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カテゴリー | ダメダメ家庭は立派な言葉が好き |
配信日 | 04年5月7日 (10年10月2日 記述を追加) |
タイトル | 子供のことは親である私が一番よくわかっている! |
「子供のことは親である私が一番よく知っている。」・・・まあ、よく言われる言葉ですよね?その言葉を表立って否定する人もいないでしょう。 親にとっては、甘美な言葉ですよね? しかし、否定できない言葉が、そのまま素晴らしい言葉か?というとそういうものではありませんよね? むしろ、この「子供のことは親である私が一番よく知っている。」という言葉はダメダメな親がよく使う「言葉」です。 何故?と思われるでしょう? このメールマガジンで何回も書いていますが、様々な過程を経た『結果』としては正しい考えと、過程を経る前の『前提』として正しい考えは全然別なんですね。 子供と毎日のようにフランクな会話をしてきた親が、子供の成長後に「子供のことは親である私が一番よく知っている。」と述懐するのは正しいでしょう。 まあ、この場合は「子育ての結果」として正しい場合となります。 しかし、子供との会話の前提として「子供のことは親である私が一番よく知っている。」と言った、思い込みの場合では全然違ってきてしまいます。 しかし、ダメダメな親は子供と会話する前から、「子供のことは親である私が一番よく知っている。」と思い込んでしまっているわけですね。 例えばこのようなやり取りを考えて見ましょう。 学校の教諭「あなたのお子さんは、昨日にクラスメートの○○さんと言い争いをしていましたよ。」 親「そんなことはありません!ウチの子は昨日、そのようなことを、何も私に言いませんでした。あの子のことは親である私が一番わかっているんですよ!」 あるいは、 ご近所さん「あなたのお子さんが、スーパーで万引きしているのを見ちゃったわ!」 親「何を言っているの!あの子はそんなことをするような子じゃありません!あの子のことは親である私が一番よく知っているんですっ!」 あるいは子供の学校の友人が、 子供の友人「△△君は今日は元気なかったですよ!どうかしたんですか?」 親「そうなの?でも、大丈夫!ウチの△△は何でも私に言う子だから・・・あの子のことは私が一番よくわかっているわ!」 あるいは、 子供「お母さん!ボクもピアノがやってみたいな!」 親「何を言っているの!あなたは野球をすればいいの!あなたのことは親である私が一番よく知っているんだから!」 成長後に、 娘「私はあの人と結婚するのはイヤだわ!」 親「ダメ!あなたはあの人と結婚するのが一番幸せになるの!あなたのことは親である私が一番よくわかっているんだから!!」 このような『会話?』になっちゃいますよね? 言われた方は「・・・」となってしまう。反論できないかもしれないけど、同意はできない状態。 意外とポピュラーでしょ?このようなやり取り。結局は子供の要望や子供に関する情報が無視されちゃうんですね。 「子供のことは親が一番よく知っている。」・・・確かに正論で、反論ができない類のものでしょう。 しかし、自分の子供に関するマターでなくても、「このことについて自分が一番よく知っている。」と思っている人は、人の話なんて聞かないわけです。 違いますか? 「一番わかっている自分」が、どうして「自分よりもわかっていない」人の話など聞く必要があるの? 極端な話になりますが、その手の親は自分の子供の言葉だって聞かないわけです。あるいは自分に都合のいいことしか聞かなくなる。 結局は、子供自身も困りごとを親には言えなくなってしまうわけです。そうなると、子供が困っていても親の側が何も知らない状態。 しかし、親は「子供のことは親である自分が一番よく知っている。」と疑いもない状態。 本当に「子供のことをよくわかっている親」は、そのような「子供のことは親である自分が一番よく知っている。」とは言わないものです。 別に言う必要もありませんからね。 その状態を記述した言葉と、周囲に主張するための言葉は、別物でしょ? 「ワタシたちは天国にいるように幸せ!」という言葉は、その人が幸福であることを意味しないでしょ? 同じように「子供のことは親である自分が一番よく知っている。」と、周囲にわざわざ主張しているだけ、その「状態」とは距離があるわけです。 あえて周囲に対して声高に言わなければならない・・・逆説的ですが、それくらい「わかっていない」状態と言えるわけです。 子供にしてみれば、もっとも身近な存在と言える親が、自分のことをわかっていないし、何よりも、話を聞こうとしない状態となると、非常に不満がたまってしまう。 親が自分のことをわかっていない状態となると、何もダメダメ家庭の領域のみで発生するわけではありません。 共通の認識なり共通の体験がない状態だったら、どうしても発生してしまうわけです。 たとえば、子供の側が、とんでもないような才能がある状態だったら、子供の苦悩は、親にはわからない。それこそ、子供に芸術的な霊感があるような場合には、親としては、子供が見ているものを、一緒に見るというわけにはいかない。 子供と親との間で見えている世界が違ってしまって、それゆえに、親の側が子供のことを理解できないという状況は、子供の側の芸術的な霊感が原因であるがゆえに、芸術的な作品として結実したりするもの。 それこそ、有名な「スター・ウォーズ」のアナキン・スカイウォーカーと、彼を育てたオビ・ワン・ケノビと関係がまさにそのパターン。凡人のオビ・ワン・ケノビは、天才のアナキンの言っていることがわからない。 あるいは、別のところで取り上げております、日本の「蟲師」という作品においても、主人公のギンコさんは、実の母親とは、見えている世界が違ってしまっていて、ギンコさんとしても、やり取りに困っている様子が描かれていました。 見えている世界が違っていれば、やり取りもうまくいきませんし、だからこそ、ますます相互理解からは遠くなってしまう。 だからこそ、「自分のことをわかってくれる!」という人に出会うと入れ込んでしまうわけ。 「スター・ウォーズ」では、アナキンはお姫様に入れ込んでしまうし、少年時代のギンコさんは、たまたま出会った「自分と同じものが見える」女性に完全に入れ込んでしまう。 逆に言うと、そのような入れ込みが発生したことから、入れ込む前の状態も見えてくるわけ。それだけ、「相互理解ができていない。」「自分のことをわかってもらっていない。」という不満があったことが見えてくるわけです。 子供の側の芸術的な霊感ゆえに、親が子供のことを理解できないのは、ある意味においてしょうがないところもある。親の側としても天才の言っていることなんて、わかりようもありませんよ。凡人がいくら努力しても、無理なものは無理。ただ、この場合は、結果的に芸術作品として結実したりするので、「成果」につながることになる。 天才というものは、苦悩がつきものであるわけですが、それゆえに、得るものもあるわけ。 しかし、ダメダメ家庭においては、子供の天才ゆえに相互理解が破たんしているのではない。子育てに対する当事者意識の欠如や会話の不全から、相互理解が壊れているわけ。だからこの場合は、客観的な成果として結実することができず、結果的に血を見ることになってしまうもの。 たとえば、以前に、殺人事件とされる事件がありました。 若い女性が交際相手の男性に殺されたというものです。 犯人とされる男性は、その女性が男性の前で自殺したと主張。 女性の母親は、「男性が別れたがったのに、娘が別れに応じなかったので殺したんだ!殺される前にも私たち家族と男性との間で話し合いを持ったじゃないか!あの子のことは親である私が一番よく知っている!」と言うもの。 マトモ家庭の常識では、確かに「男が女性を殺す。」と言った方が理解されやすい。 「別れてくれないので、鬱陶しいから殺しちゃった。」というわけですね。 しかし、ダメダメ家庭だったら、全く逆になります。 これまで書いてきましたが、「子供のことは親である私が一番よく知っている」と言うような親は、子供の本音など聞いてはいないものです。 そのように精神的に満たされていないので、どうしても「人に入れ込む」わけ。やり取りにおいて相互理解が成立すると、「初めて私の話を真剣に聞いてくれた人と出会った!!」と喜んでしまうわけです。 最初は女性から深い愛情で入れ込まれて交際していた男も、「入れ込み」気味だと、さすがに鬱陶しくなる。よく言う言い方で「重いオンナ」という物言いがあったりするでしょ?その手の女性は、最初はよくても、後になると、やっぱり鬱陶しいもの。だから男性としても、そんな女性とは別れたい。しかし、「入れ込んでいる」女性は決して別れには応じないものです。逆に言うと、別れることについて、そんなに頑強に抵抗する姿勢から、その男女関係が、恋愛関係というよりも、入れ込みのような依存関係に近いことが見えてくるわけ。 そんな状況から、男性の側がなんとかして別れようとして・・・そして、騒動になってしまう。そして、女性の側の親が参戦。しかし、そんな別れ話に女性の親が出てくることも不思議でしょ? 男女が逆のパターンなら、まだ、わかりますけど・・・ マトモな家庭だったら、20歳代の男女の別れ話にいちいち親なんか出ないでしょ? しかしダメダメ家庭は「形」に拘りますからね。 「付き合った男性と結婚しないとダメ!」なんて言い出しかねないのがダメダメ家庭。 そのような「人に入れ込む」タイプの人間が、相手の前で自殺をするくらい不思議でも何でもありません。 ということで、マトモ家庭の感覚でこのような事件を見てしますと、とんでもないことになります。 ダメダメ家庭出身の方で、このメールマガジンを読んでいらっしゃる方は、「男性の前で自殺する。」ダメダメ家庭出身の女性・・・というシチュエーションも十分ありえると思うでしょ?自分を傷つけることで、自分の被害を主張するわけ。「自分こそが被害者なんだ!」と必死になって主張する。被害者意識の強いダメダメ家庭で育った人間は、その手の「あてつけ」のような行動をよくしたりするものです。 勿論、今となっては、その事件の真実については当事者の男性しかわからないでしょう。 その事件は、まだ係争中だったと思いますが、その男性は有罪とされて懲役20年くらいになるんでしょうね。なんと言っても裁判官はダメダメ家庭出身者の「人に入れ込む」発想なんて理解できないでしょうし・・・男性の主張を信じることなんてできないでしょうね。 たとえ、その男性が殺したにせよ、女性の自殺だったにせよ、ダメダメ家庭出身者の「人に入れ込む」タイプと付き合ってしまったことで人生が狂っちゃったわけですね。 まあ、その女性の親が本当に「子供のことをよくわかっている。」のなら、子供がそんな目にあいませんよ。そのような危険な男性から別れさせればいいだけなんですから・・・ 子供のことを分かるということは、そのような危険性を含めて分かっているということでしょ? 「子供のことは親である私が一番よく知っている。」そんな親を持って精神的に満たされていない人間に同情してヘタに近づくと、人生の破滅になっちゃうわけです。 その男性が刑務所で一番恨んでいるのは、死んだ女性その人ではなく別の人でしょうね。 (終了) *************************************************** 発信後記 前回の「大阪」問題・・・ブーイングの嵐かなと思っていたのですが、意外とありませんでした。勿論解除された方もいらっしゃいましたが・・・ このメールマガジンでは大阪の購読者が少なかったのかな? それとも、皆さん理性的なのかな? それともこのメルマガの毒気に馴れてしまったのかな? 別に大阪の人を非難したわけではありませんので、理性的に読んでいただければ私の意図は伝わるはずです。 ちなみに、前回「じゃりン子 チエ」というマンガを参考に出しましたが、あのマンガと「クレヨン しんちゃん」と比較すると面白いですよ。 「チエちゃん」と「しんのすけ」のどちらが賢くて、しっかりしているか?なんて議論するまでもないことですが、「大人になって幸福」になるのはどっち?となると、多分「しんのすけ」の方でしょうね。 「チエちゃん」には幸福の匂いがしませんもの。 子供時代に、子供体験を散々にやり尽くした「しんのすけ」は、例え大企業に就職できなくても幸福な大人になりそうでしょ? 「しんのすけ」は埼玉県民。そのような戸籍上の問題とは別に、精神的にも「クレヨン しんちゃん」は関西では成立しないマンガなんですね。 |
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R.10/10/2 |