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カテゴリー 形への依存
配信日 05年7月20日 (10年9月26日,10年12月11日 記述を追加)
タイトル 出来合いの理屈にしがみつく
ダメダメ家庭の人間は、自分自身で考えるようなことはしない。「とおり」のいい出来合いの見解を持ち出して、それで自分自身の問題を説明して「ハイっ!一件落着!」と勝手に納得してしまうんですね。

それこそ、03年に山口県で自分の双子の息子を殺害した母親がいました。
その母親は、子育てでトラブっている時に、
「夫の単身赴任で・・・」とか、
「子供の反抗期で・・・」とか、そんなことを言っていたそう。

単身赴任とか、反抗期とかの言葉を持ち出すと、一般受けがいいわけ。確かに、一般人にもなじみがあって、わかりやすい言葉ですからね。一般受けがいいだけでなく、言っている本人も簡単に納得することができるわけ。

しかし、そのような一般受けのいい言葉で納得してしまったら、もう自分で考えなくてもいいでしょ?逆に言うと、自分が考えたくないから、そのような一般受けがいい言葉を使いたがるものなんですね。そうやって、トラブルを「見ない」ようにするわけ。しかし、とりあえずは「見ない」ようにできても、実際問題として事態が解決したわけではない。だから、そんな人の話を聞いても、事態を認識するのに、何も参考にならない。

だって、誰でも知っている理屈を、ご丁寧に言われるだけなんですからね。
「ウチは娘の反抗期だから、夫と娘が全然話をしないのも当然だ!」
あるいは、
「この兄弟が始終ケンカばかりしているのも、一般的な兄弟ケンカだ!」
あるいは、
「男の子だから、暴れるのは当然だ!」
大人になると、
「私は実家に迷惑を掛けたくない・・・」
そのような、どこかで聞いたことがある言葉が出てくるだけ。
あるいは、
「インターネットの影響でこんな事件が起こってしまったんだ!」という犯人認定を伴った理屈もお約束のように出てくるものでしょ?

やり取りをしていると、以前にも聞いたことのあるような一般的な言葉を言われて、なんとなく納得はするけど、釈然としない・・・そんな気になったことってありませんか?
そのような一般受けする理屈って、確かに色々とあるものです。
しかし、じっくりと検討すると、そんな理屈では、実態を何も説明していないものなんですね。

例えば反抗期の問題だって、その反抗期になる前の状態はどうだったのか?
反抗期になる前から、もともと仲が悪かったのに、「ウチの娘は反抗期で・・・」と言ってもしょうがないでしょ?
兄弟ケンカだって、程度の問題がありますよね?

「インターネットによる影響でこんな事件が起こった。」というオバカさんが愛用する理屈も結構ですが、インターネットのない時代に同類の事件が発生していたら、インターネットの影響も何もないじゃないの?その点について、ちょっとは調べてみたの?

あるいは、別のところでふれておりますが、「夫が子育てに非協力的だ!」なる物言いでも、「子育て以外に、何に対して協力的なのか?」の問題もあるでしょ?
その点について十分に考えないと、「子育てに非協力的」の意味も全然違ってしまうでしょ?

しかし、このような出来合いの理屈を並べると、言っている本人が簡単に納得できてしまうわけ。
まあ、「これは、よくある『ふつう』のことよ!」あるいは、「悪いのは全部○○のせいだ!」と言ったところ。
しかし、このように勝手に自分自身で納得している親の姿を、子供の側は呆れて見ているわけです。
「危機のサインが、せっかく見えているのに、無視してしまって・・・」
「ウチの問題はそんな簡単なモンじゃないんだけどな。」

何もダメダメ家庭の問題に直接的に関わるものでなくても、一見は「そんなものかなぁ・・・」と思っても、じっくり考えると、「ちょっとヘンだ!」という物言いがあるものでしょ?

それこそ、ダメダメ人間にお約束の言葉といえる「ふつう」という言葉ですが、「一般的」というか「平均的」というか、「規格品的」な人は、「ふつう」という言葉を頻繁には使いませんよ。
「ワタシはフツーよ!」という物言いを、マトモな人がしますか?
「ワタシはフツーよ!」と言えることは、その「フツー」という状態を、「外から」見ているということでしょ?つまり、それだけ「フツーじゃない」立ち位置にいるということになるでしょ?

あるいは、「子供のことは、親であるワタシが一番わかっている。」なる物言いもありますが、子供のことを本当にわかっている親は、そんな物言いはしませんよ。
むしろ、自分の子供についての情報を積極的に聞き取ろうとしますよ。
聞く段階でその言葉で拒絶している段階で、もうその親は子供のことを「知ろうとしない」ことが見えてくるわけ。「知ろうとしない」んだから、実質的には「親であっても、子供のことは知らない。」わけです。

あるいは、そんな人なんだから、夫婦生活もうまくいくわけもない。
そして、離婚の問題が遡上に登ってくると、よく言われる物言いが、「子供のために離婚しない。」というもの。その言葉なり理屈は理屈でいいとして、そんな言葉を、子供の前で大々的に主張したら、いったいどんな理屈で「子供のために」となるの?

あるいは、よくPTA系の活動に入れ込んでいる親が「子供に読ませたい。」なる物言いで、書籍などを推薦しておりますが、そんなにその作品がいいのなら、さっさと自分の子供に与えればいいだけ。
そんな物言いを第3者に対して大々的にしなければならないということは、子供と別居しているの?

あるいは、ダメダメな人は、いきなり「アンタなんて嫌いだ!」などと言い出したりするもの。何も感情は人それですから、ある人を嫌いなのはそれでいいわけですが、だったら、そんな人から離れればいいだけ。

あるいは、「ワタシは幸福よ!」なんて大々的に主張する人々も実際にいるでしょ?
しかし、本当に幸福なら、そんな主張なんてしませんよ。「幸福状態」を自分なりに満喫すればいいだけ。

出来合いの理屈なり言葉は、とおりがいいわけですが、その言葉が「語られ」「主張される」段階で、不自然で不適切なケースも多いわけ。
本来は、その違和感から色々な問題が見えてくるものなんですが、ダメダメな人は、そんな出来合いの理屈や言葉が通ってしまい、反論なり質問を受けない環境を求めてしまう。

お互いが、出来合いの理屈を言い合い、お互いがクリティカルなところを突かない、「人に優しい」環境となっている。
おしゃべりには適してはいても、議論には不適。だから、トラブルがあっても何も解決せず、とりあえずの言い訳でお茶を濁すばかり。
出来合いの理屈というものは、別の言い方をすると、言い訳ともいえるでしょ?

言い訳が跋扈するからこそ、事態は何も改善せず、トラブルが積み重なっていく。
そして、そんな怠惰な雰囲気に、別のダメダメな人も吸い寄せられてくる。
そうやって、どんどんとダメダメが進行していく。

このような出来合いの理屈を愛用する人間が、子供に対して言うことは決まっていますよね?
「ふつうにしろ!」
「ふつうの子供になれ!」
まさに「出来合いの人間になれ!」と言うわけです。
ダメダメ家庭の言い分も、それなりにスジが通っていると言えるわけ。
しかし、その流れで突っ走ってしまうと、とんでもない事態になるのも、当然と言えば当然なんですね。

その手の出来合いの理屈は、問題を解決するために持ち出しているわけではないわけ。あくまで自分自身を納得させるために使っているだけ。そんな人との会話が面白くないのは当然と言えば当然。だって、本人が自分の問題から逃避するための便法に付き合っていても、面白いわけはないでしょ?

そしてそんな人と話をして面白くないのは、その人の子供だって同じ。
折角、親に話しかけても、どこかで聞いたようなありきたりで、規格品的で、既製品の言葉を言われるだけ。言葉は飛び交っていても、全然気持ちが入っていない・・・まさに典型的なダメダメの会話と言えるわけ。

それこそ、そんな家庭だったら、子供も自殺を考えることになる。
そうして、周囲の人間に相談したら、また、規格品的というか大量生産的な言葉が返ってくるもの。
たとえば、「キミも生きていれば、いいことがあるさ!」なんて言葉になったりするわけ。
しかし、ちょっとでも思考力がある人なら、簡単にわかることですが、そんなアドヴァイスによって、自殺を考えている人が、考えを変えるわけがないでしょ?
というよりも、そんなクリティカルな状況においても、そんな既製品的で出来合いのことばしか持ち出せないと言う点から色々と見えてくるわけ。

その手の既製品的な回答をする人に対して「アンタが言う、生きているとあるとされる『いいこと』って、具体的には何なの?ワタシにもわかるように教えてよ!」なんて追加で質問したら、どう回答するの?
まあ、「いいことって、いいことだよ!それくらいわからんのか!この、ボケナス!文句を言うとぶっ殺すぞ!」・・・ギャグではなく、現実にそんなものでしょ?

そもそも、「生きているといいことがある。」と言う言葉に、その人なりの信念があるわけではない。だから、次の日には、「生きていても何もいいことがない。」と平気で言ったりするもの。語っている内容よりも、そのブレこそが周囲の人間には不快きわまりないものでしょ?

普段から言葉が軽く、つまり、現状認識も思考も軽く、誰かの言葉を使い回しているだけの日々となっている。もし、自殺の相談を受けた側に、本当に伝えたいものがあったら、「ワタシもつらい時期があったけど、このように考えて今も生きている。」という個人的な真実を語れるし、相手に対しては、そんな実感のこもった言葉でないと無意味に決まっていますよ。

そんな出来合いの理屈にしがみつく人間に説教してもムダ。その手の人は、被害者意識も持っているものなので、「鋭い」ツッコミを入れると、まさに逆上するだけなんですね。
自分で考えたくないがための、あるいは、都合がいい言い訳としての出来合い理屈なので、その点について突っ込みが入ると、言い訳を拒否されたように感じ、逆上するわけ。
まあ、「君子危うきに近寄らず。」ということです。

(終了)
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発信後記

私はワイドショーネタには特に関心はありませんが、以前にもちょっと触れました「杉田かおる」さんの騒動は結構面白い。
そもそも最初から、こうなることはわかっていたはずなのに、なぜに今頃大騒ぎするの?

ダメダメ家庭にお約束の「被害者意識」がテンコ盛りですね。
星の数ほどいる男性や女性から、わざわざそんな人を「選んだ」のだから、まずは自分の選択ミスを考えないとね。
しかし、「自分は妙な相手による被害者だ!」と自分を納得させると、気分的にラク。
しかし、そんなことだと、同じミスを何回も繰り返すだけでしょ?

あの夫婦の親たちがいかにダメダメ人間だったのか、実によくわかるわけ。
といっても、結婚相手の悪口を並べて、「自分はいかに被害者か!」と主張するあの手の人は、いっぱいいます。それって本人が「自分はバカだ!」って言っているようなもの。
過去の間違いは間違いでしょうがないけど、しっかり反省して、次に生かさないとね。
R.10/12/11