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カテゴリー 映像作品に描かれたダメダメ家庭
配信日 05年1月24日
タイトル ベルリン・フィルと子供たち
監督 トマス・グルベ&エンリケ・サンチェス・ランチ
このメールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」では、総集編的に「作品の中に描かれたダメダメ家庭」というカテゴリーを設け、映画などで描かれたダメダメ家庭の具体事例をピックアップしたりしています。
取り上げる作品は、基本的にはレンタルヴィデオショップに置いてあるようなポピュラーな作品です。
購読者の皆さんが関心をもったら、ご自身でチェックできるような作品の方が都合がいいわけですしね。

そうなんですが、今回はちょっと掟破りで、現在公開中の作品を取り上げてみます。
首都圏にお住まいの方は、映画館で見ることもできますからね。

ということで、今回取り上げる映画は現在公開中の「ベルリン・フィルと子供たち」(原題 RHYTHM IS IT!)
なんと文部科学省ご推薦の作品です。

よくNHKの教育放送などで、「子供たちが何かのイヴェントに取り組み、最初は気が乗らなかったけど、段々真剣になって来て、本番では大成功!」って、そんな感じの番組ってありますよね?
この「ベルリン・フィルと子供たち」も、一見そんな感じの映画です。
だから文部科学省のご推薦となったのでしょう。

しかし、ありきたりの説教だけでは面白くもないし、このメールマガジンで取り上げる意味もない。

この「ベルリン・フィルと子供たち」という映画では、ダメダメ家庭の子供の「再生」という問題がテーマになっています。
一般のマトモ家庭の子供ではなく、ダメダメ家庭の子供によるイヴェントなんですね。
だから子供の背景となっている問題も映画の中でちゃんと出て来る。ベルリンの中のスラムみたいなところが映されたり、子供たちの口から親の問題が語られたりします。

だから、ダメダメ家庭の子供の問題が多く出てきます。そして、そのような傷ついた子供をいかに再生させていくのか?それがこの映画で描かれているわけ。

この映画はサイモン・ラトルさん指揮するベルリン・フィルをバックに、子供たちがストラヴィンスキー作曲のバレエ「春の祭典」を踊るというプロジェクトを、ドキュメンタリー的に撮った作品です。

まあ、この手のプロジェクト遂行につき物の、「こんなのやってられないよ〜」と言っていた子供が、プロジェクトが進行するにつれて、瞳が段々輝き出して・・・と、お約束の面も確かにあるわけですが、このメールマガジンなりの視点で、ダメダメ家庭の問題をピックアップしてみます。

1. 真剣になれない・・・この映画で中心的な役割を果たしているのはバレエの振付師の禿げのオッサンです。そのオッサンが頻繁に言う言葉が「おまえら!もっと、真剣にやれよ!」
子供たちをトレーニングするのだから、当然のこととして言わなければならない言葉ですよね?しかし、一般の子供に対して「真剣にやれ!おしゃべりするな!」という意味と、ダメダメ家庭の子供に対して「真剣にやれ!」という言葉は、関わってくる意味が違って来ます。

一般の子供は、子供の属性として、気が散ってしまうわけですが、ダメダメ家庭の子供は真剣な状態が怖いという感情を持っているわけです。
真剣に自分自身と向き合うと、気分的に落ち込んでしまう。だから半ば「自ら求めて」真剣さから逃避するわけですね。この映画の前半でも「自分自身を笑ってごまかす」子供の様子が頻繁に映されています。

2. 規則を破りたがる・・・本来は規則というものは、そこにいる人間たちが行動しやすいように作られるもの。「最大多数の最大幸福」という発想が基本となっているわけです。しかし、ダメダメ家庭では会話がなく一方的な要求ばかり。だから子供は規則というものも「最大多数の最大幸福」という原理ではなく、「権威筋からの一方的な押し付け」と理解しているわけです。
だから、その規則を破ることで自己アピールをしようと考えているわけです。
そんなことだから振付師のオッサンに「規律を守れ!」と言われてしまうわけ。

3. 斜に構える・・・真剣さが怖いという感情と関わる問題ですが、ダメダメ家庭の子供はどうしても斜に構えてしまう。自分の家庭が、そもそも社会において負け組みなので、親自体も斜に構えている。それを受け継いでしまうわけです。「どうせこんなことムダさ!」そう思わないと負け組み家庭はやってられませんからね。しかし、そう斜に構えていると現在の悪い状況を改善することも出来ないわけ。まさにスパイラル進行になってしまう。

4. 失敗を恐れる・・・ダメダメ家庭の子供は自分が失敗をすることを非常に恐れるわけ。だってダメダメ家庭では、子供の失敗を親は受け止めるようなことはしませんからね。ヘタに失敗すると「また私に面倒を掛けやがって!一体誰のためにこんな苦労をしていると思っているんだ!」そう言われちゃうでしょ?これでは安心して失敗なんか出来ませんよ。「失敗してはダメ!」と思っているので、何も新しいことに挑戦できないわけ。

5. 表現の困難さ・・・ダメダメ家庭の問題は、基本的には会話の不全の問題です。そのことはこのメールマガジンで何回も書いています。そんな環境に育ったのでダメダメ家庭の子供は表現すること自体に躊躇するわけ。それは言葉による表現に限らず、身体を使った表現においても同じこと。だから、マトモ家庭の子供のように表現することに自然に取り組めずに、ぎこちない対応となってしまうことになる。

6.出会いの重要性・・・ダメダメ家庭の人間の再生には、ダメダメ家庭の子供の心情を理解し、問題点を指摘でき、適切な方向に導く人間との出会いが不可欠です。
ここでは、振付師の禿げのオッサンがそれにあたります。
映画の中では彼自身もダメダメ家庭で育ったことが語られます。

青年時代に、そんな孤立感,疎外感を持っていた中で、たまたまバレエと出会って、自分が変わったというわけ。
やっと自分を表現するものに出会えた!
その「思い」や「喜び」を、自分と同じようなダメダメ家庭の子供に伝いたいと、「熱く」語り続けている。
このオッサンは、子供の顔を見ただけで、子供の心の中まで見通せる、脅威の洞察力を持っている人。この私もビックリ!

オッサンは、子供に対して「真剣になれ!」「規律を守れ!」「チャレンジしろ!」と要求しますが、子供の精神状況をちゃんとわかって言っているわけです。単に自分の都合を一方的に押し付けているわけではないんですね。

子供の状況をわかっている、このオッサンの指導だからこそ、ダメダメ家庭の子供も真剣になることができたわけ。逆に言うと、このレヴェルの人間でないと、ダメダメ家庭の子供の再生は中々難しい・・・そうとも言えるわけです。
現在の社会では、ダメダメ家庭の子供の心情を理解もせずに、一方的な説教だけですよね?そんなことだから、様々な子供の事件が多発しちゃうわけ。

このオッサンは、子供たちに「体を使って、怖がらずに自分自身を表現してみろ!」「それをオレが受け止めてやるから!」
そんな力強いメッセージを発し続けています。
だからマトモ家庭の子供によるイヴェントとは違った面が多くある作品なんですね。単なるヤンチャな子供が段々に真剣になって大成功!という作品ではないわけ。

むしろ、表現が不得手だった子供が、会話を成立させていくドラマと言えるわけです。
子供が得た喜びは、公演の成功ということではなく、「自分自身を表現できた!」そんな喜びであるわけ。その子供たちの表現をオッサンたち大人が真摯に受け止め、会話が成立した。そのような会話の成立の喜び・・・この喜びを体験したからこそダメダメ家庭の子供の再生があるわけです。

ダメダメ家庭の子供の再生には、その子供の周囲に「会話」を作り出す必要があるわけ。単に一方的な説教だと、逆効果なんですね。


ちなみに、前にも書きましたが、この映画はサイモン・ラトル指揮するベルリン・フィルが演奏するストラヴィンスキーのバレエ「春の祭典」を、子供たちが踊るプロジェクトのドキュメンタリーです。

このメールマガジンは、使用されている音楽等を解説するのが目的ではありませんが、音楽面でちょっと解説してみましょう。販売されているプログラム冊子には解説されていませんし。

1. ベルリン・フィルはウィーン・フィルと並んで世界最高のオーケストラです。ベルリン・フィルのライヴァルであるウィーン・フィルは、メンバーを基本的にウィーン音楽院出身者に限定しています。つまり素材からして均質なんですね。だから音楽的に自然とまとまる。
それに対しベルリン・フィルは世界中からメンバーが集まってくる。メンバーもソリストとしても十分にやっていけるだけの実力がある演奏家。つまり「腕に覚えのある」一匹狼の集団なんですね。つまり、ここでのベルリン・フィルは「強い個性を持ったツワモノが、共通の目的のために団結する。」そのような集団の代表例として出てくるわけ。
「子供たちも自分たちの個性を捨てることなく、目標のために団結しなさいな!」そんな意味もあるわけです。

2. ストラヴィンスキー作曲の「春の祭典」は、1913年に初演されました。それまでの19世紀の音楽がメロディーや音色を重視した洗練されたものが主流だったのに対し、ストラヴィンスキーはリズムを重視したわけ。人間に備わる根源的で原初的な表現であるリズムをこの音楽では強く打ち出しています。そしてこの曲で描かれているのはロシアの春。春になって、凍てついた大地から、原初的な生命のエネルギーが吹き上げてくる・・・そんなイメージがあるわけ。

言うまでもなく、それは凍てついてしまったダメダメ家庭の子供の心から、すべての人間に備わる生命のエネルギーを噴出させよう!という意味も兼ねているわけです。
そして人間の誰もが持っているメッセージの手段であるリズムを使ってコミュニケートしようじゃないか!そんな意味があるわけです。

言葉はヘタでも「リズムが、あるじゃないか!」(原題を直訳すると「リズムがそれだ!」となりますが、まあ、こんな意味なんでしょう。)それで自分自身を表現しようよ!と言うわけなんでしょうね。

と、意外に緻密に計算されている映画なんですね。
まあ、NHKの教育放送のスタッフのレヴェルではとても作れない作品でしょう。

文部科学省がどんな意図があって、ご推薦としたのかは不明ですが、ここで指揮者のラトルさんが、「今の教育は説教くさい!上からの押し付けばかりだ!もっとお互いのコミュニケートを重視しよう!」そんなことを言っています。
さすが超一流の人はわかっているわけ。
ラトルさんも「自分の子供時代に理解者がいたからこそ、ここまで来れたんだ!」そんなことをおっしゃっています。

映画そのものは意外に緻密に計算されていますが、子供とコミュニケートしようという情熱は計算で生まれるものではないわけです。

この映画は、決して「教育的」な映画とは言えないわけ。まあ、ここで言う「教育的」って、大人からの一方的な説教という意味ですが。
「説教臭さ」と「教育的」って、本来は全く相反するものなんですね。

本来の教育って、子供の言葉を汲み取る努力が必要でしょ?そのような意味ではこの映画は「教育的」と言えるのかもしれません。
むしろ、子供と接する大人に対して「教育」する映画なのかもね。

ちなみに、この映画のオフィシャルサイトは
http://www.cetera.co.jp/library/bp.html
です。東京の渋谷でしかやっていないようですが、まあ、文部科学省ご推薦なので、役所に頼めば上映会などもしてくれるのでは?
そのうちヴィデオになるでしょうし。

(終了)
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発信後記

本文中でちょっと劇場で購入できるプログラム冊子について触れていますが、一般的に映画のプログラムは読んで参考になるところが滅多にありません。

この「ベルリン・フィルと子供たち」のプログラム冊子も、はっきり言ってダメダメ。
大体、映画解説者の多くは無教養で鈍感。文章に感嘆符を並べればいいと思っているのかな?まあ、音楽解説者も同じようなレヴェルですが。

作品を紹介するに当たって、まずもって作品の発し手の意図をちゃんと汲まないとダメでしょ?作品の発し手と受け手だって、作品を通じての会話することが必要なんですね。
一方的に作品を評価,断定して、何が楽しいの?

ただ、このプログラム冊子には映画の登場人物である指揮者のサイモン・ラトルさんと、振付師のオッサンのインタビューが載っています。
やっぱり超一流の芸術家の言うことは違う!
言葉の深みって、わかる人にはスグにわかってしまうもの。
同じように、身体で表現した表現の深みの違いも、見る人にはスグにわかるんでしょうね。
R.10/11/9