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カテゴリー 映像作品に描かれたダメダメ家庭
配信日 05年4月20日
タイトル シベールの日曜日 (62年作品)
監督 セルジュ・ブールギニョン
このメールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」では、総集編に類するものとして、「作品の中に描かれたダメダメ家庭」というカテゴリーを設け、映画などの作品に描かれたダメダメ家庭の特徴的で具体的事例を取り上げた文章を適宜配信しております。

今回は62年のフランス映画「シベールの日曜日」と言う作品を取り上げてみます。
この作品は、戦争(たぶん、第2次大戦)で罪もない女の子を殺してしまった・・・という罪の意識から逃れられない30歳くらいのピエールという男性と、母親だけでなく父親にも捨てられてしまった12歳の女の子シベールの話です。

ここで、12歳の女の子シベールの発想や行動が、ダメダメ家庭の女の子のスタイルとしては、典型的なものなんですね。

この「シベールの日曜日」という作品のヴィデオは、一般のレンタル・ヴィデオショップにもあると思いますので、ご興味が出てきましたら、皆さんもご覧になってください。
ただ、古い映画で元々画質があまりよくないだけでなく、どうやら英語版からヴィデオ化したようで、日本語字幕だけでなく、英語字幕も出てきます。色々とあって画質が悪い。

しかし、ダメダメ家庭というものは、いつの時代であろうと、どんな国であろうと、案外似ていたりするもの。だから昔の映画でも、非常に参考になるわけです。

では、この映画で登場してくるダメダメ家庭の具体例を、個別に見てみましょう。

1.容姿端麗・・・ダメダメ家庭を作る親は、会話の能力ではなく、容姿によって「連れ合い」を選んだりするわけ。そんな親の子供なので、ダメダメ家庭の子供は意外にも容姿端麗のケースが多かったりするんですね。勿論のこと、容姿端麗な子供が全員ダメダメ家庭の子供というわけではありませんし、ダメダメ家庭の子供が全員容姿端麗というわけでは、残念ながら、ありませんが。

さて、ここでの12歳の女の子のシベールですが、驚異的な美形なんですね。
映画の子役史上、ナンバーワンでしょう。

シベールを演じるのは、パトリシア・ゴッジという子役さんです。苗字から見ても、純粋なフランス人とは言えなさそう。南イタリアあたりの血が入っていそう。
しかし、この子はその後の活躍は聞きません。以前にも書きましたが、子役ができる子供は、ちゃんとした大人になれないことが多いわけです。

2.名前の付け方・・・ここでシベールという名前は、ギリシャの女神から来ているそう。だからフランス人の名前としては一般的ではありません。いわば外国人風の名前と言えるわけ。だからシベールが放り込まれてしまう修道院では、いかにもフランス風と言えるフランソワーズという名前に変えさせられてしまっている。

ダメダメ家庭では子供に名前を付ける際に、子供のことをあまり考えない。子供の名前って、親が子供に最初に与えるものでしょ?それを「て・き・と・う」だったり、フィーリングだけで選んでつけてしまう・・・それがダメダメ家庭の発想ですね。シベールという名前自体は、キレイな名前であると言えますが、ダメダメ家庭ではそのような異国風の名前をつけることに抵抗がないわけです。しかし、ペットの名前ではないのだから、もうちょっと考えるのがマトモでしょ?

ちなみに、容姿端麗と異国風の名前というと、今の時代だと映画俳優のレオナルド・デカプリオを思い出す人もいらっしゃるでしょう。
まあ、彼のご両親はヒッピーなんだそうですが、それはともかく、親としてはかなりダメダメでしょうね。
デカプリオは俳優のようなアーティストにしかなれない人と言えるんでしょう。彼の場合は、実際になれたからヨカッタわけですが、なれなかったらどうなっていたのやら?

3.家事に強い・・・シベールは家事に強いらしい。「料理も得意よ!」と言っている。ダメダメ家庭では親が家事をしないので、子供が妙に家事に強くなってしまう。勿論、マトモな家庭においても、親のお手伝いをしているうちに子供も家事が上手になるケースもあるでしょう。この家事の問題については、子供が妙に家事に強くて、いつも同じ服を着ているようならダメダメ家庭とみなせる・・・そんな感じで組み合わせて判断することができるでしょうね。

4.情緒不安定・・・シベールは親に捨てられたと思っているので、日頃から安心とは無縁。だからどうしても情緒不安定になるわけ。ちょっとのことで過剰反応して大騒ぎする人間になってしまう。

5.妄想への親和性・・・シベールは日頃から自分の希望がかなえられないわけですから、妄想に逃げ込んでしまう。ピエールと遊んでいても、ドンドン妄想が発展していく。
「将来どうしようかな?」とか、
「クリスマスはどうしようかな?」とか・・・
「私が死んだら、どうなるかな?」とか・・・

6.人に入れ込む・・・親に捨てられたと思って落ち込んでいる時に現れたピエール。そして日曜日ごとに一緒に遊んでくれる。こうなると12歳の女の子のシベールはピエールに入れ込んでしまうわけ。
「将来は、ワタシと結婚してよ!」と、ピエールに言ったりする12歳のシベール。自分の境遇を理解してくれる人に異常に入れ込むのはダメダメ家庭の子供のお約束。

7.発想が極端・・・情緒不安定で、おまけに入れ込んでいるので発想が極端。12歳の女の子が「もし、私が死んだらアナタも死んでよね!」と言ったりするわけ。マトモ家庭の人にはわからない発想でしょうが、ダメダメ家庭では珍しくはない発想ですよね?

8.ドメスティック・ヴァイオレンス・・・ピエールは同年代の女性と同棲している。その女性の都合でシベールとの日曜日のお約束に会いに行けなくなってしまった・・・そのことが原因で同棲している女性を殴ってしまう。

そのこと自体はともかく、自分自身の希望を相手にわかりやすい形で伝えることができないのは、ダメダメ家庭にありがちのことですよね?それに同棲している女性は「ピエールには私がいないとダメになっちゃうの!」と言った共依存的な思いこみがある。この女性も「入れ込んでいる」わけ。
あるいはピエールはシベールと遊んでいた男の子を殴ってしまう・・・子供にちゃんと言葉で説明できない・・・それだけ言葉による表現力がないわけ。

9.周囲の無理解・・・シベールとピエールが日曜日のたびに遊ぶ。と言っても深い関係になるわけではなく、単に子供の遊び。しかし、それを周囲の人は「異常」ととらえてしまう。ピエールと同棲している女性はピエールのことをそれなりにわかっているので「あれは単に子供同士の遊びよ!」「自分が理解できないからといって、それを異常というのね!?」とピエールを弁護することになる。

しかし、周囲の人はその「子供の遊び」を理解できず、結局は当事者たちを追い込んでしまうことになるわけです。
シベールがダメダメ家庭の女の子だということを理解できていれば、それほどわかりにくい発想や行動ではないのですが、周囲にその理解を要求するのは、到底無理でしょうね。

周囲の大人たちも、当人たちを責めるのではなく、シベールの悩みでも真摯に聞いてあげればいいじゃないの?そんなこともしないで、「オマエたちは異常だ!異常だ!」ではね。
まあ、このようなことは21世紀の日本だってよくある光景ですが。


ここでのシベールの発想のスタイルは、ダメダメ家庭の子供に実にありがちなものと言えるわけです。
何でもロリコンの方で、この「シベールの日曜日」を好きな方も多いとのことですが・・・まあ、映画を見てどのような感想を持つのも勝手ですが、心の貧しい人はそれなりにしか見ることができない・・・ということなんでしょうね。

このシベールほど美形ではなく、極端に異国風の名前ではないにせよ、同じような発想をする子供って、現実にいたりするでしょ?情緒不安定で、発想が極端で、意外にも容姿端麗の子供って、割とこんな感じなんですね。あるいは、学校のクラスメートにもいたりしませんでしたか?
そんな子供に接したら、この映画を見直して見ると、その子供のことも、より分かるようになると思います。

(終了)
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発信後記

今回の映画とは全然関係ありませんが・・・
私個人は政治には全然期待していませんので、特に支持政党などありません。

今は中国の問題とか、郵政の問題とかで、日本の政治が混乱しています。
このような状況になると、民主党が何を言うのか?私はちょっと注目しています。

実は、このように困難な状況になると、民主党って、必ず引きこもってしまうんですね。
以前にあった、ペルー人質事件の時でも、今回の中国の問題でも・・・ややこしくなると、黙ってしまう。
どうでもいい時には、元気に正論を主張する。

民主党の方々にしてみれば、「マズイ」時には、しらばっくれて、チャンスの時に目立とう!ということなんでしょうが、本来はマズイ時こそ政治が必要なんじゃないのかな?
自民党がいいとは思いませんが、民主党もひどすぎますね。

実際に政治を行うことは、やっぱり泥臭いことも必要でしょ?当然のこととして覚悟も重要でしょ?
カッコいい「べき論」だけではダメですよね?政治の世界こそ当事者意識が必要でしょ?
民主党って、国会のゲストコメンテイターなのかな?

実は次回も総集編です。
政治と当事者意識に関することも出てきます。
R.10/11/18