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カテゴリー ダメダメ家庭と学校
配信日 04年2月6日 (10年8月28日 記述を追加)
タイトル 学校でいじめられないように目立たなくしていろ!
今現在においても、学校ではイジメ問題が深刻ですね。
これは学校だけも問題というより、社会全体の問題でしょう。会社だって、弱いものイジメは顕著です。子供だって、そんな社会の一員にならなければならないわけですから、そのようなことを予想すれば、学校でのイジメも発生してしまいますよ。自らが長じた後になって参入せざるを得ない世界に絶望している・・・学校におけるイジメは、このことの表れと言えるのでしょうからね。

だから、特定の時代の問題というよりも、自分にとっての明るい未来像が見えてこない・・・その面が大きいのでは?もちろん、現時点で直面している閉塞感も大きいでしょう。
今現在に閉塞を感じ、そして将来においても希望が持てない・・・
そんな精神状況だったら、イジメ問題も発生するのも自然でしょ?
だから、イジメというのは昨今の問題ではなく、昔からあったりするもの。
それこそ、19世紀のフランスの小説家のバルザックの『谷間のゆり』に学校でのイジメがでてきます。
あるいは、それこそ、平安時代の作品である「源氏物語」にも、イジメが出てくるでしょ?

今現在が、それなりに順調に行っていたり、やがて一員となる社会が光り輝くものであったら、イジメなどは深刻な問題にはなりませんよ。今現在ガマンしても、将来においていいことないから、結局は絶望的になる・・・だからこそ、その「はけ口」を求める・・・それって、ある意味当然のことといえます。

同時に、学校におけるイジメ問題は、家庭の問題ともかかわってきます。学校で「継続的に」いじめられる子供はそれなりの「理由」があるわけです。こんなことを書くと「ケシカラン!」との正論オバンからの反論があるかもしれませんが、私が申し上げている原因なり理由は、「倫理的」なものではなく、実際的なものです。
イジメに至る心理的な流れがあるわけです。

それこそ、ダメダメ家庭で子供に対してよく言われるアドヴァイスがあります。
「学校でイジメられないように、学校で目立たなくしていろ!」というもの。
そんなアドヴァイスが実際にあったりするでしょ?
実は、以前にテレビを見ていたら、「ワタシは自分の子供にそう言っている!」と自慢げに語っているオバサンがいました。
この言葉は、ある意味において実際的ですね。そして大変な効果がある言葉です。

まあ、クラスの中で目立たなければ、まさに「目を付けられない」から、イジメられないだろう・・・まあ、いかにもダメダメな親が考えそうなことですよ。

ここで「学校でイジメられないように・・・」という言葉は、愛情溢れる言葉のようですが、敏感な子供にはそうは聞こえないわけです。

まずは、いじめられている子供だって、当人が「好きでいじめられている」わけではないのですから、「いじめられないように注意しろ!」と言われても困るわけですよね?

また、「いじめられないように・・・」という言葉には「もし、いじめられた場合のサポート」についての言及がない。つまり、いじめられてしまった後では、親は知らぬ存ぜぬを決め込むことと同義なのです。

もし、本当に子供のことを考えている親だったら、「学校で困ったことがあったら、スグに私に言いなさい。」と言うでしょう?継続的にいじめられている子供は、現実的には「何かあっても親が出てこない。」家庭の子供なんですね。いわゆる「家庭からのバックなりサポート」がない子供と言えるわけです。よく言えば放任主義。悪く言えば知らぬ存ぜぬ。

子供がいくら優秀でも、さすがにバックがないと学校での対応に限界がある。子供同士の間柄でもそれくらいは簡単に見抜けるわけです。

ですから、「いじめられないようにしろ!」という言葉を、子供に投げかけること自体が、子供をイジメの被害者に持っていく有効な効果を生んでしまうわけです。

また、「いじめられないように、目立たなくしろ!」という言葉の「目立たなく」という言葉ですが、この「目立たなく」という言葉が効果抜群ですよね?

日頃から「目立たなく」行動する。そのことは学校で、勿論その他の面でも、周囲に気を配り常に状況判断を怠らない習性を要求されます。いわば「己を捨てて、周囲に合わせる。」境地。
勿論のこと、現実的で代表的な処世術であると言えますが、子供には「重すぎる」ことはいがめません。
それこそ、何となくオドオトした雰囲気になってしまうもの。
そもそも「目立たなくしろ!」との親からの命令があるんだから、どうしても周囲をうかがう必要があるでしょ?現実的にはオドオドとしてしまいますよ。そんな雰囲気があるから、子供の間では、逆に目だってしまう・・・そんなものでしょ?

勿論、そのように「周囲に合わせて生きる」ことによって、学校というジャングルを大変なストレスを感じながらも生き延びることができるでしょう。実は問題はその後ですね?
そもそも目立たないことで身を守る動物は、いざ見つかってしまうと、対処の方法がない・・・それは、まさに動物世界の摂理でしょ?
だからこそ、ますます目立たないことに徹するようになる。

「目立たないように」「人に合わせて」「周囲へ気配りをすること」が習性になって年齢を重ねると、自分自身が生きているという実感がまるでなくなってきます。こうなったら、結果は明白ですね。
「あ〜あ、生きていても何も楽しくない!」
そんな言葉になってしまうのも当然でしょ?

「いじめられないように、周囲にあわせて目立たないように行動する。」このようなアドヴァイスは勿論のこと合法的で、現実的です。
しかし、要は、親として「子供には手間を取られたくない。」ということなんですね。

大体このようなアドヴァイスだったら、もし学校でいじめられるような事態が発生したら「目立ってしまった」子供が悪いということになってしまうでしょ?
「オマエが学校で目立ってしまうからいじめられるんだ!もっと周囲に配慮しろ!」
「いったい、誰のために、このワタシがこんな苦労をしていると思っているんだ?」
このように親から説教を食らうだけになってしいます。
こうなると、学校でのイジメと、家庭内でのプレッシャーで典型的なダブルバインド状態になってしまう。
だから、親に相談できないんですね。
子供としては、結局は自分自身で対応しなくてはならないわけ。

ダメダメな親は、たとえそれがアドヴァイスという形であっても、子供に対しやたら注文をつける。
だからうまくいかないことがあると、注文どおり行動しなかった子供のせいになってしまう。だから子供も親に相談できない。それが、まさにダメダメ家庭ですね。

ちなみに、「目立たないように」という要求を子供に課す親が、お約束のように使う言葉はどんな言葉でしょうか?
そう!「ふつう」という言葉です。

「ふつうにしていろ!」という言葉と、「周囲から目立たないように」という言葉は、実につながっているでしょ?
逆に言うと、「ふつうにしろ!」という、親からの要求が子供にプレッシャーを与えることになるわけです。それだけ、周囲をうかがって目立たないように配慮する必要があるわけですからね。

そんなストレスが積み重なって、まさに子供が事件を起こしてしまう。
そんな事件の後で、その子供の親は、「ウチはふつうの家庭だった・・・どうして、こんなことに?」と嘆き、ご近所さんは、「目立たない、ふつうの子供のように見えた。どうして、こんなことに?」とボンクラなコメントとなるわけ。

(終了)
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発信後記

まあ、大阪の事件(04年の事件)はまだ色々と報道されていますが・・・
家庭訪問しても親が応対してくれなかったので、わからなかった、って・・・
じゃあ、アパートの隣の人にちょっと聞いてみてもいいじゃないの?
と、思う私はヘンなの?
R.10/8/28