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カテゴリー | テレビの前のダメダメ家庭 |
配信日 | 05年5月2日 (10年11月27日 記述を追加) |
タイトル | 事故後の感想 |
ダメダメ家庭を作る親は、テレビなどで未成年の犯罪などが報道されたりすると、加害者の子供の親に対して、同情の念を表明したりするものです。 それこそ、「犯人の親御さんもお気の毒に・・・」「出来の悪い息子を持ってお気の毒だ!」と言った具合。 しかし、「こうなる前に、何とかならなかったものか・・・」とか、「あの親御さんは、事件が起こるまで、一体、何やっていたんだろう・・・」とかの感想を言ったりすることはないんですね。 このことは「事件後の感想」というお題で、以前にこのメールマガジンで配信しております。 ダメダメ家庭を作る親は子育てに対して当事者意識がなく、被害者意識だけがあるので、何かトラブルがあったりすると、加害者の親に対して同情してしまうんですね。「できの悪い子供を持った親の側の被害」に反応するわけ。 「あのご家庭も、出来損ないの子供を持って、育てるハメになってお気の毒だ!」と言うわけ。 また、そのような犯罪に対する感想だけではありません。ダメダメ家庭においては、偶然の要因で発生した事故の際の感想なども、やっぱりマトモ家庭とは違っているわけ。 それこそ、ちょっと前(05年)にJRの大事故がありました。兵庫県で大きな脱線事故があり、多くの方々がお亡くなりになりました。 多くの若い方もお亡くなりになり、その親御さんも悲しみに沈んでおられました。 ダメダメ家庭においては、そんなシーンに対しての感想がまた実もフタもないものなんですね。 「折角、苦労して子供を育てて、これから稼いでもらうはずだっただろうに・・・なんてお気の毒な・・・」 「今まで子供のために使ったお金がムダになってしまったね。」 「これからあの家族の生活費はどうなるのかな・・・」 「JRから沢山お金がもらえるといいのにね・・・」 と、こんな調子。 ヘタをすると、「あの親もテレビの前では泣いている姿を見せているけど、本音では喜んでいるじゃないのかな?JRから、お金がガッボリ入るんだからな。」などと羨ましがるくらい。 普段から子供というものを「費用対効果」「投資対象物」「親の資産」と言うコンセプトで見ているので、子供の死という状況に直面しても、まずは、お金のことを考えるわけ。 あのJRの事故は大変な大事故で、あの程度の事故が頻繁に起こるわけもありませんし、今後は起こらないことを祈るばかりですが、交通事故のような程度の事故は毎日起こっていますよね? それらの事故がテレビなどで報道されることも多くあります。 そのたびに、「子供のための養育費がパーになっちゃった!」とか「あのご家庭もこれからの生活費が心配だろうに・・・」とか「事故の相手方がしっかりした会社のようだから、補償金は多そうだ!」と言った感想になってしまう。そんな感想ばかりを聞いていたら、横にいる子供はどうなってしまうでしょうか? あるいは、テレビ報道の中で事故にあった当事者の家族自身がそんなことを語ったりするケースもありますよね? 「一人息子がなくなって、これからの生活費の当てがない・・・」 年老いた母親の心配はもっともでしょうが、聞いていて思うのは「まず最初にお金の心配なの?」ということですね? そんなシーンをテレビで見たときに、ダメダメ家庭では、まさに「そうだよな!生活費が心配だろうな・・・」と、自分の子供の横で、稼ぎ手を失った親に対して同情を表明するわけ。 挙句の果てには「オマエは、長生きして、オレたちをちゃんと面倒見るんだぞ!」と、暖かい励ましの言葉を掛けることに。 そんな励ましの言葉をもらって、「長生きしたい!」と思う子供なんているのかな? しかし、ダメダメ家庭の親は「自分は子育てをするハメになって、自分の人生を棒に振った被害者。」という認識なので、「自分に対して被害を背負わせた」子供の方から、補償を得るのが当然という考えであるわけ。 そして、子供からの補償を受け取れずに、子供に死なれてしまうという損失を被った親に対して同情を表明するんですね。 さっさと子供が死んでしまった状況を、まるで「不当たりの債権」をつかまされたように感じてしまうわけ。 まあ、そんな環境で育ったら子供だって疲れてしまうでしょ?それに、当然のこととして「生きる張り合い」なんて持ちようがありませんよね? あるいは、親に対して常に「配当」を出さないといけないわけですから、将来は過労死にもなるわけですよ。過労死だって、馬や牛が過労で死んだわけではないでしょ?考えることができる人間が死んだわけでしょ?死ぬ前に仕事をやめればいいじゃないの? しかし、ダメダメ家庭の出身者は「常に配当を出さないといけない。」という強迫観念に取り付かれているケースが多いので、仕事を途中でやめることができないわけ。 だって、こんな環境で育ったら、そのような強迫観念も持つのも当然でしょ? 今回のJRの事故の報道を見ながら、多くのダメダメ家庭では、若い方々が亡くなったのを見て、まずお金の問題を考えたりしているわけ。 マトモ家庭の方には想像もできないことでしょうが、そんな感想が実際にあるわけです。 よく、学校での死傷事件とか、自殺の問題があった後で、学校の関係者が「いのちの大切さを教える」なる物言いをしますよね? この「いのちの大切さを教える」という言葉については、別のところでまとめております。 そもそも、「いのちの大切さ」をどうやって教えるの? 「教えれば」生徒の側が、「いのちは大切だ!」と思うようになると本気で考えているの? まあ、そんな発想だからこそ、そんな学校で事件が起こるわけですよ。 まあ、なんとか理屈をつけて「いのちの大切さ」なるものを学校で教育したとしても、ダメダメ家庭の中にいる子供としては、日頃から、親の側から取り立てにあっているわけですからね。その前提を元に、「いのちの大切さ」を考えることになるのは、教員程度の知能でも、本来はわかること。 家庭内で親の側が、いのちの価値を金銭という観点からしか見ていないんだから、「いのちの大切さを教える」とか言っても、子供としては、「いのちの大切さ」=「経済的な価値の高さ」とみなすことになってしまう。 別の言い方をすると、子供は高配当をもたらす責務があるもの・・・それがダメダメ家庭における「いのちの大切さ」なんですね。 だからこそ、子供の側も必死になって、親に対して配当をしようとする。 それこそ、自分の命を削って、親に対してお金を貢ぐことになるし、高い配当ができそうになると、「いのちの大切さ」がなくなってしまって、不良債権となってしまうので、死ぬしかないじゃないの? つまり「命の大切さ」を守るために、自殺したり、過労死をすることになってしまうわけ。 私は何も屁理屈を申し上げているわけではないんですよ。 学校での教育も、家庭内での常識とは無縁ではないということです。 親が子供を経済的な観点で見ていないダメダメ家庭においては、その常識の上に、学校の正論も受け入れられることになる。 モンタージュ的な受け入れ方となるわけです。 学校における指導も、家庭内においてテレビを見ながら親が発する感想との相関性を持って認識されるわけ。 だから、子供の指導に当たっては、その子供の親が発するちょっとしたコメントに注意する必要があるわけで、そんな配慮がないがゆえに、ダメダメな学校においては、子供の事件が起こったりしているわけです。そして、そんな事件が起こった後で、ダメダメな親は子供に対して、「子育ては親である自分が押しつけられた被害」という大前提を元にコメントする。 その方向に回ってしまっている状態だったら、学校の指導も、その方向を加速することにしかならないわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 このメールマガジンの発行回数も、もう250回以上になります。 昨今起こっている様々な事件も、今まで発行してきた文章を組み合わせれば、大体が理解できてしまいます。 先日起こった名古屋での夫婦殺傷事件も、典型的な事件といえます。 演習問題としては、ちょうどいい・・・と言えるほど。 皆さんもやってみてくださいね。簡単に解答が得られると思います。 逆に言うと、そのような事件が起こらないようにすることもできるわけ。 「どうしてあの男に入れ込まれているのか?」 そのことを理解しない限り、物事は「行くところまで行って」しまいます。 「入れ込まれてしまう」側の理由を理解しないと、防ぎようがありません。 少なくとも、あんな「わかりやすい」事例くらいは、事前に何とかなるはずです。しかし、それには自分の家庭がダメダメであることを認める必要があるわけ。 厳しいことですが、それが唯一の出発点なんですね。 |
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R.10/11/27 |