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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない情報,スキル
配信日 05年5月30日 (10年10月2日 記述を追加)
タイトル 皮膚感覚の常識  (論破ですべる)
ダメダメ家庭は会話が不全の家庭。
家族の間で会話があるわけではない。だから親が持っている常識だって、子供には伝わらない。と言うか、そもそも、ダメダメな親自身にも常識なんてあるわけもなく・・・
ダメダメ家庭の子供は、親から一般常識を習得することは非常に難しいわけ。

それに、ダメダメ家庭では、会話の能力が習得されないので、家族以外の人間との会話だってうまくいかない。
だから、他の人が持っている常識だって、会話を通じて習得することは難しい。

しかし、本人がそれなりの知的能力を持っている場合は、自分自身で考えて対応することが、論理的には、可能ですよね。
しかし、自分ひとりで考えたものなので、それなりの論理展開はあっても、一般の人が持っている皮膚感覚的な常識とかけ離れてしまうんですね。

何も常識にとらわれる必要はありませんが、人に対して自分の意向を伝える際には、「相手が持っている常識」を前提に話を進める必要があるでしょ?独りよがりの意見を主張しても、周囲がビックリするだけですよ。

私が学生時代には、まだ学生運動をやっている人もいて、びっくりするようなスローガンの立看板を見たことがあります。
その文句は、『反戦運動を結集して、日本を内戦状態へ!!』というもの。
デカデカと派手な字体で書いてある。

さすがの頭脳明晰な?私も、20秒くらいは理解不能でした。
頭を回転させて何とか論理は理解できました。たぶん「現在の日本政府は、アメリカ追従の好戦的勢力である。→ だから戦争に反対する勢力は反政府勢力であると言える。→ 反政府戦力が結集すれば、巨大な対抗勢力になる。→ その巨大な対抗勢力を結集して、日本を内戦状態に持ち込もう!」
という意味・・・彼らにしてみれば・・・なんでしょう。

論理は論理として、彼らなりにはあるでしょう。しかし、皮膚感覚の常識とはかけ離れていますよね?
「反戦勢力が結集すると、どうして内戦に結実するの?」って、マトモな感覚が残っていれば、ビックリするだけですよ。
私が出た大学は、入学するに当たって下から数えた方が早いという大学ではなかったはずです。周囲の学生だって、その立て看板を見て笑っていましたからね。しかし、会話不全で、「悪いのは全部○○のせいだ!」と言った対抗心が強いダメダメ家庭で育ってしまった人が、そのような「キャッチフレーズ」を書いてしまうことも、まあ、理解はできる。
しかし、論理の流れは理解できても、そんなキャッチフレーズを読んで「おお!すばらしい!」「この人たちと一緒にやりたい。」なんて思う人は、ヘンですよね?

あるいは、私が中学生の時に、新聞を見てびっくりしたことがあります。とある日本のアナーキスト(無政府主義者)とのインタビューが載っていました。そのアナーキスト(無政府主義者)いわく。「我々の主張を広く民衆に伝えていくためには、我々アナーキストも政治に対して積極的に参加していく必要がある。」というものでした。

政府に参加して、自分たちの主張を政治の力を使って主張していくのは、確かに効果的であるとは言えるでしょう。確かにネ。
しかし、無政府主義者が政府に参加してどうするの?無政府主義者が政府を作るの?確かに歴史的意義はあるでしょうね、確かにネ。
そんな論理は、論理としてはつながっていても、皮膚感覚とはズレていますよね?

あるいは最近の話ですが、面白い記述を見つけました。
日本の情報機関といえる公安調査庁の記述です。
現在世界中で登場している「反グローバル主義」の勢力についてです。
それこそ、その手の集団は、サミットの会場周辺で過激なデモなどをやったりするでしょ?
現在のグローバリズムの進展に反対する人がいても不思議ではありません。主義は人それぞれですからね。
しかし、その公安調査庁の記述によると、
「反グローバル主義を掲げて、グローバリズムに反対運動を展開している勢力は、世界中の反グローバル勢力との連携を深めている。」んだそう。

確かに世界中の同志と連携することは、活動においては効果的でしょう。当然のことですよね?
しかし、世界的なレヴェルで連携を進める「反グローバル勢力」って、釈然としませんよね?
そんなにグローバリズムが嫌いなら、北海道にでも引っ込んで、自給自足の生活をすればいいじゃないの?

このような反グローバル運動の「進め方」は、会話不全の、そして、対抗心が強い、まさにダメダメ家庭の出身者ならではのことでしょ?「反戦運動を結集して、日本を内戦状態へ!!」というキャッチフレーズとよく似ていますよね?

そのような言動をする人が、子供時代に、いかに、親と会話をしてこなかったか?あるいは、出来なかったか?
また、その人が大人になっても多様な人との会話をしてこなかったか?
それらがスグにわかるわけ。

ダメダメ家庭出身の似たもの同士だけと会話をして、「悪いのは全部○○のせいだ!」とお互いの対抗心を膨らませ、一緒に共鳴し、「こうすれば、すべて解決だ!」と、ダメダメ家庭出身者ならではの妄想へ逃げ込んでいく・・・
そんな日々を想定すると、そんな素っ頓狂な言動の背景も見えてくるわけです。
こんな素っ頓狂なメッセージを味わうことにより、周囲の人は、そんなダメダメ家庭出身者の「その前」や「その後」について、考えたりすることができるわけ。

これほど、面白いキャッチコピーはまれですが、この手の皮膚感覚からズレた、キャッチコピーって、たまにありますよね?
そんな珍妙なキャッチコピーからは、その作者の子供時代が見えてくるわけです。

最初に書きましたが、常識にとらわれる必要はありません。しかし、自分の意見をわかってほしいのなら、伝える相手なり、わかってほしい対象とする人たちが持っている常識や価値観を考慮しながら話を進めることは必要でしょ?自分の独りよがりな発想をがなりたてても、それが論理的に整合していたとしても、単なる自己満足で終わってしまいますよ。

相手に自分の考えを伝える際には、自分の発想を先に展開するのではなく、どうせなら、相手が持っているであろう常識を、こちらが丁寧に広げると相手によくわかってもらえるものです。
相手の常識を丁寧に広げて、「アレっ?ここに穴が開いていますよ!さあ!この穴から向こうを見てみましょう!」と、相手側の常識の穴から別の世界を見せてあげる。そのような進め方をすると説得力がより出てきたりするわけ。相手方の常識を十分に認識し、尊重した上で、その中に潜む微妙な不整合に着目するわけ。

ちょっとした違和感を作り出すことによって、大きな説得力を持たせることができるわけ。
だって、相手にしても、もともと自分の持っている常識をもとにしているので、理解もしやすいでしょ?逆に言うと、その不整合なり、違和感も、認識しやすいことになる。
相手と自分の価値観の違いに着目するよりも、相手方の考えや常識の内部で発生する違和感を丁寧に展開した方が話は進むわけです。
まあ、画家のルネ・マグリット風と言えるのかも?

人が何かに接して違和感を持ったりするのは、その手の「皮膚感覚の常識」とズレた時に感じたりするもの。
その違和感から、新たな知見につなげていけばいいわけですし、逆に、相手から提示された見解の不十分さとかも感じられることになる。
そんなやり取りだったら、落ち着いたものになりますし、相互理解にもつながるでしょ?

しかし、ダメダメ家庭の人は、議論のやり取りにおいて、「論破」などというマトモな人が決して使ったことのないマイナーな言葉を持ち出し、「アイツを論破してやる!」なんて目を血走らせることになる。
たとえ、実際に、相手を「論破」したとしても、そんなマイナーな言葉を使ったり、目を血走らせている状態だったら、多くの人の賛同は得られないでしょ?
マトモな人は、「相手を論破した!」と喜んでいる人とは一緒にはやりたくはありませんよ。

ダメダメ家庭の人間は、皮膚感覚の常識を持っていないので、やり取りの相手を論破することはできても、相手の「いかがわしさ」や「常識からの逸脱」を浮かび上がらせることはできないわけ。
2つの価値観のぶつかり合いにおいて勝つことはできても、相手側や周囲の人を納得させることはできないわけ。
一般的には、論理の整合性よりも、「それって、言葉の上では通っていても、実際には、ちょっとヘンじゃないの?」と思わせるような皮膚感覚のズレ方が気になる場合もあるでしょ?

実際問題として、典型的にみられる事例があって、それは近日話題になっている漫画やアニメなどのフィクションの領域でのポルノの領域です。なんでも非実在青少年とかの光彩陸離たる専門用語まであるそう。
その手の作品の中で、いささか常軌を逸する表現もあるようで、それを、各種団体の人がやり玉にあげているようです。だから「規制しろ!」との主張になる。
常軌を逸した表現だけでなく、まあ、どってことのない作品までが健全育成の美名のもとに放逐される可能性があるようです。

そのような規制の主張に対して、「その手のポルノ愛好家」が、反対の声を上げているようです。
それこそ「表現の自由に対する侵害だ!」とか「フィクションにおけるポルノは迷惑をかけていないじゃないか?」とかの主張があるよう。

私としては、そのマターに関しては、特に関心はありませんが、この私のサイトの文章が、ポルノ規制を推進しようとする人々の心理を理解するのに役に立つとのことで、いつのまにか紹介されていたことがありました。
紹介されることは一向に構いませんし、お役に立てば、それはそれで結構なことですよ。しかし、そこまで関心があるのなら、この私の知恵でも借りに来ればいいのに・・・
まあ、情報強者さんという存在は、詮索はできても、知恵を得ることはできないんでしょうか?

規制推進の人にせよ、規制反対の人にせよ、ポルノの問題を、そこまで目を血走らせて議論すること自体が、まあ、ナニ・・・なんじゃないの?
議論で勝ったとしても、つまり論理的に勝ったとしても、目を血走らせている時点で、周囲の一般の人の賛同は得られませんよ。
どっちの側もね。

もし、その種の規制に反対したければ、こんな「反論?」が一番効果的なのでは?
『アナタがおっしゃるように、その種のフィクションのポルノが、青少年の育成に悪影響があるとして、じゃあ、アナタが推薦する健全なポルノを教えてよ。アナタのご主人が思春期の頃に見たポルノを教えてよ。ボクたちも、それを参考にして、アナタのご主人のように健全な人間になるようにするよ。』
そのように、余裕をもって質問すればいいだけ。目を血走らせて、論破するよりも、はるかに実効性のある反論ですよ。

そんな質問に対して、「ウチの主人は、思春期の頃もポルノなんて見たことがない。」という回答だったら、その時点でアウトでしょ?それは論理的には整合していても、皮膚感覚の常識からは逸脱していますよね?
そんなことを真顔で語る人の主張なんて、ポルノ以上に「いかがわしい」でしょ?

あるいは、別の回答のパターンがあるでしょう。
「主人が思春期の頃に見たポルノなんて、ワタシは知らない。」という回答だったら、「他人のポルノの問題を議論する前に、夫婦でフランクな会話をしてみたら?」と突っ込んでオシマイですよ。つまり、ポルノ規制にうつつをぬかしながら、夫婦の間では会話がない状態を浮かび上がらせることができれば、論理的にはともかく、皮膚感覚の常識からの違和感が出てくるでしょ?そんな人の主張などは、マトモな人からは相手にされませんよ。ポルノ根絶に励むよりも、夫婦なり子供との会話を充実させることの方が、子供の健全育成には必要なことですからね。

また、別の回答として、「主人の思春期の頃の趣味の問題は個人の問題だろう!アンタたちには関係ないわ!」という回答だったら、「ボクたちが見るポルノの問題も、個人の問題であって、アナタには関係ないよ。」と突っ込めばオシマイとなる。これはどちらかというと、論理的な反論と言えるでしょう。

論破などと言い出し、議論で勝つよりも、そんな感じの違和感を顕在化した方が説得力があるでしょ?
どんなテーマであれ、相手側を論破しようと目を血走らせている段階で、周囲の人にしてみれば、「わぁ!キモイ!」って思いますよ。
ポルノについての議論で、目を血走らせて、「オレたちの主張の方が整合性があるぞ!やっぱり、規制なんて必要ないぞ!あはは!オレはアイツたちを論破してやったぞ!ヘン!ザマーミロ!」と喝采を叫んだら、多くの人の支持が得られるの?
そんなわけないでしょ?

一般の人が思うのは、「へぇ・・・フィクションのポルノを見ていると、あんな人間になってしまうのかぁ?ヤバイなぁ・・・やっぱり規制は必要だな!」となるのは、それこそ皮膚感覚的にわかることでしょ?

規制に対して反対するにせよ、余裕を持ったスタイルで、相手方の自己逃避を明らかにしていく方が、周囲の人間に対しての説得力となるでしょ?
だって、自分の主張以外は認めないと言い張る自己逃避人間とは一緒に行動したくはありませんからね。それよりも、余裕ある態度で、周囲の人とフランクなやり取りをしている雰囲気が見える人と一緒にいたいでしょ?それが、たとえポルノ愛好家だったとしてもね。
掲げる主張そのものに注視するよりも、その主張を掲げる人間の「いかがわしさ」を明らかにすることが実効性につながる場合も多いわけ。

問答無用で正論を連呼する、そんなやり取りのスタイルが醸し出す違和感を浮かび上がらせればいいだけ。
そんな姿に人の視点を集中させることにより、その親が子供と行っている会話のスタイルも見えてくるでしょ?
議論の立場がどんなものであれ、問答無用の物言いをする人は、やり取りの相手を否定的に見ているわけ。
そんな人は、自分の子供も、その心理として否定的に見ているのは、皮膚感覚的に理解できること。

人々の主張を考える際に、論理の面よりも皮膚感覚の常識の面から見て「いかがわしい」と思えるものが多いわけ。
逆に言うと、議論において、その点に着目できないということは、結局は同類ということ。
敵味方の違いはあっても、類は友を呼ぶ状況なんですね。
相手を論破しようと激しいやり取りをするのはともかく、そんな姿は、典型的な近親憎悪。
結局は、どちらの側も、周囲の人たちから呆れられるだけ。
しかし、ダメダメ家庭の人間は、そんなギャグのようなことをよくやっているものですよね?

(終了)
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発信後記

アメリカで「スターウォーズ」の新作が公開されていますよね?
私はヴィデオでエピソード4〜6を見ただけです。
あのスターウォーズという映画は、見る人が見るとネタ本がスグにわかります。
ユングとケレーニイの「神話学」をネタにしている。

神話というとアカデミックな言い方になりますが、まあ、「おとぎ話」。
世界中のおとぎ話って、やっぱり似たところがあるわけ。
登場人物のキャラもレギュラーメンバーのようなものがいたりする。
頼りにならない同行人とか、老賢人とか、頼りになる兄貴分とか・・・
あと、2人は実は血がつながっていたとか、父親との葛藤と和解などの展開も、いやゆる「お約束」。騎士とお姫様のラヴロマンスもお約束。そしてチャンバラシーン。これらはSFのツボというより、おとぎ話のツボなんですね。だからみんながワクワクと楽しめるわけでしょう。

あのスターウォーズの魅力は、新しさではなく、古臭さにあるわけ。だから続編を作るのが大変。中途半端に新しくしてしまうと、何の面白さもなくなってしまう。ということで、続編は前史に遡ることにしたんでしょうネ。結局、エピソード7〜9は作らないそうですが、あの映画の性格上は、当然のこと。結果的に父と息子の和解で終わることになったわけですが、それでいいんじゃないの?

スターウォーズというと、そのテーマ曲でびっくりしたことがあります。
東京の靖国通りにいた時のこと。場所柄、右翼の街宣車がにぎやか。
大体の街宣車は軍歌を流しているけど、中にはあのスターウォーズのテーマ曲を街宣活動に使っている団体もありました。
ハイカラな右翼だねぇ。
著作権料の問題はともかく、アメリカ映画のテーマ曲を使いながら、「自主憲法制定!」なんてがなっても、調子狂っちゃいますよね?

しかし、もっとビックリしたことがあります。
その軍歌もスターウォーズのテーマ曲も、お昼の12時ジャストになったらピタっとやみました。そして1時ジャストに再開されました。
どうやら右翼のお昼休みの時間ようです。

それはそれで結構ですが、12時ジャストでお昼休みに入れるなんて・・・なんと恵まれた労働環境なんだろう!今時そんな会社なんてザラにはありませんよ。
思い起こしてみれば、右翼はあまり朝早くとか夜遅くには活動しない。街宣車は迷惑になるから当然ですが、ビラ配りくらいなら、夜やってもいいんじゃないの?

「定時」は、10時から7時まで、昼休みは12時から1時まで・・・そんな労働条件がしっかり守られているんでしょう。土曜日の休日出勤はありますが、シフトもあるんでしょうしね。あまり残業している様子がないでしょ?
きっと労働組合がしっかりしているんでしょうね。
管理職でない一般の右翼は、日の丸を赤旗に持ち替えて「我々、右翼の労働条件向上のためにガンバロウ!」なんて運動しているのかも?

アメリカ映画を愛し、労働運動にも熱心。それはそれでいいのですが、そんな人が右翼だったら、ピンと来ませんよね。今回のお題と似たところもありますが。
R.10/10/2