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カテゴリー 弁解と謝罪
配信日 05年5月9日 (10年10月16日 記述を追加)
タイトル あってはならないこと
組織の不祥事とか事件があったりすると、責任者が出てきてこんなコメントを出したりしますよね?
「今回のような『あってはならない』ことが起きてしまい、誠に申し訳ない。」
挙句の果てには「世間をお騒がせして申し訳ない。」と続いたりするもの。

そのコメントはダメダメ集団に典型的ですね。先日のJR西日本でも、そんなコメントあったでしょ?あるいは、10年にNHKが、取材で得た捜査情報を捜査対象としている相撲関係者に教えたという事件がありましたが、NHKのトップが、まさに「あってはならないこと」とのお約束コメントでした。逆に言うと、事件があった後でそんなコメントを出すような組織だからこそ、そんな事件が起こるわけ。

事件後のコメントを見るだけで、その組織の事件発覚前の状態も見えてくるわけ。どれだけ、予防に注意していたかがわかるものなんですよ。
これは、以前に書きました「これからは生徒に対して命の大切さを教える。」とコメントする学校と同じです。事件の後に「命の大切さを教える。」と校長がコメントする学校だからこそ、生徒が抱えている問題を見ようとせずに、事前には何も対処せずに、結果的に子供の事件が起こっているわけ。

今回の文章で考えてみる「あってはならないこと」という言葉は、ダメダメな組織においてはお約束で出てくるものですが、じゃあ、その「あってはならないこと」が実際に起こったりしないように、事前にどのような対策を取っていたの?と尋ねられると何も答えられないものでしょ?

「あってはならないこと」だから、起こるわけもないので、考える必要もないし、考えたくもない。
そんな発想なんですね。
当事者意識がないダメダメ人間としては、「あってはならないこと」と「ありえないこと」との間の違いが心理的に区別できていないわけ。
あるいは、「あってはならないこと」と「対応しきれないこと」との区別もつけられない。

それこそ、自然災害の地震は「あってほしいこと」ではないでしょ?
だから、論理的には「あってはならないこと」とも言えますよね?
しかし、地震に対する備えはしておくものでしょ?
「あってほしくないこと」だから、そのための備えはしない・・・と言うものではないでしょ?「あってはならないこと」と「起こるはずがないこと」とは、大きな違いがありますよ。しかし、その点が区別できないというか、しようとしない人間もいるわけです。

あるいは、それこそ約50億年後におこる太陽の爆発だったら、「確実に起こること」ではあっても、「対応しきれないこと」でしょ?どんなに準備をしても無理なものは無理ですよ。
重要なことは、「あってほしいかどうか?」ではなく、発生する被害を最小限にすることでしょ?
被害や損害に対する準備と対処こそが重要なのであって、発生することに対しての当人の希望などには意味はないわけ。

しかし、ダメダメな人は「あってはならないこと」という言葉を持ち出し「だってぇ・・・ボクちゃんは、こんなことは起こってほしくはなかったんだしぃ・・・ボクは悪くないんだ!」と言っているわけ。

だから、公務員の不祥事があっても、責任者が出てきて、「あってはならないことが起こってしまった!」でオシマイ。
むしろ、「あってはならないこと」が起きてしまい、管理者の私は余計な面倒を背負い込んでしまい「ああ!オレって、何てかわいそうなんだ!!」と、自分を哀れむばかり。
管理者がそんな調子だからこそ事件も起こるわけですよ。

挙句の果てには「世間をお騒がせして申し訳ない。」って、じゃあ、世間が騒がなかったら問題ないわけ?騒いだ世間が悪いの?世間のヤツラが勝手に騒いでしまって、面倒なことになってしまって、「ああ!オレって、何てかわいそうなんだ?!」って、結局は、それで勝手に納得するだけ。

ダメダメ家庭では、当事者意識がなく、被害者意識だけがある。
当事者意識がないので、「あってはならないこと」が実際に起こったりしないように、対策を立てたりしないわけ。
被害者意識が強いので、「あってはならないこと」が実際に起こると、当人が真っ先に被害者の気分。

そんな状況は、公務員の領域だけならともかく、ダメダメ家庭で、典型的なまでに発生しますよね?
子供の問題行動を起こしても「あってはならないこと」が起きてしまった、ということでオシマイ。
確かに子供が問題行動を起こすのは、歓迎すべからざることでしょう。
だから、「あってはならないこと」とコメントするのは、論理的には間違いではない。

歓迎することではないことだからこそ、そのようなことが起きないように、事前に様々な対策を取っておくことが、本来は必要でしょ?
「あってはならないこと」「あってはならないこと」「あってはならないこと」って、どこかのカルト宗教のように唱えていればいいわけがありませんよね?

「あってはならないこと」という言葉は、一見、マトモな言葉と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、この言葉から、当事者意識の欠如と、強い被害者意識がわかるわけ。
ダメダメ人間にしてみれば、「あってはならないこと」というのは、「ありえないこと」と心理的に読み替えてしまい、そして、「何も考えなくてもいいし、対処をしなくてもいいこと」としてしまっている。だからこそ、事前に何も対処しないし、事後には傍観者感覚で大仰に嘆くだけ。

だから、その次にも何かトラブルが起きたとしても、同じように「あってはならないことだ!」と連呼してオシマイとなってしまう。そんな言葉を言えばそれでオシマイなんだから、事前に何もしなくていいわけ。だから、そんなコメントを聞いたら、そのコメントが直接的に指し示している問題以外にも、多くの問題が隠れていることも簡単に予測できるわけです。

人間って、間違いを犯すのも不可避ですし、好き好んでミスをする人も少ないでしょ?重要なことは、そのようなミスができる限り少なくなるような対策と、その影響が小さくなるような対策ですよね?

しかし、当事者意識のない人は、そんな手間はかけずに、事件が起こった後で、「あってはならないことが発生してしまった!」と、自分を哀れむばかりなんですね。

この「あってはならないこと」という言葉も、外部の評論家さんが言うのは、勝手でしょう。まあ、そんな評論家さんは元からそんな程度ですからね。
しかし、ダメダメな集団では、当事者・・・もっと的確に表現すると、加害者の側が使ったりするものです。
「被害者」の側が、「こんなあってはならないことが起こってしまって、責任者のアンタはどのように対処してくれるんだよ!」という言い回しで使うのはともかく、「加害者」の側が「こんなことは、あってはならないことだ!」という感じで先に使ったりすると、先にその言葉を言われちゃった「被害者」としては途方に暮れるものですよね?

加害者さんが、一見して「天下泰平」のノホホーンとした表情で、「あってはならないことが起きて申し訳ない。」ですからね。
目の前でそんな言葉を展開された側が見えてしまうのは、「オイオイ!こんな面倒が起きてしまって・・・まったく困ったモンだ!」という『加害者』の側の心の声。そんな加害者に対して、本当の被害者は何を言えばいいの?

あるいは、そんな加害者が作っている家庭って、どんな家庭なの?
よく公務員とか公務員に類する組織に勤めている人間の家庭の子供が、事件などを起こしたりしますよね?
自分の親のそんな傍観者然とした姿を見続けていたら、その家庭の子供に事件が起きるのも当然でしょ?

ちょっとしたコメントで色々なことが見えてくるわけですね。
そんな当事者意識の欠落したコメントを聞いたら、もっと多くの問題が潜んでいることもわかるわけです。そんなコメントを能天気に発するような人間とは関わらないことが一番なんですね。

「あってはならないこと」という言葉に対して、何となくの怪訝な思いをされた方も多いでしょうが、その物言いの心理的な意味としては、「こんなことは、ボクが望んだわけではないんだから、『ボクが悪いわけじゃない。』と言いたいだけ。」ということを理解できると、その言葉を聞かされた際の不快感の正体も理解できるのでは?

(終了)
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発信後記

61年のアメリカ映画に「ニュルンベルク裁判」という作品があります。ナチスドイツに協力したドイツの法曹関係者を裁く裁判(実話)を描いた作品です。

裁かれる側のドイツの法曹関係者の主張は、「オレはその当時の法律に従っていただけだ!」というもの。
だからこの裁判で中心になって問題になるのは、法律をヴァイオレートした罪というより、「人道に対する罪」というべきものです。
法律上の手続きを踏んでいても、それが人道に反していたら、ダメじゃないか!というわけ。

もうひとつ問題になるのは、「ノブレス・オブリージュ」というもの。「高貴なるものが持つ義務」という考えです。
エリートというものは、本来は、一般大衆よりも、自分自身に厳しくなくてはいけないし、課せられる義務も一般人よりも大きい。
そういうものなんですね。

JR西日本の問題も、法律をヴァイオレートしていなくても、大げさに言うと「人道に対する罪」があったり、逆に「ノブレス・オブリージュ」が、どこにもなかったりするわけ。
つまりJR西日本の上層部は、本当の意味でエリートとは言えないわけ。

マスコミもこんな観点から追求すると、格調が出てくるでしょうが、まあ、彼らには無理でしょう。

被害者意識に浸っているから、平気でウソもつく。そして自分自身の尊厳を保とうなどとは考えない。
そんな人間と関わっても、いいことなんて全然ありませんよ。
R.10/10/16