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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない体験,境遇
配信日 04年8月6日 (10年12月15日 記述を追加)
タイトル 学歴
「人間の価値は学歴じゃない!!」勿論そうです。
「勉強なんて大学に進学しないでもできる!!」これもそうですね。
最近では就職時に学歴不問のところも出てきました。
そのこと自体は結構なことと言えます。

しかし、そのような、入社にあたって「学歴不問のシステム」に変更しようとしているスタッフは、大学を出ている人・・・それも現実です。
大学を出ているから、「大学を出たって大したことはない。」と言えるのであって、高校しか出ていない人は「大学を出たって大したことはない。」とは中々言えない。
そんなものでしょ?

ここで、進学するということと、今回の学歴問題は、今回の文章においては分けて考えます。まあ、中退なんて場合もありますしね。
ちゃんと学歴を取ることは、ちゃんと卒業すること。それに、勉強だけだったら、最後に卒業しなくてもいいわけだし・・・学歴は入学してしまえば勉強しなくても取れますしね。

しかし、学歴というものは「あって困らないもの」の代表例ですね?以前に取り上げた「よい歯並び」と同じです。少なくとも本人の頭脳を表しているわけだし、家族の様々なサポートの存在を示してもいるでしょ?

ダメダメ家庭の親は子供に与えることが少ない。ダメダメ家庭では子供に対して「与える」ことより、子供から何かを「もらう」方向に発想が行くんですね。
だから「子供に学歴を付けてあげよう!」なんて、そもそも思っていない場合も多くあります。

それこそ「学歴が無くっても大丈夫!」という根拠なんて、いくらでもあるわけです。
代表例が「この周囲の人は、ほとんど大学に行っていない!」とか、
「大学を出ていないのに活躍している人はいっぱいいる!」とか、
あるいは「オレの周囲の人は、ほとんど高校卒業だ!」とか、
「進学すると結婚が遅れる。」というもの。
しかし、それは「現在の親の周囲の環境」でしょ?
子供が将来過ごすことになる世界の環境だったり、常識もそうだとは限らないでしょ?

ただでさえ、ダメダメ家庭は社会との接触が狭い。「オレの周囲」と言っても、大変に狭い領域なんですね。おまけにダメダメ家庭は下層階級のことが多い。そうなると「オレの周囲」と言っても、もはや「負け組」の場合もあるわけです。そのような環境の常識を適用されたら、子供の将来なんてどうなるでしょうか?子供も将来、親である自分と同じレベルの環境で一生を終わればいい・・・と思っている親も現実にいます。その時点で、いかにもダメダメですが・・・

「子供の将来への可能性を伸ばしてあげよう。」と思っているのなら、子供の「将来」の環境での常識を想定しないとダメでしょ?頭脳労働の仕事をしているような環境だったら、やっぱり大卒者が多いでしょ?例外はあっても、それが常識なんですね。

学歴がないことの最大の不利益とは何でしょうか?
それは当人が学歴に対するコンプレックスを持ってしまうことなんですね。
たしかに仕事の実力は変わらない。周囲もその人の実力を認めている。誰も「アイツは高卒だからダメ!」なんて思っていない。しかし、当人が気にしてしまうわけです。

大卒者の集団の中に高卒者が一人っきりでは、当然のこと、気が滅入るでしょ?
周囲の人間が雑談で、大学での思い出話などされると、いたたまれないわけ。
周囲の人は別にその人に差別的な感情を持っていなくても、本人が意識してしまう。

そのようなコンプレッックスを持ったまま、長続きするのは、現実的に難しいでしょ?
こうなると過激な対応を取ったりすることもあります。

たとえば、国会議員選挙でたまにあったりする学歴詐称をするパターンです。野村サッチーとか、「しんま」さんとか言う名古屋の芸能人さんとか、最近(04年)では九州の候補者の事件もありました。
最近の九州の代議士の詐称はちょっとわかりません。あそこの出身家庭はお金はありそうだし・・・あの場合は単純に頭が悪いのかな?
しかし、野村サッチーさんなどは典型的なダメダメ家庭の事件だったでしょ?

周囲は「学歴なんて関係ないじゃないの。」と思っていても、当人が意識してしまうわけです。特に当人自身がなまじっか頭がいい場合はどうしても意識してしまう。まあ、ダメダメな自分の実家からのサポートのない日々の積み重ねがあり、周囲の人からマイナスを指摘されないようにビクビクしていたのでしょうね。名古屋の芸能人さんもダメダメ家庭出身者でしょうね。
そのような人は、大卒が当たり前の環境にいたけど、自分はそうではなかったので、意識して必死で飾ってしまったわけです。
自分が持っているコンプレックスを見たくないので、無理に大きくみせてしまうわけ。等身大でも充分に立派であっても、それをより大きくみせようとしてしまう。しかし、往々にして、無理に大きく見せようとすることで、コケたりするもの。
しかし、いたたまれないので、どうしても無理なことをしてしまう。

日本の映画でそのようなシーンがありました。大島渚監督の「御法度」という作品です。
これは1860年頃の江戸時代の京都の新撰組を題材にしている映画です。
新撰組は理想に燃え、過激で暴力的な手段を使った若者の集団ですよね?
ということで、大島監督は100年後の1960年代の京都の学生運動のご先祖?として新撰組を映画化しているわけです。
まさに理想に燃え、狂信的で、暴力的な、若者の集団ですからね。

そこで、ビートたけしさん演じる近藤勇はご存知のように農民出身です。
映画の冒頭で隊士による自己紹介のシーンがありました。一般の隊士は堂々と自己紹介します。しかし近藤勇は堂々と自己紹介できない。バツが悪そうな様子。だって農民出身なんだし・・・
これって、学生運動の集会で「ボクは○○高校を出て、今は△△大学の◇◇学部です。」と次々に自己紹介しているのに、農民出身(=高卒)の近藤勇は「高卒なので、何も言えない・・・」ということなんですね。

周囲の人は近藤勇の実力を認めていても、自分で意識してしまう。
人類の平等を掲げる学生運動だってこのありさま。
他の集団なら、もっと大変になっちゃうでしょ?

ムダ話になってしまいましたが、子供に学歴を付けさせるのは、少なくても学歴コンプレックスからは解放されることが保障されるわけです。

コンプレックスがあると、余計に学歴に拘ってしまう。
別に学歴なんか聞いてなくても、当人自身から言い出したりする。
「ボクは工業高校の出身なんだけど、その当時は工業高校が花形だったんだ。」などと、猪突に言いだしたりするわけ。
周囲は学歴のことなんか何も聞いていないのに・・・
自分から切り出してしまうから、逆に印象がついてしまうんですね。

その言葉を聞かされた側は『オイオイ、工業高校が花形って、コイツの親はどんなヨタ者だったんだ?』とか思ってしまう。別に「お金がなかったから大学に行けなかった。」とか「オレは勉強が嫌いだったんだ!」と言えば、『あっ、そう。』で済んでしまうのに・・・
コンプレックスがあるので、自分を大きく見せようと、どうしても無理してしまうわけ。

新撰組の例ですと、近藤勇がそのまま秩父で農民をするのであれば、そのようなコンプレックスとは無縁ですよね?
野村サッチーさんだって、家庭で主婦していれば学歴も詐称しなくてもよかったでしょう。

その人の親が子供の可能性を伸ばしてあげたいと考えていたかどうか?
言うまでなく、ダメダメ家庭では子供の可能性などは考えていないわけです。

子供の将来ではなく、親の現在だけが問題・・・それがダメダメ家庭の発想というわけ。

ちなみに、当然のこととして、子供が大学を出ていない家庭はダメダメ家庭と申し上げているわけではありませんよ。
勉強が嫌いな子供を無理して大学に行かせても、それこそが問題でしょ?
そのような場合は、前回のお題のように、子供に何か別の出会いの機会を作ってあげればいいんですね。
尊敬できる人や頼りになる人と会わせてあげるとか、子供が興味のあるものを一緒に見つけてあげるとか・・・

それこそ「人生で大切なことは全部ボクシングから学んだ!」なんて言えるようになるかも・・・
そのような場合は、別に大学を出ていなくてもコンプレックスを持つこともなく堂々としていられるわけ。
ただダメダメ家庭の場合には、親の方がそもそも子供の将来を考えていないわけです。だからそもそも子供の進学なんて想定外だったり、子供がそのような希望を言い出しにくい状態だったりするんですね。だからこそ、子供も後々まで引きずってしまうわけです。

自分の希望を抑えつける形で、進学できなかった場合には、そんな人は自分の実家のことがアンタッチャブルになってしまう。
そして、何かと言うと、アンタッチャブルに引っかかってしまうので、スグに何かを犯人認定するようになってしまう。
そして、その犯人に対して、恨みの心を向け、ヘタをすれば報復行為に出ることになる。
その報復行為も、自分の実家の問題から目を背けるための行為であり儀式になっている。
逆に言うと、だからこそ、その行為は儀式的で過激なものになるわけです。
アタマがいいのに、進学できないと、そんなコンプレックスを生んでしまい、そのコンプレックスが人をダメにしてしまうわけです。

学歴がないのはともかく、じゃあ、その人の過去に何があるの?
それこそ、親からのサポートはあっても、学業成績が悪くて、大学に進学しなかったケースだと、学歴以外は色々と持っている。
それこそ、写真も多く持っている。

あるいは、高校卒業で働くとしても、その高校生活で楽しい思い出があれば、それこそ、その高校のOBとして、在校生をサポートしたり、同窓会を主催したり、参加したりすることもあるでしょ?
「この辺りの人間は、全員が高卒で、大学には進学していない。」と言う親は、じゃあ、自身の中学や高校での日々を肯定的に見ているの?
自分の子供に学歴を付けさせようとはしない親に限って、高校なり中学の同窓会にも参加しないものでしょ?
あるいは、写真もなかったりするものでしょ?

そんな親は、結局は、自分自身から逃避しているだけなんですね。
そうして、自分の子供と一緒になってグチりたいだけ。
だからこそ、自分の子供の可能性の伸ばすことなどは考えない。
自分の子供の可能性が伸ばされてしまって、自分の元から巣立てしまったら、グチの仲間がいなくなってしまうでしょ?

学歴があるなしの問題以上に、学校や学歴との付き合い方がぎこちない・・・そんなところからその家庭のダメダメさが見えてくるわけです。

(終了)
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発信後記

兵庫県の加古川市で大事件がありましたが・・・
犯人の実家はダメダメ家庭であることは明白でしょう。
本来は、犯人の怒りは「ダメダメな自分の親」に向かっていけばいいはずですが、本当の問題から目をそらすことが習慣になっている人は、他の別の対象を見つけ出し、それに怒りをぶつけるようになるんですね。

実によくある事例です。大阪教育大学付属小学校の事例もありました。
勿論、土地柄ということもあるのでしょう。加古川市はそのスジの方が多いところですからね。
R.10/12/15