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カテゴリー | ダメダメ家庭の金銭感覚 |
配信日 | 04年2月11日 (10年5月15日 記述を追加) |
タイトル | お金がもったいない |
前回配信の文章で、「ダメダメ家庭は収入のアップを図らない。」というお題で書きました。 ダメダメ家庭は支出が少ないので、収入も少なくてもやっていけるわけです。 何も無理をしてお金を稼ぐ必要がない・・・よくも悪くも・・・ なんと言っても、家族旅行をするでなし、ちょっと食事に出かけるでなし、オシャレを楽しむわけでなし、子供に有意義な体験をさせようとするでなし・・・と、本当にお金がかからない。 勿論のこと、子供も最初はおねだりをしたりしますよね? 「お母さん、アレ買ってぇ・・」って。 このような時には「お金が勿体ない。」と即座に回答する。それがダメダメ家庭です。 問答無用で、身も蓋もない回答なんですね。 「来月の誕生日のプレゼントとしてだったら、買ってあげてもいいけど・・・」とか、 「今度の試験に100点取ったら買ってあげようかなぁ・・・」とか、 「もう少し安いものだったら考えてもいいけど・・・」とか、 「あれと同じようなもの、前にも買ったことあったじゃないの?」とかの回答にはならない。 ただ「勿体ない。」と断定されるわけです。 あるいは、ちょっとしたことで、やたらお金にはシビアーだったりします。 そういえばちょっと前に話題になったヴィンセント・ギャロ監督&主演の映画「バッファロー‘66」でもこんなシーンがありました。実家から電話をかけようとしたら、父親が「市外通話はダメ!」と言われちゃうシーンです。このような金銭的にシビアーなことが習慣になっているわけです。 とてもじゃないけど、「次の日曜日に、遊園地に遊びに連れて行ってぇ・・・」とは言えませんよね? もし、言ったとしても、親からは、「お金が勿体ない!」の一言。 さすがに子供としては、「お金」を持ち出されると反論できないわけ。 だから会話にならない。 子供も最初の頃は、それでも食い下がったりもいたします。 「いいじゃない?ねぇ?」って感じで。 しかし、結局はあきらめてしまうんですね。まあ、粘ってもどうなるでなし・・・ あきらめることだけが上手な子供になってしまうわけです。 そうなってくると、どうなっちゃうの? 最初から希望を持ち出さなくなります。もう希望を持つことから断念しちゃうんですね。 まさに「この門より入るもの、希望を捨てよ!」の境地。 これが、オモチャとか遊園地くらいだったら、まだまだ大したことではありませんが、自分自身の進学とか就職とかの問題にも関係してくるわけです。 「お父さん!私は進学したい。」 『ダメ!お金が勿体ない!』 それで終わっちゃうんですね。 子供の方もあきらめることに慣れているので、それで引き下がってしまう。まさに人生を捨てちゃっている状態。 前回の「収入のアップを図らない」と対応していますが、ダメダメ家庭は子供の希望をかなえようという意思を、そもそも持っていません。だから収入が少なくてもやっていけるわけ。 オマケにそんな態度は、周囲からは「やりくりが上手ねぇ・・・」と褒められたりして、そのケチにますます磨きがかかったりする。 ありがたいことに、世の中には「倹約は美徳」という考えもありますし。 子供に我慢させれば、周囲からは評価も高くなりますしね。 それに被害者意識が強いダメダメ家庭では、支出というものを、被害というカテゴリーの中で捉えているわけ。何か目的のものを得るための「対価」という考えではなく、ただ単独に「支出」を認識し、それを、自分が背負わされた被害の一部と認識しているわけ。 そもそも、当事者意識がないんだから、達成したもの・・・それ自体を持っていない。だから、そのための「対価」としての支出は、理解の範疇外になるわけです。 だからこそ、「お金の支出」に対しては、過敏に反応し、逆に言うと、何かを無料でもらえるイヴェントがあったりすると、異常に熱心になったりするわけ。 いわば「もらいたがり」の人間になってしまうわけです。 無料でもらうのはいいとして、それが役に立つかどうかは、何も考えないわけ。 とにもかくにも、支出が低いことが重要なのであって、成果などはどうでもいいわけです。 それこそ、そんな人は、パソコンの基本ソフト(OS)のようなものも、やたらケチったりして、それこそ無料のOSである、リナックスを入れたりする。 リナックスを入れるのはいいとして、じゃあ、そのパソコンで何をするかというと、何もできない状態。 とにもかくにも、支出を減らしたり、なくしたいと、日頃から切羽詰っている。 そんな人間が、子供を持ったら、子供としてはどうなっちゃうの? 子供の意向をかなえようなんて思わないでしょ? そして、そんな親の姿を見ているので、親が子育てに対して支出をしないで済む社会を理想と考えることになる。だから何かと、高校の授業料の無料化とか、子育て支援とかを言い出すことになる。 そのような発想は、自分の目の前にいる自分の親が、子供に対しての支出をイヤがっていたという体験をひきずっているわけ。 たとえ、社会的に、子育て支援をしても、被害者意識が強いダメダメな親にしてみれば、そんな「支援」は、被害に対する「補償」という位置づけになっているわけ。だから、「ワタシは子育てを背負わされたかわいそうな被害者」という認識が心理的に強化されてしまう。 だから、ますます、子供への支出をケチることになり、ますます、子供が追い込まれていく。 そして子供は希望そのものを持たないようになってしまう。人生を捨てた親と子供の家庭。それがダメダメ家庭というわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 まあ、お金にシビアーでないダメダメ家庭も勿論あります。 その場合には、子供に現金を渡して、「これで好きなもの買え!」と丸投げするパターンですね。 |
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R.10/5/15 |