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カテゴリー 会話のスタイル(聞き手側)
配信日 05年2月21日 (10年7月25日 に記述を追加)
タイトル 早合点
ダメダメ家庭の人間は、「恋に恋する」ような妄想癖があります。人と話をしていても相手の言葉をしっかり聞いていないことが多いんですね。
このことについては、先週に配信いたしました「上の空の会話」という文章でも書いています。

相手の話をしっかり聞いていないクセに、妄想でトリップしてしまっているので、相手の言っていることも全然わかっていないわけ。
わかっていないことも、それ自体を自覚していれば問題は小さいのですが、「自分がわかっていない。」ということ自体をわかっていないので、問題が大きくなってしまう。

相手の話をさっさと早合点したりするんですね。
これが相手の話をしっかり聞いて、「一を聞いて、十を知る。」といった頭脳明晰な人なら話は別。しかし、ダメダメ家庭の人は相手の話をしっかり聞いてはいないのだから、結局は、相手の話を誤解してしまうだけなんですね。

勝手に早合点して、後は相手の話を聞いていない。
これではますます、相手の言っていることをわからなくなるでしょ?
まさに会話の不全のスパイラル状態。

そうやって、勝手に早合点して、「ああ!そうそう私もそう思う!」くらいのコメントならいざ知らず、「ケシカラン!!オマエの考えは間違っている!!ここはこうだろうが!!」と勝手に立腹したりするわけ。

勝手に早合点していて立腹している人を前にすると、「オイオイ!ワタシはそんなことを言っていないのになあ・・・」と、思ってしまう。
そんなモノでしょ?
往々にして相手の話を聞かない人に限って、勝手に早合点して、勝手に怒り出したりするんですね。

まあ、このようなことはダメダメ家庭では日常茶飯事。
親がこんな状態だったら、子供も親に対して何も言う気にはなれないでしょ?
折角、子供の方が自分自身の考えや意向を親に説明しても、親の方は勝手に早合点して、勝手に怒り出したりするんだから。
だから子供は困りごとを親に相談しなくなるわけ。

そうなると、親の方は「ウチは上手く行っている家庭だ!」「何も問題がない!」と早合点。
こうなるとシャレにもならなくなってくる。
まあ、そんな家庭も「行くところまで行く」ことになってしまうわけ。

それだけではありません。こんなスグに早合点するような親の元で育った子供は、やっぱり早合点するような人間になってしまうわけ。
だって、会話の訓練なり、考える訓練をしていないんだから、結局は、親と同じような、早合点の人間になってしまいますよ。
当人なりにじっくり考えて、その自分の考えを、相手に対してわかりやすい形で、表現するという発想そのものがないわけ。

実は以前に面白いことがありました。
とある映画のシーンについて、私は「ちょっとヘンだね。」と書いたわけです。
そのシーンというのが、リストカットのシーン。映画において、失恋した青年がリストカットするわけですが、洗面器にお湯を満たして、手首をそのお湯の中に入れてリストカットしたわけです。
私はそのシーンを「ちょっとヘン」と指摘しました。どうしてわざわざお湯の中でリストカットするの?

しかし、リストカットに造詣の深い?知人によると、「空気中でリストカットすると、傷口が乾燥してしまって傷口が閉じてしまい死ねない。だからお湯の中でリストカットするんですよ!」とのご教授でした。なっるほどねぇ・・・

そのようなことを踏まえつつ、「その映画のシーンで青年がお湯の中でリストカットするのは、その青年がかなり以前から精神的に悩みを抱えていたことを示している。だって事前にリストカットについて色々と調べていたわけだから。失恋による衝動的なリストカットではない。この映画監督は青年の悩み多きキャラクターを示したいわけ。」と私は思ったのですが、とある女性より抗議を受けたわけです。

「お湯の中でリストカットするのは、『普通』のリストカットだ!『普通』に本を読み、『普通』に映画を見ているような人間なら、それくらいわかるだろう!ケシカラン!」そんな感じでした。
どうやら、その立腹なさった人は、この私が本などは滅多に読まず、映画も滅多に見ない人間だと思ったようです。
と言っても、その映画作品は、実にレアーな作品なんだから、ちょっとでも考えれば、そんな発想にはならいないでしょうに・・・

まあ、私個人をどう判断しようと、それでいいのですが、私の文章の前後の脈略をちゃんと読めば、ヘンなシーンということで監督を茶化しているわけではなく、監督の表現の意図を細かく読み解こうとしていたことくらいスグにわかるはずなんですね。

しかし、その女性はダメダメ家庭出身者らしく、勝手に早合点してしまうわけ。おまけに連発する「普通」という言葉。

私からは「私の文章をよく読んでくださいな。それに普通という言葉はよくありませんよ。」と指摘しておきました。まあ、穏やかな調子の文章です。
まあ、「ふつうのリストカット」と言われても、色々な意味で、ちょっと困っちゃうよなぁ・・・

しかし、私がその気になったら「あなたが子供時代に、親が早合点する人だったでしょ?アナタ自身が『ワタシはそんなこと言っているわけではないのに・・・』と何回も思ったでしょ?親はアナタに対して『普通』という言葉をいつも使ったでしょ?今のアナタのスタイルは、アナタの母親の物言いそのものでしょ?アナタはまさに母親の子ですよ!!アハハ・・・」と回答してもよかったわけ。
しかし、そのような的確無比の回答だと、その女性はまさに洗面器にお湯を入れ始めることになっちゃうでしょうし・・・まあ、この私にも、慈悲の心は、少しくらいは、ありますヨ。

このように早合点するような環境で育ってしまうと、子供も同じような人間になってしまうわけです。

そもそもダメダメ家庭は抑圧的であり、その中にいる子供としては、自分の希望を抑圧するようになってしまう。
だから、やり取りをしても、相手に伝えたいこと、それ自体を持っていない。
当人がそんな調子なんだから、やり取りの相手についても、そんなものと思ってしまっている。
相手の意向を真摯に聞き取る発想自体がないわけ。

抑圧的なダメダメ人間は、まさに「ふつう」を掲げ、その場その場において、「人に合わせている」だけになってしまう。
だから、じっくりと自分で考えることをしないし、じっくりと自分の考えをまとめた上で、相手に対して伝えるという発想自体もない。
まさに「そう!そう!ワタシもそう思ったわ!」と相槌を打って、雰囲気を乱さないことに留意することになる。

対面でのやり取りだけでなく、文章などを読み際にも、目だったところに食いついて、それを感想という形で、さっさと文章化してしまったりする。
つまり、文章を読む際にも、早合点スタイルなんですね。
もちろん、文章の読解力は人それぞれでしょう。
しかし、ダメダメ人間に発生する早合点は、読解力という、どちらかと言うと知的な問題というよりも、熟慮するのが怖いという心理的な問題のファクターが大きいわけ。

実は、やっぱり面白い事例がありました。
このサイトは03年9月から10年4月まで配信していたメールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」のバックナンバーを収録したものであることは、サイトのトップページにも表記してあります。
つまり、この追加文章を書いている10年7月の時点では、メールマガジンとしての配信は終了しております。

しかし、その10年7月にいただいたお便りの中で「メールマガジンの発行をがんばってください。」とかの励ましの言葉があって、励まされた?私も戸惑ってしましました。

このサイトに収録してある文章は1000本を超えるわけですから、全部の文章はなかなか読みきれないでしょう。10年7月時点でも、メールマガジンとして配信していると「誤解」する可能性もあるでしょう。
そんな誤解は、読解力の問題と言えるでしょう。
読解力がないことは、誉められたことではないとは言え、まあ、しょうがない。
それに少しずつでも、向上させていけばいいだけ。

しかし、単なる読解力の問題ではなく、心理の問題だったら厄介になるわけです。
もし「メールマガジンの発行をがんばってください。」と本気で思っていたのなら、まあ、メールマガジンの購読の手続きをしようとするのでは?
そして、手続きのページを探すのでは?
そして、その手続きページが見つからなかったら、「どこで、メールマガジンの購読手続きをすればいいのですか?」というお問い合わせも、あってもいいのでは?

こちらとしては、「メールマガジンの発行をがんばってください。」という言葉と「購読の手続きへの関心のなさ」が重ね合わさっているので、戸惑ってしまうことになる。
まあ、そんな励ましのお便りをされた方は、早合点傾向が強い人なんでしょうね。
というか、まあ、そのお便りの内容も、まさに早合点の典型でしたが。

早合点であって、一時的に「共感」することはあっても、自分で認識し、考えたわけではないので、合意することはない。
だから、後になって「この人に期待していたのに、裏切られたわ!」と騒ぎ出すことになる。

しかし、そんな人は、「何を期待していたのか?」については何も語れない。
まさにその場その場で共感していただけ。
本人の身になった形での希望なり期待ではないわけ。

抑圧的な人間は、何事も断片化されてしまうことになる。
かつての自分の体験も断片化され、感情が断片化される。
そして、自分の希望なり、感情なり、体験なりを自分の中でじっくり寝かせて、何かを成し遂げる・・・そのようなこともしない。

そんな人なんだから、言葉でのやり取りも断片化されてしまうことは自明の理でしょ?
断片化された言葉のやり取りは、まさに早合点ということ。
そんな姿勢は、言葉でのやり取り以外でも、顕著に見られたりするものなんですね。
本人のせいではないとは言え、少しずつでも自覚して、直していくしかないわけ。
しかし、人からの指摘すら早合点してしまう。
会話の不全の問題は、改善への道筋自体が難しいという問題があるわけです。

(終了)
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発信後記

「バカは風邪を引かない。」との古来よりの格言がありますが、私は少々風邪気味です。
皆様はくれぐれも、お身体ご自愛くださいね。
R.10/7/25