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カテゴリー 子供がピンチの時
配信日 04年1月2日 (10年12月23日 記述を追加)
タイトル 他の大人にしかられている時
フランスの映画監督にジャック・ドワイヨンという人がいます。彼の作品で、その名も「家族生活」というのがありました。ちなみにその映画には、若い頃のジュリエット・ビノシュが出ています。
ちなみに、このジャック・ドワイヨン監督は、実生活では歌手で女優のジェーン・バーキンと結婚しました。そのバーキンの連れ子は、有名なジャーロット・ゲインズブール。

ジュリエット・ビノシュが映画で演じているのは、主人公のオッサンが結婚した女性の連れ子の役です。つまりビノシュはシャーロット・ゲインズブールの役を演じているわけですね。

おっと、閑話休題。

そこで、主人公のオッサンの10歳くらいの娘が、他の大人に悪戯をして、その人からビンタを食らう場面がありました。その時に、父親である主人公のオッサンはヘラヘラと笑っているだけ・・・というシーンです。

幼いとは言え、悪戯をした後では、他の大人に怒られビンタを食らうのもいたし方がない面もあるでしょう。
ただ、それは社会的な規範と言う観点のみの正当性ですね?

本当の「家族生活」においては、他の大人に叱られビンタを食らう我が娘を、ヘラヘラを笑って見守るだけの父親では、それ以降の関係において、信頼関係を持つことは不可能でしょ?

マトモな親の場合は、子供が悪戯をした相手に真っ先に向かって、親として詫びるでしょう。
「ウチの子が悪さをしてしまい。申し訳ない。どうか許してやってほしい!」
そうやって、子供の前に立ち、相手に詫びるものでしょ?
しかし、そのような親としての対応は法律で規定されているわけではありません。
子供自身の「悪さ」を原因として起こってしまった「我が子のピンチ」に、親の側が傍観者として存在しようが、当事者として存在しようが、法律的にはどちらでもいいわけです。

ダメダメ家庭では、このようなトラブルが発生した際に、その対応は全部子供任せになっているもの。
そのような発想を「子供の自主性を尊重している。」「子供を一人の人間として扱っている。」、あるいは、別のところで取り上げておりますが「子供のケンカに親はでない。」と言えば、周囲には聞こえがいい。しかし、子供だけの対応なんて限界があるでしょ?
周囲の大人たちの間で、子供だけで、どうやってトラブル対応をやっていくの?

そのような傍観者然としたスタンスだけでなく、被害者然としたスタンスの場合もあります。
「また粗相をしでかして・・・もう、オレにとばっちりを掛けるなよ!」
「全く・・・いつになったら落ち着いてくれるのだろう?」
と言った呆れ顔で子供を眺めることになる。

いずれにしても、ダメダメな親は、自分の子供の前で、子供の関係者という姿を見せていないわけです。
法律的には、そして生物的には親という関係であっても、その子供の関係者という自覚がないんですね。
そんな、傍観者として存在する親の姿は、子供としては、後々まで覚えているものです。

「親は全く当てにならない。何かあったら、自分だけで対応しなければならない。」
子供としては、そのような切羽詰った心情の元、今後の日々を送ることになるわけです。
このような張り詰めた心情の日々によって、子供がどうなってしまうのかについては言うまでもないでしょう。
当然のごとく、多大なストレスが溜まっていくことになりますよね?
だからこそ、より大きな事件などにつながってしまうことになる。

それこそ、長崎県で中学生が幼児を突き落とした事件がありましたが、その中学生の親は、事件の後でも、「いったい、いつになったら、親に面倒を持ち込まないようになるんだか?」といった傍観者というか被害者としてのスタンスだったでしょ?
逆に言うと、親がそんなスタンスだからこそ、子供が緊張の日々なんでしょ?

それに、子供の問題を子供だけで解決するのが標準となってしまったら、その人が成長後に結婚して、子供を持ったら、生まれた子供を守れるの?
そんなわけないでしょ?
だって、その発想自体が存在しないわけですし、いざ自分の子供を守ろうとしても、その具体的な方法論がわからない状態なんですからね。

つまり、親になってしまって、そして、ちゃんとした親になろうとしても、やっぱり切羽詰ってしまうことになる。
そんなストレスが積み重なるとどうなってしまうの?

子供の起こしたちょっとしたトラブルに対して、その子供の親がどのような対応をするのか?
それを見るだけで、その親の当事者意識が見えてくるわけですし、そこから、事件の萌芽も見えてくるものなんですよ。

大きな事件というものは、それ以前の小さな齟齬や不満や未解決の問題が積み重なった結果として起こるもの。ただ、ボンクラな人は、顕在化された大きな事件の問題ばかりに注視することになる。
だから、本質的な理解ができず、単に騒ぐだけ。

それこそ、よく「獅子は我が子を、千尋の谷に突き落として、這い上がってくる気迫を養う。」なんて、言われたりしますよね?
まあ、現実的には、アフリカには千尋の谷なんてものはありませんから、ライオンの親だって、そんなことは現実的に無理というもの。
その言葉の意味としては、「立派な親は、自分の子供に対して『試練』を与え、鍛える・・・」という意味なのは、それこそ誰でも分かることでしょう。

しかし、この「千尋の谷に突き落とす」行為だって、「それまで」によって意味が違ってくるでしょ?
「突き落とし事件?」の前の段階では、食料も十分に与え、困った時にはサポートをしていて、そして、将来を踏まえた試練として、千尋の谷に突き落とすのか?
そして、千尋の谷から上がってこなかったら、どのように対処するのか?
そんな計画性があった上での突き落としなのか?

あるいは、「突き落とし事件」の前に、食料も与えないし、そのライオンの子供が他の動物からイジメられている際に、何もサポートもせずに、傍観者を決め込んでいて、そして、そんな日常の上で、千尋の谷から突き落としたのか?

突き落としの前の段階での状況によって、その突き落とし行為の意味づけも変わってきますよ。
それまで、食料も与えず、トラブルがあっても見捨てていた上で、別の言い方をすると、信頼感がないままで、千尋の谷から突き落としても、それは、赤ちゃんポストというか、ネグレクトというか、殺人というか殺ライオン事件と言った方が適切でしょ?
とてもじゃないけど、試練というか教育の一環とはいえませんよ。

当事者意識が何もないダメダメ人間は、当事者意識がないがゆえに、覚悟もなく子供を持ってしまう。そして、子供に対しては保護者ではなく支配者としての位置づけとなっている。だから、自分の子供を保護するという発想自体を持っていない。
そんな姿勢は、他の大人に叱られている時など、その人の子供が起こしたちょっとしたトラブルの段階で見えてくるものなんですね。

(終了)
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発信後記

皆様あけましておめでとうございます。
と言っても新年早々おめでたい話ではありませんが・・・

今年もいつもの調子で行くつもりです。
では、本年もよろしくお願いいいたします。
R.10/12/23