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カテゴリー ダメダメ家庭の人からのメール
配信日 05年4月25日  (10年5月15日 に記述を追加)
タイトル 即座に返事を出す(クイック・レスポンス)
メールなどでのやりとりで、相手から返事がスグに来ることがあります。
こちらが出した後に、スグに来る返事のメールは、往々にして内容に乏しいもの。そして否定的な見解です。

私の考えに対し否定的な見解を持たれること自体は、当然のことだと思います。
しかし、それならなおのこと、「見事な説得力のある」文章で、反論した方がいいわけでしょ?

ダメダメ家庭の関係者とのやりとりなどでは、この手のクイックレスポンスに遭遇することが多いんですね。

たとえば、メールマガジンなどでの感想だってそう。
個人的なメールのやりとりだってそうです。

では、何故にそんなに即時に返事を出すのでしょうか?
相手の見解に反対ならそれでいいとして、「相手を問題点を指摘して、相手を上回る説得力を見せ付けてやろう!」と、気合いを入れて、内容のある文章を書いた方がいいでしょ?
しかし、「相手の問題点を指摘して、それ以上の説得力を示そう!」などと思うと、相手の文章をよく読んで、自分で考えないといけませんよね?

つまり、そのような即時に返事を出すような人は、「相手の文章をじっくり読むのがイヤ。」で「自分自身で考える。」ことから逃げたいと思っているわけです。
だから反論の言葉も、ただ「つまらなかった。」とかの無意味な言葉だったり、やたら感情的だったりなんですね。

まあ、私の文章は読者の見たくもない部分を見せている面があると思っています。読んでいる方の「イタイ」ところを突いているケースもあるんでしょうね。よく引用しますがミシェル・フーコーの言う「見えているものを、見えるようにする。」作用があるわけ。だから読んで逆上するんでしょうね。毒にも薬にもなる劇薬系の文章なんでしょう。

しかし、要は「その劇薬をどう使うか?」の問題でしょ?
まあ、取り扱いは慎重に・・・なんですが、上手に取り扱えばいいじゃないの?

気に入らない文章を読んで、即時に内容のない文章を相手に送っても、自分自身が安っぽくなるだけでしょ?即座に出したその手の文章は、往々にして内容がないだけでなく、文章自体もヘタなんですね。

メールのやりとりとか、メールマガジンの感想を送る程度なら、それでもいいでしょう。
そんなぞんざいな返事を受けても、「この人も・・・お気の毒に・・・こんな風にいつまでも自分自身から逃げてしまって・・・そんな人の将来なんて見えちゃっているな。」と思ってしまうだけですからね。

しかし、そんな人が親になってしまう。
だって、そんな人ができることといったら、親になることくらいでしょ?
何も考えないでできることと言ったら、性行為をして、親になることくらいですよ。
何も考えたくないものだから、親としての資質とか、将来設計などについて何も考えない。だから子供もできてしまう。そして、そんな人の相手をしてくれるのは、自分の子供だけでしょ?

しかし、そんな人が、子供とどのようにコミュニケートするの?
以前にも書きましたが、ダメダメ家庭でのやりとりでは早合点ということが頻発する。相手の話をロクに聞きもせずに、勝手に誤解して大騒ぎするんですね。
それだけではなく、まさに今回のお題のように、自分に都合の悪い箇所に来ると、即座に意見というか反論を言うわけ。
しかし、その即座に出してくる反論は、自分で十分に考えてのものではないわけです。そ即座に反論しておくことで、それ以上、自分で考えることから逃げたいと思っているわけ。あるいは、それ以上に、やり取りの議題が自分にとってクリティカルな方向に向かってしまうのを防止したいわけ。

都合の悪いことを言われたら、とりあえず適当に反論しておく。
ダメダメ家庭を作る親には、そのような習性があるわけです。
だから、周囲の人がどのようにアドヴァイスしてもムダなわけ。

だって、周囲からのアドヴァイスを受けても、さっさと「て・き・と・う」に反論して、それ以降は考慮しないんですね。そんな反論も、当人の中では、「十分に反論した。」・・・と意識の上では、思っている。
しかし、それって自分自身から逃げているだけなんですね。
そんな「やましい」ところのある反論だから、反論の語気だって必要以上に強くなるわけ。
内容がなく、文章もヘタで、必要以上に語気が強い、反論。
これは相手への反論ではなく、自分自身からの逃避なんですね。

気持ちはわからないわけでもありませんが、そんなことでは自分自身が豊かにならないでしょ?何よりも、そんな親の近くにいる子供がイヤですよ。
子供だって、そんな親とは話をしたくはないでしょ?
やり取りをして、スグに早合点したり、問題を指摘されたらスグに逆切れする親と、いったい何を話すの?

こうやって会話不全のダメダメ家庭ができてしまうんですね。

実は、この手のクイックレスポンスは別の分野でも発生することがあります。
人が書いた文章を読んでいたりする時に感じるんですね。

「あ〜あ、この人は、こんなにいいネタに遭遇したのに、どうして即座に文章にしてしまったのかしら?もっと自分の中で寝かせればいいのに・・・」
そんな感想を持つような文章があったりします。

しかし、往々にして「いいネタ」というものは両刃の剣。いわば、自分自身をも傷つけるものなんですね。
だから心の弱い書き手は、さっさと文章化して、その両刃の剣から逃げてしまうわけ。しかし、そんな書き手の文章なんて、ありきたりでどうでもいいことをウダウダ書いているだけ。それこそ毒にも薬にもならない文章。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。」「虎穴に入らずんば虎児を得ず。」ということは、文章を書く際においても同じ。

内容のあるネタというものは、自分自身の中で「寝かせている」と、自分の心も重くなってしまう。しかし、それに耐えないと、ありきたりなものしかできないわけ。ワインだってヌーヴォーよりも、熟成させた年代物のワインの方がおいしいでしょ?文章だって同じですよ。

メールでのやり取りばかりではなく、面と向かって直接に話をするようなケースでも、妙に即座に返事をする人っているでしょ?
それも、よく考えて言っているとはとても思えないような、的外れな言葉で・・・
聞いている方は「オイオイ!アンタ自身は自分の言っている言葉の意味がわかって言っているの?」そう思ってしまう。
そんな経験はありませんか?

最近では、この手の、妙に即座に反論したり、とりあえずコメントしたりする人たちとなると、インターネットで簡単に見ることができます。

YAHOOやLIVEDOORなどのニュースに対して、閲覧者がコメントする欄があったりしますよね?
その欄に、何も示唆的でもない、しょーもないコメントを書き込んでいる人がいるもの。
その意見とやらが、その人なりに一生懸命に考えて、しかし、結果的に考察が十分とは言えない・・・ということなら、これはこれでしょうがない。

しかし、その手のコメントは、その人がどうしても言いたいことではないでしょ?
どうしても言いたいことなら、逆に言うと、そんなコメント欄に書き込んだりはしませんよ。もっと自分が責任を持てたり、あるいは管理できるスペースで公表するのでは?

そのコメントは、どうしても言いたいことなの?
自分にとって、どうでもいいことを言っているヒマがあるのなら、本でも読んだら?

しかし、自分で考えることを恐怖するダメダメ人間は、「もうこれ以上は考えなくても済む」状態にしておきたいわけ。いつでも逃げられるような、どうでもいいようなことに首を突っ込んで、とりあえずのコメントを出しておく。そんなことばかりやっている。

だからブレークスルーのようなものは、永遠に訪れない。
長い間、寝かせて、その沈黙に耐えたからこそ、ブレークスルーも達成できるんでしょ?
偉大なる芸術作品なんて、作り手が沈黙に耐えた結果ですよ。

しかし、抑圧的な人間は、自分の中にテーマを寝かせておくことができないわけ。
とにかく、何かをしておかないと、心理的に耐えられない
テーマを抱え込むことが恐怖であり、自分との対話が怖い。

自分との対話から逃げまわっている人は、人とのやり取りも、おしゃべりどまりであって、相互理解につながる会話にはならない。
沈黙が怖い人は、結局は人の話を聞けないもの。

そんな人は、やり取りの相手も、人の話を聞けない同類ばかりになってしまう。
それこそ、昨今では自転車に乗りながら、携帯電話でおしゃべりしている人がいますが、そんな状況になってまで、相手の言葉を聞きたいの?
そんなにしてまで、相手に伝えたいの?
そんなことが本当にあるのなら、腰を落ち着けて、やり取りをしないとね。
しかし、逆に言うと、相手もそんな程度の人なんですね。

そんな人が子育てをしたら?
だって、じっくり人の話を聞くことができない人なんだから、子供の話も聞くわけがありませんよ。
自転車に乗りながら、携帯電話でおしゃべりをする親を、後ろの座席に座っている子供はどう見るの?
親の姿は、人とのやり取りの「雛形」でしょ?

そんな子供も、落ち着いたコミュニケーションはできないわけ。
そもそもそんな後姿を見続けているわけですし、親との間でも、会話の訓練ができないわけですからね。

そんな人が、やがて結婚という段になっても、時間つぶしのおしゃべりには有効な相手を選ぶだけで、じっくりやり取りを進めながら、事態を解決する人間は選ばない。

それこそ、トルストイが描くアンナ・カレーニナのように、自分から目をそらすのに適した人間ばかりを求めてしまう。その作品で同時に描写されるキティとレーウィン夫妻のように、じっくりと話し合いをしながら、物事を進めて関係を作れないわけ。

本当に考えるためには、何もしなかったり、考えない時間も必要なんですね。
あるいは、ちゃんとしたやり取りには、「下準備」も必要でしょ?
準備なしにできるやり取りなんて、何かをやっているといっても、実際には時間つぶしどまりですよ。

本当の意味で前に進むためには、モラトリアムにも価値があるわけ。
何かをやり続けている人は、結局は逃げ続けている人で、何もしないことが怖いというだけ。
あるいは、「前進あるのみ!」と勇ましい人は、逆に言うと、自分の過去を振り返るのが怖いというだけ。

そんな人は、何も考えずに、物事に取り掛かってしまう。
しかし、最後を締め、成果を総括する発想がない。
「止めるのが怖い」というのは二重否定であって、だからこそ肯定からは遠い。
ただ、だらぁ〜と続けているだけになってしまう。

これがメールマガジンとかブログのようなものだったら、笑って済むわけですが、それこそ結婚生活においても、そんな感じになってしまう。

付き合っていて、スグに結婚してしまい、
そして、スグに子供を作ってしまい、
そして、うまく行かないことがあると、スグに離婚してしまい、
そして、スグに再婚してしまい、
そして、またスグに子供を作ることになる。

あるいは、まさに「止めるのが怖い」という心理から、「子供のために離婚しない」という理屈をつけて、「な〜んとなく」結婚生活を続けることになる。
しかし、なんとなく結婚生活を続けるだけで、「じゃあ、どうしてこうなってしまったのか?」については何も考えない。
スグにアクションを起こすにせよ、あるいは、「止めるという判断から逃避する」人も、結局は思考停止状態に安住したいだけ。

やり取りにおいて、スグに返事を出すような人って、実際にそんな人が多いんですよ。
そんな人が見せる素っ頓狂な行動も、じっくり考えることが怖いという点からみると、実に首尾一貫しているわけ。

面と向かってのやりとりでも、即座に言葉にしたがるような人は、結局は相手の話を聞いていないし、自分自身で考えるようなことはしないわけ。
逆に言えば、メールなどの返事が異常に早い人は、要注意人物なんですね。

人の話を聞いて、自分自身でしっかり考える・・・直接の会話だって、メールのやりとりだって、文章を書くことだって同じことなんですね。
そんな基本ができていない人は、確実にダメダメ家庭を作ってしまうわけです。

(終了)
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発信後記

実は先月から光ファイバーを導入し、そのついででパソコンを新調いたしました。
ということで、今まで使っていたマイクロソフトのOfficeXPが使えなくなってしまって・・・
以前のPCはまだ残してあり、それにはOfficeXPも入っていますが、メルマガの文章は無料で使えるオフィスソフトであるオープンオフィスで書いています。

ただメルマガ用のレイアウトに直すのは、OfficeXPでないと、難しい。
ということで、書いた文章をアッチコッチのPCを移動させているうちに、誤字があったりして・・・
我ながら情けない。

「具体的」と書いているつもりが「愚弟的」なんてなってました。大変に申し訳ありません。
やっぱりメルマガの文章作成には無料ソフトでは無理があるんでしょう。
しかし、一般で使われる分には、無料ソフトのオープンオフィスで十分だと思います。
一般のユーザーは、すごいレイアウトの文章も、難しい表計算もしませんものね。

前回の文章で、私はその「具体的」という言葉を頻繁に使っています。
ダメダメ家庭では、往々にして大所高所という名目の元、一方的な価値観の押しつけが頻発しますよね?
それに対し、私は、実際の具体的な状況における具体的な会話について、具体的に考えてみる・・・それがこのメールマガジンのコンセプトです。

だから前回の韓国の教科書についても、大所高所から論じるのではなく、具体的記述について考えてみるといったスタイルでまとめました。
できることなら、皆様も図書館で借りてお読みになると、色々と考えさせてくれると思います。

まさにあの韓国の教科書に欠けているのは「具体」。
それが被害者意識と結びついて、結局クレーマーになってしまう。
クレーマーというものは、皆同じような行動をしますよね?
「具体的」な着地点がなく、クレームそのものが目的になってしまうわけ。

関西の騒音おばさんと、中国でのデモ隊って、全く同じでしょ?相手にいやがらせをすることが目的となるわけ。
「引っ越し!引っ越し!バン!バン!バン!バン!」
そう言われても、聞いている方が途方に暮れるだけ。どうして欲しいのか?もっと具体的に言わないとね。
まあ、日本列島が、オーストラリアの横に引っ越せれば、言うことはないのですが、ネ。
R.10/5/15