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カテゴリー ダメダメ人間の自己逃避
配信日 05年2月25日 (10年10月14日 記述を追加)
タイトル 快癒の妄想
居酒屋さんで飲んでいる人の言葉で、一番の要注意の言葉ってなんでしょうか?
「オレは酔ってないよ!酔っていませんヨォ〜!ウイッ!」
そんな言葉でしょ?

「ボクは今日は飲みすぎたかな?」なんて言っている人はまだマシ。自分自身で自覚があるわけですからね。
しかし、限度を超えてしまうと、もう酔っているという自覚すらなくなってくるわけ。
こうなると一番危険ですよね?それこそ「オレは酔っていない。」わけだから車を運転する可能性だって高いわけ。「ちょっと飲みすぎたかな?」と思っている人は車の運転はしませんよ。限度を超えてしまうと、自分で自分がわからなくなるわけです。

どんなに悪い状況でも、自覚があるうちは最悪の結果にはならないわけです。
ダメダメ家庭の問題も同じ。
自分の実家がダメダメ家庭であると自覚していれば、結婚するにも、子供を作るにも、より慎重に考えることになりますよね?ところが自覚がないと、自分が体験した「ふつう」のやり方を何も考えずに踏襲して、実家と同じようなダメダメ家庭を作るわけです。

これは自覚がない場合の問題。

しかし、自分の実家がダメダメ家庭であると自覚していても、それが効力を失う場合もあります。
自分が快癒したと思ってしまう状態です。

「自分を苦しめていたダメダメ家庭出身者の問題点をすべて克服して、自分はマトモ人間になったんだ!」と、突然に目覚めることが起こったりするもの。
まるでマラソンランナーのランナーズハイのような状態。酸素が欠乏して脳の働きがおかしくなってしまって、逆にラクな気分になってしまうものです。苦しい苦しいと思っていたら突然に、バラ色の世界が目の前に開けてきた!
「私はすべて克服したわ!これからは真人間よ!」
まあ、本当に克服したのならすばらしいこと。何も揶揄する必要なんてありませんヨ。

しかし、ダメダメ家庭で育った過去の日々が簡単に克服できるわけもなく・・・巷でも「三つ子の魂、百まで。」って、言うじゃないですか?
おまけにダメダメ家庭出身者ならではの会話の不全は残ったまま。
会話の不全が残っているので、人の話は聞かないし、「恋に恋する」ような妄想は相変わらずなんですね。だから、現実の世界とは相変わらずコミュニケートできない状態。まさに従来からのお得意の妄想の一つとして、「ワタシは快癒した!」と妄想しているだけ。

そんな人に対して周囲の人がアドヴァイスしても、「私は快癒したのよ!」と繰り返すばかりで、ヘタをすると逆上する始末。スグに逆上するような状態なら、快癒どころではありませんよね?
しかし、「快癒した!」と本人は思っているので、「自分は『ふつう』になった!」と自信満々。ますます人の話は聞かなくなるわけ。

そんな人は、自分自身から目を背けているというよりも、いわば自分を騙している状態。そんな自分を騙している状態が顕在化するのが怖い。だから、ますます人の話を聞かなくなるし、厳しい指摘には逆上するようになってしまう。
逆上しているその人の姿を見た周囲は、もはやそのような人には近寄らなくなってきて・・・周囲からの指摘もますますなくなってきて、本人は「自分の快癒」を疑うすべもなくなってくるわけです。

本人はそれでいいでしょう。確かに精神的にラクにはなるでしょう。しかし、ますます「人の話を聞かなくなってしまった。」その人の子供はどうなるの?酔っ払い本人より、酔っ払いを介抱する周囲の側の方がシンドイものでしょ?それに何回も書いていますが、上手く行っている家庭は「問題が何かを自覚していて」「その問題に確実に対処している家庭」であって、「問題がない・・・ように見える家庭」ではないんですね。

「オレは酔ってないぞぉ〜」と叫んでいる酔っ払いと話をしていても、楽しいことなんてありませんよね?ちょっと反論すると、
「何だとぉ!コラ!」「オレが酔っているとでも言うのか!」
そんな調子になってしまいます。

オマケに本人は「自分は快癒した!」と疑いもない状態なので、何か上手くいかないことがあると、
「ワタシはちゃんと快癒してマトモになったのに、上手くことが運ばないのは、全部○○のせいだ!」
と、まさにダメダメ家庭お得意の被害者意識に浸ってしまうことになる。

そして、「自分の快癒の喜び」を熱く、かつてのお仲間たちに語ることになる。一種の説教オヤジ化するわけです。
しかし、本当に快癒したわけではないので、「ワタシは快癒した!ワタシは快癒した!」とカルト宗教のように繰り返すばかり。「快癒したおかげで、新たにどんな体験があったのか?」そんな肝心な点については具体的に何も言えないわけです。

本当に快癒したのなら、ダメダメ家庭出身の人間にそんなことを語るよりも、マトモ家庭出身の人間と楽しく世間話でもすればいいじゃないの?あるいは、かつてのお仲間であったダメダメ家庭出身の人間相手に語るにしても、新たに得られたマトモ家庭出身の人間との楽しい語らいの体験でも語ればいいじゃないの?

しかし、「ワタシは快癒した!」と妄想しているだけなので、マトモ家庭出身の人とは会話することができないわけ。また、説教オヤジ化した状態なので、ダメダメ家庭出身者からも敬遠されてしまう。
居酒屋さんで一番イヤがられるタイプって、こんな感じでしょ?
「オイ!ちょっとここに座れ!オマエなぁ、人生と言うものはなぁ〜」

人生とは居酒屋さんの中で語るものと言うよりも、居酒屋さんの外の世界で、体験するものでしょ?酔っ払いに語られたくはありませんよね?

「オレは酔ってないぞ!」
飲み屋さんでのそのセリフは、危険サインでしょ?
ダメダメ家庭出身者の妄想も、「行くところまで行ってしまう」と、その境地に到達してしまうわけです。

その手の酔っ払いが「自分は酔っていない」ということについての主張は異常に熱心なように、快癒の妄想に取りつかれたダメダメ人間は、「自分が変わったんだ!」という主張は異常に熱心になっている。
「こうすることで自分は変わったわ!」とかの来歴説明に熱心になり、周囲の人間に、説教したり、評価者然でコメントしたりする。

説教とか上から目線でのコメントは一生懸命だけど、じゃあ、「現時点でのアナタなりの成果はどんなものなの?」と聞かれると、何も提示できない。
結局は、「ワタシは本当は変わったんだけど、あの○○のせいで、そのように見えないだけだ・・・」と言い訳をするだけ。
いわば、自分が何もしないで済ませる・・・そんな言い訳の一つとして「ワタシはもう変わってしまっているのよ!」と言っているようなもの。
その言い訳が通用しなくなると、「アンタのせいで!アンタのせいで!」と逆上するだけ。
まあ、ホントに、ご立派になって!!見事に変わりましたよね!

会話の能力の低いダメダメ家庭の人間が、妄想によって、ますます「人の話を聞かなくなる。」
こうなると、もう自覚を期待することも無理になってしまうわけ。
現実に存在する実例です。確かにその家庭に肉体的な暴力が存在しているわけではありません。しかし、こうなってしまうと、残念ながら一種の強制力での対応が必要になってくるわけです。

だって、「人の話を聞かない」人間に言葉で説得することなんて論理的に無理でしょ?

「オレは酔っていない!」と叫ぶ人は、現実的には、すっかり出来上がっているもの。
同じように、「ワタシは変わった!」と叫ぶ人も、実は何も変わっていないわけ。
本当に改善されたのなら、「変わった」とかのドラマティックな言葉ではなく、「自分なりに努力して、自分はこのようなことができるようになった。」と具体的に語ることができるようになりますよ。それが「変わった」ということなんですからね。

具体的な成果を客観的に語ることが「変わる」ということであって、「ワタシは変わった!」と連呼することは、その問答無用の精神において、従来のダメダメが変わらない・・・というよりも悪化したと見た方が現実的なんですね。

(終了)
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発信後記

まあ、ダメダメ家庭出身者は「狼に育てられた子供」の成れの果てと言えるわけ。そう簡単に「人間に育てられた子供」と同じには行きませんよね?
以前取り上げた、実際にダメダメ家庭出身者であるフランソワ・トリュフォー監督は70年の作品「野生の少年」で、森の中で動物に育てられた子供の実話を映画にしています。

ダメダメ家庭出身者という、ある種の病気は、本人の責ではないとは言え、一生続くわけ。
風邪のように、治るというものではないわけです。
もっとも、私は風邪すらも、まだ治りませんが・・・トホホ。
R.10/10/14