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カテゴリー ダメダメ家庭と「いい人」
配信日 04年6月9日 (10年11月3日 記述を追加)
タイトル 聖人君子であることを要求する
「オイ!ジャマだ!どけよ!くそババァ!」
って、道を歩いていたら、いきなり見知らぬ小学生から言われたら、どう思いますか?

『なによ!こらっ!クソガキ!!ブン殴ってやるぞ!』
まあ、こんなところですよね?
しかし、当然でしょ?いきなり、「くそババァ」なんて言われたらねぇ・・・

この「ブン殴ってやるぞ!」という気持ちを実行に移したら問題ですが、思うだけなら問題ありませんよね?しかし、「ブン殴ってやるぞ!」という感情を「心の闇」とか「内なる破壊衝動」とか言われちゃったら、どうなるでしょうか?

「えっ?私って、そんなに怖い人間だったの?」
「小学生への暴力衝動を抱えながら生きている犯罪者予備軍なの?」
ちょっと自分自身に恐怖しちゃいますよね?

まあ、このメールマガジンをご購読されておられる方は、皆さん大人でしょうから、このあたりは判断がつく問題です。気に入らない人間に対し腹を立てるのは自然な感情でしょう。殴ってやりたいと思うこと自体も問題はない。実行してはダメだけど・・・
そんなことはわかっていることですよね?

しかし、大人が簡単にわかるからと言って、子供も簡単に理解できると言えるのでしょうか?
「私はあの子がどうしても好きになれない。」
「顔を見るたびに、殴ってやりたいと思ってしまう。」
「私って、どうしてこんなに悪い子なの?!」
真剣に悩んでしまう子供もいますよね?

これが子供の家庭にフランクな会話が存在するような家庭なら問題は大きくならない。親との会話の場において親の方から「まあ、人間は腹を立てることもあるさ。オレも腹の立つ人間は沢山いるよ。ただ、その子を実際に殴っちゃダメだぞ!」と言った話が出てくるわけですね。

では、これがダメダメ家庭だったら?
ダメダメ家庭では家庭内の会話がない。だから「気に入らない人間を殴ってやりたい。」なんて思った場合も、子供は相談のしようがない。
おまけに周囲では、「子供の心の闇」などと刺激的な言葉が踊っている状態。
こうなると、子供としては「私って、心の闇を抱えて生きている問題児なんだ!」と納得してしまうわけ。

そんな「心の闇」の問題などは周囲に相談できるわけもなく・・・
結局は、そのような子供は孤立せざるを得ないわけですね。
そして自分の「殴ってやりたい」という思いから、必死で目をそらさざるを得なくなってしまう。「ワタシって、ホントウは、いい子なのよ!」というアピールに必死になってしまったり、必死で自分を騙そうとすることになる。こうなると本当に「心の闇」になっちゃいますよ。

先日の長崎の小学校での小学校6年生の殺傷事件ですが、「加害者少女の心の闇」なんて「一つ覚え」のセリフが炸裂していますが・・・
人間は、誰だって嫌いな人間や、殴ってやりたい人間なんているでしょ?
だから本当の問題は、そのような「殴ってやりたい」というマイナスの感情を自分で認めたり、合法的に発散できないことですよね?

ところが教育システム上は、「人間という存在は、誰でもよい行いをするものである。」とか、「人間は、みなやさしい存在なんだ!」とか「子供って、素直で、正直!」とかの定説を基に運営されてしまっているので、子供が持っている「マイナス」の感情に対応することができないんですね。
いわば性善説原理主義となっているわけ。
ちょっとでもハズレてしまったら、もう、神にも背く極悪人となってしまう。

「嫌いな人間の顔も見たくない。」そんな感情を持っているだけで、「心の闇」認定されてしまって、犯罪者予備軍に入隊となってしまうわけ。

だから、「あの人の顔を見ると、不快な気持ちになってしまう。」と思いに耐え切れずに、その人の顔を見ることもできなくなってしまう。
こうなると、学校にも行けず、引きこもるしかないでしょ?
本来は、マイナスの感情があることが悪いのではないでしょ?
それを認めて、対処する方法論がないことが問題でしょ?
しかし、ダメダメな環境だと「あること自体が罪。」としてしまうわけ。
だからこそ、解決のための方法論にまで発想がいかず、むしろ、問題を見ないという逃避的な方向に発想が向かってしまう。
自分の問題を見ないための方法論ばかりに目が行ってしまって、どんどんと自己逃避が進行してしまう。

実際に、今回の長崎県の事件後の対応を見るにつけ、このような間違った方向に突進していますよね?
まさに、私が予想したとおりに
1. 命の大切さを教える・・・とか、
2. インターネットの利用を見直す・・・とか、

ギャグでやっているのならともかく、シリアスで言っているのならおバカですよ。
この調子だと、ちょっとでもマイナスの感情を持ったりする子供は逃げ場がなくなっちゃうでしょ?

いきなり「くそババァ!」なんて小学生から言われたら、「こら!くそガキ!」でいいでしょ?それを「心の闇」認定されたら、困っちゃいますよね?
大人ができないようなことを子供に要求されてもねぇ・・・
子供だって困っちゃいますよ。

それとも、子供は「クソガキ!」なんて人から言われても、笑顔でいなきゃいけないの?
右の頬を打たれたら、左の頬を差し出さないといけないの?
子供はキリストではありませんよね?
キリストのような聖人君子じゃないからといって、その子供は「心の闇」を持っているなんて言われてしまったら、子供も追い込まれて、事件も起こりますよ。

そもそも、子供のマイナスの感情を認めない大人は、子供時代はどうだったの?
そんなに「非の打ち所のない」「いい子ちゃん」だったの?
少しでも、自分自身の過去を見つめ直せば、そんなことはありえないでしょ?
あるいは、聖人君子であることを子供に求める人と結婚した配偶者の方は、「くそガキ!」と言われても笑顔でいるような子供だったの?二言目には「心の闇」なる文言で騒ぐ人に限って、自分の心を知らないものでしょ?
自分の心を知らない人が、別の人の心がわかるわけがないじゃないの?

ダメダメ家庭の人間は、現実の人間と、フランクな会話をしていない。
相手が実際にどんな感情でいるのかについて、自分では考えないわけ。
むしろ、権威者が定説と定める「子供は○○という感情を持っている。」という教義を「学ぶ」だけ。学ぶことはしても、目の前にいる子供の話は聞かないわけ。

子供に対し、あるいは大人に対しても、聖人君子であることを要求する人は、自分自身なり自分の子供時代について考えることから逃避しているわけ。
つまり、それだけ心理的に抑圧されているんですね。
過去からも逃避しているので、自分の親の問題はアンタッチャブル。
そもそも、その人の両親はそんなに聖人だったの?
逆に言うと、自分の両親について考えることがアンタッチャブルになっていると、発想が極端な減点法になってしまう。具体的な事例から目を背けているがゆえに、目の前のマイナスを攻撃することしかできないわけ。

しかし、逆に言うと、そのようなアンタッチャブル領域からの逃避であるがゆえに、つまり、その背景に恐怖心があるがゆえに、その発言は強迫的で聞く耳持たずの色彩を帯び、周囲の人間を強引に押さえつけようとする。
まさに、会話不全の「平和」を目指すことになる。
権威筋認定の倫理を押し付けていればいいだけなので、周囲の大人としてはラクチンであり、まさに思考停止状態を作り出すことができる。

そんな問答無用の平和状態は、説明能力がなく、自分自身で考えることから逃避しているダメダメ人間にしてみれば、心理的には落ち着く。
それに、周囲の子供に対しては、「いい子になれ!」と言っていればいいだけだし、相手が大人だったら、つるし上げればいいだけ。
逆に言うと、その手の過剰な倫理は、マイナスとの接し方が「できない」、あるいは「怖い」ということを示しているもの。
昨今云々されております虚構のポルノの問題で過剰な反応をしている人は、そのような視点で見てみると理解しやすいでしょ?

聖人君子であることを人に対して要求している人は、その人自身にとって価値が高いものを主張しているというよりも、マイナスを除去することに必死になっているという二重否定状態。それは、二重否定であるがゆえに、肯定からは二重に遠い。だからこそ、そんな状況からは他者の人格を否定するような事件が生まれてしまうことになる。

聖人君子も、ひきこもりの青年も、「悪くはない」ということの極致といえるでしょ?
引きこもりだったら、まさにマイナスを叩いていれば簡単に作り出せますが、本当の聖人君子となるには、ある種の修羅もくぐっていないとね。
それこそアッシジの聖フランシスコだって、そうだったでしょ?
「悪くはない」という二重否定が、「すばらしい」という肯定形に直接的に転換することはないわけ。
ある種の業なり修羅をくぐる必要がありますよ。

マイナスを否定するのはいいとして、それだけだと、否定の極致である無なり死になってしまうのは論理的に見て当然のこと。
マイナスを否定するのはともかく、じゃあ、何を肯定しているのか?
ダメダメ家庭の人間は、何も肯定しているものはない。だから、目の前のマイナスを必死に叩いているだけなんですね。
発生したマイナスを叩き続けて、引きこもりになるくらいならともかく、実際には、子供を、自分の生命を否定する自殺とか、他人の生命を否定する犯罪者にしてしまう・・・自分の子供のマイナス面を認めない親は、そんな感じでしょ?

(終了)
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発信後記

まあ、マスコミは騒ぐことが仕事なんだから、ワイワイ騒いでいいわけです。
しかし、本当に問題の本質を考え、事件を予防するためには、ワイワイやるだけではダメですよね。

一緒になってワイワイやっている学校関係者や教育関係者はおめでたいですねぇ・・・
まあ、そんな学校に子供を通学させる親もおめでたいと言えますが・・・

何回も書いていますが、今回の長崎の事件はダメダメ家庭の子供としては非常にわかりやすい典型的なケースですね。
R.10/11/3