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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない情報,スキル
配信日 05年6月8日 (11年1月15日 記述を追加)
タイトル 料理の知識
書物から得ることができる知識もありますし、書物からでは得にくい知識もあります。
たとえば、歴史の知識などは、書物から得るものでしょ?
昔の人の暮らしなどは実際に体験できませんからね。

書物だけでは得ることが難しい知識となると、人間心理とか、会話の技術とかが代表例といえるでしょう。
人とのやり取りに関わるようなマターについては、良質な場数を踏まないと、習得することは難しいものでしょ?
人とのやり取りにおける良質が場数を踏むことが難しいダメダメ家庭の子供は、「人の気持ちが分からない」人間になったり、会話の能力の欠落した人間になってしまう。
今だったらパソコンの知識などもその例とも言えるかも?パソコンの知識も、本で読むより自分で触って覚える方が身につきますよね?しかし、書物ではなく、実体験が有効なものの代表例は恋愛でしょ?恋愛論の本をいくつも読むより、1回の実体験ですよネ?

何回も書きますが、これらの人間心理とか、会話の技術などについては、ダメダメ家庭において習得することは難しい。そもそも、親だって持っていませんからね。子供を指導するとかの問題ではない。
その他にダメダメ家庭で習得することが難しい知識として、食べ物に関する知識があります。
料理などは、本で読んでみても、ピンと来ないでしょ?
やっぱり実際に食べてみないことには実感がわきませんよね?

ダメダメ家庭では、この食事体験が非常に貧弱になっていることが多い。
そもそも家族全員で食事を取ることも少なかったりする。それに家庭における家族での食卓も、決して楽しいものとは言えない。その食卓に「参加」というか「召集」されている子供としては、「一刻も早くこの場を立ち去りたい!」というのが、食事中の本音となっている。
料理云々を言っている場合ではないわけ。

もともと楽しい食卓というわけではないのだから、料理を作る親にしても、どんどん「ぞんざい」になっていく。こうやって家庭における食卓の崩壊がスパイラル的に進行してしまう。

まさに、「て・き・と・う」街道を驀進することになる。
料理だって、もともと「ぞんざい」に作ったものなので、おいしいわけもなく、おまけに食事中の雰囲気だって最悪。こんな食卓からは、子供だって料理の知識なんて得ることは不可能ですよね?
「お母さん!今日の料理は、おいしいね!何て名前の料理なの?どうやって作るの?」そんな会話なんてありようがない。
食事中に「この料理はどんな料理なの?どうやって作るの?」というやり取りすらない食卓だったら、他にはどんなやり取りをするの?常識的に見てありえないでしょ?
ダメダメ家庭においては、ただ、無言でエサを食べているという状態となっている。
もし、言葉があるとしたら、親が語るグチくらい。
単に家庭内の食卓が崩壊しているだけでなく、ダメダメ家庭では家族で食事に出かけるような習慣もない。様々な料理に触れる機会がないわけです。

実際の例としては、「物心ついて以来、家族みんなで食卓を囲んだことが一回もない。」という女性の例もあります。
その家庭では、子供にピアノの個人レッスンを受けさせても、食事はいい加減になっている。お金のあるダメダメ家庭での事例です。子供が、食事はいつも近所の喫茶店で一人で済ませている日々となっている。ここまで極端な事例は多くはないでしょうが、似たような事例は結構あるでしょ?

このような環境で育つと、もともと料理の知識がないだけでなく、食事そのものもキライになりますよね?だって、思い出すだけで不快な気分になるんですからね。だから料理の知識も増えることはない。
料理の知識というものは、その出身家庭の食卓の健全さを現すよい指標と言えるわけです。何も本に出ているような豪華な料理でなくても、典型的な家庭料理ってありますよね?

ダメダメ家庭ではそもそも食事で出される料理のヴァリエーションが少ないだけでなく、食卓の雰囲気も悪いため、子供は食事のことを思い出さない。また、家族そろっての外食もしない。
だから、ダメダメ家庭出身者かどうかを確かめるには、相手に食事や料理の話をしてもらうとスグに判ったりするものですよ。
別にどうということのない料理でも、色々な思い出をつけて多く語ることができれば、マトモ家庭出身の人と言えるでしょう。

あるいは、料理そのもの以上に、付け合せとか添え物のようなものに、手抜きが顕著になることが多い。この料理には、ポン酢がいいのか?タルタルソースがいいのか?大根おろしがいいのか?とか・・・色々とあるでしょ?
しかし、「料理なんて、食べることができればそれでいいや!」と思っているダメダメな親は、それこそどんな料理にも醤油で済ましたりする。
そんなダメダメ家庭の常識を、学校時代に別の生徒に見せてしまって、周囲の生徒から大笑いとなってしまう。
そんな体験があったりするので、ますます「食べることに関して思い出すのもイヤ!」となる。
ということで、料理とか、食卓に関する記憶がほとんどないという状態になってしまう。

そんな人とのやり取りでは、子供時代の食事体験の話になったりすると、しばらく考え込んで「うーん、特に食事の思い出なんてないなぁ・・・ふつうの食卓だったから。」などと回答したりする。そんな食事が「ふつう」となってしまうわけです。本人が、自分の出身家庭のダメダメさを自覚していれば、まだ問題も少ないわけですが、「ふつう」という言葉でごまかして、本人の自覚がない場合には、そんな人には近づくと、とんでもない修羅場になってしまうわけです。

料理の知識は、食卓の思い出に直結しているもの。
食卓にいい思い出がなければ、料理の知識が増えないということだけでなく、その家庭全体が崩壊していると言っていいでしょ?
食卓が不快なマトモ家庭があるわけがないでしょ?食卓を楽しくすることは、その気になりさえすれば、できることですからね。
だからこそ、料理の知識なり、食事の思い出をみれば、その家庭の内実がよくわかるものなんですね。

(終了)
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発信後記

次回は総集編の予定です。
普段から強烈な文章が多いこのメールマガジンですが、次回はとりわけ強烈・・・激烈な文章といえるでしょう。
といっても、読者の方には直接には関わらない内容です。
見当がつく方もいらっしゃるかもしれませんが・・・
R.11/1/15