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カテゴリー 相談という場におけるダメダメ家庭
配信日 05年3月14日
タイトル 人生相談の友
人生相談って、テレビではいつの時代でもやっていますよね?
あとインターネットなどでも、そんなサイトがあったりします。
私はさすがにテレビの相談番組などは見ませんが、インターネットでのそんなサイトは読む時もあります。

そのような相談の文章を読んでいると、困った状態に陥ってしまって、誰かに相談を持ちかけている人、つまり質問する側に同情することはめったにありません。むしろ、その相談を持ちかけている側に必ず問題があったりするわけです。その問題点に私の関心が向かうわけ。
相談されている方は「ああ!こんな風になってしまって・・・困った・・・困った。」と嘆いている。
確かにその人も本当に困っていらっしゃるのでしょうね。しかし、その人が本来やる必要があることやっていれば、こんな事態にならないような事例が多くあったりするわけ。
前兆を見逃したり、小さなトラブルを放置するから、大きなトラブルになってしまうもの。
逆に言うと、前兆を見逃したり、小さなトラブルを放置するような人だからこそ、そのような公開上での相談になっているといえるのでは?

また、興味深いのは回答者のキャラクターによって、相談への回答の方向性に差があることです。

例えばこんなポピュラーな相談について考えてみましょう。
「娘の結婚した相手が、何度も何度も浮気をしてしまい、結局は離婚することになった。相手は慰謝料も払おうとしない。困った。困った。」
回答者が弁護士のような人だったら、「何て、お気の毒な!慰謝料を回収するための法的な方法にはこのような・・・」などと回答したりしています。

私のような人間だったら全然違う回答になるでしょうね。
「あなたが自分の不幸を語りたがる人間なので、あなたの娘さんもわざわざロクでなしの人間と結婚し、不幸な状況を作り出している。そうやって作り出した不幸を親子そろって語っている状態だ。今回のような困難な状況こそ、そのことに気がつくチャンスだよ。」
こんな感じで回答するでしょう。私のような回答に近いのは作家さんですね。私は別に作家でも何もありませんが。

実際に、そんな不誠実な相手に対し法的手段を用いて、何らかの補償を得たとしても、「不幸を作り出す土壌」は温存されたままでしょ?
また後で似たような状況に陥ってしまうんですね。

ダメダメ家庭を作り出す心理を考えた文章として、「不幸への憧れ」というお題の文章を配信したことがあります。「自分自身の不幸を語る」ことに無上の喜びを感じる人間がいるわけです。そのような人は、自分の不幸を語るために、自分自身の境遇を不幸なものにわざわざ持っていくわけ。
そして、達成した不幸な境遇を、「満を持して」語ることになる。
まさに、人生相談の機会が狙われるわけですよ。

よく「人の不幸は蜜の味」などと物言いがあったりします。
まあ、他人の不幸を喜んでいるのは趣味が悪い。しかし、所詮は趣味の範疇ですよ。
もっと問題なのは「自分の不幸は蜜の味」だったり、「自分の子供の不幸は蜜の味」だったりする人間がいることです。これは趣味の悪さどころではないわけ。

「悩みというものは、口に出した時点でもう半分は解決しているもの。」なんて言い方もあります。自分自身で自覚して、勇気を出して人に相談できれば、解決に近づいているわけ。それに、人に話すために、自分なりに状況を整理したりするでしょ?
そんな作業が事態の改善につながって行くんですね。
しかし、逆のケースもあったりするわけです。
「口に出すことが目的で、悩みを作り出している」ケースです。

そんな人生相談の場を見ていると、「相談を持ちかけているこの人が、あの時点でちゃんと対応していれば、そもそもこんなことにはならなかったのに・・・」と必ず思ったりします。ただ、ダメダメ家庭の人間は当事者意識がなく、被害者意識だけ。
そして、その自分の被害や、「かわいそうなワタシ」ということを語りたがるものなんですね。

ちなみに、この私にご相談をお寄せいただく方もいらっしゃいます。
私の回答は、基本的に、遠慮会釈がないもの。勿論のこと、文言には気をつけますが。
私の見解を採用するかしないかは、相談をお寄せいただいた方のご判断で結構です。
私は私に見えたことを語るだけ。まあ、巫女の状態と言えましょうか?

相談された方自身の問題を指摘したりすると、「そうだったのかぁ・・・」と納得される方もいらっしゃいますし、やっぱり逆上される方も多くいます。完璧な人間はいないわけですので、欠点を指摘されても・・・勿論、いい気分になるわけがありませんが・・・聞くことはできるはずですよね?

しかし、「不幸を語りたい」ダメダメ人間にしてみれば、単に自分の欠点を指摘されたという次元ではないわけです。「不幸を作り出して語る」という自分自身の「本質」を否定された気分になるんでしょうね。

娘の結婚相手の人格を更正させることをウダウダ考えるよりも、そんなダメダメな男性とわざわざ結婚してしまった自分の子供の資質の問題を考え直したり、そんな娘に育てた自分自身を考え直したりする方が、改善の可能性が高いでしょ?

そんな当事者意識があるか、ないかによって、改善するかしないかが違ってくるわけ。相談の場での回答の内容なんて、所詮は二の次なんです。要は本人の問題というわけなんですね。

ちなみに、ダメダメ家庭における相談の問題については、次回も取り上げます。
実質上は、今回の続編と思っていただいて結構です。

(終了)
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発信後記

昨日千葉県の知事選挙が行われました。
どやら現職の堂本さんが当選となったようです。
別によその県の知事が誰であろうと関係はありませんが。

しかし、今回の知事選挙で面白く思ったことがあります。
立候補者のキャラクターです。
正論ばかりの優等生型の女性と、体育会系の芸能人、それにプラスして一応は共産党の方、という組み合わせ。
確か大阪の知事選挙も同じ構図ではありませんでしたか?

関東を代表するダメダメな地域である千葉県と、日本有数のダメダメな地域である大阪は、やっぱり多くの共通点があるんでしょうね。

しかし、これって、小学校のクラス委員の選挙のレヴェルですよ。
教師受けはいいけど、正論ばかりで説教くさい優等生の女の子と、元気だけがとりえで、頭が空っぽの男の子と、いじめられっ子代表。

いじめられっ子は、ひたすら「ひがむ」ばかり。
優等生の女の子は、教科書的な解決案しか取ろうとしないし、本当の問題は何も知りもしない。
元気だけがとりえの男の子は、力による解決だけしか思いつかない。

小学校のクラス委員なら、それでもいいのかもしれませんが、県知事としてはねぇ・・・

大阪の知事をされている女性も、千葉県の知事をされている堂本さんも、大阪や千葉県の問題を真剣に考えて危機感を持ってはいませんよね?これでは悪くなる一方ですよ。
もちろん体育会的な、力による解決だけでは、改善は不可能でしょう。

女性でもイギリスの首相をされたサッチャーさんは、イギリスの問題を認識し、改革の必要性を国民に事あるごとに説得していったわけです。やっぱり改善するためには、まず現状を認識して危機感を持って、市民に語りかけ、市民の声を聞くという会話が必要なんですね。

まあ、知事選挙で上記の3人のキャラクターの中から誰を選ぶのか?と言われても答えに窮してしまいますが・・・不毛の選択ですねぇ・・・
R.10/11/18