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カテゴリー | ダメダメ家庭出身者の行動 |
配信日 | 04年9月10日 |
タイトル | 目を逸らす |
ベルギー映画で「8日目」という映画があります。ダニエル・オートイユ演じる主人公は、銀行のインストラクターの仕事。 彼が、銀行員に接客の基本として以下の4つの項目をあげています。 1. 相手の目を見て話をすること。 2. 笑顔で話をする。 3. 熱意を持って話をする。 4. 自信に満ちた表情で話しをする。オドオドしていてはダメ。 そのようなことは、銀行の接客に限らず、人とのやり取りの基本と言えるわけですが、ダメダメ家庭出身者には到底不可能なことですよね? ダメダメ家庭では、上記4項目なんて、とてもできるものではありませんよ。 例えば、2番目の「笑顔で話をする。」を考えてみましょう。 もし、ダメダメ家庭で、そのように笑顔で親に話しかけたらどうなるでしょうか? 「オマエは気楽そうでいいわねぇ・・・」 「オマエを育てるために、こっちは散々苦労しているのに・・・いったい、そのことをわかっているの?」 と、親からイヤミを言われるだけですよね? 3番目の「熱意を持って話かけたら」どうなるでしょうか? まあ、熱意があろうとなかろうと、どうせ親は子供の意向など頓着しないんですね。 親は自分自身の要求を子供に言い渡すだけなんだし・・・ 熱意を持って話をしても、 「ウルサイっ!アッチへ行け!コッチは忙しいんだ!いったい、誰のせいでこんなに忙しいと思っているんだ?!」と、やっぱりイヤミを言われるだけ。 だから、子供は会話への熱意などスグになくなってしまうんですね。 それに、熱意を持って話をしても、親の側は生返事をするだけで、内容などは聞いていない。だから、そのやり取りにおける了解も、後になって平気で反故にしてしまう。 そのことに対して親に抗議しても、やっぱり、「ウルサイっ!文句を言うな!」と怒られるだけ。そんな環境なんだから、熱意も何もなくなってしまいますよ。 4番目の「自信に満ちた表情」で話しをすることはどうなの? しかし、自信って何?妄信や狂信とどう違うの? 人間は誰だって間違いはあるでしょう?自信と狂信の違いは自分の間違いを認めることができるかどうかですよね? 自信というのは、「もし間違った場合でも、自分は責任を取る覚悟があるよ!」という意識がないとダメですよね?自分の意見に信念があっても、それが間違いであったら間違いを認めることができる。それが自信でしょ?「自分には絶対に間違いがない。」といった思い込みだけだったらそれこそ狂信でしょ? しかしダメダメ家庭では、もし間違った場合では対応がつかない。子供のピンチには親はサポートしないことはこのメールマガジンで何回も書いています。 だから、子供は「絶対に間違わないように」と配慮しながら会話することになる。それがオドオドするということですよね?と言うことで自信なんて持ちようがない。 今回の文章のお題は、上記の1番目にある「相手の目を見て会話する。」問題です。 ダメダメ家庭出身者は相手の目を見て会話することが苦手なんです。どうしても目をそらしてしまうわけ。 だから、家庭の外でのやり取りにおいて、「ちゃんと私の目を見て言いなさいよ!」と、人からよく言われることになる。 人からそのように注意されるので、自分では何とかしようと思っても、子供時代から積み重ねてきた習慣が簡単に治るわけがない。 ダメダメ家庭においては、人の目を見て話をする習慣がないわけ。 何故って? だって、ダメダメ家庭の中で、親の目を見て、親に話かけたらどうなるでしょうか? それこそ、親からのグチやイヤミを聞くハメになっちゃうでしょ? 「全くオマエのために苦労ばっかり!人生棒に振っちゃった。」 「あ〜あ、いやだ、いやだ・・・」 「あんたは呑気そうでいいわねぇ・・・」 まさに絶え間のないほどにグチが飛んでくることになる。 そうならないためには必要なことがありますよね? 親の前から逃げる準備を常にしておくことです。そうしないと、いつまでも親のグチに付き合わされることになるわけです。 そのためには親と目を合わせてはいけないわけ。 当然ですよね?目を合わせていたら逃げられないでしょ? 役にも立たないグチを何時間も聞いて何が楽しいの? 親に対しては、言わなければならないことをさっさと言ったら、あとは逃げる必要があるわけです。と言うことで相手の目をみて会話する習慣を持ちようがないわけ。 一般的には「よくないこと」とされている「目をそらす」という習慣も、ダメダメ家庭の中で生き抜くには必要な習慣なんですね。 しかし、そんな習慣は、ダメダメ家庭の外では通用しませんよ。 それこそ、銀行のインストラクターが言うように、「相手の目を見て話す」ことは人間関係の基本ですからね。 その基本ができなければ、接客以外の仕事だってうまくいきませんよ。 こうしてダメダメ家庭出身者は、ますます逃げ口がなくなってしまうわけです。 銀行の接客の基本について、成人となってから色々と指導しても、育った家庭の原体験がダメダメなので、どうしてもそのダメダメな原体験を引きずってしまうわけ。もはや、そんな環境に順応してしまっているわけ。 何はともあれ、それを自覚するしかないわけです。 ダメダメ家庭出身者が、やり取りの相手の目からそらすのは、ある意味において、しょうがない。まさに、「三つ子の魂、百まで」と言われるとおり。 だから、せめて、そんな自分自身からは、目をそらしてはいけないわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 先日台風が来ましたが・・・ 相変わらずの台風の報道で・・・ カッパ着て暴風のなか、がんばってマイクを握っても、一体何が伝わるの? あんなに派手なシーンだと、逆に映像の「使いまわし」なのかな?と思ってしまいます。 まあ、テレビ局も台風をネタに面白おかしくやっているだけなんでしょうが・・・ あと、テレビでNHKをチラっと見ていたら、昨今の子供の問題についての番組がやっていました。「昨今の子供がわからない」といった感じのもの。 ちょっと見ましたが、予想通りの「いつものヤツ」といった感じで・・・ スグに見るのをやめてしましました。 結局、一般論ばかりをやっていても、何か参考になる話がでてくるわけもなく・・・ かといって、子供の問題だと特に、個別の具体例を緻密に検証するのは、さしさわりがある。 結局、いつものように、「こまった、こまった・・・」と騒いだだけでオシマイ。見ている方は「一体なんだったの?」と、呆れてしまうことになる・・・(最後まで見ていないので何とも言えませんが・・・・) あのように「面白可笑しく騒ぐだけのマスコミのスタイルそのものが、事件の一端を担っている」加害者であることの自覚すらないのですから、絶望的ですね。 |
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R.10/11/15 |