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カテゴリー ダメダメ家庭が持っていない発想
配信日 05年6月3日
タイトル 反省の心がない
例えば、歩いていたら急に雨に降られた。傘を持っていない。「ああ、困った、困った!」って、人間はそんな時もあったりしますよね?
そんな時に、「そう言えば、今日の天気予報をちゃんと見ておけばよかった。しまったなぁ・・・」とか、「ちゃんと、折りたたみの傘くらいは鞄に入れておかないとネ。」と、反省する人もいるでしょう。

あるいは、家に空き巣が入った。「もっと厳重に戸締りしなくっちゃ!」とか「民間の警備会社と契約しようかな?」と、今後の対応に考慮をめぐらしたりする場合もあるでしょう。

色々と考えて対策を取っても、必ずしも上手く行くものではありません。
「これからは、ちゃんと天気予報をチェックしよう!」と思っても、つい忘れてしまったり、天気予報だって外れることも多いし。

しかし、まずもって、自分でできることは出来る限り対応することは重要でしょ?

「雨が降らないように、政府が何とかしろ!」とか、「地域の治安をもっと考えろ!」と、言いたいこともあるでしょうが、まずもって自分でできることをちゃんとやることも必要なんですね。自分なりの事前準備についても考えてもいいんじゃないの?

街を歩いていたら雨が降りそうだったが、かろうじて降らなかった。
そのような、ヒヤっとした状況下でどう考えるか?
「雨が降らなかったからいいじゃないか?」と考えることもできます。
しかし、それに加えて「今日は危なかったなぁ・・・、今度から天気予報はチェックしておかないとナ!」と思えるかどうか?

ダメダメ家庭は当事者意識がない。自分でできることもやろうとしない。だから被害者意識に結びつく。
その時点においては、結果オーライではあるのですが、それまでの準備の差というものがありますよね?
同じ結果でも、小さな準備の差が積み重なって行けばどうなるのか?
将来も同じ結果とは行かないでしょ?

雨が降りそうで降らない段階で、ちゃんと反省できるか?
この辺りで、ダメダメ家庭とマトモ家庭の差が出てしまうわけです。

近所で空き巣の被害が多発していれば、自分の家でも事前に対策を立てる必要があるわけでしょ?そんな状況下で自分の家が空き巣に入られた後で、空き巣を恨むだけではしょうがないわけ。

しかし、この手の事前準備をしない人に限って、相手を恨むわけ。
当事者意識があるからこそ、事前準備とか、事前の対策について考えるわけで、当事者意識がなければ、事前には何もしませんよ。
つまり、ダメダメ人間には、準備不足という発想そのものがないので、純然たる被害者としての立ち位置に自分を置くことができるわけ。

当事者意識がない分、反省もしない。
ダメダメって、そんなものなんですね。

反省というと、よく韓国人が日本に「反省しろ!」とか言いますよね?
過去の植民地支配云々とか・・・
しかし、あれもヘンな話。
当時はそんな時代だったのだから、他国に支配されたくなかったら、もっと事前に準備しなくてはならないでしょ?どこかの国と同盟を結ぶとか、工作員を日本政府に潜入させるとか。
何も対策を取らなかったら、支配されますよ。

自分の国を自分で守るという当事者意識がないため、いつものように被害者意識に結びつく。自分の非を認めたくないがため、逆に相手に反省を迫る。
本人たちは、サッパリした気分になれるでしょうが、今後も同じようなことが起こってしまうでしょ?
なんでも朝鮮半島の国は有史以来、戦争に勝ったことがないそうですが、戦争に負けた反省をしないからなんですね。
実際に韓国人自身が何か反省をしたことなんてないでしょ?

自分のできることは、自分自身で確実にやる。
そのような当事者意識がない人は、何も反省をしないし、何も改善しない。
まさにダメダメ一直線となるわけです。

「ああ!私は今回は無事だった!ラッキー!」

そう!ラッキーなうちに対策を取っておけば、問題は大きくならないわけです。
「ああ、ヨカッタ!ほっとしたよ!ラッキー!これからはもっと安心できるように準備しないと・・・」
マトモな人間なら、そのようにして自分の進歩が図れるわけですが、ダメダメな人間は当事者意識がないので、運だけに頼ってしまう。

「一人目の子供を育てていて大変だ!ワタシには子育ては向かないのかな?」って、遅過ぎるきらいはありますが、せめてその時点で反省しないとね。
しかし、ダメダメ家庭では何も考えずに、また犬猫のようにすぐに出産してしまう。挙句の果てには「子供が嫌いなワタシが子供を持ったのは政府のせいだ!ワタシは政府の少子化対策の犠牲者だ!」と被害者意識を膨らませることになる。
その被害者意識の対象が政府に行くならともかく、現実的には身近で弱い立場のものに向かうわけ。とんでもない発想のようですが、現実の例ですよ。

また、「夫は子育てに非協力的だ!」と一人目の子供の時に感じたら、常識的には2人目の子供を作ることには躊躇するものでしょ?
しかし、ダメダメ人間は、何も考えずに、そのまま2人目の子供を作ってしまう。

あるいは、結婚前の付き合っている時に、相手から乱暴な扱いを受けた・・・
本来ならその時に、状況を確認する必要があるでしょ?しかし、ダメダメ人間は「何も考えずに」そんな人間と結婚し、ドメスティック・ヴァイオレンスに陥ったりするわけ。

実際にダメダメ家庭の人間と話をしていると、途方に暮れることがよくあります。
「アンタ・・・ヒヤっとしたその時に、ちょっとは自分で反省したら?」
大事件が起こる前には、ヒヤっとした未遂事件が必ず起こっているものなんですね。それこそ最近のJR西日本だってそうでしょう?あるいは、まさに長崎県で子供の事件が多発しているのがその典型。「自分じゃなった!ラッキー!」で済ませてしまうから、自分の子供が事件に巻き込まれることになるわけ。

マトモな集団は、ちょっとしたトラブルの時点で反省し対策を取るもの。ダメダメな人間は、「ラッキー!」で、何も対策を取らずに、大事件に突進していく。そして事件が起こっても「ワタシは何てかわいそうなの?!」と嘆いて終わってしまうものなんですね。
前にも書きましたが、事前の準備とか事前の対策という発想そのものがないので、自分の準備不足という観点そのものが存在しない。
だから、安心して「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と嘆きの声を上げることになる。

ヒヤっとした時に反省しない人は、事件が起こっても反省はしないものです。そして、相手を恨むだけ。事後での反省のなさは、事前での準備不足の認識のなさと表裏一体のもの。だから、このようなトラブルが連鎖していくことになる。そのような状態になると、もう行くところまで行くしかないわけです。そして、その犠牲は一番力が弱い子供が背負ってしまうわけ。

(終了)
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発信後記

このメルマガの文章が「長い!」とのご意見があって・・・まさにおっしゃるとおりですね。この点はまさに「反省」しないとね。
と言いながら、長くならざるを得ない面もあるわけです。というのは、
1. 文章の背景ができるだけわかりやすいように、その面から書き起こしたりしている。
2. 実例を多く書いている。
だからどうしても、長くなってしまう。短い文章で自分の「意見」だけ書くと分かりやすいとは言えますが、そうなると説教臭くなってしまう。この点が難しいところ。

また別の面で、私の文章自体が持っている「分かりにくさ」もあります。
このメルマガの購読者の方で、ご自分でメルマガを発行されているような方ならお分かりでしょうが、私の文章は、ちょっと技巧的なところもあるわけ。

引用が多かったり、エピソードへの焦点の当て方なども色々な方向から当てたり、エピソードが主で、本文が従のケースがあったり・・・と、ややこしい。文章自体が「組んず解れず」展開されるわけ。分かりにくさは文章の長さの問題だけではないんです。
そもそも文章の質、量ともメールマガジン向けとは言い難い。プリントアウトして読んでいるとおっしゃる方もいるのもわかります。

ちなみに、比較的軽い筆致で、多くの引用を含んだり、またメッセージを前面に出すことなく、背景にしのばせる、というような手法は典型的にポストモダンの表現手法といえます。
まあ、映画監督だとウディ・アレンとかペドロ・アルモドバルとか、作曲家だとショスタコーヴィッチとかね。幸か不幸か私の文章も現代的というわけです。

ダメダメ家庭の問題と、引用表現は実は大変に関係が深いのですが、その点について書くと、本格的に分かりにくいので、やめておきます。文章が長くて分かりにくいとお感じの方は、いっそのこと「間引き」して読んでいただいて結構です。

週3回の発行の全部を読まなくても、週1回でもOKです。どうせ「1話完結」のスタイルですから。後はバックナンバーで興味のありそうなのをお読みいただくことで十分です。私としては以前にも書きましたが、「自分が分かっていないことを自覚する。」(ソクラテスの言う「無知の知」ですね。)ことによって、「絶えず考え続ける。」(ゲーテの「ファウスト」のラストで言っています。)ようになればいいなぁ・・・と思っているだけです。

ポストモダンで現代的な文章ですが、言っていることは伝統的なんですヨ。
R.10/11/19