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カテゴリー ダメダメ家庭が持っている発想
配信日 04年12月8日
タイトル ヘンに計算高い (自分を高く売ろうとする)
ダメダメ家庭は当事者意識がない。何事も他人任せ。だから上手く行かないと、任せた先の他者のせいになり、結果的に被害者意識を持つ。このことは何回も書いています。

当事者意識がないため、「自分たち自身で今の状況を何とかしよう。」などとは考えない。「誰か自分たちに恩恵を与えてくれる人」から施しを得ようとするわけ。
そもそもダメダメ家庭の人間は被害者意識が強く、常に、自分の被害というか持ち出しを意識する。だから、誰かから何かを恵んでもらうのは、自分にとっての当然の権利だと考えているし、逆に言うと、恵んでもらうことによって、自分の被害者意識を満足させることになる。
「ああ!この人は、このワタシがかわいそうな被害者だと分かってくれたんだわ!」と、喜ぶことになる。
被害者意識が強く、「かわいそうな被害者」ということがアイデンティティになってしまっているので、その被害に対する補償こそが、その人のアイデンティティを認めることになってしまうわけ。

だからこそ、むしろ積極的に求めるスタイルで、恩恵を受けようとすることになる。
そして、その「恩恵を与えてくれる人」に対し、「自分たちを高く売ろう」と、計算高く考えることになる。
このこと自体は、全くのダメダメというわけではありません。しかし、まずもって自分たち自身で、自分たちの現状を何とかすることを考えるのが先でしょ?

今(04年)、旧ソビエト連邦のウクライナが大騒ぎをしていますね。
EUやアメリカなどの旧西側諸国と組んで国の運営をして行くのか?それとも、従来からの流れでロシアと組んで国を運営して行くのか?その2つの方向性をめぐって対立している・・・らしい。言葉についてもウクライナ語を話す人と、ロシア語を話す人が一緒になっている状態とのことで、まとまるのも難しそう。
しかし、まとまるのが難しいと言っても、議論の中身が「ヨーロッパと組むのか?ロシアと組むのか?」という状態であって、それは「ウクライナという国を自分たちでどうしたいのか?」という根本の議論ではないでしょ?

結局は、ロシアかヨーロッパか、どちらと組むのが「恩恵を受けられるのか?」という議論でしょ?どっちに転んでもダメダメですよ。施しを受けることしか考えていないんだから。

同じようなことは、昨今の日本の町村合併の問題でも発生するようです。
アッチの村と、コッチの町で、どっちと合併するのが「お得」か、こうもりのように立ち振る舞っている村もあったりするそう。結局は、どこからも相手にされなくて・・・「このままでは村は破産だ!どうしよう?」と慌てているところもあるとか・・・
まあ、笑っちゃいますよね。

「どちらの方が多く恵んでくれるのか?」そんなことばかり考えている心の貧しい連中なので、誰からも相手にされなくなっちゃうわけです。誰だってそんな人間とは一緒にやりたくはありませんよ。

この手の、「どちらと組むのがお得か?」「どちらが自分たちを高く買ってくれるのか?」と言ったこととばかり考えている習慣は、落ち目になった会社でもあったりしますよね?そもそも、そんな精神状態なので落ち目になっちゃうんじゃないの?

あるいは、政治の世界で、小さな政党がキャスティングボードを握ったとかで喜んでいる政党があったりしますが、そんな政党は結局はつぶれていくでしょ?
小さな政党であっても、「これこれを実現したいので、一時的に協力する。」ということならまだしも、「自分たちを高く売ろう。」なんてことを考えている段階で、相手ばかりを見て、自分たちを見失っているわけ。

これが個人の能力が認められて、その能力を高く買うというヘッドハンティングのようなものなら、話は全然別ものでしょう。その場合は、今の自分の能力をもっと発揮させ、より向上させるという当事者意識に基づくものですからね。

しかし、そんな「どちらと組むのがトクか?」と考えているような、ウクライナや日本の過疎の村などは、そもそも今時点での「売り」がないでしょ?まあ、あるとしたら、地理的に要衝というくらいでしょう。しかし、それって本人たち自身が努力して得たものでもありませんよね?

だから「どちらと組むのがおトクか?」ということばかり考えて、そして議論しているような組織は、どちらと組んでも上手くいかないわけです。だって当事者意識がないわけですからね。戦力にはなりませんよ。そんな連中。

「自分としては○○をやりたい。」→「だから、しばらくアナタたちと一緒にやりたい。」という当事者意識を持った発想なら、「組む」側としても、行動が予想しやすいでしょ?
だからこそ、信頼に繋がることになる。
信頼とはその背景に一貫した態度が必要であり、将来的な行動が予測できる必要がある。
逆に言うと、一貫した態度があれば、将来的に、方向性が違ってくることが予想できても、信頼することはできるわけ。
上記の、「自分としては○○をやりたい。」→「だから、しばらくアナタたちと一緒にやりたい。」ですが、たとえ、「しばらく」という言葉が入っていても、発想の基本が相手方に理解しやすければ、たとえ方向性が違うことになっても、信頼感を失うことにはならないでしょ?

逆に言うと、「アンタと一緒だと、いいことがありそうだ。」→「これから、アンタと一緒にやりたい。」という流れだったら、信頼には至らないでしょ?
だって、もっと「いいこと」を提供する別のところが現れたら、そちらに乗り換えるのは歴然としているわけですからね。

当事者意識がないと、態度の一貫性にはならないわけですし、態度の一貫性がないと、そんな人を信頼するわけにはいかない・・・そのようなことは当然のことでしょ?
だから、一時的に利用されて、結局は捨てられることになる。

信頼とか態度の一貫性こそが、その人の価値に通じるわけです。
このことは、何も人や国だけでなく、それこそ、いわゆるブランド品というものは、信頼をセールスポイントにしているものでしょ?
少しでも高く売ろうとする発想には、信頼がない。
逆に言うと、信頼がないものは、高級品とはいえない。
信頼にこだわった発想こそが、いわば高級イメージになるわけでしょ?
だからこそ、結果的に高く売れることになる。
信頼のないものは、それが何であれ、安物なんですね。

人との結びつきにおいても、お互いが信頼し合った上で、一緒にやって行くのなら、困った時には組んだ相手からのサポートもあるでしょう。しかし、「さあ、一緒になってやったのだから、たっぷり施せよ!」なんて態度を取られたらイヤになるでしょ?そんなことは、当然のことですよね?

そうなると、「組んだ相手」も見放すようになってくるわけ。
受けられる予定であった、「施し」が結果的に受けられなくなって・・・結局は、「オレたちは裏切られた!」「オレたちは何て不幸なんだ!」と被害者意識に浸ることになる。そのような被害ばかりを語っていて、そのうちに「自分たちは被害者なんだから、外の人間には何をやってもいいんだ!」と、周囲に迷惑をかけるようになってしまう。
そうなると、ますます相手にされなくなって・・・と、ダメダメなスパイラル。

前に信頼感の話を書きましたが、ダメダメ人間は信頼と好意の区別がつかない。
と言うよりも、信頼というものを根本的に理解できない。
何回も書いていますが、信頼というものには、態度の一貫性が必要であり、そのためには当事者意識が必要ですよ。当事者意識がないんだから、信頼なんて理解できようがない。
信頼というものが理解できない分だけ、人からの好意を求めることになる。
いわば「こんなにかわいそうな自分に対して好意を持ってよ!」というアピールになるわけ。
しかし、「かわいそうな被害者」ということは認めるにせよ、そして、一時的に同情しても、そんな同情は信頼とは無縁でしょ?
中途半端な同情によって、ますます信頼から遠くなってしまうだけ。

よくいう物言いで「バカとハサミは使いよう。」なる言葉もあります。まあ、バカな人も使い方によっては使えるわけ。しかし、ヘンに計算高い人は使えないでしょ?だって、いつ裏切るかわかりませんものね。
本当に信頼できる人は、ピンチになった時に裏切らないような人でしょ?ヘンに計算高い人は、信頼に足りないわけですね。

しかし、信頼というものを理解できず、好意しか理解できないダメダメ人間は、「かわいそうなワタシ」というアピールばかりになってしまって、逆に言うと、「かわいそうなワタシ」というアピールができるような状況に持っていってしまったり、そんな事態を避けようとはしない。だからこそ、ますますマトモな人間から、呆れられ、避けられることになる。

よく、「悲劇の歴史を背負った国」なんて言い回しがありますよね?確かに過去に色々と辛いことがあったのでしょう。しかし、その手の歴史を調べてみると、このような程度の低い駆け引きばかりをする心の貧しさが原因だったりするわけ。周囲の国から信頼されず、悲劇の歴史なるものを自分たちで呼び込んでいるんですね。

まあ、そんな程度の低い国や地域は、勝手に悲劇をしていればいいでしょう。しかし、「どっちと組むのがおトクか?」「そこに対して、自分たちをいかに高く売りつけるか?」そんなことばかり考えている人間が親になってしまったら?

子供だって、親と同じような、当事者意識とは無縁で、施しを受けることばかり考えるダメダメな人間になっちゃうでしょ?こうなると個人のレヴェルで、悲劇を呼び込むような人間になっちゃうんですね。

勿論のこと、このような「どちらと組むのがトクか?」という発想は、結婚相手を選択する際に発生するものです。もちろん、結婚相手を選定する際に、「どっちがお得か?」ということは検討する必要あるのは当然のこと。しかし、まずもって「自分自身はどんな人間か?」「自分自身が何をしたいのか?」「何ができるのか?」ということについて自覚することが第一でしょ?相手からもらうことばかり考えているなんて、その時点で終わっていますよ。そして、そんな人間と結婚する相手も、一時的には与えることができても、「計算高い」メンタリティはお互いが共通していたりするもの。

家族での食事の時の会話で「どっちと組むのがトクか?」などといった話が多いような場合は、もうダメダメになっているわけ。そんな親の発言を子供はどのように聞くのでしょうか?
まずは、そんな「損得」ばかり考えている親に対して、子供からメリットを与えないといけないでしょ?子供だってそう考えるわけ。これでは疲れてしまいますよね?
それに、そんな親に対し、子供だって信頼できないわけです。親の計算高い姿しか見ていないわけですからね。そんな姿を見て、「自分がピンチの時は頼りになる。」なんて思わないでしょ?
まさに、「自分の親は晴れた日には傘を貸すけど、困った時には見捨てる人だ!」と認識することになる。

そして、親を信頼していない子供は、トラブルを全部自分一人で解決する必要があるわけだから、どうしても切羽詰った心情になってしまう。
だからこそ、現実として、トラブルが起きやすい。
そして、実際にトラブルに遭遇して、「ああ!ワタシってなんてかわいそうなの?」と被害者意識に浸り、そして、周囲から施しを受けようとし、自分を高く売ろうとする。

結局は、子供も親と同じように「モノをもらうことばかり考える心の貧しい」人間になっちゃうんですね。
そして、親子そろって、悲劇を呼び込んでしまうわけ。

(終了)
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発信後記

先月の後記で、プロ野球で近鉄バファローズの選手だった岩隈選手について言及いたしました。岩隈選手はダメダメ家庭の出身なので、ダメダメ家庭の出身者が一番嫌う言葉である「オマエたちはオレが決めたことを、黙って従っていればいいんだ!」という言葉を繰り返す、現在の合併球団には絶対に参加しないだろう、という内容でした。

まあ、その合併球団を「いたいけな村娘をいたぶる好色悪代官」に例えてみましたが・・・
ただ、あの時点では、この問題は早晩解決すると私は思っていました。オリックス・バファローズのスタッフだって「人間の血の通った人」もいるでしょうし・・・
第一、「イヤだ!イヤだ!」と言っている人間を、入団させたとして、ちゃんと働いてくれるわけないでしょ?鉱山の穴掘りをさせるのならいざ知らず・・・スポーツの世界なら、やっぱり意欲がないと成果なんて出ませんよね?

と思っていたのですが、まだ解決していないようです。それどころか悪化しているよう。どうやら私が甘かったようです。
考えてみれば、オリックス・ブルーウェーブという球団は、以前にも「イヤだ!イヤだ!」と言っている人間を、執拗に入団させようとして自殺者を出した球団ですからね。
ハンパな外道ではないんでしょう。

その折にも書きましたが、「オレが決めたことを、文句を言わず従え!」というのは児童虐待の典型的セリフ。
おまけに、どうしても入団しようとしない岩隈さんを提訴するとかしないとか・・・
それって児童虐待の親の決めセリフ「なつかないから、殴った!」そのものじゃないの?

そんなことをすれば、岩隈さんだってますますイヤになるでしょ?
こうなると、「なつかないから、殴った!」の次に来るものも決まっていますよね?

合併球団のオリックス・バファローズのスタッフが外道なのは、今更どうしようもないとして、そのスタッフだって家族もいるでしょ?ご近所さんもいるでしょうに・・・どうしてこんな外道なことをやめさせようとしないの?
それに当然のこと、オリックス・バファローズのファンの方だっているでしょうに・・・
自分たちが応援しているチームが、典型的な「連れ子虐待」をしているのに、何かアクションを起こしてもいいじゃないの?

オリックス・バファローズは神戸のチームですから、関係者やファンは関西の人が中心でしょう。やっぱり関西は児童虐待のメッカだと・・・呆れてしまいます。
カビの付いたミカンの周囲のミカンは、やっぱりカビが付いているもの。

こんな絵に描いたような連れ子虐待のシーンを見て、何も思わないような人が、隣で児童虐待があっても気づかなかったり、知らん振りしたりするのも肯けます。
R.10/11/20