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カテゴリー | ダメダメ家庭は嘆き節がいっぱい! |
配信日 | 04年2月18日 (10年9月22日 記述を追加) |
タイトル | 妊娠中は辛かった! |
妊娠は誰のせいでしょうか?妊娠は男性と女性の共同作業の結果ですから、基本的には男女二人のせいですね? では、妊娠中の苦労は誰のせい? 妊娠に至った理由はやっぱり男女二人です。しかし、お腹の中の子供は関係ないの? 「オマエがお腹にいたとき、つわりがひどくて苦労した。」 「身体を動かすのも大変だった。」 「歯もボロボロになってしまった。」 そのように妊娠中の苦労を「かつてお腹にいた」子供に語ることも論理的は問題ありませんよね? 妊娠中の苦労の責任の一端を、実際にその子供が負っていることは、論理的には確かですからね。 子供としては、確かに妊娠中の苦労の理由の一端を自分が担っていたことについては、否定しようがない。 そのことに対する「謝罪と補償」を、親から求められると拒否しようがないわけです。 それに毎日のように妊娠中の苦労を母親からグチられたら、子供だって「そんなものなのかなぁ・・・」と納得しちゃうんですね。 「だって妊娠させたのはボクじゃないし・・・」 「アンタらが勝手に乳繰り合ったからボクができたんじゃないか!」 と反論できる子供が、どれくらいいるでしょうか?色々な理由から無理ですよね? 否定しようがない、反論のしようがない責め句はダメダメ家庭ではおなじみです。ダメダメ家庭ではとにもかくにもグチを言いたいわけですね。しかし、子供としては対応の取り様がありませんよね?「さっさと中絶すればよかったのに・・・」と思っても口にはできない。もう「出てきている」ので中絶もできないし・・・ 言うまでもなく、妊娠中の苦労を子供に対して語ることは、法律で禁じられているわけではありません。だって親としては、実際に苦労したわけですしね。 ちなみに、ヴィンセント・ギャロ監督&主演の「バッファロー‘66」という映画では、母親が「オマエを出産するために、フットボールの大切なゲームを見ることができなかった!」と自分の子供をなじるシーンがありました。 あの映画を見ていた多くの人は、ギャグの一種だと思ったのではないかとも思いますが、似たようなことはダメダメ家庭では結構ポピュラーなんです。 ちなみに、例の大阪での中学3年生の虐待事件の関連で「虐待されている被害者の子供は周囲に助けを求めようとしないし、いざ周囲が助けようとすると、『止めてくれ!ボクを放っておいてくれ!』と言ったりする。」と不思議そうにコメントしている良識派さん?がいらっしゃいましたが、そのような被害者?の子供の発想は実に自然なことなんですね。 ダメダメ家庭では、日がな一日中、親は子供に対しグチを言っているので、この家庭がうまく行かないのは子供のせいということになっている。そして、それが親にしても、子供の側にしても、心理的に刷り込まれている状態。 子供にしてみれば、「ボクが生まれたから、両親が困っている。」と考えているわけですね。 むしろ加害者意識があるわけです。 また、子供を虐待している親の方も「子供が生まれたせいで、うまく行かなくなった。」と本気に思っている。親の方が被害者意識があるわけです。 頻繁に書きますが、児童虐待の『現場』では、暴力をふるう親の側が被害者であり、暴力をふるわれる子供の側が加害者となっているわけ。 だから、家庭内における児童虐待は「被害者が加害者に復讐しているだけ。」と、親も子供も思っているわけですね。加害者の親が「あれは、しつけだ。」というのは心理的には確かにそうなんですね。本当にそう思っているわけです。決して「こじつけ」や「言い訳」ではないんです。 そもそも妊娠中の苦労からして、「子供が悪い」という認識なんですから、その後の問題の「諸悪の根源」が誰になるのかについては、言わずもがなでしょ? そのような親にしてみれば、「しつけ」という名目で子供を殴るのも心理的には妥当なことであるわけです。 また、加害者意識を植え付けられた子供としても「周囲を巻き込んで、両親をますます困らせてはいけない。」と思っているわけです。 まあ、ダメダメ家庭を考える場合の基本中の基本ですね。 そんなことを、不思議に思うことのほうが不思議ですよ。 何回も書きますが、親に被害者意識があり、子供に加害者意識があるんだから、そんなダメダメ家庭の『現場』においては、親が子供を殴ることは、いわば「報復」行為となっているわけ。いわば、倫理的に正当性のある行為となっているわけです。 まあ、人の親なんてバカでもアホでもなれるものですから、そのような資質の人間でも簡単に親になれてしまいますし、逆にそのような資質の人間だからこそ、「親になりたがる。」ものなんですね。親という立場をゲットすることで、ダメダメ人間が渇望する「ふつう」の姿を手に入れようとするわけ。 そもそも、そんな人間ができることは子作りだけだし、そんな人間の相手をするのは、その人の子供だけ。そして、子供に対し、子供への恨みつらみを語るわけ。 そして、恨みを語ることにより、自己憐憫することになる。 そんな姿は、ダメダメな親だけでなく、韓国人がいつもやっていることでしょ? 何も特別な事例ではなく、被害者意識が強い人間には、お約束の行動スタイルなんですね。 まあ、このように妊娠中の苦労を聞かされてきて、当人としては、子供を作らなかったら問題はないのですが、何も考えずに、子供を作ったりすると、今度は当人が同じグチを、自分の子供に言ったりするわけ。そうなると名実ともに加害者に昇格するわけですね。 いつも書いておりますが、子供時代が不快だったがゆえに、まさに「思い出したくもない。」「考えたくもない」状態になり、何も考えないがゆえに、結局は考えなくてもできる「なじみ」のやり方をすることになる。なじみのやり方とは、要は自分の親と同じやり方ということ。 また、妊娠中につらかったことについてのクレームを親から言われ続けている子供が、そのことについて周囲に相談したら、どんな事態になるの? たぶん、周囲としては、こんな反応なのでは? 「そんなことを言う親なんて、いるわけがないじゃないか?」 あるいは、 「オマエはなんてことを言うんだ!子供を愛さない親はいない!」 と、ますます子供が悪者になってしまうでしょ? ということで、妊娠中につらい思いをさせたという親からの犯人認定と、とんでもないことを言い出す子供という周囲からの犯人認定があいまって、ますます子供が大変な立場になってしまうわけ。 この手の親は子供の顔を見るたびに、謝罪と補償を求めることになる。 だから、子供も遠慮する。妊娠中のことまで文句を言われるんだから、子供にしても、それこそ進学どころではない。だから、外の世界について、知ることができず、結局は、似た者同士が集まることとなる。 だからこそ、ドメスティック・ヴァイオレンスのような事態になってしまう。 そんな事態が実際に起こってしまうと、自分の「役割」や「居場所」ができたボランティアの連中がうれしそうに寄ってくるもの。 そして、「あの暴力オトコをやっつけろ!」と大騒ぎ。 しかし、トラブルの本質は、「妊娠中のことまで子供を責めるような親の問題」なんですね。 しかし、ボランティアの連中は、本質的な問題は放っておいて、目先の敵を攻撃するばかり。だからこそ、このような事態が繰り返されることになる。 そして、繰り返されるがゆえに、ますます居場所ができたボランティアがさらに張り切ることになる。しかし、目先の敵への攻撃はヒートアップしても、本質的な問題には何も対処しないわけ。 逆に言うと、ダメダメな親は、親の側が被害を語れば、それが無条件で受け入れられてしまうようなグチに甘い環境を求めるもの。そうして、心行くまで被害を語り、周囲からの同情を得て、被害者としての自分を疑うことをしない。 結局は、そのツケは、何も言えない立場である子供に集約することになる。 そして、そんな事情をマトモ家庭出身者が理解できるわけもなく・・・ 結局は、やっぱり同類同士で結びつき、お約束の修羅場になってしまわけ。 (終了) *************************************************** 発信後記 例の大阪の中学3年生・・・今重体ですが、逆に元気になってしまったら、今度どうなるんでしょう? そっちの方が本人にはツライでしょ? 周囲のサポートがある・・・という人もいらっしゃるでしょうが、もし本当に周囲からのサポートを本当に期待できるのなら、こんなことにはならないわけですしね。 |
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R.10/9/22 |