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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない情報,スキル
配信日 04年4月9日  (10年3月17日,10年9月16日 記述を追加))
タイトル 人を見る目
高齢のご婦人で、「主人と一緒にお墓に入るのはイヤ!お墓は両親と一緒に入りたい!」とおっしゃる方がいるようです。

「ウチの亭主と墓の中まで一緒なのは絶対にイヤ!」という心情は理解できないでもありません。いわば「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び。」という心境なんでしょうね。
しかし、「亭主と一緒のお墓はイヤ!」と言うのはともかく、高齢のご婦人が「両親と一緒にお墓に入りたい!」って、どういうこと?

そのご婦人の実家が、そんなにすばらしい家庭だったの?

だったら、自分の娘のそんな男との結婚生活を、どうして放置したの?
娘が「耐えがたきを耐える」ような日々だったのに、何をしていたの?
あるいは、そんな男との結婚を、どうして許可したの?あるいは薦めたの?

以前に「ダメダメ家庭は地縁,血縁に拘る」というタイトルの文章を配信しております。ダメダメ家庭はコミュニケーション能力が貧弱なので、自らのコミュニケーションで「縁」を広げていくことができず、自らの努力とは無縁に存在している「地縁、血縁」に頼るしかないわけです。

高齢のご婦人が「両親と一緒のお墓に入りたい。」と言い出すということは、そのご婦人のコミュニケーション能力が貧弱であったことの証明になるわけ。
夫とコミュニケーションを取ることもできず、子供との本音のコミュニケーションを取ることができない。だから結局のところ、実家にすがらざるを得ない。
コミュニケーションができず、人の気持ちが判らないがゆえに、「信じられるのは、血の繋がった家族だけ・・・」そんな美辞麗句になってしまっている。しかし、そんな人は、「血が繋がった」家族とも、本当の意味では分かり合ってはいないんですね。

そもそも、結婚相手は自分で選択できますが、両親は自分では選択できないでしょ?
本来なら結婚相手の方を、両親よりも気に入らないとおかしいはずですよね?だって自分で選択する余地があるんですから・・・
「一緒にいるのがイヤ!」って・・・そんなバカな選択をしないように自分の娘を育てるのが、本来のマトモな家庭というもの。

高齢のご婦人がいつまでも頼りに思うほど立派な実家ということは、結局のところはダメダメな実家なんですね。他の縁がもっと機能不全なので、消去法的に実家が残っているだけ。まさに、機能不全家庭の子供が、登校拒否とか引きこもりで家の中に居続けるようなもの。実家を肯定しているのではなく、「他に〜ない」という二重否定状態。

人を見る目というのは、親が子供に与える重要な能力といえるでしょう。
しかし、そのためには「会話」が必要であるわけです。
「会話」を通して、相手の「人となり」を認識するわけでしょ?相手の話を聞く技術、自分の意見を述べる技術、いずれも要求されます。

文章などを読む際にも、会話の精神で文章を読めば、文章の書き手についても、色々と見えてくるものでしょ?
しかし、ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がなく、だからこそ問題意識もない。だから文章読解力もない。書かれた文章から、人を判断する能力がない。
あるいは、普段から自分の感情を抑圧しているので、人の気持ちもわからなくなってしまう。人の気持ちがわからないんだから、人を判断することもできない。
自分自身の思考力がないので、他者の思考力がわからない。
これでは、「人を見る目」なんて、持ちようがないでしょ?

あるいは、ダメダメ家庭の人間は、やり取りにおいて、相手に合意してほしいことそれ自体がないのに、形の上ではやり取りをしている。
「何をわかってほしいのか?」
「どうすればわかってもらえるのか?」
「どんな人にわかってほしいの?」
「今現在やり取りしている人は、本当にわかる能力のある人なの?判ってもらわないと困る人なの?」

そんな思考がまるでないわけだから、相手については「誰でもいい」ということになってしまいますよ。普段から「誰でもいい」という姿勢なんだから、当然のこととして、「人を見る目」とは無縁になるでしょ?

コミュニケーション能力がないと、どうしても人をブランドで判断してしまうことになってしまう。
学歴とか、家柄とか、勤務している会社とか・・・
勿論のこと、学歴も家柄もあればあるに越したことはないものですが、まずは当人その人の「人となり」が重要でしょ?

結局は、その「人となり」を自分で判断できないのでブランドに拘らざるを得ないわけ。
だからダメダメ家庭の人は意外なほど学歴に拘ったりいたします。

例えば韓国では日本以上に学歴偏重なのは有名ですよね?
学歴もあった方がいいのは言うまでもありません。
しかし、仕事の能力は学歴だけで決まるわけではありませんよね?

人の能力を自分で判断できる眼力がないと、学歴だけしか判断できない。
あるいは相手と対話できないから、対話がなくても判断できる指標として、学歴だけが有効になってしまう。いわば、レッテルに頼ってしまうわけ。

「人となり」を判断できるような「会話」の能力、そしてやり取りを判断するための教養なり、社会についての知識、そのようなものを自分の子供に付けさせることが出来なかったダメダメな実家ゆえに、いつまでも実家が頼りにされてしまう。
逆説的ですが、そのようなものなんですね。
結局は、子供を「一人前」にできなかった家庭というわけ。

いつまでも実家を頼りにするそのような親がやっている子育ての結果も、言わずもがなってしまうわけ。実例を詳しく書くことはやめますが、やっぱりお子さんが登校拒否とかになっちゃっているわけです。

ある意味において当たり前の結果なんですね。
しかし、本人は往々にしてそのことに気がつかない。
実家がダメダメということは認めたがらないんですね。

先日、川崎市で「塾に行かない自分の子供を殺してしまった母親」の事件がありました。
まあ、塾に行くも行かないのも、本来は大したことではないでしょ?

だからその母親の本当の問題は、困ったことを相談できない夫婦関係にあるわけです。
結局は、夫がダメダメなんですね。そしてそんな夫との結婚を放置している実家もダメダメであるわけです。

大体、その女性が一人で警察に自首するって・・・亭主は一体何やっていたの?
まあ、ブランドといえる高津区に家を買ったのだから、社会的には立派な人なんでしょうが・・・
あるいは、そのような事件になるまでに、実家も何かサポートするのがマトモでしょ?

しかし、本人は「自分の実家はダメダメ」と認めたくないものだから、自分の家庭において最後に登場した子供のせいにされてしまう。
自己逃避の人間は、何かトラブルがあると、新参者を犯人認定することになる。
本来は、最初の登場人物・・・つまりダメダメな実家が原因とみればわかりやすいもの。

トラブルの本当の原因は「本人が一番認めたくないこと」であることがよくあります。認めたくないがゆえに、目を背け、何も対処せず、事態の悪化が積み重なり、結果的に爆発してしまう。この事件もその典型パターンといえるでしょう。

前にも書いていますが、自分自身の目で人間を見ることができない人は、ブランドだけで判断するようになってしまう。そんな母親に育てられていては、子供だってイヤですよ。
そのストレスが蓄積されると、いずれは爆発しますよ。

人を見る目がない人は、当然のこととして、その周囲の人間のレヴェルも落ちてくる。
それがまさに人を見る目のなさということ。
周囲の人間のレヴェルが低いので、トラブルが発生しやすいし、トラブルが小さいうちに解決することもできない。
そんな人間に対しサポートを申し出る人間も、所詮は、マトモな人間には選ばれない人間。

別のところにも書いておりますが、ドメスティック・ヴァイオレンスなんて、典型的なまでにそんな状況になっています。
人を見る目がないからこそ、トンデモナイ人間と結婚してしまって、結果的に修羅場になってしまう。そんな修羅場に介入してくる『善意の』ボランティアも、トラブルを起こす当事者と「当人自身に人を見る目がない」「人を見る目のある人からは選ばれない」という点において大同小異。

以前に、そんなドメスティック・ヴァイオレンスの講習会があって、講師の人に対して、この私は質問したことがあります。
「家庭内で、そのようなトラブルになってしまった場合において、サポートしてくれるボランティアの人をどうやって選別していくのですか?」「どんな選択基準を持てばいいの?」。
そんな私からの質問に対して、「当事者自身が判断するしかない。」とのモンキリの回答。

しかし、配偶者の選択もミスするような「人を見る目」のない人間が、サポートしてくれるボランティアの人選を的確にできるの?そんな能力があれば、そもそもドメスティック・ヴァイオレンスなんて事態にはなっていませんよ。
まるで「パンがないなら、ケーキを食べればいいじゃないの?」それくらいの解決法でしょ?

ダメダメ家庭に育って「人を見る目」がないのなら、早めに自覚するしかない。
そんな自覚がないままだったら、「人を見る目があるマトモな人から相手にされず、世間から爪弾きにされたボンクラたち」が寄って来るだけ。そして、やっぱり修羅場が再現されたりする。

その手の人たちは、何かを主張するにも、お互いを認めあって、相互理解を図って、合意形成を目指すことはしない。ただ、「気に入らない」人間を、「つるし上げて」いるだけ。
つるしあげをしても、自分の考えをわかってもらうためには、何も役に立たないでしょ?
しかし、ダメダメな人は、そんな方法しか取れないわけ。
ダメダメ人間が言いたいことは、「ワタシは悪くない!」ということだけ。
だから、つるしあげをして、相手の意向や見解を封殺すればそれでOKとなるわけ。
しかし、そんな主張のスタイルは、わかってもらうためには逆効果でしょ?
だからこそ、会話の意欲も能力もない同類が吹き溜まりのように集まってしまう。
そして、そんな状況による負荷が子供に集中してしまう。

合意を志向していると、相手について考える必要があるわけですが、「気に入らないもの」を「黙らせる」ことのためには、相手について考える必要がない。
逆に言うと、人を見る目のなさは、合意形成能力の低さを意味しているわけ。

人を見る目のない人の周囲にいる人を観察すると、「いかにも」な人が多いもの。
そして、そんな状況の問題点を指摘してくれる人を遠ざけ、「まあ、なんてお気の毒なの?!アナタは何も悪くないわ!」と甘言を弄する人たちばかりが周囲にいたりする。
まあ、本人がそれで幸福なら、それでいいわけですが、結局は、子供が犠牲になるものなんですね。
そんな人は、ダメダメな実家のお墓に早めに入るのが、子供のためですよ。

(終了)
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発信後記

今回の川崎市のような事件は、偶然起こるものではありませんよね?
まあ、「いかにも素晴らしそうな家庭に見えた。」って、このような事件が起こる家庭はいつもそうですよね?
結局、問題点を本人たちが自覚していないわけですね。
R.10/9/16