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カテゴリー ダメダメ家庭出身者の行動
配信日 05年3月25日 (10年10月6日 記述を追加)
タイトル 自己否定型結婚
アメリカの映画監督であり、俳優でもあるウディ・アレンの77年の監督作品に「アニー・ホール」という映画があります。主演はアレン自身と、当時の彼の恋人であるダイアン・キートン。

神経症的で、一筋縄ではいかないニューヨークという街にオマージュを捧げることで、神経症的で一筋縄ではいかない人間であるアレン自身を表現している映画です。
まあ、ホント、一筋縄ではいきませんね。
しかし、オスカーも受賞しているし、あのチャーリー・チャップリンが激賞した作品です。

さて、その「アニー・ホール」の冒頭にグーチョ・マルクスのジョークが主演のアレン自身によって語られます。グーチョ・マルクスはあの共産主義のカール・マルクスではありませんよ。大昔のコメディアンのマルクス兄弟の片割れでしょう。
さて、そのマルクスさんのジョークというのが、
「ボクをメンバーにするようなクラブには入会したくない。」
というもの。
「オレのような、こんなダメダメ人間なんかの入会を認めるような、人を見る目のないクラブなど入ってやるもんか!」
そういうわけですね。

随分自己否定的な発想といえるでしょう。
ダメダメ家庭出身者は往々にして、このような自己否定的な発想をしがちです。子供時代に親から大切に扱われていたわけではなく、「オマエなんか、何をやってもダメだ!」と親から教育されて来ているので、子供の頃から「自分なんか、どうせダメダメだ!」という発想になってしまっているんですね。
自分で自分の価値を認めていないわけ。だから自分自身を大切にするわけもない。

まあ、社交クラブへの入会のような問題なら笑って済む話。
問題は、これが結婚のような事態になった時です。

前記のグーチョ・マルクスのジョークを結婚に当てはめればこうなります。
「ワタシと結婚したがるような人間とは結婚したくない!」
より詳細に書くと、「ワタシのような会話もできないようなダメダメ人間と結婚したがるような見る目のない人間と結婚しても、将来はどうせ上手く行くわけがない。」

そんな言葉になるでしょ?
随分自己否定的と思われるでしょう?
しかし、実際にそのとおりでしょ?ダメダメ家庭出身の人間と「考えもなしに」結婚するような人間と結婚しても、夫婦の間で会話が成立するわけもなく、ドメスティック・ヴァイオレンスなどの修羅場になってしまいますよ。まあ、マトモな人なら、そんなダメダメ家庭出身の人とは結婚しませんよ。
だから、「ダメダメ家庭出身であるこのワタシと結婚してもいい。」と思ったりするような人とは気軽に結婚してはいけないわけ。

そんなこと、わかりきったことでしょ?
と言っても、人間はバカをやる動物で・・・・

実際に、上記の「ボクをメンバーにするようなクラブには入会したくない。」と、映画の中で堂々としゃべっていたウディ・アレンは、後になって、実生活でミア・ファローなんかと結婚して、とんでもない修羅場をやっていました。
「ボクと結婚したがるような人間とは結婚したくない!」
と言うことを、一番わかっている頭のいい人間であるウディ・アレンですら、このザマ。
これでは、一般レヴェルの頭脳のダメダメ家庭出身者が、自分と同じようなダメダメ人間と結婚して、修羅場に陥るのも、いたし方がない面もあるわけです。

それに加えて、ダメダメ家庭出身者は、前回配信の文章のようなスジの悪い結婚をしたりする例が多い。自分の意思を持たず「人に合わせすぎる」人間と、自分の意向を伝えるのがヘタな高圧的な人間は、往々にしてくっつきやすかったりするわけ。まあ、凸凹コンビと言うか、サド・マゾカップルのようなもの。一時的には良好な関係になっても、会話の能力がないし、そもそも当事者意識がないもの同士なので、結局はトラブルになってしまう。
そうなると、サド側の方がマゾ側を痛めつけて、まさにドメスティック・ヴァイオレンスのような事態になってしまう。

「ワタシと結婚したがるような人間とは結婚したくない!」と、自分自身の自己否定的な発想をちゃんと自覚している状態なら、傷も小さくて済むわけですが、自己否定の発想で結婚に突入してしまうパターンも現実として多いものなんですね。

「えっ?ワタシと結婚したいの?こんなワタシでよかったら、いつでもアンタに上げるワ!」
そんな自己否定型の結婚受け入れになるわけです。
「こんなダメダメなワタシなんて、いまさら何かの役に立てるわけがないし・・・こんなワタシをご希望なら、進呈するわよ!」
そうして、プロポーズには「こんなワタシでいいの?」と相手に疑問を投げかける形でOKを出すわけ。

「こんなワタシでいいの?」と、言いながら相手のプロポーズを受け入れるのは、マトモ家庭出身者でもあったりします。と言っても精神状況が違っているわけ。

マトモ家庭出身者は「こんなワタシでいいの?」と言いながら、内心では「シメシメ・・・コヤツもとうとう言いよったワイ!これでコヤツはワタシのモンじゃ!」と悪代官のようにほくそえんでいる。まあ、顔の表情ではしおらしい表情をしていますが、心の中では悪代官のように考えているわけ。
それに対し、ダメダメ家庭出身者の「こんなワタシでいいの?」という言葉は、全くの掛け値なしなんですね。本心からそう思っているわけ。まるで純情可憐な村娘のような感じ。

だったら、「純情可憐な村娘のほうがいいじゃないの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、自分の結婚という自分自身のビックイヴェントを、そんな自己否定的な精神で「こんなワタシなんか、さっさとあげるわ!」と、「くれてやる」ようではダメなんですね。
そんな態度は当事者意識ゼロでしょ?当然のこととして、結婚後は修羅場になってしまうわけ。
そうなると、「くれてやった」側としては、「あの人は、このワタシでいいといったのに、後になって文句ばかり言って・・・」と、被害者意識に陥ることになる。

結婚相手の選択を当事者意識を持って行ったわけではないので、自分自身の側は純然たる被害者だと思っているわけです。
だって、判断したのは相手側なんだから、判断間違いがあったとしたら、やっぱり相手側となるでしょ?
当人としては、何も判断せずに、「くれてやった」だけなんですからね。
いわば「もらった」側というか、「もらう」とう判断をした側が悪いと認識してしまうわけ。
だから、まさに「ワタシは悪くないっ!」と言い出し、被害者意識に浸ることになる。
逆に言うと、後になって「悪くはない」と言えるように、事前には何も判断しない。
しかし、何も判断しないからこそ、現実にトラブルになってしまうのは、小学生でもわかること。
せめて結婚相手の選択ぐらいは、悪代官のように当事者意識を持たないと、結婚後も、うまくいくわけがありませんよ。

結婚してトラブルになって、結局は離婚するという事態になっても、自己否定的な結婚をした人は、「あの人がワタシでいいっていうから、結婚してあげたのに、うまくいかなくなったのは、全部あっち側のせいだ!」という主張をし、「だから、アッチの側が全部悪いんだ!」と主張することになる。

マトモな環境だったら、「そもそもそんないい加減な考えで結婚するからこんなことになる。」とされてしまうものですが、当事者意識が欠如したダメダメな環境だと、ボランティアのような同情するしか能がないダメダメが寄ってきて、「まあ、なんてお気の毒な?!」と同情の声をかけ、その同情を得ることに満足して、それが成功体験になってしまう。
だからこそ、また同じ事態を繰り返す。

そんなダメダメに安住してしまっているので、「アンタ自身にも問題があったのでは?」「最初の段階でもっとしっかりと考える必要があったのでは?」という指摘があると、「なんてヒドイことを言うの?!」「それは偏見だ!」「ワタシはこんなにかわいそうなのに?!」と逆上する始末。そんな逆上を見せられて、マトモな人はますますそんな人から離れて行ってしまって、そんな環境はますますダメダメになってしまう。
だから、ますますマトモな感覚から遊離してしまうし、周囲の人たちも、どんどんとダメダメ人間ばかりになってしまう。

自己否定的な発想で、結婚に突入し、結婚はうまくいかず・・・そんな人が唯一できることは、子供を作ることくらい。
まさに、「自分には子供を育てる資格や覚悟があるのか?」、「子供はいつほしいのか?」そんな判断から逃避して、避妊もせずに、「な〜んとなく」で妊娠し、中絶もせずに、「な〜んとなく」で出産することになる。
しかし、自己否定的で、自分自身を大切にしない親に育てられた子供が、ちゃんと育つわけがないでしょ?

その手の判断逃避の人間は、子供を作ることによって、「老後はどうする?」などの、当人の将来について考えることを子供に丸投げすることになる。
まさに、「そのためにオマエを作ったんだ!」と子供に対して言い渡す。
しかし、子供の頃から親の老後のことばかり考えている子供がどうなってしまうのかについても、小学生でもわかること。

自己否定的な発想をする親としては、当然のこととして、子供を否定的に見ている。
否定的に見ていると言っても、子供に対し「オマエなんて死んでしまえ!」と直接的に言い渡すと犯罪になってしまう。ダメダメ家庭だったら、こんな物言いになるわけ。
「ふつうの子供になれ!」
まさに、その子供本人の意向を捨てさせ、周囲の子供に合わせるように要求するわけです。
結局は、そんな要求を受けた子供の側としては、まさに「自分の感情を殺しながら」生きていくしかないでしょ?
だからこそ、その子供も親と同じようなトラブルになってしまう。

「ボクをメンバーにするようなクラブには入会したくない。」
大人だったらそう言うこともできます。
「ワタシと結婚したがるような人間とは結婚したくない!」
大人だったら、そのような判断も、本来は可能です。
しかし、「子供を育てる能力のない親の子供にはなりたくない!」という子供にとっての当然の願いは対処のしようがないわけ。

ダメダメ家庭出身で自己否定型の人間は、周囲とのコミュニケーションが取れないので、結局は、自分の子供しか相手になってくれない。子供としては親から自己否定の精神を叩き込まれるわけです。
こうなると結果は言うまでもないことですよね?

「ワタシのような人間が、自分の親には、なってほしくはない。」
そう思っている人も多いんじゃないの?

(終了)
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発信後記

冒頭で紹介したアメリカのウディ・アレンは毎年1作のペースで映画を制作しています。多作家と言えるでしょうね。
ダメダメ家庭のアーティストには、このような多作家の芸術家が結構いたりします。
それだけ自分自身を表現したい!という切迫感があるわけでしょうね。

このメールマガジンの最終回で取り上げる予定の作品も、実際にダメダメ家庭出身で多作家の芸術家の作品です。
最終回といっても、文章のストックもまだまだありますので、まだ先になりそうです。
私もたくさん文章を書いてしまったなぁ・・・
R.10/10/6