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カテゴリー | 会話のスタイル(発言側) |
配信日 | 05年4月13日 (10年6月12日 記述を追加) |
タイトル | 会話のタイミングに配慮しない |
ダメダメ家庭では会話がない。 親が一方的に命令を下すだけ。子供の考えなど聞く気がないわけです。 しかし、たまたま、何となく子供の考えを聞いたりする。 「オマエはどう思うんだい?」 しかし、それは形の上だけで、心の奥底から子供の話を聞きたいと思っているわけではないわけ。というよりも、会話というものに苦手意識を持っていて、相手の話を聞くことに心理的な恐怖感を持っている。だから、子供が返事をしにくいようなシチュエーションで話かけてきたりするわけです。 それこそ食事中の会話でもそう。 子供だって、口に食べ物を入れているときには、例え親から話かけられても返事なんてできないでしょ? ゴハン粒を飛ばして話をするの?それほど重要な内容なの? まさかね。 どうでもいい内容なので、話しかけた親の方も、子供の返事など期待していないわけです。しかし、やっぱり折角話しかけたのに、子供から返事がないのは気に入らない。 「オイ!返事はどうした?」 そう言われても、ゴハンを噛み続けるしかありませんよね? ゴハンをかみ終わった後で「その話については・・・」と子供が言った時には、親はそんな話など忘れている状態。 「えっ?オマエは、一体、何を言っているんだ?」 本気で会話したいと思っているのなら、相手が返事をしやすい状況の時に話かけるでしょ?トイレの最中に話かけられても困りますよね?宿題を一生懸命にやっている時に話掛けられても困っちゃうでしょ? 話しかけた方は、本気で会話をしようとは思っていないわけ。 まあ、本気で会話しようと思っていないのはいいとして、ヘタに話しかけているので、会話が成立しないのは、返事をしない子供のせいになってしまうわけです。 「ウチの子は家では何にも話をしなくて・・・」 と、おなじみのグチになってしまうわけ。 しかし、マトモに話を聞こうとしていないわけですから、子供が話をしなくなるのも当然ですよね? 当事者意識がないダメダメ家庭では、会話によって、相手に対して伝えたいことが存在しない。 しかし、被害者意識が強いので、相手が返事をしなかったことを被害と捉え、文句を言い出す。 かと言って、子供が返事をしても、会話にならない。「うるさい!」でオシマイ。 こんな会話の習慣で育ってしまうと、どうなっちゃうの? 子供自身も、将来に、そんなことをやったりするんですね。 電話がかかってきても、手が離せない時ってありますよね? 「ゴメン!今ちょっと都合が悪くて・・・後でこちらから電話するよ!」 『わざわざ電話をくれなくていいよ!まあ、ちょっとワタシの話を聞いてよ!』と前置きをして、20分くらいどうでもいいことをしゃべったりするような人間になってしまう。 あるいは、電話だったら、とんでもない深夜の時間に平気で電話して来たりするわけ。 そんなことをするような人間が、周囲からどのように見られてしまうのかについては言うまでもないことでしょ? あるいは、突然の訪問販売なり、宗教の勧誘でも同じ。 あの手の人は、自分の話を聞いて、分かってほしいのか?それとも、ただ自分の言葉を言い放ちたいだけなのか、聞いていてもわからないでしょ? そんな相手への配慮のない電話なり突然の訪問から、その人の親の姿が見えてくるわけ。 自分の考えを分かってほしいのなら、わかるための準備を相手にしてもらうことにも配慮する必要があるでしょ? 別のところにも書いておりますが、メールマガジンにおいては、ダメダメなメールマガジンは、まずは不定期発行なんですね。 わかってほしいことを文章化して、メールマガジンとして発行しているのなら、購読者の方にも、「心の準備」をしてもらった方がいいでしょ? それには、「○曜日の△△時に定期的に配信」という形にするのが効果的でしょ? 定期的な配信なら、購読者さんも、それなりに心の準備はするものですよ。 心の準備があった方が、はるかに分かってもらいやすいことは、言うまでもないことでしょ? しかし、「言いたい」ことはそれなりにあっても、「分かってほしい」ことがなかったり、自覚できていないので、一方的な都合で言い放つだけになってしまう。 「分かってほしいこと」ではないので、「分かりやすい」物言いなり文章になっているわけではない。 だから、そんな言葉は聞いてもわからないし、読んでも意味不明。 会話のタイミングの悪さは、その物言いや文章の表現力の低さと直結しているもの。 自分の意見を相手にわかるように伝える。相手の考えを真摯に聞く。 それは、コミュニケーションの基本ですよね? しかし、ダメダメ家庭ではそんなコミュニケーションの基本から消失している状態。 相手が今どんな状況にあるのか? 自分の問いかけに対して、答えやすい状況なのか? そんなことを考える基本的精神が消失しているんですね。その割には会話の形には妙にこだわったりするわけ。 そして「形さえ整っていれば、あとはOK!」 そんな環境で育ったら、将来は見えていますよね? (終了) *************************************************** 発信後記 またまた中国での反日デモですが・・・ あの手の群衆の大騒ぎというと、中国では約30年ほど前に文化大革命なるものがありました。 知識人とかリッチな人などを、集団でつるし上げて、大喜びしていた時期です。 映画だと、今は亡きレスリー・チャンが主演した「さらば、我が愛」などでも、そんなシーンが出てきます。 中国人は定期的に、ひがみ根性を爆発させるんでしょうね。 話し合いで解決・・・などと美辞麗句をおっしゃる方もいるようですが、残念ながらそれは不可能。 あの手のクレーマーは、会話の能力が乏しいからなるわけです。そんな人と会話してもムダですよ。クレーマーの事件が話し合いで解決したことなんてないでしょ? クレーマーに遭遇したら、無視するのが最良の方法。 ちなみに「是非とも欲しい中国製品」って、何を思い浮かべますか? 私はちょっと思い浮かびません。 骨董が好きな人は、昔の陶磁器を思い浮かべる人もいるかと思います。まあ、その手の昔の陶磁器はテレビ番組の「何でも鑑定団」の常連ですからね。 しかし、昔の製品はよくても、今の中国製品で欲しいものなんてないでしょ? 安いから買っているだけでしょ? あれだけ人口が余っているのだから、むしろ職人が丹誠込めて、モノつくりすればいいじゃないの? しかし、職人が丹誠こめてものつくりというのは、やっぱり「心の豊かさ」が必要なんでしょう。自分自身に誇りと責任感があるから、あの手の「いい仕事」ができるんでしょうね。 あの手の職人の仕事って、日本だけでなくヨーロッパにもまだ残っているでしょ? マイセンのような陶器だったり、楽器だったり、革製品だったり、布地だったり、ワインだったり・・・ 工場で厳重に管理されないと、マトモな製品ができないって、やっぱり心が貧しいってことなんでしょうね。 名もない職人が、誇りを持って仕事ができるって、社会全体にも、心の豊かさ必要なんだと思うんですよ。中国はその心の豊かさがなくなってしまったんでしょうね。 |
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R.10/6/12 |