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カテゴリー | ダメダメな親は子供に求めているばかり | |
配信日 | 04年1月26日 (10年10月1日 記述を追加) | |
タイトル | 楽しい語らいに満ちた食卓を要求する | |
昔よくあった、テレビのホームドラマですと、楽しい食卓のシーンが必ず出てきたようです。 ところが、現実の家庭の食卓はそのような昭和的な団らん風景とはかけ離れた状態であることも多いでしょう。子供が塾に通ったり、父親が残業で遅くなったりと、一緒に食卓を囲むということも難しくなっている。マトモ家庭でも色々とあるんだから、ダメダメ家庭の食卓は、まさにダメダメとなっている。いわば「お通夜」に近い状態。 お互いが沈痛な雰囲気で、黙ってご飯を食べていく・・・そして、いつの間にかその場を去っていく・・・ しかし、それでは折角の食卓が台無しですよね? ということでダメダメ家庭では、親が子供に対して、改善要求を出すわけです。 「こんなに苦労して不快な思いをして、この食卓を実現させたのに、子供も楽しい食卓になるように協力するのが当然だ!」と言うわけですね。 ダメダメ家庭を作る人間は、被害者意識が強く、どんなものでも自分の被害を考える。 家族に食事を用意することも、被害と認識し、自分の子供を育てることも被害と考えている。 つまり、親にしてみれば、子供は加害者なんですね。 その加害者たる子供が、料理を作らされたという自分の苦行に対して、何の配慮もないのはケシカラン! ダメダメな親はそのように思っているわけ。 だから、料理を作らされるという親の被害を認識し、ある種の謝罪のようなものを子供の側から提示することを求めるわけです。「このワタシがこれだけイヤな思いをして、これだけ苦労したんだから、その被害に対して、感謝の意を表明するのは、加害者の義務だ!」と考えることになる。それこそ、子供に対して、「もっと食事中は朗らかいる。」ように、また「おいしい、おいしい。」と料理を讃えるように要求し、そして会話が弾むように要求することになる。 「あ〜あ、こんなに苦労して、夕食を作ったのに・・・誰も、おいしいって言わない・・・」 「テレビでの食事風景はみんなは楽しそうなのに、なぜウチの食事風景はこんな風なんだろう?」 「私はもうイヤだよ!」 「食事中はもっと楽しそうにしなさい!」 と、親の方からグチり、子供に対し命令するわけですね。 だから、テレビドラマのように「絵に描いたような楽しい食事風景になるように、子供も役割を果たせ!」というわけです。 しかし、そう言われてもねぇ・・・ 子供にしてみれば自分自身を扶養している者の要求なので、無視するわけにはいかない。命令されれば、対応する必要があるわけです。 そして、それを要求された子供の側は「どのようにして、楽しい食卓を実現させるか?」考えながら食事を取ることになり、大変なストレスを感じることになるわけですね。 そもそも食卓のお通夜化は理由があってそうなったわけで・・・ 子供だって、ヘタなことを食事中に言ったりすると、後になって、親から文句を言われるので、いやがうえにも慎重に発言しているわけですね。 さながら官僚作成の国会答弁のようなもの。 「その件につきましては、諸般の状況を総合的に考慮しつつ検討させていただきます。」 ダメダメ家庭の食卓では、このような会話?になっているわけです。 子供としてみれば、食卓というものは「大過なく平穏無事に終了すれば、それでいいや。」と、言葉通りに諸般の事情に配慮しつつ慎重に対応しているわけです。こんな状態なんだから、楽しい食卓になるわけがないでしょ? このような状況の中で、「こんなに苦労したんだから、楽しい食卓にしろ!」と、親の方から命令される状態。 その命令からどのような楽しい会話が進んでいくんでしょうか? 現実的には、難しいでしょ? そりゃ、楽しい食卓とは行きませんよね? しかし、その上に、親の方から、「もっと楽しく、もっと朗らかに!おいしい!おいしいと料理を讃えるように。」厳命されるわけです。 「ああ、ここでどのような話をすればいいのかな?」 「しかし、あまり後々響くような話はできないし。」 「楽しそうな表情を作らないと・・・」 「テレビの料理番組のように料理をほめておかないと大変!」 食べながら色々と考え、気持ちが休まる時がありませんよね? まさに「こんな楽しい日々で、天国にいるように幸せ!」と、「あの作り笑い」をするしかありませんよ。 しかし、そんな作り笑いをするために、精神的にはますますのストレスとなってしまう。 そうなると、「食卓のお通夜化」がますます進行することになり、ますます、子供のストレスが増大するのは当然のこと。だから、気を許すと、本音がでて、食卓の雰囲気がマズくなる。 そして、ますます親からの改善要求が厳しくなるわけ。 このスパイラルによって、子供は食事そのものが苦手になってしまいます。その結果は明白でしょう。だって、料理を見るだけで、条件反射的に不快な気分になってしまうわけ。 パブロフの犬のように唾液が出てくるわけでもなく、むしろ気分が落ち込み、ヘタをすると頭痛になったり、蕁麻疹が発症したりする。 当事者意識が全くないダメダメ家庭の親は、家庭のダメダメの理由が自分自身であるとは決して考えないんですね。自分はあくまで被害者という位置づけであるわけです。だから、加害者たる子供がすべての面において配慮することが求められる。 こんな食卓風景しか体験していないんだから、当然のこととして、料理の知識もありませんし、食事そのものが嫌いになってしまう。 当然のこととして、食べ物の好き嫌いも激しくなりますよ。 食べ物の好き嫌いは、味の好みの問題というよりも、食卓そのものに対する不快感なり嫌悪感が反映しているわけ。実際にダメダメ家庭の子供ほど、好き嫌いが激しいでしょ? そして、そんな食べ物の好き嫌いの激しさに対して、学校で指導が入ったりする。 「好き嫌いは許さん!」 「残さず食べるんだ!」 「最後まで食べるまで、立っていろ!」 そんな厳しい指導を受けて、子供としては、ますます食事というものに対して、不快感をもってしまう。 本来は、「激しい好き嫌い」に至らせる家庭の問題を認識し、その点に対処する必要があるわけですが、そんな知能や洞察力がある教員はいないのが、現実というもの。 現実的には、学校側は学校での食事の問題をそのまま家庭に伝え、ダメダメ家庭内で、さらに子供に対しての親からの改善要求になってしまう。ダメダメ家庭の子供としては、食事というものは、家庭内で、親から子供に対して厳しい指導があり、学校においては、教員により、厳しい指導がある・・・そのようなものになっているわけ。 食事を取るということは、どんな動物においても、生命維持の基本でしょ? しかし、ダメダメ家庭の子供にしてみれば、その基本線から壊れてしまっているわけです。 そこの基本点の問題を放置して、後で色々と調整しても、成果にはつながるわけがないでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 次回はちょっと趣を変えてみます。ホンのちょっとですが・・・ |
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R.10/10/1 |