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カテゴリー | ダメダメ家庭の対抗心 |
配信日 | 04年4月7日 (10年11月27日 記述を追加) |
タイトル | 対抗心が強い |
ちょっと前からプロ野球が始まったようですが、それこそ野球の好きな人で、「ボクはアンチ巨人だ!巨人が負ければうれしいんだ!」とか言う人っていますよね? まあ、スポーツチームの好みなんて人それぞれ。しかし「阪神が好き!」というのと、「巨人が負ければうれしい!」というのは本質的に違っているでしょ? 野球のようなスポーツの分野なら、逆に言うと趣味の範疇でしょう。しかし、このような「アンチ」というのは色々とあったりするもの。昔は政治思想として「アンチ資本主義」ということで社会主義が盛んだったころもありました。ウーマン・リヴつまり女性解放問題も「アンチ男性」という側面もあるでしょう。 ダメダメ家庭は、このような「あそこが負ければうれしい!」なんて、さもしい精神に満ちているところです。 大体において、「アンチ」とか「○○に対抗する!」というのは、巨大な勢力の圧制に対抗して自分自身の自由を守る・・・という名目で、結果的に自分自身を縛っていることになってしまうんですね。 例えば最初にあげた、スポーツ観戦における「アンチ巨人」の場合を考えてみましょう。 それこそ一緒にテレビを見ていて、巨人の選手がすばらしいプレーをしたとしましょうか?子供が「お父さん!今のプレーかっこいいね!」とでも言ったら、「なんだい!ツマラナイ!」と言ったりする。また巨人の選手がミスでもしたりすれば、父親が「ザマー見ろ!!」 人の失敗を喜ぶ、そのような環境では子供はどうなってしまうんでしょうか? あるいは政治的に言うと、「アンチ資本主義」としての社会主義がありました。 社会主義は「資本主義の圧制から民衆を解放する。」というお題目でしたが、「解放」どころか秘密警察が活躍する資本主義社会以上の管理社会になってしまったことは歴史的事実ですよね? それこそ、そんな環境で「資本主義だっていいところもあるじゃん!」なんて発言したりすると、強制収容所送りなんですからね。 あるいは「女性解放運動」として「アンチ男性」を主張し続ける女性もいらっしゃいますよね? しかし、このような運動も、それこそ女性の味方になってくれる男性をも拒否して、ひたすら男性を罵倒するだけになってしまいますよね?大体において、制度上は同じ権利なんだから、男性よりハンディキャップがあっても活躍することはできるわけだし、実際に活躍している女性も多くいらっしゃいますよね?そのような実際に活躍している女性は、「女性運動」のOGではないでしょ?あるいは社会で実際に活躍している成功した女性と、女性運動の運動家は一緒には活動しない。本来は成功した人と組むのが効率的なんじゃないの? アメリカの黒人運動も同じですよね? 制度で同じ権利になった段階では、そのような運動を進めるよりも、ハンディキャップがあってもそれを克服し、成果を挙げることもできるわけです。それこそ現在(04年)のアメリカ政府にも国務長官や補佐官になった黒人の方もいます。その方たちは黒人運動のOB,OGではありませんよね? あるいは北アイルランドでも、イギリスに反抗するばかり。イスラム教国だって、「悪いのはヨーロッパ人だ!」と自分自身を納得させるばかりで、実際に文明国に仲間入りができたのは、キリスト教国のおこぼれにあずかることができるトルコとかシンガポールくらい。 日本のお隣の韓国でも、「悪いことは全部日本のせい!」と自分自身を納得させるばかりで、阪神大震災が起こって多くの人が亡くなっても、喝采を叫ぶ始末。 たしかに「悪いのは全部アイツのせいだ!」というと気分的にはラクになる。しかし、このように「どこかに対抗する」、とか「アンチ」とかをモットーにしだすと、結局は相手の失敗ばかり期待するさもしい人間になってしまうわけです。 それに相手がちょっと「いいこと」をやったとしてもそれを適正に評価できないわけ。「アイツもいいとこあるじゃないの?」と言ったりすると『裏切り者!』なんて言われてしまうことになる。 結局は、そのような「アンチ」をモットーにしている集団は、集団内で自分自身を監視しあうことになる。「圧制に対する自由」どころではなくなるわけですね。 まあ、このようなことをフランス現代哲学では結構研究されたりしています。 私は現代哲学について書くほど教養はありませんので、興味がありましたらご自分でお調べください。ちょっと前にお亡くなりになったジル・ドゥールーズとか・・・ まあ、ダメダメ家庭では親自体がそのような、「アンチ」の精神に満ちたさもしい人間なので、子供にもそのようなさもしい姿しか見せられない。そして子供へのアドヴァイスもさもしいもの。 例えば「恵まれた人間に負けないようにガンバレ!」と言ったような暖かい?アドヴァイスもあったりします。 ダメダメ家庭のような恵まれない境遇の人間が、「金持ちなんかに負けるもんか!」と、のし上がっていく・・・それは実際にあるでしょう。ハングリー精神そのものが、不幸な結果を呼ぶわけではないことは言うまでもありません。しかし、親の側が「恵まれた人間に負けるな!」と「恵まれた境遇の人間への対抗意識を強調」することは、子供に大きな絶望感を与えることになっちゃいますよね? なぜなら、親は子供の境遇を「できる限り恵まれた境遇」に近づけていくことが第一の義務であって、恵まれない境遇を未来永劫続くものと考えることは、親自身の責任放棄以外の何ものでもないでしょ? 少なくとも、「恵まれた境遇への対抗意識」を、自分の子供に伝えることによって、子供は「この親はこの境遇を改善する意思がないこと。」と理解されるわけです。 この「劣悪」な境遇の改善は、子供自身の手によらなければならない・・・そのような覚悟は、幼少時の子供にとっては「重過ぎる」ものですよね? こうなると、子供としては、「恵まれた環境の人間を落とす」ことを考えるわけです。 まあ、こうなると、大阪教育大学付属小学校に突入したお人の発想になってしまう。彼は彼なりに考えた結果なんでしょう。そんな環境だったらしょうがないわけ。 しかし、実際に現在の「恵まれない環境」を親が改善するつもりがないのなら、まさに親のアドヴァイスに従って、ハングリー精神を持って戦っていかなくてはいけませんよね? しかし例え経済的に恵まれない境遇でも「何か困ったことがあったら、いつでも相談に乗るよ!」といってくれる人が待っている「帰るところ」がある場合は、全く別です。しかし、ダメダメ家庭では、「悪いのは全部恵まれた人間のせいだ!」と、ひたすらハングリー精神を焚きつけただけで子供を送り出すことになる。 ダメダメ家庭はそのように子供をさもしい人間にしてしまうんですね。 大体において、ハングリー精神を持って頂点まで上り詰めた・・・という人がその後も幸福に人生を送ったという話ってあまり聞かないでしょ? 頂点に上り詰めることはできても、幸福に上り詰めることができない。結果的に幸福になるような人は、「苦しかった時には家族が支えになってくれた。」と言うものでしょ?ハングリー精神だけでは幸福にはなれないわけです。 しかし、ダメダメ家庭ではハングリー精神や、さもしい心根だけが子供に与えられるわけです。ダメダメ家庭は経済的に貧しいというより、心理的に貧しいわけです。しかし、問題を経済の問題のせいだけにしてしまう。だからこそ、ますます心理的に貧しくなるわけです。 そもそもハングリー精神で戦うのはいいとして、じゃあ、ハングリーではなくなってしまったらどうするの?今まで自分を支えてきたものから離脱できるの? 対抗心でがんばっていると、一番上の立場になってしまったら、何をどうしていいのかわからない状態になってしまう。 「悪いのは全部●●のせいだ。」と自分を納得させることができても、一番上になってしまうと、それができなくなってしまうでしょ? その状況が典型的に見られるのが、現在(10年11月)において日本の首相をなさっておられる管首相でしょう。彼は野党時代は与党を舌鋒鋭く追及することに多大な能力を発揮いたしました。しかし、一番上になってしまったので、対抗心の向け先がなくなってしまって、何をしていいのかわからない状態なんですね。 首相になるまでは、与党である自民党に対抗したり、あるいは、民主党内の小沢さんに対抗していればよかったわけですが、首相になってしまうとそうはいかない。 そうなると、対抗する対象を探そうと、必死になってしまう。 まさにあら探しをして、自分の敵を探すわけ。 そして、あらを見つけてそれを敵とし、 あら探し行為によって、周囲に敵を作ることになる。 そして、待望ともいえる敵の誕生によって、対抗心が満たされることになる。 しかし、当人自身には、達成したいものがないわけ。 逆に言うと、何も達成したいものがない人は、対抗するものを探し、対抗することによってアイデンティティとしてしまう。 ダメダメ家庭出身者で、そこそこアタマがいい人は、対抗心によるアイデンティティに陥りやすいもの。だって、実に安直に自分の役割を設定することができるわけですからね。 しかし、役割はできても、それが成果には繋がらない。 だからこそ、本当の自信にはつながらず、その不安を紛らわせるために、ますます対抗心にすがってしまうわけ。 (終了) *************************************************** 発信後記 最近は気温の変化が大きいので、お身体お気をつけくださいね。 |
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R.10/11/27 |