トップページに戻る | 配信日分類の総目次に戻る |
カテゴリー分類の総目次に戻る | タイトル50音分類の総目次へ |
カテゴリー | 認識からの逃避 |
配信日 | 04年5月3日 |
タイトル | 問題をしらない |
追記 | この文章には購読者さんからの補足文章があります。(10年10月21日) |
最近(04年)、三菱自動車のリコール問題が報道されていますよね? その三菱自動車は、指摘されている重要な欠陥を、会社としてわかっていて放置していたのか? それとも、会社として認識していなかったのか? 警察では今後調査するらしいとのこと。 まあ、問題の究明の仕方が、実に日本的ですよねぇ・・・ 欧米的な考えをすると、「わかっていて放置する」ことも「重要な欠陥をわからなかった。」ことも同じです。 だって、「担当者が独断で処理」と言っても、その担当者を任命したのは会社のトップなんだから、結局はトップの責任でしょ?独断で処理した担当者だって自分の利益になったわけでなし・・・経費の使い込みではないんだから・・・ あるいはトップがその問題を知らなかった・・・と言っても、そんな重要な問題を知らないことが問題であるわけです。重要情報がトップに上がらないようなシステムにしていたトップの怠慢なんですね。 重要な情報が入ってこないシステムを放置していたら、責任者と言えるの?そんな無責任こそが犯罪行為ですよ。 しかし日本では、知っていて放置したら犯罪ですが、知らなかったら責任を問われないわけ。 この考え方だったら、何事も知らないでおいた方が後々ラクですよね? 三菱自動車が当時の社長はドイツ人だったと思います。 日本の警察の考え方に呆れているでしょうね。 勿論のこと、日本の警察も日本人の一般的な考え方に従って動いているだけなのでしょうが、そんな考え方だからこそ、犯罪の温床となってしまうわけ。 警察の活動によって、犯罪を生み出す土壌そのものは温存されてしまっているわけです。 ここでは別に三菱自動車の問題を追及するつもりはありませんヨ。このメールマガジンの趣旨ではありませんからね。 しかし、「知らなかったのだから責任は取らなくてもいい。」という日本的な考えを、フルに利用しているのがダメダメ家庭の親ですよね? 子供がどんなに困っていてもそれを親に言わせないような家庭を作る。 トラブルが起こってしまっても、親は知らなかったのだから、責任を取らなくてもいいわけ。 「あら?そうだったの?」 「言ってくれればねぇ・・・」 と、トラブルや事件の後になって呑気にコメントしたりするものですよね? それこそ娘が援助交際でもしていても、娘に興味もないので、知らないわけ。 知らないから責任を取らないで済む。 子供が学校でイジメにあっていても、子供が親に相談しないので知らない。 親は後になって学校を非難するだけ。 娘が結婚後に家庭内暴力にあっていても、娘が親に相談しないから知らない。 娘が殴られている最中、親は呑気にお茶を飲みながらワイドショー三昧。 のんきにしているのなら、まだしも、真っ先に自分の被害を考え、「ああ!ワタシは出来の悪い子供に当たってしまった!」と子供より先に嘆くことになる。 日本的な考え方でしたら、子供のトラブルについて親が知らない場合には「知らなかった」親ではなく、報告しなかった子供の側が悪いことになってしまうんですね。 しかし、困りごとを相談できないようなダメダメ家庭こそが原因じゃないの? 子供から相談されないようにする親の具体的な行動については、このメールマガジンで何回も書いています。特にポピュラーなのが、親の方が「自分は子育てによる被害者だ!」と子供に対し常々語る場合です。 また、別のポピュラーな方法として、「子供の失敗を非常に厳しく叱る。」方法もあります。 非常に厳しく叱られると、子供は叱られるのを恐れて、親には失敗を隠すようになるわけです。親に都合のいいことしか、子供も言わないわけです。 また、学校においても、生徒からの相談を実質的には言わせないようになっているんですね。上の立場から、「べき論」の問答無用のスタイルで正論を押し付けるだけで、生徒の本音は聞く気はないわけ。これについては、前回の「お題」でも書きました。 子供の問題を親が知らないケースで、一番深刻な例は、性的虐待のケースです。 よくあるケースは、娘が義父・・・実父の場合もありますが・・・に継続的にレイプされる場合です。 レイプされる娘もさすがに言いにくいマターでしょう。 しかし、このような事件が起こっている家庭は、そもそもダメダメ家庭なので、それ以外のことも本音の会話がないんですね。 その点については、レイプする側もわかっている。だからそんなこともできるわけ。フランクな会話のある仲のいい家庭だったら、こんなことは起こりませんよ。 ダメダメ家庭では親は子供に関心がないので気がつかない。また子供も普段から浮かない顔をしているので、尚更辛そうな顔をしていても親は気がつかないわけですね。あるいはダメダメ家庭の子供は、親の前では練達の「作り笑い」になっているケースも多い。 だって、どうせ困りごとを相談しても面倒になるだけ。それこそ「オレの方がもっとかわいそうなんだ!」と逆切れされるだけですよ。 だから、子供の側も、親に対して何も言わなくなってしまう。 そして、娘の苦境を何も知らない母親は、呑気に慈善事業などをしたりする。挙句の果ては「子育て問題」について周囲にアドヴァイスする始末。 ギャグと思われる方もいらっしゃるでしょうが、残念ながらフィクションではありませんよ。 だって、そのような性的虐待があるダメダメ家庭は、問題が顕在化していないわけだから、その親に言わせると「問題が何もない家庭」であるわけですからね。まあ、周囲にアドヴァイスもしたくなるんでしょうね。 しかし、ダメダメ家庭は「問題がない」のではなく、親が「問題を知らない」だけなんですね。 さすがに経済界だったら不祥事を起こすと財界活動を自粛しますよね? ところがダメダメ家庭はそんなことお構いなし。むしろ、周囲に対し『善意』を撒き散らすことになる。しかし、善意が必要な人は、現実的には身近にいるものなんですね。 しかし、その手の親は、まさに周囲に「善意」を振りまいている状態なので、周囲の「ウケ」もよかったりする。だから、子供の側も困りごとを周囲に対して相談できないわけです。だってそんなことをしたら、親の評価が傷ついてしまうでしょ? 性的虐待ということで・・・先日、母親が自分の息子の下腹部を切ってしまうという事件がありました。その母親は以前に、性的虐待を受けていたそうです。 そのような過去があっても子供を作ってしまうのも問題ですが、そのような性的虐待の事実を彼女の母親は知っていたのでしょうか? このようなケースではそんな女性の母親は全然知らないことが通常です。 ダメダメ家庭の人はコミュニケーション能力に問題があるので、子供を作りたがる。 子供しか自分の相手になってくれないんですね。また、自分の子供時代について考えることが不快なので、逆に言うと、子育てに対する覚悟もヴィジョンもなく、子供を持ってしまう。しかし、解決できないような大きなトラウマを抱えてできるほど、子育てって甘いものじゃないでしょ? ということで、このような事件は起こるべくして起こったりするわけです。 このような問題は、問題を持ち上げられないような家庭や会社にしてしまっている責任者が、本来その責を負うはずのものなんですが・・・ しかし、日本では相変わらず「問題を報告しない」方が悪いことになってしまうんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 「近くにある」問題を知らない人間が、遠くまで「善意」を撒き散らしに行った先日の事件も同じような構図ですね。 あの人たちが、家庭を持ったら大変なことになっちゃいますよ。 ちなみに、次回は久しぶりの総集編です。 物議をかもすこと必須かも? |
|
この文章に対する購読者さんからの補足文章です。(10年10月21日 追加) | |
私の母は、「私は悪くはない。」と言える立場に身を置こうとする。その言葉を実際に口に出すことは少ないのだが、いつも受身であり、主体的に行動することは少なく、常に被害者の立場を取ろうとする傾向がある。 母は自身の考えを言うことはほとんどなく、「○○が言ったから」とか「○○がそうしたいと言ったから、そうした。」という言葉を持ち出し、人の意向に従った形にして、その人のせいにしていた。 だから、直接的には口にはせずとも、母の言葉からは「私は悪くはない」と言うことが言いたいのだなと私は感じた。 たとえば、ペットを飼う際にも「子供たちがほしがったから。」と言う理由で、セキセイインコを飼ったり、熱帯魚を飼ったり、九官鳥を飼ったこともある。兄はそれなりに希望を持っていたようであったが、私としてはペットを飼いたいとは思ってはいなかったし、その件で相談も受けてはいなかったし、家族で会議をしたわけではなかった。 母としては、このような言葉を言うことによって、もし、そのペットの飼育を放棄しても、「どうせ、自分がしたかったわけではないのだから・・・」と言い訳をしたいのだろう。 生き物を飼うにあたって、そんないい加減な人は、子供を持つことに際し、覚悟があるわけもないだろう。 最近のことだが、家族で食事中のこと、私の兄が母に対して、今は亡き父から子供の頃に、虐待を受けていたことを思い出として語った。 兄の話では、兄が出来が悪いからということで、父から素手やベルトで殴られたり、押し入れに閉じ込められたということだった。それがいまだに兄のトラウマとなっているようである。兄としては今の状態や問題は、父からの虐待やそれ以外にも色々とあった親の問題にすべての責任があると考えているようだ。 ちなみに、兄は父から「お前なんか生まれてこなければよかったんだ!」と言われたことがあるそうだ。私は弟だから、兄が父から虐待を受けているところを見たことがあるし、いまだにはっきりと覚えている。 しかし、母は、兄が虐待を受けていたことは知らないし、兄が父から虐待を受けているところを見たことが全然ないと言った。そして母は兄に、「もしそうだとしたら、やっぱりあんたの出来が悪いからそういうことになるのだろうよ。」と兄に対して回答した。 私は、正直言って、そんなことを言う母に驚いた。確かにその話をした時は家族はみな少しお酒が入っていたのだが、実の息子に対して、父からの虐待を知らなかったことを恥じることも、また母親として息子を守ってやれなかったことを悔やむどころか、「出来が悪いのはお前のせいで、虐待を受けるのは当然だ。」と言うようなことを言う母に、私は深く失望した。 母は「親としての責任と義務」について考えたことが、一体これまでどれくらいあったのだろうか?親という存在は子供の身の回りの世話と、食事さえ与えてさえいればそれで充分だと思っていたのだろうか? 母としては、問題を知らないことを主張したいのだろう。しかし、私としては「自分は悪くはない」と、ただ弁解しているようなものではないかと、考えずにはいられなかった。 「知らないがゆえに悪くない」と言えてしまうことについての問題点は、本文で指摘しておられる。「知らないから悪くはない」と主張する人は、もしかしたら、好意を失うことが怖いのかもしれないが、決して信頼されることはないだろう。そして、だからこそ、結果的にますます悪くなるのではないだろうか? |
|
R.10/10/21 |