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カテゴリー ダメダメ家庭はいつも否定形
配信日 05年6月13日 (11年1月29日 記述を追加)
タイトル やたら他人を非難する
ちょっと前のアメリカのアニメ「サウスパーク」は、お下劣ということで悪名高い作品でしたが、実際に見てみると、なかなか細やかな心情が表現されているアニメでした。
その劇場版では、登場人物の子供が「ママはいつも他人を非難しているけど、ボクの話を全然聞いてくれない!」というセリフもありました。

その点では、ダメダメ家庭というものは、アメリカだろうが、日本だろうが同じですよね?
ダメダメ家庭の親はやたら他人を非難するもの。そして、そのセリフが語るように、目の前の子供の話は聞かないもの。
違いますか?

そして、非難にあたっても、論理や理屈などもなく、やたら感情的。
非難というよりも、悪態に近い。
「あのクソおやじ!」「あのどうしようもないクソばばぁ!」「うるさいガキ!」「あの人、大っ嫌い!!」「人間のクズ!!」
このような調子の非難では聞いている方も不快ですよね?

非難されている人のどの点が問題であって、自分の子供には真似をしてほしくはないのか?このような具体的な事項を指摘できればいいのですが、ひたすら感情的な非難ですと、聞いている子供としても、「じゃあ、ボクらはどうすればいいの?」と困惑するだけです。
さながら日本人が、北朝鮮の放送を聞いていて、「一体、何が言いたいの?この人たち?」と思うようなものです。

勿論、人間も感情が昂ぶってくると、言葉使いも適切さを欠いて論旨の展開も不明瞭になるもの。
だからと言って、限度があるわけです。
それに、そんな感情的な非難の言葉は、子供に聞かせるものではないでしょ?
不満があるのなら、子供の前ではなく、どこか別のところで、発散すればいいだけ。
居酒屋さんとか、カラオケボックスなどで発散した方がいいのでは?

子供としては、他人への感情的な非難を繰り返す親を見ていたら、そのような親に困りごとを相談するでしょうか?
子供の側だって、自分より知的で冷静な判断や、実効性がある対処ができると考えているからこそ、親に相談を持ちかけるわけでしょ?
法律上規定されているから、親に相談を持ちかけるわけではないわけでしょ?
それに、そんなにやたら感情的に非難している親を見ていたら、その非難が自分に向かわないように戦々恐々となってしまうことは自明ですよね?

さて、他人を非難するに当たっては、上記のように、論理や客観性などが欠けた感情的な非難をするケースもありますが、論理的な非難の場合もあります。
この手のケースは、親に「貢献」しない子供を非難するパターンです。

それこそ、ある近隣の人が一流大学を卒業して、中央省庁に入り、要職についている人がいたとしましょうか。
ただ、その人の田舎の実家では母親が一人でひっそりと暮らしているとしましょう。この手の例って結構あったりするでしょ?
このような「親にとって悲劇的な」事項を取り上げ、糾弾したりする。そのような形で他人を非難する方法もあるんですね。

そのエリートを糾弾して、「いまそのエリートは、精神的にまいっている・・・親を捨てた報いだ・・・」と連日のように子供に語って聞かせるわけですね。「子供なんか、親の面倒を見て一生を終わればいいんだ!」と宣言する。まあ、そんな物言いをする親も実際にいますよね?
あるいは、よくある例ですと「親を老人ホームに放り込むような子供」の例もあります。「自分の親を老人ホームに放り込むなんて外道のすること!今にそのものに天罰が下るであろうよ!」という、多少の説明が入った非難のパターンも現実にあります。

ダメダメな親としては、「子供は自分自身の幸福なんて追求してはいけない。ひたすら親の面倒を見なくてはいけない。そのためにわざわざ産んで育てたんじゃないか!」と言うわけです。
自分の子供に対し直接に罵詈雑言を浴びせることは、法律上問題が出てくる可能性があります。しかし、赤の他人をけなすことは全くの合法的ですよね?
しかし、そんな感じで人を非難ばかりしている親だからこそ、老人ホームに放っておきたいと思いますよね?まさか、そんな人と一緒にいたいとは思いませんよ。

そのように、ダメダメな親は「自分の子供が自分なりの幸福を追求すること」を否定することになる。子供に対して直接的に否定する以上に、他人を非難するという間接的な方法で子供の希望を否定するわけです。「自己の幸福の追求」を否定された子供が、将来どうなってしまうのについては明白でしょう。己を捨てて悟りの境地に入らざるを得ないわけですからね、たとえ小学生であっても。ここにダメダメ家庭ならではの、人生を捨ててしまった枯淡の境地の小学生が誕生するわけです。まさに「この門より入るもの、希望を捨てよ。」の境地。

しかし、10歳の子供が、自分の将来を「親の介護」しか想像できない状態だったら?
そのような精神状況だからこそ、逆に問題が起きてしまうんでしょ?

他人を非難するより、自分自身が子供にとって見本となるような人間になればいいじゃないの?
他者を否定するよりも、肯定に値する人間を実際に見せてあげることの方が子供にも有益でしょ?
あるいは、子供にとって有意義な体験を積ませてあげれば、子供も親に感謝しますよ。
どんな人間が考えたって、そのような対応の方が価値があるでしょ?しかし、ダメダメ家庭ではそのような当たり前のことはおざなりになって、やたら他人を非難するばかり。
物事の視点が肯定方向を向いているのではなく、「気に入らないもの」「不快なもの」という否定方向のみに視点が向いている。そして、あら探しをして、誰かを非難し続けることになる。
まるでインターネットの掲示板に巣食っている連中が、そのまま子育てをしているようなもの。

確かに他人の行動や考え方に賛同できないことも多いでしょう。
それをどのように評価し、言葉にするのか?
本人は、勝手にしゃべっているだけなのかもしれませんが、その言葉を子供はちゃんと聞いているわけです。
「知的に、冷静に語ることができる人なのか?」「普段から子供のことを考えてくれる親なのか?」
子供だってそれを見ていますよ。
他人を評価する言葉で、評価されるのは本人なんですね。

実は、典型的な実例があります。
前回配信の長崎県の事件の手記についてですが、物議を醸すようなネタなので、非難のメールが山のように・・・と思っていたのですが、ほとんど来ませんでした。
まあ、予告もしておきましたし、あの程度の文章で逆上するような人は、それ以前に購読解除していたでしょうしね。

しかし、1通ありました。
なんでも「知人だと思う」人から、突然あの文章が転送されたそうで、お読みになって逆上して、私にメールを送ってきました。
乱暴な口調の逆上のメールくらいは、それこそ想定内ですし、よくあることですですから、私としてはなんてことありませんが、興味深いのは突然の転送メールという形であの文章を送ること。

たぶん、このメールマガジンの購読者の方が、やったのでしょうね。
はっきり言ってお行儀が悪いねぇ。
しかし、その購読者さんの気持ちも分かりますヨ。
だって、その私への逆上メールを読めば、その人がいかに「人の話を聞かない」人なのかスグに分かってくる。購読者さんもそう思ったから、お行儀のよくない形で転送したのでしょうね。
ちょっと皮肉と警告の意味を混めて・・・「アンタもこの父親と同類だよ!」と言ったところでしょうか?

まあ、「知人」のような間柄だったら、問題は少ない。だってそんな「人の話を聞かない」、「スグに逆上する」「やたら他人を非難する」人とは、当然のこととして会ったり話をしなくなるでしょ?疎遠になるのも当然ですよね?
しかし、その手の「人の話を聞かない」人は、知人として厄介である以上に、家族として厄介な存在でしょ?家族だったら疎遠になることも難しい。まだ夫婦の間柄だったら、さっさと間違いを認め離婚すればいい。しかし、そんな人の子供だったらどうするの?
この手の「人の悪口ばかり」「人の話を聞かない」人間は、離婚する際になったら子供を手放さない。だって、結局は、自分の子供くらいしか自分の相手になってくれないでしょ?

しかし、当然のこととして、子供だってそんな親に対しては自分の困りごとを話しませんよ。
同格である知人が「あの人には何を言ってもムダ!」と思っている以上に、子供は「あの親には、何を言ってもムダ!」と思っているわけです。と言うか、「言うだけムダ!」というよりも、親にとって差し障りのあることを言い出すと、スグに逆上するから怖いと思っているくらい。
普段から、目を血走らせて逆上気味の非難を繰り返している親の姿を見ていたら、子供だってそんな人に話をするわけないでしょ?
逆上メールを送ってこられた方のお子さんがどのようになったのか、見当がつかないというわけではありませんが、「悪いのは全部○○のせいだ!」なんて言葉から何も改善は生まれないんですね。

そんな家庭の子供は、親に対して相談を持ちかけられないだけでなく、人を非難してばかりの親の環境で育ったんだから、非難への感応性が異常に高くなってしまう。
ちょっとでも自分に対し指摘を受けたりすると、それを自分に対する非難と捉え、被害者意識が刺激され、大騒ぎをすることになる。
気を許したりすると、親から自分が非難されると警戒心が身に付いてしまっているので、過剰に反応してしまわけです。
逆に言うと、ちょっとの指摘に対して、「オレを非難するのか?!」と逆上気味に反応する人の親は、まさに人を非難してばかりの親だったわけです。

ちなみに、いくら私だって、子供の事件があった後で、「こうなる前に親としてもっとできることがあったのではないだろうか?」と悩んでいる親に対して追い討ちはしませんよ。
「オレは全然悪くない!悪いのはアイツだ!」と、事件が起こっても他者を非難することだけに終始している親を、『それは、ちょっとおかしいんじゃないの?』と言っているだけです。

「そんなに困っていたのなら、どうしてこのワタシに言ってくれなかったのか?」
事件が起こった後で、そんな疑問を持つ親もいたりします。
しかし、子供に言わせないような雰囲気ってありますよね?
それこそ今回の「お題」のように、自分の親が人を非難ばかりしていたら、子供だって親に話しかけられないでしょ?

実際に、前回取り上げた長崎県の小学6年生による殺傷事件での被害者の少女の父親の手記ですが、人を非難する言葉がてんこ盛りでしょ?
困りごとを抱えている人が、あの手記の書き手に相談を持ちかけるわけがないじゃないの?
そんなことは、ちょっと日本語が読める人なら、誰でも分かること。
しかし、ダメダメ人間は、スグに被害者意識でいっぱいにして、誰かを非難するばかり。
非難することで、犯人認定の儀式とし、その儀式によって、ますます被害者意識に浸ることになる。
事件の被害者と言っても、通り魔事件の被害者なら、純然たる被害者と言えるでしょう。しかし、顔見知り同士なら、その事件に至る前に過程があるわけです。
その過程が進行する段階で、周囲の人間が適切に介入すれば事件にはなりません。

何も殺傷事件のような刃傷沙汰というばかりではなく、それこそ、企業へのクレーマーとか、モンスターペアレンツのような、「血までは流れない」レヴェルのトラブルにおいての非難行動も現実にあるでしょ?
あるいは、市民団体による非難というか抗議活動なども、ポピュラーでしょ?
それこそ、別のところで取り上げておりますが、漫画家の家に抗議するような女性も現実にいますよね?

自分の親がそんな過激な抗議をしていたら、その人の子供は、そんな親には何も言えないでしょ?
その手の抗議行動は、「オマエも、ワタシを怒らせたら、こうなるんだぞ!」と背中で語っているわけですからね。

ダメダメ家庭では、子供が自分の困りごとを親に相談できない。むしろ、親に対しては困りごとを隠してよそ行きの姿となる。だからこそ、トラブルの土壌は悪化し、事件への「過程」がドンドン進行してしまうものなんですね。

(終了)
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発信後記

逆上メールについてちょっと触れましたが、そのうち、そのことを取り上げてみたいと思っています。
ありがたいことに、私に送ってくださる方もいらっしゃいますしね。
その手のメールには、ビックリするような特徴があったりして、意外と楽しめるものなんですよ。
それに意外と共通点もあったりするものです。
やっぱりダメダメはダメダメなりの共通点があるんだぁ・・・と参考にさせていただいております。
R.11/2/16