に、学校に通っている自分の子供から聞く方が先でしょう。

だから、テレビの花見報道を前にして「アナタも将来は、花見をするために、ゴザをひいて番をすることになるよ。」との母親のアドヴァイスは、言われた子供にとって困惑させられるものですね。
もし、子供が父親から「今時の会社で、花見をやるところはほとんどない。」と、以前に聞いていた後でしたらなおさらです。

「あ〜あ、この母親は、世の中のことを、何もわかってしないんだなぁ・・・」「この母親は父親と何も話をしていないんだなぁ・・・」と分かってしまうことになる。
そのような母親に対して、何か困り事を相談できるでしょうか?
夫とも、話をしていないような人が、子供の話を真摯に聞くの?

実はダメダメ家庭の人は、そのようなテレビ報道を実に「素直に」信じてしまうんです。
逆にいうと、家族の言うことは聞きもしないし、尊重もしない。
だからこそ、ますますダメダメ家庭になってしまうわけですが・・・

実際の例ですと、驚くほどです。
例えばテレビのワイドショーですと、どうしても扇情的にやらないと視聴率がとれないわけです。
だから何か事件が起こったりした時の、御近所のコメントとかのシーンで、「口の動きと、テレビ音声」が違っていることも多いんですね。
音声の説明?では「ハデ」な状況が展開されている。

それはそれで、いいわけです。そもそもショーなんですから。

ただ、隣にいる子供が「お母さん、この人の口の動きと、音が全然違っているよ!」と指摘した際にも、ダメダメな親は、往々にして、テレビの方を信じてしまうんですね。

「オマエは、何て、ひねくれているんだ!」なんて返事して、テレビを見続けたりして・・・
子供はそのような母親をポカーンと見つめることになる。
子供だって自分の話を聞いてくれる人でないと、話をしたりはしませんヨ。

よく、学校のイジメ自殺が起こった後で、自殺した子供の親が「なぜ、困っていたら親に言ってくれなかったのか?」などと、もっともらしいコメントを言っていたりしますが、普段から子供の話を聞かない親に対して、困りごとは相談しないでしょ?
子供の話を聞かないどころか、クチパクをありがたがるような知能程度の人に、現実的な話はできないでしょ?

一般的な学校でのイジメ問題も、会社での様々な問題も、実際にその場にいる家族から話を聞くのが本来のスタイル。しかし、ダメダメ家庭は、実際に学校で困っている子供を横にして、テレビから情報を得ようとしたりするんですね。

そもそも、ダメダメ家庭の人間は、会話が苦手。自分の意向を相手に対してわかりやすく伝えるという発想もないし、その能力もない。
そんな人間にしてみれば、「言い放し」なり「聞き放し」の状況だと、心理的にラクなんですね。
相手を想定しない、そして、選択なり判断を伴わない「やり取り?」の方を好むわけ。

単にテレビの報道を異常に尊重するというレヴェルなら、知的な面においてオバカと言えるわけですが、ダメダメ家庭の人間は抑圧的であり、自分で認識し、判断することが心理的に怖い。
むしろ、権威筋認定のご高説を「学び」、そして、それに「従う」スタイルの方を好んでいるわけ。

テレビ放送は、権威者認定とは言えないでしょうが、ある世代においては、権威と結ぶつく例もあったりします。それに抑圧的な人間にしてみれば、その機関が自分とは関わりががないがゆえに、ありがたいという発想がある。そのような点は、エーリッヒ・フロムが指摘するマルティン・ルターが代表例。
関わりがない機関であるがゆえに、規範となってしまう。
そして、ある世代の抑圧的な人は、テレビ報道を、いわば自分の規範としてしまうわけ。

そうすれば、それに従っていればいいだけだから、自分で考えなくてもいい。
たとえ、うまく行かない状況になっても、「ワタシはテレビで言っていたとおりにやっただけだ!ワタシは悪くないわ!」と言い訳できるでしょ?

現実的には、テレビ報道を「素直に」信じるというよりも、「疑いたくない」「自分で考えたくない」という逃避的な心情が強いわけ。

規範というものは、自分自身で考えることから解放してくれるありがたい存在。
だから、それに対する疑義は、自分の解放者への敵対行動とされてしまうわけ。
だから、テレビ報道に対する疑義に対しては、ますます意固地になってしまう。
それこそ、信仰する宗教団体の教祖様に対する疑義のように受け取ってしまうわけ。

しかし、口の動きと、スピーカーからの音声が違っているような「報道」をマジメに見ている自分の親を見た子供は、どうすればいいの?
そして、そんな番組は一生懸命に見ても、横にいる自分の子供の話を聞こうともしない親に対しては、どうすればいいの?

子供としては、結局は、「この人には、何を言ってもムダ!」となってしまうでしょ?
ということで、親には何も言わなくなってしまい、あらゆることを子供だけで対処しようとすることになる。ヘタに親に相談しても、トンチンカンな対応をしたり、あるいは「いったい誰のために、いつもワタシが苦労をしていると思っているんだ?!」「せっかくテレビを見ていたのに、ジャマしやがって!」と逆切れされるだけ。
だから、子供だけで対処するしかない。
子供だけで対処というと、まるで自立心とか独立心のように「見えたり」するもの。
子供の独立心というと、聞こえはいいわけですが、「独立」と、「当てにしない」ということは、全く別物ですよ。

テレビ報道を信じすぎる人間の家庭の子供は、親をまったく当てにしなくなるわけ。
まあ、それは現実的にしょうがない。じっさいに、そんな親は、アタマがカラッポなんですからね。それにたまたま当てにしても、まさにテレビ番組のセリフのようなことを言われるだけ。
そんな親からのアドヴァイス?受けた子供の側は、「この親は・・・現実と虚構を混同しているぞ!」とテレビ報道の言葉のように?呆れるだけ。

そんな家庭で育った人間が、その点をちゃんと自覚していればいいわけですが、「テレビ報道を信じすぎる」親の元で育った子供が、成長するとどうなっちゃうの?

そもそも親はテレビを見るのに一生懸命で、子供と会話していない。
そして、そんな家庭の子供は、テレビばかりを信じている親に対しては不満を持っている。
しかし、ダメダメ家庭の親は抑圧的であり、そんな環境なので、子供も思考から逃避するようになってしまう。だから親の問題はアンタッチャブル。

となると、「悪いのは全部テレビのせいだ!」なんて、テレビを攻撃対象としてしまう。
親という存在の代替物として、テレビが攻撃対象になってしまうわけ。
ということで、インターネットに入り浸ることに。
そうして叫ぶ、「ネットはすばらしい!ここには真実がある!」
しかし、そんな「スタイル」は、実に親譲りでしょ?ただ単に、信仰の対象が変わっただけ。

ダメダメ家庭の人間は、自己逃避であり、自分の目標がない。
そしてダメダメ家庭の人間は、現実逃避であり、自分の問題意識なり課題もない。
だから、本当の意味で、自分が必要とする情報がどんなものなのか、自分でもわかっていないわけ。

情報と接する際にも、自分が知りたい、あるいは必要な情報が、結果的に得られれば、それでいいわけでしょ?情報の入手先が、テレビなのか、インターネットなのか、あるいは口コミなのかは重要ではないでしょ?情報そのものに意味があるわけでしょ?しかし、問題意識がないんだから、どんな情報が自分にとって有益なのかわかっていない。
ダメダメ家庭の親が、テレビで言っていれば信じて、テレビで言っていなければ信じないように、そんな家庭の出身者は、インターネットで言っていれば信じて、インターネットで言っていなければ、信じないような、ネット信者になってしまう。

結局は、自分で認識し、選択し、判断することが怖い状況は、親譲り。
ダメダメな親が目の前の子供とのやり取りよりも、一方的に発信されるテレビから情報?をありがたがる・・・そんなスタイルは、世代に渡って続くことになる。
テレビ愛好家ではなくても、子供が特定のメディアに入り浸るスタイルは、親譲り。
そして、その親が持っていた、現実からの逃避としてのテレビ愛好のスタイルは、ちょっとしたやり取りや、子供の姿などで、スグにわかったりするものなんですよ。

(終了)
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発信後記

このように「この女性、夫と話をしてないなぁ・・」というのは簡単にわかってしまうんですね。
ナンパに熱心な男性はそのようなところをチェックするんでしょうか?
R.10/4/7