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カテゴリー ダメダメな親は子供に求めているばかり
配信日 04年4月5日 (10年7月2日 に記述を追加)
タイトル 子供の方が気を使うことを要求する
ダメダメ家庭の親は自分のことしか考えていない。
ダメダメ家庭の親は、被害者意識が強く「親である自分は、子育てという面倒を背負わされたかわいそうな被害者。」と勝手に認識している。
そして、「ワタシこそが一番の被害者なんだ!」と確信している。
「一番の被害者なんだから、面倒なことは、『ワタシよりも恵まれている側』がやるのが当然だ!」
ダメダメな親は、そのように思っているわけ。「自分の子供は、自分よりも恵まれている。」と勝手に思っていて、子供の側が親である自分に対して配慮をするのが当然と思っている。
だから普段から子供の方が気を使っている状態。
子供が親に気を使うことが、ダメダメ家庭では美徳とされているわけです。

まあ、何回も書いていますが、だから、そんな家庭で育った娘が結婚後にドメスティック・ヴァイオレンスの被害にあってしまうし、その被害にあっても実家に助けを求めないことになってしまう。
「実家の親に迷惑をかけてはいけない。」そのように子供の方が気を使っている状態。

だからこそ、事態が悪くなるばかりですし、周囲からは、「どうして実家と相談しないの?」と言われたりする。
しかし、子供時代から「親に対して気を使う」ことを要求されてきたのだから、今更どうしようもないわけ。

それこそ子供の誕生日プレゼントの例を考えてみましょう。
ダメダメ家庭においては、プレゼントを鬱陶しがることは、以前に配信しております。
プレゼントのような場においても、子供の側が、親に対して気を使うのがダメダメ家庭。

「今日はオマエの誕生日だから、どんなものでも買ってあげるぞ!」
『そうなの!うれしい!じゃあ、この服を買って!』
「何だ!こんな高いもの!もっと安いものにしろ!そんなことも考えられないのか!」
『・・・それだったら、最初から上限の値段でも決めておけばいいのに・・・』

ダメダメ家庭ではおなじみのシーンですよね?
このような経験を積み重ねていくとどうなるでしょうか?
「今日はオマエの誕生日だから、どんなものでも買ってあげるぞ!」
『じゃあ、ガム1個でいいわ。もったいないもの・・・』
「そうか!エライぞ!」

このように親のことに配慮して気を使うとほめられるわけです。
しかし、ダメダメ家庭以外の世界では通用しませんよね?

それこそ会社勤めを始めた場合における類似の例を考えて見ましょう。
「先輩!実は、今日は、ボクの誕生日なんですよ・・・」
『おお!そうか!じゃあ、今日はおごってやるぞ!スシ行こう!スシ!誕生日なんだからどんな高いものでもいいぞ!』
「じゃあ・・・カッパと、御新香と、しめ鯖・・・」
『オイオイ!おまえオレをバカにしているのか?』

誘ってくれたその先輩も怒っちゃいますよね?

トロとイクラとウニ・・・と連続して注文したとしても、決して怒ったりはしないはずです。まあ、どうしてもお金がなかったら、苦笑いして「オイオイ・・・ すまんが今回はウニは勘弁してくれよ・・・」と言ったりするかもしれませんが・・・
「どんなものでも注文していいぞ!」と言ったのなら、その言葉に責任を持つものですし、そもそも後輩にそんなに気を使わせるようでは先輩失格ということになってしまうでしょ?

ところがダメダメ家庭では、子供の方が気を使うことが美徳とされているので、目下のものが常に遠慮をすることになる。しかし、そのような遠慮した態度は、 ダメダメ家庭以外の世界では、その上司や先輩が無能であるということになっちゃうでしょ?
寿司屋で、後輩がお新香としめ鯖とカッパしか注文しなかったら、先輩も不愉快でしょ?
「オマエ、オレがそんなに頼りないヤツだと思っているのか?!」と怒られてしまいますよ。

ダメダメ家庭出身者のコミュニケーションの問題は、このように「気を使うのはどっちか?」という「やり取り」の基本からして違っていることも大きく影響しているんですね。

しかし、ダメダメ家庭出身者にとっては、目下のものが気を使うことが美徳という環境で育ったわけ。
美徳と言うか、無意識的な規律と言っていいくらい。
別の言い方をすると、ダメダメ家庭の親は、子供に対しては「支配者」であっても、「保護者」ではないわけ。

まあ、誕生日のプレゼントのようなものなら、子供の側が「気を使っても」大きな問題になるわけでもないでしょう。
しかし、そんなことだから、よりシリアスな状況でも子供の側が気を使うこととなってしまう。
そんな状況では、とでもじゃないけど、進学どころではないでしょ?
しかし、進学の段階から遠慮していては、その子供の可能性を伸ばすも何もないじゃないの?もはや、人生全部を諦めるしかないでしょ?
以前にも書きましたが、たとえ経済的な事情があっても奨学金のような制度もあるわけですからね。親が「その気」になれば、サポートの手段はあるわけ。
しかし、ダメダメ家庭においては、子供に遠慮させることによって、親は面倒を回避することになる。

進学どころか、命に関わるようなことまで、子供の側が遠慮することを要求される。
それこそ、病気の治療のようなシチュエーションになっても、「子供の側が気を使って」高額な治療を遠慮するようになるわけ。
普段から、そんな常識を元に育ってきているわけですし、ヘタに治療を受けてしまったら、後になって親から散々と責められることになる。
「また、オマエのために、ムダな出費をしてしまった!いったい、いつになったら親に面倒をかけないようになるんだか?!」。
挙句の果てには、「オマエのために、こんなに金を使ってしまった!だから、オレたちの老後の面倒をちゃんと見るんだぞ!」と命令されてしまう。
こうなると、家庭内においては、親の顔を見るたびに、消費者金融の取立てのあっているようなもの。

同じように、児童虐待のような事態になっても、暴力を振るわれる子供の側が、親に対して気を使うことになる。
それこそ「親に迷惑がかかってはいけない。」ので、「お父さんは、ボクに暴力を振るったりすることはない。」なんてウソでごまかさざるを得ない。

そうして、その子供をその家庭に返してしまって、結局は殺されてしまう。
そして、子供を実家に「返した」施設の側としては「子供の側が、帰りたい、と言っていたんだから・・・だから、返したのよ!ワタシたちは、悪くないわ!」と弁明することに。
そんな弁明はおなじみでしょ?

たとえ、そのトラブルの際に子供が殺されなくても、そんな「常識」を元に行動するから、大人になってもトラブルばかり。
それこそ、前にも書きましたが、「いい加減」に結婚して、ドメスティック・ヴァイオレンスのような事態になってしまう。
しかし、子供の側が実家に気を使って、実家に助けを求めないわけ。

それに、どうせ実家に助けを求めても、実家は何もサポートをしない。
「あ〜あ、悪い時代だなぁ・・・」
「政府は何をやっているんだ?家庭内暴力を根絶するべきなのに!」
と、一般論をぶつばかり。

あるいは、サポートになるどころか、「オマエを育てるために、ワタシたちは、苦労し続けだ!いったい、いつになったら、手間をかけないようになるんだか?!」と、子供時代と同じグチを言われるだけ。

だからこそ、そんな環境で育った人間は、トラブルを起こさないように、ますます周囲に対して気を使うことになる。
そのように「何かと気を使う」人間であるがゆえに、つまり、簡単に支配されてしまう人間であるがゆえに、支配欲を持った人間に利用されてしまう。

自分が気を使うことで、支配されることを呼びこんでしまう・・・その点を自覚しないと、それこそ、ドメスティック・ヴァイオレンスの「加害者」のような人間とくっつきやすいと言えますし、そのような強圧的なサディズムばかりではなく、「人に優しい」サディズムといえるボランティアのネタになってしまう。

ボランティアのネタになってしまい、それなりの同情を受けたりするので、逆に言うと、そのような「支配されやすい」キャラクターの問題なり、あるいは、現存の「支配・被支配の構図」が温存されてしまう。

前にも書いていますが、ダメダメ家庭の親は、子供にとって支配者であっても、保護者ではない。子供が親から保護されていないんだから、常に子供の側が配慮し、自分自身を保護する必要があるわけ。
そんな習慣で育ってきているので、家庭の外でも、どうしても気を使うことになる。
マトモ家庭の出身者とのやり取りにおいて、どうしても、ムリがでてしまう。
相手に対して散々気を使った挙句、やり取りの相手から「オマエはオレを頼りないヤツと思っているのか?」と怒られてしまう始末。

こうなると、先ほど注文したお新香をつまみに、お酒をガブ飲みするしかありませんよね?

(終了)
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発信後記

いつのまにか4月です。新年度ですよね?
このメールマガジンも週3回のハイペースで発行していますが、全然ネタ枯れの心配がない状態。
いいのか?悪いのか?
R.10/7/2