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カテゴリー | ダメダメ家庭は嘆き節がいっぱい |
配信日 | 04年1月16日 (10年11月10日 大規模に改訂) |
タイトル | オマエは何も苦労がなくて幸せだなぁ・・・ |
前々回,前回と2回連続でフランスのジャン・ユスターシュ監督の「ぼくの小さな恋人たち」と言う映画の中のエピソードを使っていますが、今回の文章においても使います。前にも書いていますが、この「ぼくの小さな恋人たち」という映画は、監督であるユスターシュの自伝的な作品です。 その折にも書きましたが、ユスターシュ監督は、後にピストル自殺いたしました。 逆に言うと、この「ぼくの小さな恋人たち」を見ると、のちに子供を自殺させるような家庭環境の具体的な諸相についての理解が得られるわけです。 と言うことで、具体的なシーンに注目してみましょう。 主人公の少年がお店の仕事で心身とも疲れ果てて家に帰ってくると、少年の母親が、少年の顔を見ながら、「オマエは何も苦労がなくて幸せだねぇ・・・」と嘆息するシーンがあります。 この「オマエは何も苦労がなくて、のんきで幸せだ!」という言葉は、心身とも疲れ果てている人間に対してインパクトがある言葉でしょ? 「オマエは何の苦労もない。」と断定されたら、言われた子供としては、親に対して「現在困っていること。」を相談することは不可能でしょう? あるいは、何か自分の希望を親に対して伝えることが出来るでしょうか? だって、今現在が、それこそ「天国にいるような幸せだ。」と、親から断定されてしまっているわけですからね。 子供としても、これ以上は何をするの? ヘタに何かをしたら、親の側から「オマエはもう、これ以上ないほどに幸せなんだから、余計なことをして、ワタシに手間をかけさせるな!」と怒られるだけでしょ? ダメダメ家庭の親は被害者意識が強く、そして、「ワタシこそが一番かわいそうな人間なんだ!」と勝手に確信している。 自分こそが一番かわいそうな人間なんだから、自分以外の人間は、「恵まれた」人間であると認識している。それどころか、その被害者意識から、「誰のせいで、この自分が、こんなかわいそうな状況になっているのか?」と、いわば犯人探しをすることになり、まさに目の前にいる自分の子供が犯人認定の栄誉を受けることになる。 そして、「子供を育てることを背負わされたせいで、ワタシはうまく行かないんだ!」と自分に確信することになる。そうして、子育てを背負わされた自分を憐れむことになる。 だから、ちょっとのことで、子供に対し「いったい、誰のせいで、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」と文句を言うことになる。 そして、「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と嘆き節。 自らのかわいそさを語るそんな嘆き節の言葉にはヴァリエーションがあるのがダメダメ人間。 まさに幸福な家庭を語る言葉は一様だけど、不幸な家庭を語る言葉は色々とあるわけ。 ダメダメ人間が語るそんな多彩なグチの一つとして、今回の文章で取り上げる、「オマエは幸せだねぇ・・・」というグチもあるわけです。 そんなグチを言うのはいいとして、言われた方はどうすればいいの? 「ああ!ボクはなんて幸せなんだ!お母さんもそう言っているぞ!」と思えばいいの? しかし、人から言われたからと言って、幸せを実感できるものではないでしょ? 自分の意向が、それなりに実現できていて、もし、何がしかのトラブルが起こっても、それを適宜解決できて、後には響かない状態・・・それが、まあ、幸せな状態と言えるのでは? しかし、ダメダメ家庭においては、子供の状態に関係なく、親の側から一方的に、「オマエは何も問題のない、幸せな状態だ!」と断定されるわけ。 「幸せ」との評価はいいとして、じゃあ、「幸せ」と評価されてしまった子供の意向は実現されるの? あるいは、子供が自分の意向を実現しようとしたら、親はサポートしてくれるの? そんなわけないでしょ? だって、親の側は、「オマエは何も苦労がなくて、幸せだ!」と言っているわけですからね。 今現在でも「これ以上ないほどに幸せ」なんだから、その状態からの逸脱は、むしろ不幸への道でしょ?ということで、親の側は子供に対するサポートなんてしませんよ。 そんな家庭環境だったら、子供としては、実現したい希望そのものを抑圧するしかないでしょ?頻繁に書いていますが「この門より入るもの、希望を捨てよ!」の境地にならざるを得ませんよ。 あるいは、もし子供がトラブル状態になってしまったらどうなるの? だって、親の側は「オマエは何も苦労がない。」と断定しているんだから、起こったトラブルを不都合な事態として認定することもしてくれませんよ。 何かあっても、まさに、「そんなことは、どこにでもある『ふつう』のことだ。」・・・と、断定しておしまい。 そして、「こんなことで面倒を持ち込むな!」と文句を言われ、やっぱり、「オマエは何も苦労がない。」と言われ、「オマエを育てるために、ワタシは自分の一生をふいにした・・・」と犯人認定が伴ったグチが続くだけ。 親に問題を持ち込むと、事態が悪くなるばかりなんだから、子供としては、どのみち、トラブルを自分だけで対処する必要がある。そして、そんな日々を経て、それなりの対処能力もついてくる。だって、その必要があるわけですからね。しかし、そんな対処能力ゆえに、周囲の「子供子供した子供」とは全く話が合わなくなってしまう。そんな純朴な子供たちと、気軽には話も出来ませんよ。だって、背負っているものが全然違ってきてしまっているわけですからね。だから、周囲の子供とのやり取りにも警戒心が伴ってしまう。 あるいは、トラブルが発生してしまったら、とんでもないことになる・・・という警戒心ゆえに、常に切羽詰った心理状態になるのは当然のこと。 そうして、精神的な重荷を背負い、切羽詰った心理状態の中で疲労困憊して、家にたどり着くと、親から「オマエは何も苦労がなくて幸せだねぇ・・」と、うらやましがれることになる。 その言葉を言われた子供はどんなことを思えばいいの? というか、現実的に言うと、感情も思考も停止してしまうでしょ? というか、停止しないとやってられませんよ。 感情も思考も停止した、ほとんど放心状態を、何も苦労もない幸せとしてしまう・・・それがダメダメ家庭というもの。 そんな子供時代だったら、どうやって幸福になれるの? というか、幸福って、いったい何? 親が言う「何も苦労がない幸せ」状態とは、具体的に記述すると、毎日が切羽詰っていて、トラブルが起きないようにビクビクしていて、心頭滅却して、希望そのものを捨てている状態・・・でしょ? そんな「幸せな子供時代」を経て、どうやって幸せになるの? もちろん、そんな「親が認定した幸せな子供時代」を大人になっても繰り返すことは、可能でしょうし、簡単でしょう。 ただ、親が認定した幸せ状態は、恐怖そのものでしょ? 蛇蝎の如くに嫌うくらいに不快と言っていいほどの幸せですよ。 思い出すだけで、シャレでもなく蕁麻疹が出てくるくらい。 そんな「何も苦労がない幸せ」が続くくらいなら、死んだ方がマシですよ。 子供時代に、そんな「何も苦労がない幸せ」なのは何とか我慢するとして、じゃあ、成長後には、あるいは、経済的に自立ができたら、具体的にはどんな生活を目指せばいいの?どんな日々だったら、あるいは、どんな生活になったら、当人としては、それなりに満足できるの? 当人としては、幸せになるために、何をすればいいの? そんな子供時代を送ってしまうと、現実的に言うと、目指す方向性がまったく分からないんですね。 だからこそ、そのような子供時代を経て、「幸せ」を求めても、そのユスターシュ監督のようにピストル自殺ということになってしまう。 そして、そんな自殺事件があったりすると、ダメダメな親や、周囲の人間が大騒ぎしたりするもの。 何と言っても、親の側としては、「自分の子供は何も苦労がなく、幸せ」な状態とみなしていたわけでしょ? だからこそ、「どうして、こんなことに?!ウチの子は、何も困ったこともなく、毎日が楽しそうだった。」「きっと、あの○○が悪いんだ!」となってしまう。 そんなセリフは、子供を自殺なり事件に追いやる家庭の親のお約束の言葉でしょ? 上記のセリフの○○において、最近ではインターネットとか、昔ではロックとか、マンガとか、あるいは、一般化して、時代とか政治とか、その点においてはヴァリエーションがありますが、「ウチの子は何も困ってはいなかった。」→「だから、○○が悪い。」との流れは、お約束でしょ? そして、そんな主張が出てくると、それに同調するような人たちがやってくる。 それこそ、ボランティアや市民運動をやっているようなタチの悪い連中がやってきて、ダメダメな親の嘆きに合わせて大合唱となる。 「そうよ!そうよ!あの○○が悪いのよ!」「まあ、なんてお気の毒なの?アナタたちは、あの○○の被害者なのよ!」 しかし、そんな犯人認定の手際のよさこそが、その家庭の中において、子供が親から犯人認定を受けていたことの証明のようなもの。そして、そんな共鳴こそが、ボランティアや市民団体の家庭の様相を十分に示しているわけ。 そして、そんな声高な犯人認定が響き渡るがゆえに、別のダメダメ家庭においても、ダメダメな親が子供に向かって、「あっちは色々と大変そうだなぁ。それに比べて、オマエは何も苦労がなくて幸せだねぇ・・・」と、断定することになる。 「今現在はうまく行っていないけど、今はこんな打開策をとっていて、今後はこの点がよくなるはずだ・・・」 そんな物言いをされたら、今現在がたとえ、うまく行っていなくても、子供としても、希望が持てるでしょ? しかし、ダメダメ家庭においては、希望もなく、心理的に張り詰めた状態を、幸福と認定してしまって、親の側は子供を羨望するだけ。 親の側は、子供に対して「オマエは幸福だ。」と言い渡しているだけで、そんな『幸福な姿』を写真に残すようなこともしないもの。ただ、子供を羨んでいるだけ。そして、子供を犯人認定して、自分では何もしない。 だから、その手の事件なり自殺があった後では、子供の写真なんて出てこないでしょ? 「何も困ったことがない子供だった。」という親の言葉は出てきても、子供の幸福な表情は何も残っていないわけ。 だからこそ、自殺なり事件になるわけですし、逆に言うと、何かあった後で、「何も困ったことがない子供だった。」という言葉がスグに出てくることが、自殺なり事件の理由を十分に語っているわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 私はまたまた体調不良気味ですが、皆さんは御身体にお気をつけくださいね。 |
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R.10/11/14 |