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カテゴリー ダメダメ家庭の会話の雰囲気
配信日 04年8月25日 (10年8月21日 記述を追加)
タイトル 情報を小出しにする
日本は歴史的にプロテスタントの国と仲がいいようです。江戸時代におけるオランダ、明治時代のイギリス、昭和時代のドイツ、第2次大戦後のアメリカ、と、基本的にプロテスタントの国に限定されています。まあ、ドイツではミュンヘンなど南の地方はカトリックですし、イギリスは狭義にはプロテタントとは言えませんが、カトリックの国とは言えませんよね?

プロテスタントでは習慣的に、取引において掛け値での取引をしないという特徴があります。最初に決めた値段でそのままやり通すということです。実際にドイツでは、ほんの最近まで、お店の閉店前の投売りですら、法律上禁止されていました。「最初に決めた値段に責任を持てよ!」というわけですね。「ヘンな駆け引きをするんじゃないよ!」というわけです。

さすがにそこまで拘るのもスゴイといえますが、日本も基本的には掛け値をしない国。
最初からヘンな駆け引きなしに、誠心誠意ことにあたること・・・それが「いいこと」とされていますよね?

しかし、ダメダメ家庭は往々にして「駆け引き」をしたりするわけ。掛け値での取引のように、小出しにする。世間的にも家庭内においても同じ。家庭内においても、できるだけ自分の持ち出しを少なくして、相手から多く引き出させよう・・・と考えながらやっているわけ。家庭内のやり取りでも誠心誠意とはいかない。その代表的な例が情報を小出しにすることです。

別のところで書いておりますが、ダメダメ家庭では「費用対効果」にこだわることになる。
少ない持ち出しで、多くの成果を得たい・・・そのように常に考えているわけ。
情報のやり取りにおいても、自分からの情報は少なく、相手からの情報を多く取ろうと考えることになる。

ある面においては、それは当然ともいえるわけですが、もっとも重要なことは、求める情報が得られ、求める成果が達成できたかどうかという点でしょ?
いくら効率よく行っても、最終的な成果に到達しなかったら意味ないじゃん?
最終的な成果を得るための方法論としての効率には意味があり、そのために効率を一生懸命考えるのはいいとして、じゃあ、その人は、実際に何をしたいの?
戦術と戦略は違うものでしょ?
局所的で職人的な戦術にこだわって、大局的な成果を見失ってはダメでしょ?
効率重視もいいわけですが、もっとも重要な点は何なの?

逆に言うと、そのような大局的な目的意識がないがゆえに、細かな戦術論にこだわり、やり取りにおいて情報の小出しをすることになる。

それこそ、企業や官庁で不祥事があり、記者会見などの場において、「情報を小出しに開示する。」という姿がみえてしまうと、モメたりしますよね?

「マズイことはできるだけ隠して、差しさわりのない範囲で情報を出して、その場をしのごう。」という雰囲気が明白に出ている。
それこそ「みんなやっていること。」なので、特別なことではないと言えます。
しかし、バレたりすると、一番に問題になることですよね?それに嫌われる。
逆に言うと、日頃からそんな態度だから、不祥事が発生するんでしょ?
不祥事が起こって謝罪会見をしている幹部が情報の小出しをしているように、その部下も情報の小出しをしていますよ。
まさに「子は親の鏡」そのもの。

このような小出しにしての議論は、ダメダメ家庭の中でもおなじみのものです。
ダメダメ家庭では家族で何か話しをしても、親の方は情報を小出しにしてくるわけです。

家庭内の会話において、親が子供に見解を求めたりする。それはそれでよくある話。そして子供から意見が返ってきて、その子供の意見が適切だった場合もありますよね?
「じゃあ、その方法で行こうか!」
と、なった時、「実は○○のような事情もあって・・・」と、親の側から別の情報も出す。一般社会でも現実的には、このような議論の後になっての「実は・・・」と言い出したりする場面が、一番色めき立つ一瞬ですね?記者会見のような場では、そんな感じでしょ?

しかし、家族での会話においては、親の側が「実は・・・」と言っても、子供の側が「色めき立つ」ことはない。そんな表情を率直に見せられるものでもないでしょう。
勿論、情報の小出しをされた記者会見での記者と同じように「最初からそのような事情を言っておけよ!」と内心で思うことはどちらも同じでしょう。

記者会見での記者は色めき立ち、家族の会話での子供は、その感情を自分に溜め込むことになる。
不満を自分に溜め込むことは、よくあることと言えるでしょう。
しかし、子供にとっても、「最初から十分な情報を開示することのない。」相手とは会話を成立させる意欲がなくなるわけです。当然ですよね?
議論を進め、「このような結論が一番いい。」となってきた段階で「しかし、このような事情もあって・・・」と親の側が否定する。

この繰り返しによって、子供の側が考えることは、「親の側が十分情報開示した段階で考えればいいだけ。」と言うことですね?
それまでは子供にとっても、生返事でお茶を濁す方が利口です。
「うん、うん・・」
「ああ、そうなの・・・」
「まあね・・・」
と、相手の言葉を真剣に考えることなく、いつも生返事でやり過ごすことになってしまう。
だって、小出しをしているという段階で、真剣ではないということでしょ?
やり取りの相手が真剣ではないんだから、そんな人と真剣にやりとりをしようがありませんよ。

このような生返事を活用した会話の習慣が、将来における他人との会話において、どのような効果つながるのかについては、説明するまでも無いはずです。
成長した後でも、そのような生返事の会話をやってしまう。そうなると人から相手にされませんよね?

また、「情報をまだ隠している。」という「掛値」を前提とした会話の訓練を受けた人間は、掛値の会話をしない人間にとって不快極まりない存在。自分が開示できる情報をできる限り開示しているのに、「情報を全部出せよ!話はそれからだ!」という態度を取られてしまうと、「何なんだよ?コイツは!」となるに決まっているでしょ?

ダメダメ家庭は当事者意識がなく、達成したいものがない。
まさに「取り立てて何も問題がない、ふつう」の家庭を目指すことになる。
つまり、マイネス面が見えたら、そのマイナス面に対して過剰に反応するわけ。
相手に対して情報を出すという行為においても、自分の情報の流出というマイナスばかりに注目し、目標が達成できるかどうかという加点法的な視点がなくなってしまっているわけ。

だから、周囲からの協力も得られず、あるいは、相談を持ちかけても、結局は相手にされなくなってしまう。達成したものなり、自分で事態を解決した経験がないままなので、ますますマイナスに対して過剰に反応することになり、ますます情報の小出しが進むことになる。

そんな家庭環境で育ってしまった当人自身も親譲りの「情報を小出しにした」会話をすることになる。できるだけ自分の持ち出しを少なくしようとするわけです。そうなると、やっぱり人から相手にされなくなるわけです。

それに被害者意識が強いダメダメ家庭においては、親は子供に対して「親に迷惑をかけるな!」と厳命し続けることになる。そんな日々だったので、子供も親に関わるマターはアンタッチャブルになってしまう。アンタッチャブルなんだから、その箇所に話題が近づくことを防止しようとしますよ。当然のこととして、情報を小出しにしますよ。
できるだけ、アンタッチャブルな領域に近づかないように注意しながら、小出しのやり取りをして、それでも話題がその領域に移ってきたら、まさにトンズラしてしまう。
逆に言うと、そんな小出しの習慣は、その出身家庭の被害者意識を示しているものなんですね。

子供に対して親が持っている全情報を開示する法律上の義務がないことは、言うまでも無いことでしょう?だから、親にとって都合の悪いことは、小出しをすることになる。
家庭内の会話が、掛値前提となっているわけ。
しかし、このように会話における掛値の訓練が、将来において障害になることは自明のことと言えるわけです。

ダメダメ家庭のコミュニケーション能力の低さは、このように連鎖していくものなんですね。

(終了)
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発信後記

別に「掛け値」での取引が悪いとは言いませんが・・・
ただそのような「掛け値」での取引はどうしても、閉鎖的になってしまうわけ。よく事情をわかっている人、顔見知りの人だけが有利になりますからね。

「市場」と言う概念が一般的なレベルにまで到達しない。対面取引しか通用しませんもの。どうしてもスタンダードにはなりえない習慣なんですね。
R.10/8/21