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カテゴリー ダメダメ家庭の親のキャラクター
配信日 04年7月12日
タイトル 自分の弱さを認めない
イスラム教徒はお酒を飲みませんね?
宗教上の教えなので、他の人が、とやかく言う筋合いのものでもないでしょう。
「酒は飲んでも飲まれるな!」
お酒によって、人生をダメにしてしまう例だってありますし・・・

しかし、お酒も悪いことばかりではありませんよね?
人との会話が弾んだりして仲良くなれることだってあります。普段はできない本音の会話ができたりすることもあります。

しかし、そのように楽しいお酒の後で、やっぱり反省することも実際にあったりする。
それこそ、2日酔の頭痛で苦しんだり、
便器を抱えてゲロゲロやったり、
次の日に、前夜の話を責められたりすることもある。
「えっ?ワタシは、本当にそんなこと言ったの?うぁ、ヤバっ!ああ、そんなこと言わなきゃよかった・・・トホホ・・・」

まあ、そういうこともあるでしょう・・・
しかし、逆に言うと、そのような情けないトホホな自分を体験することは、決して悪いことばかりではないでしょ?勿論、そんな体験を毎日していたら問題外ですが、たまには必要ですよね?

自分の失敗や弱さを実感し、反省し、ちょっと笑ってしまうこと。
これって、人間には必要な資質であり経験ですよね?

しかし、ダメダメ家庭の親は自分の弱さを実感していない。
自分は「強く、正しい」と思い込んでいる。
本当に「強く、正しい」のであればいいのでしょうが、人間そんな完璧な人間なんていませんし、マトモな人間のマトモな所以は「自分の欠点を自覚しているか、どうか?」ですよね?

「自分は弱い人間ではない!強く正しい人間だ!」
そう思いたいのはわかりますが、すべてが正しいと思い込んで疑いもない状態の人間とは会話ができないでしょ?
「自分は絶対に間違えない。」なんて確信を持っているような人と会話をしていて、意見の食い違いが出てきた場合には、「オマエの方が間違っている!私が間違えることなんてありえない!」そう怒鳴り続けるだけになってしまって、会話や意見交換が途絶えてしまう。
あるいはそのように自分の間違いや弱さを認められない人間は、上手く行かない状態になった場合には、その原因を他に求めてしまうんですね。

「あの時、オレが失敗したのは、アイツのせいだ!」
「このオレが間違えるわけがないじゃなか!」
これでは、事態が改善されることはありませんよね?

最初にあげたイスラム教徒の場合ですが、実際に「悪いことは全部ヨーロッパ人やユダヤ人のせいだ!」で終わってしまっているでしょ?
イスラム教徒が「自分たちも間違いがあったかも?」「オレもバカだったなぁ・・・」なんて、自分の頭をゲンコツで叩いて苦笑いしているシーンって見たことありますか?

ということで、「悪いことは全部アイツのせいだ!」と信じ込んでいるイスラム教徒は、他者を攻撃するテロを繰り返すばかり。
テロまでは行かないまでも、写真や国旗を燃やして喜んでいる。
まあ、酒でも飲んで自分の情けなさ実感すれば、ちょっとは考え方も変わるんでしょうが・・・

別にイスラム問題はこのメールマガジンの趣旨ではありませんが、一般的にも「自分にも間違いがあったかも?」と自戒しないような人間は確実にダメダメ家庭を作ることになるわけです。
だって「自分にも間違いがあったかも?」と考えないので、自分自身の目と耳で会話をすることもなく、自分自身の頭で物事を考えなくなるわけです。これって典型的なダメダメ家庭のスタイルですよね?

そして結果的にその家庭がうまくいかない理由として「時代が悪い」「社会が悪い」「子供のせい」なんてことになってしまうわけです。
そして、それで納得してしまう。
本来なら自分にも改善に向けて取り組むことだってあるはずですよね?しかし、自分自身の弱さを認めたくないものだから、原因を他に求めてしまう。

確かに、他者に原因を求めるほうがラクですし、自分の弱さを認めなくて済む。
しかし、結局は思考停止状態になっているだけ。

勿論、お酒を飲まないとダメということではありませんよ。しかし酒飲みで有名なロシア人はあまりテロの実行とは縁がない。ロシアだと、ヤクザの抗争事件のようなものが実に多いようですが・・・まあ、正義のためのテロはほとんどない。彼らは自分たちの情けなさを、それなりに自覚しているのでは?そのような点は、イタリア人も同じ。まあ、それはそれでいいことでしょ?「なさけない自分」をどこかで体験し実感していない人間たちは本当の会話ができず、結局は、思考停止した、会話が停止したダメダメな集団を作ってしまうんですね。

ダメダメ家庭の親は、誇るべきものが何もないのに関わらず、そんな自分の弱さを認めないし、自分自身に問題があるとは決して考えない。逆に言うと、自分に自信がないがゆえに、自分の間違いを認めることができない。だって、達成したものが何もないんだから、もし減点があったら、本当に何もない人間になってしまうでしょ?だから、何かうまくいかないことがあると、他者のせいにして、「自分は被害者だ!」と言うばかり。
そんな親と暮らしていたら、子供だって決してマトモにはなりませんよ。会話だってできませんし、思考そのものも「自己省察」には到達しない。だから、本当の知性に到達することはないんですね。

ちなみに、「酒もやらず」「タバコを吸わず」「菜食主義者」「独身」という「問題の何もない」「清廉潔白」な人がいらっしゃいました。20世紀最大のテロリストとも言えるアドルフ・ヒトラーです。まあ、彼は自殺直前には結婚しましたが・・・
そういう意味ではヒトラーは教科書とおりの健全な人といえます。しかし、だからこそヒトラーは「自分自身の弱さ」を認めないで済んだわけです。そして、ことが順調に行かない原因を他に求めることができたわけ。だって自分自身には問題が何もないわけですものね。
映画にもなっていますパステルナークの小説「ドクトル・ジバゴ」にも清廉潔白なテロリストが出てきます。清廉潔白な人はテロリストになりやすいのは、どこの国でも同じなんですね。

(終了)
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発信後記

前回配信の「根絶志向」というお題ですが・・・メルマガ天国での読者評価が結構よくて私もビックリしました。ありがとうございます。
ただ私は読者のためにこのメールマガジンを発行しているというより、読者の横にいる子供たちのために発行しているつもりです。だから読者が立腹されることもあると思っています。読者のすべての方が安心して読めて、納得するような文章はこのようなジャンルにおいては、別の意味で危険だと思っているわけです。
前回ご好評をいただいたのは、社会の蔓延する「議論のための議論」に、読者の方々もそれだけゲンナリしていらっしゃるんでしょうね。
 R.11/1/5