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カテゴリー | ダメダメ家庭の会話の雰囲気 |
配信日 | 04年1月12日 (10年8月8日,11年2月10日 記述を追加) |
タイトル | 敬語での会話 |
昨今「オレオレ詐欺」(別名 ふりこめ詐欺)が話題ですよね? 「ば〜ちゃん、オレだよ!オレ!」 そんなセリフを言われたくらいで、本当にお金を払い込む人もいるのは、ちょっと驚きです。 まあ、このような犯罪行為をやっているのはダメダメ家庭というか、メチャメチャ家庭の出身者でしょう。 一般的には、ダメダメ家庭では言葉使いが荒くなります。 強い物言いをしないと、相手が聞いてくれないわけですからね。 そのような強い調子の言葉は、「合意をとる」のではなく、いわば「その場から逃げるのを許さない」「反論を許さない」という二重否定的な状況を作ろうとしているわけです。 しかし、ダメダメ家庭でも、全く逆のパターンの言葉使いのスタイルも存在することになる。 非常に丁寧な言葉になってしまう場合も発生する。 そのような場合には、家族に対しても、自分のことを「オレ」なんて決して言ったりしません。 「ばーちゃん、オレだよ!オレ!」ではなくて、 「お祖母さん、私ですよ。」と言った感じになる。 まあ、いずれにせよ、中身の伴った会話なんてほとんどありませんが・・・ それこそ若い男の子でも、自分のことを「わたし」とか「わたくし」などと丁寧な呼称で家族相手には使ったりする。 だって、そんな子供にとって、家庭は「仕事場」なんですからね。気を抜いたりしてはダメと思っている。 ダメダメ家庭というのは、ちょっと気を許せば、家族から付け込まれるような厳しい世界なんですね。 だから、家族に対しては、隙を見せたくないと思っている。 非常に丁寧な物言いであっても、「隙を見せたくない」という発想は、二重否定的であり、そこに相手に対する敬意があるわけではない。相手を信頼していないがゆえに、隙を見せたくないと思っているだけ。丁寧な物言いであっても、「相手に分ってほしい」「やり取りを発展させたい」という心情は持っていない。 会話によって相互理解を積み重ねていくという発想は微塵ももっていない。 とにもかくにも、相手に突っ込まれたくないというだけ。 「オレ」なんて言葉を使うのは友達相手だけ。 家庭というものは「生き馬の目を抜く厳しい世界」と思っている。 いわば、家庭内はよそ行きの言葉使いで、外では内向きの言葉使いをすることになる。 親に対しては、ヘマをしでかさないようにという発想を持っているがゆえに、自分のことを「わたし」とか「わたくし」とか「自分」(関西では二人称ですが、その他の地方は一人称)と慎重な言葉使いになってしまう。 ただでさえ、ダメダメ人間は、あら探しばかり。 やり取りの相手方の言葉から「あら」が見えたりすると、早速その点を突っ込むことになる。 「オマエがそんな言葉使いだから、親であるこのワタシは、いつも迷惑を受けてばかり!」 逆に言うと、子供の過剰なまで丁寧な物言いは、その親のあら探し傾向を示しているといえます。 そんな「あら探し」ばかりの人間とどんなやり取りをするの? 身になるやり取りになるの? 形の上ではやり取りをしても、子供としては、現実的には、自分の問題点を親から突っ込まれるだけでしょ? 子供だって、親とは話をしなくなってしまいますよ。 大体において、ダメダメ家庭では「ママ」とか「パパ」、あるいは、「お母さん」とか「お父さん」という呼称なんて、1週間のうちに1回も発せられないことが多くなるわけです。 フランスの映画監督ジャン・ユスターシュの作品「ぼくの小さな恋人たち」では、15歳くらいの少年と、30歳台後半のその母親を中心に進んで行きますが、その少年は母親を「ママ」と呼ぶことは一回もない。また、逆にその母親は自分の子供の名前(ダニエル)を名前で呼ぶことが1回もない。 2時間の作品であるにも関わらず、母親は自分の子供の名前を1回も言うことはない。 「あの〜」とか「オイ!」で、すべて片付いてしまうわけですね。 ちなみに、この「ぼくの小さな恋人たち」という映画はジャン・ユスターシュ監督の自伝的映画です。こんな自伝的映画を作らざるを得ないゆえに、彼は10年後にピストル自殺することになるわけです。 まあ、ダメダメ家庭では「パパ」とか「お母さん」とかの呼称が、まず最初に喪失することになる。 勿論、ダメダメ家庭でなくても思春期の頃にはそのような時期もあったりするでしょう。 テレくさかったりとかして。 問題は、「その前はどうだったか?」であり、そして「その後はどうなったか?」ということ。 その点も合わせて考える必要があるでしょ? 「お父さん」という言葉がなくなっても「オヤジ」という言葉で置き換わっただけなら、別に大したことではないわけです。 しかし、ダメダメ家庭では、「ママ」とか「お父さん」とかの呼称が、全く消えてしまう。まあ、会って話をすることもなくなるので、実際的な不都合もなかったりするわけです。 それに、実際に会ったとしても、お互いに楽しいわけではない。 ただ、世間の手前から、会ったりするだけで・・・ 一種の偽装家庭ですね。まさに、それが「ふつう」のことだから、しょうがないから、そうした・・・というだけ。 男の子が家族に対して、自分のことを「オレ」なんて言わない家庭。 そのような子供は、妙に敬語を上手に使ったりします。 だって、家庭内では敬語で話をしているわけですからね。使い慣れている。 小学生なのに、家庭外において、自分の母親のことを「母」と呼んだりする。「昨日の母はこうでした。」と言った具合で学校で話をする。 同年齢の他の子供が「お母さん」とか「ママ」とか、子供っぽく呼んでいる一方で、ある種のダメダメ家庭の子供は、非の打ち所のない正確な敬語を使っていたりする。 そのまま進んでしまうと、後になっても、家族相手には敬語で話をすることになります。 何か行事があって、たまたま、昔の家族?を顔を合わせても、敬語を使って当たり障りのない会話になってしまう。 まさに「相手から、突っ込まれたくない」という二重否定的な心情しかない。 まあ、そのような上手な敬語を使うダメダメ家庭出身者にしてみれば、「オレだよ!オレ!」という言葉を受けてお金を振り込む老人に、同情など全くしないでしょう。 だって、家庭というものは、「生き馬の目を抜く厳しい世界」だったわけですからね。 「騙される方が悪い。」というのが、そんなダメダメ家庭の常識。 ダメダメ家庭における、敬語の使用は、「弱みを見せたくない!」という心理につながり、心理的には「身構えた」という警戒心が強い状況にある。 警戒心はあっても、敬意はまったくない。むしろ、「よそ行」というニュアンスに近くなる。家庭内での敬語は、慇懃無礼な敵認定のようなもの。 そんな言葉使いになじんでいることから見えてくるものも多いわけです。 逆に言えば、ダメダメ家庭の子供は、ちょっと話をすればスグに分かってしまうものなんですね。ただ、ダメダメ家庭というものは、自分たちのダメダメさが「ふつう」となる環境を求めるので、小学生の子供が、必要以上に敬語を使っても、特に注目されることはない。 しかし、子供が、家庭内で「よそ行き」の心情の日々がどうなってしまうのか? そんなことは誰でもわかること。 そして、実際に事件が発生したら、「あの子は、腰の低い丁寧な子だったのに・・・」と、ボンクラお用達のコメントとなる。 そんな流れは、ダメダメ家庭の周囲で実際にあるものでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 先日、父親が自分の子供を「オレより可愛がられている。」ということで殺しちゃった事件がありました。 相変わらずのダメダメ振りですが・・・ ただ、前にも書きましたが「子供体験が欠落したまま」の状態で大人になり、親になってしまうと、このような発想になりがちですよね?だって精神的には大人とは言えないわけですし。 その父親は勿論ですが、そんな男と結婚し子供まで作っちゃった女性も確実にダメダメ家庭の出身でしょうね。 |
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R.11/2/10 |