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カテゴリー ダメダメ家庭は立派な言葉が好き
配信日 04年4月16日 (10年8月31日 記述を追加)
タイトル 若い頃の苦労は買ってでもしろ!
ゲーテの「ウィルヘルム・マイスター」の中だと思います。
こんな言葉があるでしょ?
「涙でパンを濡らした経験のないものは、人生の本当の味がわからない。」だったかな?
これは真理でしょう。日々是平和で、笑顔の毎日の人間が、人間の心情を理解できるわけでもないでしょう。
しかし、ものは程度問題でもあります。
それに時期の問題もありますよね?

「涙でパンを濡らした経験がない人間」が人生の本当の味が理解できないように、「毎日、涙でパンを濡らしている人間」が、人生の本当の味がわかることができるでしょうか?
たまの涙は人生のスパイスとして有効であるでしょうが、毎日の主食が涙だったらねぇ。
人生の本当の味どころではないでしょ?

また、幼少時から苦労続きの人間が、本当に「人生の味」などがわかるでしょうか?

ダメダメ家庭を作る親は「若い頃の苦労は買ってでもしろ!」という言葉を愛用したりするもの。そして、その言葉は一般の社会でも言われたりすることもありますよね?しかし、このありがたい言葉も、程度問題や時期の問題と離れて考えてしまっては、とんでもないことになります。

「たまに涙でパンを濡らす」のか?「毎日、涙でパンを濡らしている」のか?
「たまに苦労する。」のか?「毎日、苦労する。」のか?
「物心ついて以来ずっと苦労続き」なのか?「大人になって困難に突き当たった。」のか?

ダメダメ家庭の子供は、幼少時から苦労続きですよね?
何よりも精神的な面で・・・・
その上で、親から「若い頃の苦労は買ってでもしろ!」と言い渡されたりする。

ヨーロッパの人いわく・・・
「苦労は人を頑固にする。」
まあ、このことはヨーロッパに限らず真理でしょう。
日本だって、そんなものですよね?

では、何故に「苦労は人を頑固にする。」の?
だって、苦労し続けた人は、「苦労知らずのボンボン」の話など、バカらしくて聞く気にならないでしょ?
「苦労知らずのアマちゃんが何を言っているの!!」
ダメダメ家庭ではおなじみのセリフですよね?

だから人の話を聞かない習慣ができてしまう。
他人の話は勿論のこと。家族の話も・・・
「信じられるのは一番苦労を体験した自分だけ・・・」
これがまさに頑固という状態ですよね?

自分以外の人間においても、その人の苦労度合いを元に判断したりする。
大いに苦労してきた人の話なら、それなりに聞く。
しかし、苦労していない人の話は、聞く耳持たない。

じゃあ、そんな環境における子供はどうなってしまうの?
苦労していないと、話も聞いてもらえない状況だったら、そんな家庭の子供としては、自分で苦労していくしかないじゃないの?
まさに、買ってでも苦労を求めてしまう。
別の言い方をすると、困難というか、不幸を求めるわけ。
ということで、その家庭の子供も、心が頑ななってしまう。

まあ、信念のある大人はまだ何とか使い物になる。
しかし頑固一徹の子供はどうなるの?
どうやって、人との間でコミュニケーションをとるの?
人の話を聞かない習慣の子供の将来なんて、火を見るより明らかですよね?

「若い頃の苦労は買ってでもしろ。」
その言葉は、一般的にも立派な格言とされていますが、では、「若い頃の苦労」を滔滔と語る立派な人ってご存知ですか?まあ、そのようなことを語る場合でも、「昔は色々と苦労したけど、家族が支えになってくれた。」そのように言いますよね?

「買ってでもしろ。」と言われる「若い頃の苦労」の結果が分かってくるのは、もう取り返しがつかない頑固な状態になった自分を発見する時ですね。
苦労なんて歳をとってからしても遅くないわけです。
どうせ、否が応でもするハメになるのですからね。

しかし、若い頃に苦労をしてしまうと、心が頑なになってしまうわけです。
いわば、苦労体験そのものが、その人のアイデンティティになってしまうわけ。
自分のアイデンティティを認めない人に対しては、人として認めないことになるし、そんな苦労体験という共通のアイデンティティをもっていない人とは、やり取りができないわけ。
「やり取りができない」って、まさに「心が頑な」な状態そのもの。

ダメダメ家庭では、そのありがたい「若い頃の苦労」をふんだんに体験させてくれるわけです。
そして、子供に散々と苦労させて、「苦労させてアゲた」ことへの感謝を要求したりする。
「オマエもオレたちのおかげで苦労ができたぞ!親に感謝するんだ!!」
そんなことを、恩着せがましく言う始末。
まあ、「若い頃の苦労は買ってでもしろ!」という格言は、ダメダメな親にとってありがたい格言なんですね。
逆にいうと、そのようなことを、声を大にして語る人は、苦労体験以外のことを語れないものでしょ?
まさに、苦労自慢、不幸自慢の人間となっているわけ。

そして、その人が自慢してやまない自分の苦労や不幸を、受け入れてくれない相手に対しては、怒り出したりする。
「オレがこんなに立派な体験を語ってあげているのに、アイツは聞こうともしない!」

しかし、人に対して語るものは、本来は、まずは成果であって、その達成過程としての苦労を語るのは、その後の段階でしょ?

しかし、子供に対して苦労しか与えられない親によって育てられてしまった人間は、周囲に対して常に苦労を語り、結局は、マトモな人が離れていってしまって、周囲からの協力も得られず、成果は何も得られない人間になり、ますます苦労を語るしか能がない人間になってしまうんですね。

ダメダメ家庭の人間は子供の頃から苦労のし通し。
そして、一番の苦労は、ダメダメな親と一緒に暮らしていること。
しかし、ダメダメな親は、子供にとっての一番の苦労であり不幸については認めない。
だからこそ、自分の子供に対して、ますます苦労をさせるわけです。

(終了)
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発信後記

先週からのイラク人質事件。最初のほうはとりあえず解決したようで何よりでしたね。
人質になった方々はいかにもダメダメ家庭出身者の発想をしているようです。
来週には、その関連のお題を取り上げようと思っています。
R.10/8/31