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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな単語
配信日 04年12月27日 (11年2月15日 記述を追加)
タイトル 「あの人」という呼び名
私は色々な映画を見たりします。まあ、フランスなどのヨーロッパの作品が中心ですが、日本の映画も見たりすることがあります。
「機動警察パトレーバー」だったかな?いわゆるロボットアニメの映画版のヴィデオを見ていたときでした。ちなみに監督は押井守さんという人です。最新作は「イノセント」というタイトルで、レンタルヴィデオショップに沢山並んでいます。ただ、あの作品を理解できる人は1000人に1人くらいでしょうが。
さて、その「パトレーバー」という映画で面白い会話がありました。主要登場人物の女性が言うセリフです。
「私がここにいるって、誰に聞いたの?あの人が言ったの?」
確かそんなセリフがありました。

「あの人」って、誰?
ダメダメ家庭出身者は、この「あの人」という呼称をよく使ったりします。逆に言うと「あの人」という呼称を頻繁に使うのはダメダメ家庭出身者と見て間違いがないでしょう。

そうそう、肝心の「あの人」ですが、これはダメダメ家庭の用語で「母親」という意味であることが通例です。もうちょっと範囲を広げると、「養育者という役割を持つ存在」を呼称する用語といえます。父親が養育者の場合は、養育者たるその父親が「あの人」と呼ばれ、祖父母が養育者の場合は、その祖父母が、「あの人」あるいは、「あの人たち」と呼ばれるわけです。精神的にマトモな状態である家庭であれば、「お父さん」とか「お祖父さん」との呼称になるわけですが、その家庭がダメダメであれば、子供にとっての養育者は、子供の側から「あの人」と呼ばれてしまう。だから、「あの人」という言葉の意味としては、「養育者・・・しかし、その役割を果たしていないけど・・・」という意味とみればいいでしょう。
別のところで書いていますが、ダメダメ家庭の親は、保護者ではなく、支配者という位置付けになっている。だから、養育者も、支配者の範疇で捉えられ、子供を守ってくれる保護者とはなっていない。支配者との間に親密な関係を築かないことは誰でも分かること。
どうしても、「ぎこちない距離感」が出ることになってしまう。

一般的には、養育者という名称で指示されるのは「母親」という存在でしょう。
母親だったら、「お母さん」とか「ママ」とかの呼称が、「ふ・つ・う」というものでしょ?
しかし、ダメダメ家庭の人間にとって「お母さん」という呼び名は心理的に抵抗がある。
しかし、「母上」というオフィシャルな呼び方は今時は誰も使わないし・・・珍しい言葉を使って後で、周囲の人から突っ込まれたら面倒になってしまう。
形式を重視して「母」と呼ぶ方法もあるけど、普段使っていないので、とっさの時に出て来ない。それにやっぱりピンと来ない。
とにかく「母」という単語自体に抵抗がある!!
ということで、ダメダメ家庭出身者は、つい、「あの人」なる3人称的な呼び名を使ってしまう。

国語辞典での用例説明をするとこんな感じになります。
「あなたのお母さんは、まだ、生きていらっしゃるの?」
『生きている・・・んじゃないの?『あの人』は何も考えていない人だから、いつまでも長生きするわよ。』
「えっ?・・・ふーん・・・」
ダメダメ家庭出身者では、よくあったりする物言いです。

勿論のこと、帰宅時に、実際の母親に対して、「お母さん!ただいま!」ではなく、「あの人!ただいま!」なんて挨拶するわけではありません。まあ、ダメダメ家庭では家族の間で挨拶なんてしませんので、面と向かっての呼び名などは必要がないわけです。
逆に言うと、「あの人」という呼称は、面と向かってのやり取りの不在と直結しているわけです。
実際に、上記の映画でも「あの人」という言葉を使った女性は、同居している母親と折り合いが悪そう。わざわざそんなことを描写するシーンもありました。

自分の家族をどんな呼称で呼ぶのか?
これがマトモ家庭とダメダメ家庭では全然違っています。
ダメダメ家庭ではそもそも家族が仲がいいわけでもなく、実際に顔を合わせてのやり取りもしないので、実際の呼び名なども必要がない。それに心理的に「お母さん」などという言葉には抵抗があるので、どうしても3人称的な言葉を使ってしまう。
まあ、言葉として3人称というだけでなく、心理的に3人称なんですね。だから「あの人」という言葉がフィットする。

以前に配信したお題で、「ダメダメ家庭では子供の名前を呼ばない。」という文章があります。ダメダメ家庭の親は、自分の子供が目の前にいるのに、「この子」「息子」「コレ」と一般的な代名詞で呼称する。
親から「あの子」と呼ばれた子供が、長じた後で自分の親を「あの人」と呼ぶ。
まあ、『子は親の鏡』というか、ギャグそのものですよね?
逆に言うと、自分の親を「あの人」と呼称する人は、親から自分の名前を呼ばれたことはほとんどないといえるでしょう。

そんなちょっとした呼び名の違いで、マトモ家庭とダメダメ家庭の違いなど、判っちゃうもの。
勿論のこと、ダメダメ家庭出身者であること自体は、本人にはどうしようもないこと。しかし、それを明確に自覚していなくて、自分が育った家庭が「ふつう」だと思っているような状態では、結局は、親がやっていた「ふつう」の子育てをして、親と同じような「ふつう」の家庭を作ってしまう。
そんな「ふつう」の家庭を作ってしまったら、今後は自分の側が、自分の子供から「あの人」と呼ばれてしまう。
そんな家庭を、実際にご存知の方もいらっしゃるのでは?

ちなみに、自分の子供から「あの人」と呼ばれている親の側は、じゃあ、自分の子供に対して、どのように「自称」するの?自分の子供に電話をかける時には、どのように名乗るの?
「おい!○○かい?『あの人』だよ。」と自称するの?

何回も書いていますが、ダメダメ家庭においては、やり取りそのものがない。
たとえ同居していても、1か月のうちに1回も話をしないことなんて、珍しくもない。
だから、そもそも呼称などとは無縁となってしまう。
もちろん、顔を合わせての対面でのやり取りだったら、「おい!オマエ!」と呼びかけるだけで済むでしょう。あるいは、以前より使っている代名詞呼称や続柄呼称で「オイ!息子!」と呼ぶ方法も、実際に、ある。

しかし、電話となると、「○○かい?ワタシだけど・・・」では通じない可能性も高い。
電話の相手である自分の子供も、親の声を忘れている可能性もあるし、そもそも、親から連絡してくる可能性自体を想定していない場合も多い。
それに、電話で、「ワタシだけど・・・」と、名乗って、子供の側から『その、ワタシって・・・誰?』と言われたら、名乗らないといけない。

じゃあ、どう名乗るの?
「オマエのお母さんだよ。」と名乗るの?
まあ、それは、現実的にありえない。
子供の側が、「お母さん」という呼称に心理的な抵抗が大きいように、ダメダメな親も、自分自身を「オマエのお母さんだよ。」とは今更は名乗れない。
「オマエも、よく知っている『あの人』だよ。」と自称してくれれば、子供の側も分かりやすいとは言えるでしょう。しかし、これも現実的にはない。
まあ、たとえば「母だけど・・・」という、形式感漂う呼び名を使う場合もあります。
しかし、やっぱり「母」という呼称は、親の側も、心理的な抵抗が大きいんですね。あるいは、フルネームをそのまま名乗るケースもある。だって、相手に対して、フルネームを名乗ることはオフィシャルなことでしょ?まさに「悪くはない」じゃないの?
ただ、それにも心理的な抵抗がある場合もある。まあ、自分の子供に対してフルネームを自称するのは、抵抗もあるでしょう。しかし、そんなパターンも現実にあるのがダメダメ世界の奥深いところ。色々な呼称はあっても、じゃあ、どんな呼称を使うことになるの?

ということで、わりと使われるのが、地名呼称です。
「○○だ。」と、その○○に自分の住所を入れることになる。
その○○が、子供にとっては実家の住所になっている。
だから、一応は「なじみ」があるから、それ相応に注目することになる。
だから、地名呼称だと、「ああ、ワタシの実家に住んでいる『あの人』だな・・・」と判別ができる。場所を共有している間柄と言える昔の友人だったら、逆に言うと、地名呼称などは使いませんよ。「高校で一緒だった△△だけど・・・」となるでしょ?地名呼称は、住所以外に共通するものを持っていないという意味になるわけです。それだけ疎遠ということなんですね。
しかし、地名呼称だと、「母」という言葉を使うことも避けることができ、相手にも通じるだろうし、呼称する側も心理的な負担も小さい。ダメダメな親にしてみればメリットが大きいわけです。

地名呼称となると、それこそ、日本全国にお妾さんをいっぱい囲っているご亭主さんに対して、たくさんのお妾さんのうちの一人が自身を呼称にするのに便利な呼称でしょ?
お妾さんとしては、「名前を言っても分からないだろうから、地名で言うよ。」というスタンスでしょ?
「アンタの博多のオンナだけど・・・」と名乗れば、ご亭主さんにも、判りやすいでは?・・・たぶん・・・
それは、多くのうちの一人のお妾さんとしては、適切な配慮といえるでしょう。
東京のお妾さん、大阪のお妾さん、名古屋のお妾さん、京都のお妾さん、博多のお妾さん・・・
そんな多くのお妾さんを囲っている御亭主さんとしては、地名呼称だと、判別がラクですよ。
だって、お妾さんは、オンリーワンの存在ではないんですからね。
「アナタの2号です。」とか、「アナタの3号です。」というような、序列呼称だったら、後になって変わる可能性もある。4号さんのお妾さんが、いつのまにか2号さんに昇格することもあるでしょう。それに2号や3号くらいならともかく、13号とか20号となると、やっぱりピンと来なくなってしまう。
だからこそ、地名呼称は有効といえるでしょ?

逆に言うと、地名呼称というのは、多くある同類の存在の中の一人という心理的なニュアンスになりますよね?
オンリーワンの存在は、地名呼称などは使いませんよ。
お妾さんを囲っている男性でも、お妾さんの側ではなく、正妻さんだったら、たとえ夫との間が疎遠になっていても、夫に対しては「アナタの妻ですよ。」と言いますよ。
奥さんが地名呼称を使ったら、もう完全に冷え切っていると見て間違いはないでしょ?夫婦の住民票のある住所を名乗って、連絡してきたら、その時点で相手に対して侮蔑の念が入っているとみることができるでしょ?

夫婦の間はともかく、自分の子供に対し、地名呼称で、「自称」するということは、「その他大勢のうちの一人」と宣言するようなものと言えるでしょ?
それこそ、自分の子供に対して、「博多のものだけど・・・」と自称する親としては、じゃあ、相手には大阪に別の親がいると考えているの?東京に別の親もいると思っているの?
相手には日本全国に親がいるから、地名呼称にしたの?
しかし、日本中に親がいる人は、この世にはいないでしょ?
しかし、今更になって「オマエの母だよ。」とは名乗れないダメダメな親は、いったん地名呼称を使ったら、それを愛用することになる。
しかし、だからこそ、子供の側からは、ますます「あの人」という実体感のない呼称をされてしまうのは、当然のことでしょ?

自称として使う呼称は、相手の側からそのように呼んでほしいという心理とつながっていることは容易に想定できること。
自分から「お母さんだよ。」と名乗る人は、相手側からも『お母さん』と呼んでほしいわけでしょ?
だから、「博多のだけど・・・」と自称する人は、相手の側からも、『博多の人』と呼んでほしいわけです。
それだけ、相手にとってオンリーワンの存在ではないことを、自身の側から求めているんですね。
自分から、子供に対して、地名呼称するような親に限って、「ふつうになりたい。」というものです。
その「ふつう」という言葉の意味として、固有性を放棄し、「その他大勢」を志向することを考えれば、自分の子供に対する地名呼称と、「ふつう」という言葉は、意外にもつながっているわけです。ただ、その結果として、普通とはかけ離れてしまうことは、本来は誰でもわかることでしょ?

最初にアニメのシーンでの事例を取り上げましたが、私はアニメばかり見ている人間ではありませんよ。しかし、アニメでも面白い言葉には反応いたします。
今回のお題には直接関係ありませんが、別のチョット面白い言葉を取り上げてみましょう。
NHKのアニメで「だぁ、だぁ、だぁ」という作品がありました。原作者がダメダメ家庭出身だということはスグに判る作品です。まあ、作品そのもののデキは・・・小学生向きなので・・・今更なんですが、私が引っ掛かったのはエンディングテーマです。例の小室哲哉さんが作った曲です。

冒頭で、「安らぎが欲しかった ♪ 誇れる場所が欲しかった ♪・・・」と歌い出す。
しかし、この文章は日本語的にヘンだ!
小学生ならいざ知らず、大人が書く日本語ではありませんよね?
ここで、ちょっと考えて見ると、「誇れる」という言葉を「戻れる」という言葉にすると、日本語的にキレイにつながる。

「安らぎが欲しかった ♪ 戻れる場所が欲しかった ♪・・・」
そんな歌詞は、ダメダメ家庭を表現する日本語としては的確です。きっと歌詞の第一案はこの表現だったのでしょう。
しかし、NHKから「表現がキツイ!」とのクレームが付いて、小室さんも文言を直してしまったのではないのかな?
モノが見えない人間は、往々にして「表現がキツイ!」「良識から逸脱している!」などとクレームをつけたがることは、芸術の歴史では山ほどあるエピソードです。まあ、一般人とはそんなもの。しかし、そんな一般人からのクレームに従っていてはアーティスト失格ですよ。

官憲の圧力に屈して、芸術家の良心を売り渡すなんて・・・小室さん!アンタは芸術家失格じゃあ!と、私は思ったものでした。

そう言えば、あの人は、今は何をしているの?

(終了)
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発信後記

以前配信したお題で、「子供のために離婚しない!」というお題があります。
ダメダメ家庭は、夫婦お互いが顔を見るのもイヤという状態でも、「子供のため」という理由をつけて、現状の改善の方策を取らないケースがあったりするわけ。
子供のためという理由なので、周囲にはとおりがいい。

しかし、「改善への努力を何もしない」理由として、「子供のため」と言っているだけなんですね。
それに、「子供のため」と言っているわけですので、現在の夫婦の「苦労」は子供が補償することになる。
子供にとっては現在においても、将来においても目も当てられない状態なんですね。

岐阜県で、女子高生が自宅を放火したそうです。何でも両親の不仲がイヤだったとか。
顔を見るのもイヤという状態だったら、サッサと離婚するのが、本当は子供のため。
そんな夫婦は自分自身の面倒なのがイヤなだけなんですね。

しかし、このような事件が発生すると、両親の方はお咎めなしで、子供の方は少年院送りになっちゃったりするわけ。
その女子高生は「誇れる場所」などは求めてはいないわけ。せめて「戻れる場所」が欲しいだけなんですね。
 日本語以外の「あの人」については、09年3月8日 配信文章の「フランス語のあの人」で取り上げております。
R.11/2/18