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カテゴリー ダメダメ家庭が持っていない発想
配信日 05年4月8日 (10年11月24日 記述を追加)
タイトル 感謝の心がない
ダメダメ家庭は当事者意識がなく、被害者意識だけがある。
このことはこのメールマガジンで何回も書いています。

当事者意識がないということは、「このことは本来は自分でやらなければならないことだ。」なんて思っていないことですね。
むしろ「自分自身は傍観者でいいのだ。」と考える。
いや、それどころか、「自分は被害者なのだから、サポートされるのが当然なのだ!」
そのように発想が行くわけです。

だから、どうしても感謝の心がないわけ。
「本来は自分でやらなければならないことなのに、自分の代わりに、この人がやってくれてありがたい!」
まあ、感謝の心って、こんなものでしょ?
だから「本来は自分でやるもの」という意識がない場合には、感謝の心は発生しないものなんですね。

以前にインドネシアから東チモールという地域が独立いたしました。長い独立闘争があったそう。インドネシアから独立した東チモールの人が言うには、
「外国の方よ!さあ!これから思いっきり我々に援助してくれ!」
その言葉には、堅物のNHKの人も呆れていましたっけ。
しかし、東チモールもやっぱりイスラムなので、当事者意識がなく被害者意識だけがあることを理解すれば、そんな素っ頓狂な言葉も理解できますよね?

あるいは、韓国だってそうでしょ?
日本からの援助を決して感謝しないでしょ?
確かに過去に色々とあったでしょう。しかし、本来は自分の国を自分自身で守れなかった当事者意識の欠落こそが問題でしょ?占領されるのも能力不足なんですね。

せめて「今後は占領されないようにしよう!自分たちの身は自分たちで守れるようにしよう!」とか自分自身で反省すればいいのでしょうが、結局は当事者意識がなく、被害者意識だけがあるので、「援助はもらって当然。」と思ってしまうわけ。
本当はそんなものもらいの精神に安住させていては、相手のためにはならないことは自明なんですが。

あるいは、日本でもやっぱりヘンな地方もありますよね?
「ウチらはこんなに厳しい生活をしているんだから、国から沢山もらって当然だ!」と言っていたりする。
そんなにその地方が不快なら、その地域から出て行くなり、日本から独立すればいいじゃないの?

しかし、「オレたちはかわいそうな被害者だ!」と、まるで韓国人やイスラム教徒のように自分たちを納得されている状態なので、自身で何もせず、国からの援助を当てにしている状態。
逆に言うと、そのように「ものをもらう行為」によって、自分は「補償を受けるに値する」被害者の側だと確認しているわけ。そして、被害者なんだから・・・何もしなくてもいいし、対処するのは加害者であるアイツたちの側だ・・・と傍観者を決め込むことになる。
傍観者のスタンスだから、当然のこととして感謝の心とは無縁となる。

援助に対して感謝をしないどころか、「オマエはオレたちに対して、もっともっと援助すべきで、オレたちは援助を受けてやると言っているのに、どうして援助しないのか?ケシカラン!」
と、立腹するような事態になったりする。
そうして、「援助が十分にもらえないオレたちって、なんてかわいそうなんだ?!」と、被害者意識となってしまうくらい。

大人はそれでいいでしょうが、そんな大人の元で育つことになる子供はどうなるの?
前にも書きましたが、茨城県では禁煙車の中で制服の高校生がタバコを吸っていますよね?
茨城県の大人が、国からお金をもらうことばかり考えているから、子供がダメになっちゃうわけでしょ?

そういえば、東北の仙台に本拠地を構える野球チームの楽天に関して、当時の宮城県の知事がこんなことを言っていました。
「楽天のスタッフは地元優先で・・・」
いかにも田舎モノ根性丸出しだとビックリ!
折角、仙台に来てくれる野球チームがあるのなら、地元の方でサポートするのがスジでしょ?「相手に対して何をしてあげようか?」について考えてもいいんじゃないの?さっそく「たかろう」と思っているんだから、どうしようもない。
こんなことだと、お墓の中のケネディさんも呆れてしまいますよ。

もうダメダメが身に付いてしまった人間に対し、「感謝の心を持て!」と言っても、今更しょうがない。
むしろ、「あの人は、どうも感謝の気持ちがないなぁ・・・」と思われるような人には関わらないことが必要になるわけ。
だって、そのような「もらって当然」と思っているような人は、それだけ当事者意識がなく、被害者意識だけがあるものなんですからね。
そんな人が親となってしまったら、当然のこととして、子育てだって、親である自分が背負わされた被害と考えますよ。まさに、子供は親に対して補償するのが当然と考え、それを子供に要求し続けることになる。
だから、結果的にダメダメ家庭を作ることになる。

そんな人たちと関わりを持つと、それこそ入れ込まれたり、ストーキングされたり、ドメスティック・ヴァイオレンスになったりと修羅場が待ち受けているだけ。
何も修羅場にはならないまでも、感謝の心がない人ほど、自身としては何も達成していない。そして、何かを成し遂げた人を揶揄しているだけ。
達成した実績がないだけでなく、そもそも、その意欲も発想もないわけ。
そんな人とのやり取りだって、楽しいものになるわけがないじゃないの?

その人に達成したものがあるのなら、それが話のネタになるし、達成する過程も興味深い話のネタと言えるでしょ?しかし、自分の被害話を語ったり、人のやっていることを揶揄しているだけの人とやり取りをしても、グチの共鳴にしかなりませんよ。だから、ますます達成したいものがない状態。そんな自分にコンプレックスを持ち、自分自身から逃避してしまい、ますます自身で目標を掲げることもしない。
達成したいものがないんだから、感謝の気持ちがますますなくなってしまう。

そんなダメダメ家庭で育った人は、まさに親による被害者と言えるわけだから、まさに親譲りの被害者意識を持っている。
だから、「援助してもらって当然。」「助けてもらって当然。」という、親譲りの感覚を持っているもの。
そんな人とやり取りをすると、感謝の気持ちの欠落を感じることも多いわけ。
実績や成果がない人ほど、感謝とは無縁なんですね。

それこそ、「さあ、これからは思う存分に、このワタシにアドヴァイスをしてください。」との要請の言葉になったりする。
なんというか・・・「オマエからアドヴァイスを、わざわざもらってやってやるぞ。」という上からの立ち位置になっているわけ。この私に対して無理に感謝をしていただく必要はありませんが、「アドヴァイスをもらってやる。」とのありがたいお申し出には、私としては『ちょっとぉ、違うんじゃないの?』と思ってしまうもの。
あるいは、「まあ、お気の毒ねぇ・・・」という甘い言葉をかけてもらうのが当然という感覚の人が多いわけ。援助を受けて当然と思っている人たちとまさに同じ様相となっている。
そんな人は、ちょっとでも厳しい言葉を受けると、「まあ!ヒドイ人ね!」と逆上することになる。まあ、そんな逆上の姿も、親譲りなんでしょうね。
感謝の気持ちの欠落は、往々にして、「子は親の鏡」となっているわけ。

ちなみに、別に私はこのメールマガジンを感謝して読んで欲しいと思っているわけではありませんヨ。私は私の責務と能力に応じて、自分の責務となっていることをやっているだけなんですからネ。
しかし、何もこのメールマガジンを読む時に限らず、感謝の気持ちが最近起きていないなぁ・・・と思ったら、ちょっと自分自身を見つめてみる必要があるのでは?
感謝の心がなくなっているのは、それだけ当事者意識が欠如している状態。
昔から言うように、過ちを修正するのは早ければ早い方がいいでしょ?

(終了)
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発信後記

本日、金曜日はローマ法王ヨハネス=パウロ2世の葬儀です。
サン=ピエトロ寺院は、本日はさすがに警備は厳重でしょうが、私が観光で行った時は、典型的なスポットは気軽に行くことができました。

イタリアに観光に行った時は、教会のありがたみが実感できます。
イタリアは急に天気が変わるので、教会は雨宿りに持ってこいなんですね。
無料だし、座れるし、静かだし、安全だし、絵なども掛かっていて飽きないし・・・
たぶん、トイレなども利用できるかも・・・
信者でない人は出て行け!なんて言われませんからね。マナーさえ守っていれば、大丈夫。

教会のドアがいつも開いていて、入るのも出るのも自由という雰囲気。
ちゃんとした組織は、そんな開放的なところがあるものです。
それだけ自信があるわけ。

名ばかりのキリスト教なんでしょうが、少女をレイプした金保なる牧師がいたそうですが・・・
出て行く人間を妨害するのは、典型的なダメダメな発想であることは先日配信いたしました。そんな開放的な面がない閉鎖的な教団なら、いかがわしいと見るのが大人の分別。
大人の分別のなさで犠牲になるのは、いつも子供なんですよね。
R.10/11/24