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カテゴリー ダメダメな親は子供に求めているばかり
配信日 04年1月30日 (10年10月28日 記述を追加)
タイトル 殺さないことへの感謝を要求する
ダメダメな親にとっては、自分の子供が大変な幸運の持ち主に見えるようです。

以前に配信した文章で「オマエは何も苦労がなくて幸せだなぁ・・・」という親の言葉を取り上げました。ダメダメな親は、子供の気持ちなど考えたことがないので、子供が何も困ったことがないように見えるんですね。また、その他にも子供の幸運を讃える?言葉は沢山ありますよね?

先日、大阪で自分の中学校3年の子供に食事を与えず、重体に陥らせた親の事件がありました。その親自身は歴然たる法律違反なのでダメダメな親どころではありません。しかし、今そこにあるダメダメな親は、そのような事件を喜んだりするんですね。

その事件を踏まえ、自分の子供に対して、親への感謝を要求するわけ。

「あの事件のことを考えろ!オマエはちゃんと食事ができるのだから幸せだ!」
「殴られずに済むのだから、ありがたいと思え!」
「私たちがあんな親だったら、オマエは生きていない。私たちに感謝しろよ!」

こんな調子になるわけ。

また、最近よくある事件で、自分の子供に保険金をかけて殺して、保険金を受け取るような親が登場します。あるいは、自分の娘に売春させるような親も実際にいるでしょ?
ある意味において、このような事件の報道はダメダメな親にとってはラッキーなことになるわけ。

「見ろよ!あの親を。自分の子供に保険金をかけて殺しちゃったよ・・・」
「自分の娘に売春をさせちゃっているよ!鬼畜だな!」
そして、次に自分の子供に向かって、「オマエは殺さないでおいてやるのだから、ありがたいと思え!」

実際に殴ったり、殺したり、あるいは食事を与えなかったら法律違反ですよね?
しかし、殴らないことへの感謝を要求することや、食事への感謝を要求することは、法律違反ではないでしょ?
親が子供に対してなすこととしては、とにもかくにも死なないようにしておけばいいだけで、教育などはオプショナルなサービスである。
そのように考えることは決して法律違反ではありませんよね?どのように親が考えるかは法律では規定していませんからね。法律で規定しているのは親の行動だけなんですから。
子供への教育をオプショナルなサービスと考えることが法律違反になるのではなく、義務教育を拒否したら法律違反になるだけ。

法律で規定されているのは、実際に「それなりの」食事を与えること、子供を生かしておくことであって、食事を与えない可能性について常に言及することは全く問題ないわけです。

『たまたま親の気分がいいから、子供に食事を与えている。』
ダメダメ家庭ではそのような発想なんですね。
だから親の気分が悪くなったら、子供に食事を与えなかったり、保険金をかけて殺したりする・・・「ふつう」の親はそのようなものだ!
まあ、これがダメダメ家庭の定説というわけです。

ということで、ダメダメ家庭では子供が食事を「いただく」ために、必死に親のご機嫌取りをすることになります。何と言っても「オレ様の気分が悪くなったら食事などは出さない。」って言っているわけですし・・・

結局は、ダメダメ家庭の子供は、戦争捕虜のようなもの。
まさに、敵に捕まってしまって、身動きが取れない状態。
ただ、戦争捕虜は、お互いの条約によって保護されたりしますが、子供は保護されていないというだけ。だから、捕縛した側の判断でいつでも処刑できてしまう。

あるいは、ダメダメ家庭の子供は、奴隷の一種なんですね。
賃金もなしに、何でも命令を言い渡すことができる存在。
ただ、奴隷は法律的に禁止されていますが、ダメダメ家庭の人間が子供を作って、その子供に対して無体な要求をすることは禁止されていないというだけ。
だから、「オレの命令には文句を言わずに従え!」と命令され続けることになる。

親と子供の関係といっても、それぞれにヴァリエーションがあるわけですし、法律で規定できるのは、「子供がとにもかくにも生きているようにする」という最低限の結果であって、その基準点がどのレヴェルなのかは規定されていないでしょ?

「自分の子供を殴る親」,「自分の子供を殺して保険金を得る親」がデフォルトなのか?それとも「自分の子供を殺さない親」がデフォルトなのか?あるいは、「自分の子供の可能性を伸ばそうとしている親」がデフォルトなのか?その点での判断は色々とあるでしょう。
ただ、親として、「私は保険金をかけて子供を殺す親をデフォルトと思う。」と子供の前で宣言されてしまったら、その宣言を聞いた子供はどうすればいいの?

実際に自分の子供を殺す,殺さないはまた別として、「自分の子供を殺さないのは、親としてオプショナルな発想だ!」と宣言する。
「親としての特別のご加護において、オマエを生かしておいてやる!」
「生かしておいてやる恩を忘れるな!」
「私の気分が悪かったら、いつ何時保険金をかけて殺してしまうかもしれないぞ!」
「家庭内では、捕虜保護条約は通用しないんだからな!」

たまたま子供を殺すのか?
たまたま子供を生かしておくのか?
法律ではどっちでもいいわけです。法律で規定されているのは、兎にも角にも生かしておけばいいだけ。

人間も基本的には動物ですので、一応は、生存本能のようなものがあります。しかし、「いつ何時殺されるのかわからない」状態が続くと、「生きたい」という気持ちが薄れてきます。
「生きたい」と念願すると大変なストレスになりますが、「生きるも死ぬも、どうでもいい。」と割り切ってしまうと、精神的ストレスからは解放されるわけですからね。

ヘンな話になりますが、「生きるためには、生きることを諦める」必要があるわけです。生きることに拘っていると、まずもって精神的にマイってしまう。

しかし、そのように「生きるも死ぬも、どうでもいい。」という悟りの境地に至った子供が将来どうなるか?
それについては、論を待たないところでしょ?

あるいは、殺す殺さないという将来の問題だけでなく、それこそ中絶しなかったことへの感謝の場合もあるでしょ?
「妊娠がわかった時に、中絶しようかなとも思ったけど、生かしておいてやった!だからオマエはワタシたちに感謝すべきだ!」そんな要求を子供にする親は実際にいるでしょ?

その時の真剣な判断で、中絶しなかったのなら、後になってそんな恩着せがましい物言いはしないでしょ?しかし、ダメダメ家庭の親は、自分では何も判断しない。それこそ避妊するという判断もしない。そして、中絶という判断もしない。何も判断しない結果として子供ができて出産されてしまう。当人としては何も判断していないので、つまり、間違った判断はしていないので、子供が出産されたことは、親となった自分たちにとっての純然たる被害として認識しているわけ。
だからこそ、謝罪と補償を子供に要求することになる。

「たまたま中絶しないでやったから、オマエが生まれたんだ。」なる物言いをされてしまったら、生きるためには、親の要求どおりに謝罪と補償を提供する必要があるでしょ?
しかし、そんなことばかりしていると、子供だって疲れてしまいますよ。
あるいは、児童虐待の現場で、子供の側が親に対して「ごめんなさい!」と大声で言っているものですが、まさに「産まれてしまった」ことへの謝罪を親から求められているわけです。そして、そんな発想は、程度問題は別としてダメダメ家庭において共通して持っているものなんですね。

あの大阪の事件で、「被害者の長男がなぜ逃げなかったのか?」と疑問に思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、「生きる望みを持っている」と、生きられない世界というものもあるんです。

「この門より入るもの、希望を捨てよ!」
ダンテによると地獄の門にはそう書いているそうです。
希望を持っていると生きていけない世界、それが地獄というもの。そして、現実のダメダメ家庭もまさにそんな様相になっているわけ。
そして、そんな家庭の子供は、そんな状況に心理的に適応して、希望を捨ててしまっているわけです。

殺さないことへの感謝を親から要求された子供は、結局は、自分で自分を殺してしまうことになる。
そのことは、突飛な事件ではなく、むしろ当然の論理の結果でしょ?

(終了)
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発信後記

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「まぐまぐ」,「Macky!」,「メルマガ天国」です。
内容は同じです。
最近、メルマガ天国での購読者さんが増えました。

どこかで紹介されたのでしょうね。
新しくご購読いただいた方、よろしくお願いいたします。
R.10/10/28