トップページに戻る 配信日分類の総目次に戻る
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ
カテゴリー 会話のスタイル(発言側)
配信日 04年12月24日 (10年7月10日,10年7月16日 記述を追加)
タイトル 誘導尋問
私はテレビはほとんど見ませんが、たまに「面白いなぁ・・」と思うことがあります。
発信者が伝えたいと思っていること以外が、見えてしまう時ですね。

以前に、とある大臣がJRの新宿駅の視察をして、その後に記者会見を行いました。
その大臣は、ありきたりのコメントを、メモを見ながら淡々としゃべっているだけ。
しかし、そのメモって、視察の前日に部下が書いておいたんでしょうが・・・
それなら、朝の視察って何のため?
視察の前日に作成しておいたコメントを読み上げた大臣はどう思っていたのかは知りませんが、テレビでは「メモを見ながら」というシーンも映っているので、視聴者には「あの大臣はバカだなぁ・・・」と思ってしまうんですね。

まあ、そんな人はどうでもいい。
私がダメダメ家庭の関係のテレビ番組を見ていて、大変に悲しく思ったことがあります。
有名な本の「だから、あなたも生き抜いて」の著者の大平光代さんと、とあるキャスターの深夜のニュース番組でのロングインタビューでした。

そのキャスターは、まあ、「オレは正義だ!」と自認しているようなお方。良識が服を着ている・・・と自認しているのかな?
その自称良識派のキャスターと大平光代さんの対談がスゴイ!
私はその大平さんの書籍を読んでいませんが、大変な経験をなさった人ですね。

その対談では太平さんは、椅子に丁寧に腰掛け、手はひざの上においていました。そして顔はこわばっていました。あのような経験をされたのですから、人間関係に難しさを感じられるのは当然ですよね?初対面の人にフランクな感じはできないでしょ?ましてやテレビ番組なんだし・・・

しかし、その良識派キャスターは椅子に乱暴にふんぞり返り、脚を組んで投げ出し、ぞんざいな口調で大平さんに質問を浴びせていました。
心理的虐待の典型ですね。

挙句の果てに、そのキャスターは太平さんから自分の都合のいい言葉だけを取り出し、「自分の良識が証明された!!」と悦に浸っている状態。
逆に太平さんの顔の表情は、ますますこわばっていきました。

それを見ていた私は、気分が悪くなってしまいました。

その自称良識派のキャスターがよく主張する「政治家の腐敗追放!」だろうと「アメリカ追従反対!」だろうと「平和を守ろう!」だろうと、私は特に反対しません。また良識派キャスターさんは自分の主張に強い信念があるんでしょう。ある意味においては、ほめられるべきことでしょうね。

しかし、自分の目の前にいる女性がおびえている状態を、それも自分のせいでおびえている状態を、何とも思わないような人の主張する「正義」や「良識」って何でしょうか?それも、よりにもよって、家族問題についての見解で。

私はクリスチャンではありませんが、新約聖書でパウロが言っていますよね?
「たとえ山を動かすような強い信仰があったとしても、そこに愛がなければ何の意味もない。」コリント人への手紙の一節です。ダイアナさんのお葬式のときに、当時のブレア首相も追悼の言葉の中でおっしゃっていましたよね?

自ら奉じる正義に信念を持つことは結構でしょう。しかし、一番大事なことは目の前にいる人を思いやりを持って接することでしょ?
前にも書きましたが、それこそキリストだって言っていますよね?
「汝の隣人を愛せよ!」って。

自分の言葉に反応する人。自分の行動に反応する人。そのような身近な人を愛することは、会ってもいない人を愛するよりも難しいわけです。だって、相手だって言葉や行動が気に食わない場合には「愛されて」くれないでしょ?

善意からだろうと、正義からだろうと、目の前にいる人間に思いやりを持てないような人間の行動や主張なんて、価値があるの?

ダメダメ人間は、自分で考えたりはしない。
だから、本当の意味での好奇心がない。
誰かとのやり取りにおいて、「相手が言いたいことはなんだろうか?」あるいは「相手の話から、面白い発見があるかも?」という視点がない。
むしろ、自分の考えを、相手にオーソライズしてほしいだけ。

ダメダメ家庭を作る人間は、やり取りという場において、自分の意向に沿うような回答だけを「相手に言わせる」傾向があるわけです。そうやって自分で勝手に納得するわけ。
そんな習慣なんだから、インタビューのような状況においても、相手から聞きたいという思いがない。
何とかして、「相手に言わせたい」という思いに満ちている。
だから「言わせられる」側にしてみれば、非常に不快になり、それがやり取りに反映される。
だからこそ、強圧的なスタイルや問答無用の雰囲気を作ることによって、相手に「言わせよう」としたり、誘導を行って、「言わせる」ようにする。

そんな人が親になったら、子供の困りごとは聞けるの?
あるいは組織の上司になったらどうなるの?部下の困りごとは聞けるの?
しかし、その手の人は、逆に言うと、困りごとは、聞きたくないわけ。
自分の目の前の問題を見たくないし、知りたくないと思っている。

相手に「言わせる」ことを目的にしているので、言おうとしないと、逆上したりする。
何も対面でのやり取りばかりではなく、メールのやり取りにおいても、「アナタはかわいそうな被害者だ。」「なんてお気の毒なんだ!」という言葉に誘導しようとしているメールが多いもの。
あるいは、いい子ちゃん志向のダメダメ人間は、「アナタはいい子。」「アナタは悪くない。」とオーソライズしてほしく、その流れに誘導しようとするメールも多いもの。

そんな誘導尋問風の流れのやり取りは、事態の解決のために、有効な視点なり考え方をえようとはしていない。
だから、誘導尋問をしようとしている人が語るのは、現状についての客観的な説明ではなく、当人の主観的な被害話ばかりになってしまう。
あるいは、ちょっと間接的な形で「あの○○には困ったものだ!」というグチを言っているだけ。グチに過ぎないからこそ、誰かにオーソライズしてほしがる。

逆に言うと、それだけ、人からの評価に依存している自意識過剰状態。
自己逃避であり、自分で自分について語れない。
そして、「あの人がボクのことをほめてくれたよ!」「あの人が、ワタシのことを同情してくれたわ!」と周囲に語る。
しかし、周囲の人に期待する分、期待通りにならないと、逆上しやすいという危険性があるもの。
誘導尋問風のメールの人は、結局は逆上して、最後には捨てセリフを投げつけてくる・・・まあ、そんなものですよ。まあ、こちらとしても、予め予想ができるわけですから、心の準備はできているんですが・・・

そのような会話の能力がない人が、ボランティアなどでわざわざ遠方に出かけて、自分の善意を振りまくことになる。しかし、援助される対象だって迷惑ですよ。日本人との会話さえできない人が、現地の人と何ができるの?相手とのやり取りができるの?

しかし、このような思いやりのない正義はとおりがいいわけ。正義を主張すれば、良識派のレッテルがもらえますからね。

それに簡単ですよね?
だって「正義」というものは本に書いてある。文部科学省選定の本の場合もあるでしょうし、カール・マルクスの本の場合だってあるでしょう。何かの宗教書にも書いてあるでしょうね。どの本の内容を「正義」とするかは人それぞれですが、「正義」というものは本に書いてあるものなんですね。
だから自分で考えなくても、「正義」は見つかるわけ。

しかし、「思いやり」は本に書いてありませんよね?
自分の前に実際にいる人間のことをちゃんと考える・・・それしかありませんもの。マニュアルなんてないでしょ?
だから難しいんですね。

以前にも書いていますが、ダメダメ家庭の子供が、自分の困っている状況を、そのような誘導尋問愛好家の人に相談したらどうなるでしょうか?
相手に都合のいい言葉を「言わされ」、逆に大人の方からガミガミと正論を言われてますます落ち込むだけですよね?
折角相談したのに、小言を言われるだけ。
「そんなこと自分の家庭の問題だろうが!!」「親御さんがお気の毒だ!」と叱られるだけ。
まあ、学校などでの相談の回答はこのパターンですよね?

その子供が何か事件を起こした場合は、その誘導尋問愛好家の人は、「あれほど親身になって相談に乗って『アゲた』のに・・・こんなことになって・・・」と嘆くことになる。
しかし、上の立場から、正義を説教したのかもしれませんが、思いやりをもって接してはいませんよね?

だから相談した子供にしてみれば、何も解決されていないわけ。
むしろ、相談という場に対する不信感を持ってしまうだけ。
ダメダメ家庭の問題の深刻化には、このような周囲からの「思いやりのない正義感」が大きく寄与しているわけです。

たとえ正義があろうと、まるで早稲田大学のレイプ集団のようなものです。
後になって「合意があった。」と主張することもできるでしょうが、そんな心理的虐待の状況で「合意」もヘチマもないでしょ?
まあ、そのテレビのインタビューで大平光代さんも、その良識派のキャスターに心理的レイプされたようなものなんですね。

人との会話の場において、強圧的な誘導尋問で自分に都合のいい言葉だけを相手から引き出し、自分だけが勝手に納得しているような思いやりのない人は、往々にして立派な正義を語ったりするもの。しかし、そんなことは良識ではなく、単なる暴力なんですね。
そんな人は、問答無用の正義を語ることによって、相手の意向を真摯に聞くことから逃避しているわけです。

(終了)
***************************************************
発信後記

以前から注目していました、プロ野球選手の岩隈さんの問題が解決したようで何よりです。
何でも岩隈さんが、実の親からいじめられていたとき、親身になって助けてくれたのが奥さんのご両親だったそうで、岩隈さんも義父と一緒のチームで仕事ができるのなら、ハッピーですよ。

また、とある元プロ野球の選手が殺人事件を起こしてしまったようです。
金使いが荒いとか、色々とあったようですが、最大の問題は、家族に対して見栄を張らないといけない状況だったことです。
家族に自分の弱さを見せられないのだったら、当然のこととして疲れてしまいますよね?

岩隈さんは自分の実家がダメダメであることを、いやがおうにも自覚していたのに対し、その殺人事件を起こした元選手は、自分の実家がダメダメであるとの自覚がなかったのでしょう。
家族に気を使うダメダメな家庭を、自分自身で作ってしまったわけですからね。

野球といいますと、最近は日本の選手がアメリカでプレーすることも多く出てきました。アメリカのチームを選択する際に、「チームがある場所の治安」を選択の要素にすることが言われたりします。まあ、これは当然。子供の教育云々以前に、自分が死んだら元も子もありませんからね。

先日起こった、千葉県の女子高生の惨殺事件の報道を聞くにつけ、「同じような事件は前にも千葉県であったな・・・」と思われた方も多いでしょう。
アメリカでも都市の治安状況に差があるように、日本だって差がありますよ。
R.10/7/16