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カテゴリー ダメダメ家庭は立派な言葉が好き
配信日 05年2月18日 (10年1月7日,11年2月17日 記述を追加)
タイトル 子供によって愛というものを知ったわ!
ダメダメな人間は、やっぱりダメダメな連中と付き合うことになります。だって、マトモな人間は、普段からグチばかりのダメダメ人間と話をしていても、面白くはありませんからね。
やっぱりマトモ人間のグループと、ダメダメ人間のグループは分離することになる。

ダメダメ人間だけで話をしているので、マトモな感性がますます喪失することになる。
ダメダメなグループでの会話の成果を、マトモな感性を持っている人たちに得意気に報告したりすると、マトモな人たちから「オイオイ!ヤツらは気は確かかな?」と呆れられてしまう。

今回は、その手のダメダメグループでの結論を取り上げましょう。
それは「ワタシは子供を持って、初めて愛というものを知ったわ!」と言うもの。

ダメダメ家庭出身で、自身もダメダメ家庭を築いている方・・・特に女性にありがちのセリフです。

・・・ワタシの子供時代は、愛の無いダメダメ家庭での日々だった。こうして子供を持って子供の無垢な表情と接していると、生まれて初めて「これが愛情というものなんだわぁ〜」「子供を作ってヨカッタ!」「この笑顔によって、愛というものを教えてもらった気がするわ!」と実感が沸いてくる・・・
そんな気持ちを受けて、「ワタシは子供を持って、初めて愛というものを知ったわ!」と語ることになる。

一見マトモと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、そんな言葉をおっしゃる方は例外なくダメダメ家庭を築いている人です。
子供を持って愛情を強い愛情を感じた・・・そんな言葉なら、一般的な言葉でしょう。
しかし、ダメダメ家庭出身者は、子供によって「初めて」愛というものを「知る」わけです。だからこそ感激もひとしお。
だから、周囲に語ったりする。

このような「私は子供を持って、初めて愛というものを知ったわ!」という言葉を、マトモな感性がまだ残っている人が聞くと、どう思うのでしょうか?

「ちょっとアンタ・・・愛情というものは、親の側が子供に教えるものであって、子供が親に教えるものじゃないわよ!」
「すると、アンタは愛情を知らないまま、結婚し、子供を作ったの?」
「アンタは、子供が成長したらどうするの?」

まあ、こんなところですね。
しかし、以前にも配信しておりますが、ダメダメ家庭では、愛情に限らず、何事も、「親が子供に与える」というより「子供が親に与える」という発想になっている。だから、子供の側が親に愛情を教えるという事態を、疑問なく受け入れてしまう。
それにダメダメ家庭出身者は、自分自身の問題から目をそらしがち。愛情を知らぬまま結婚し、子供を作った自分自身への考慮がない。
それに、ダメダメ家庭の親は自分の子供しか相手になってくれない。だって、そもそも人との会話ができない人間なんですからね。だから子供が成長しても子供に付きまとうことになる。いや、むしろ子供がひとり立ちしないように、子供を育ててしまう。

まさに「ワタシは子供を持って初めて愛というものを知ったわ!」という言葉は、当人自身がダメダメな親であることを、存分に語っている言葉なんですね。
そんな言葉を発した後で、周囲から適切なアドヴァイスを受けられるのなら、まだ救いはあるでしょうが、現実的にはもう収拾不可能になっていることが通例です。ダメダメ人間は日頃からグチばかりなので、周囲の人間も同類の人間ばかりとなっている。つまり、周囲自体がダメダメ状態なんですね。
会話のできないダメダメな人間は、そのような良識がない人ばかりと話をするので、「ワタシも、そうよ!子供を持って初めて愛というものを知ったわ!」と盛り上がってしまう。

結局は、親に対して、愛を教える使命を果たすために、子供は精神的に疲れ果ててしまう。その結果なんて自明のことですよね?

しかし、この「私は子供を持って、初めて愛というものを知ったわ!」と思った時点で、自分自身を振り返り、改善に向かえば対処のしようがあるでしょう。
この言葉も、議論の結論ではなく、議論の出発点なら改善の見込みはあるといえます。

「子供によって、生まれて初めて愛というものを知った」、つまり「愛もなく」、「いい加減」な気持ちで、結婚した。そのことだけでも自覚しないとね。
そもそも、そんな人間と結婚するような人間も同類ですよ。そんな同類同士で家庭を維持してもうまくいくわけもないでしょ?
しかし、現実的には、「いい加減な気持ち」で結婚した自分自身を棚に上げて、被害者意識にしがみつくことになる。
夫へのグチに花を咲かせることになってしまう。
「子供によって愛を知った」という言葉と、「夫についてのグチ」は切っても切り離せない関係です。だからこそ、自分の唯一の希望である子供にすがりついてしまう。すがりつかれた子供は、その精神的なストレスを溜め込んでドッカーンとなってしまう。

子供は選択できませんが、当然のことながら、結婚相手は選択できます。結婚相手のレヴェルは自分自身の能力の反映といえるでしょ?
自分自身の至らなさを認めて、改善へ向かう人もいますが、現実においては、「生まれて初めて愛を教えてくれた」子供にしがみつく人の方が多い。
そして、そんな「子供から教えてもらった愛」を周囲の人に布教したりするもの。
そんな人に限って、「アナタも早く子供を作りなさいよ!」と説教くさいものでしょ?
皆さんも、そんな人を知っているでしょ?

自身の子供時代にそれなりに楽しかったのなら、つまり、自分の過去を肯定的に見ているマトモ家庭出身の人なら、そんなアドヴァイスも意味があるでしょう。しかし、何事も否定的に見ていて、特に自分の過去については否定どころか、思考停止になっているダメダメな人からのアドヴァイスは、むしろ現実逃避であり、そんなグチで共鳴するお仲間を作りたいだけなんですね。
そんなダメダメ集団ができてしまったら、子供ネタで盛り上がり、最初のうちは「子供ってかわいいわねぇ・・・」と言っていられますが、そもそも当事者意識がなく会話の能力がない親なんて、子供にしてみれば、頼りにならないどころか、ストレスの源にしかならない。だからストレスを抱えた子供が問題行動を起こしたりする。
しかし、子供の側が親に愛情を与えるべきものだと考えているダメダメな親は、子供の問題行動から被害者意識を募らせるだけ。

「アナタも早く子供を作りなさいよ!」「子供って、かわいいわよぁ・・・」ということを周囲に語っていた人の、その肝心な子供が、その言葉が飛び交っていた後になって自殺したり・・・そんな事例も現実にあるんですよ。
実際に、「親に愛を教えている」と親から認定されている子供って、所詮は、幼児の段階まででしょ?
そんな言葉を言う人の子供が、中学生だった例って、ほとんどないでしょ?
「子供を持って初めて愛を知った。」と語る人が、後になって「子供を一人前に育てて、自分も親として人間として成長できた!」そんな感じで述懐することなんてないでしょ?
そもそも自分の亭主の選択をミスって、そのことに何も反省もしない人間なんだから、その子供も、成長後は、その親とうまく行かなくなるものなんですね。
だって、逆に言うと、その子供にしてみれば、「かわいい子供」つまり「いい子ちゃん」でいなければならないわけでしょ?
これでは精神的に疲れてしまいますよ。自殺もしますよ。

改善に向かうためには自覚が必要です。
この「子供を持って生まれて初めて愛というものを知った。」という感情から、自分自身の自覚につながっていけばそれなりに意義がある。

「自分の実家はダメダメだ!」
「自分自身もダメダメな面を強く持っている。」
そうやって自覚しながら、少しずつ自分のできることをやっていくしかありませんよ。

自分の実家がダメダメだという自覚がないから、それこそ小学校を襲撃するわけでしょ?(注)
まずは、自分自身のダメダメな面を自覚することが必要なんですね。
ダメダメな美辞麗句で盛り上がってしまうと、自分のダメダメへの自覚に至らず、結局は何かを犯人認定して、自分を納得させるようになってしまう。

「子供によって生まれて初めて愛というものを知った。」というこの言葉は、実質的には、子供を犯人認定する心理と近い。
だって、子供から愛を知ることができなかったら、それは親としての被害となってしまうわけですからね。
それこそ「どうして、アナタは親であるワタシに愛を教えてくれないんだ!」と文句を言うようになってしまう。
「子供から愛を教えてもらえる」という周囲からの甘言に乗せられて、子供を作ってしまって、「計算どおりに」愛を子供から得られなかったら、「ああ!どうしてウチの子は、親に対して愛を教えようとしないんだ?!」、そして「ああ!子供から愛情を得られないワタシって、なんてかわいそうなんだ?!」と嘆き、ヘタをすれば「懐かないから殴る」というおなじみの行動にでたりする。そのような「報復」行為によって、自分が子供による被害者だと、自分に確認することになる。まさに、その親の、親がそうであったように・・・
結局は、自分自身の問題の解決を子供に依存しているだけなんですね。

別のところで書いていますが、ダメダメ家庭は何事も否定的に考える。
子供との関係も、「離れることができない」「他の人は相手になってくれない」という二重否定的な依存関係であり、英語でいうと「need」に近い。
愛は、相手をシンプルに肯定する感情であって、英語だとそのまま「愛」となる。
「子供によって愛というものを知った。」という言葉は、子供に対する愛情を語っているものではなく、親に対する子供の側の「機能」を語っているだけ。
だから、その「親に愛を与える」機能が不全の子供であると、親の側から報復を受けることになってしまう。
逆説的になりますが、「子供によって、愛というものを知った。」と語っている人は、まだ愛を知らないわけです。

だから、「子供によって愛を知った。」で盛り上がっていた人たちは、結局は、「ウチの子はどうしようもない子で・・・」と、グチで共鳴するようになってしまう。
そんな実例をご存じの方も多いのでは?

(終了)
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発信後記

大阪の事件・・・先日のですが・・・どうしても周囲としては、ありきたりな犯行動機にしたいようですが・・・
まあ、犯人の子供を言いくるめることなんて簡単ですからね。

しかし、そんな風に自分に都合のいいように事件を納得してしまっているから、こんな事件が全然減らないわけでしょ?

(注)大阪で学校を襲撃した事件がありましたが、そのことについてです。                                                         
R.11/2/17