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カテゴリー もてなしの心
配信日 05年7月22日 (10年7月19日 記述を追加)
タイトル 殺伐とした部屋
近所にスーパーマーケットが2軒あるとします。皆様は、どっちのお店に行くでしょうか?どんな観点で2つのお店を選ぶの?
安さ?品揃え?広さ?従業員の質?駐車場の問題?あるいはポイントカードが使えるとか、匂いの問題もあったりしますよね?
比較する観点は、色々とあるものです。

しかし、人間というものは意外と単純なもの。
往々にして、照明が明るい方に向かってしまう・・・そんなことがあるでしょ?

最初に照明が明るいお店に入って、その後に入ったお店の照明がちょっと暗かったりすると、「ゲッ!!」と思っちゃいますよね?
照明が、ちょっと暗めなだけなのに、気分まで落ち込んでしまうような感じになってしまう・・・
そんなことって、あるでしょ?

ヘンなもので、照明が明るければ、お客も集まってきて、そうなると品揃えも充実して、価格も安くなったりするわけ。
照明の明るさなんて、お店においてある商品の質には直接的には関係はないでしょうが、結局は関係して来たりするんですね。
照明の明るさの電気代を節約して、商品の安さに還元して行こう!・・・そんな発想の方が現実的とも言えるでしょうが、そんな現実なんて「頭の中だけの現実」と言えるわけ。

以前に配信したお題で、ダメダメ家庭はやたら費用対効果などと言う考えを持ち出し、「スグに成果を求める。」傾向がある・・・と書いたことがあります。
そのような意味では、ダメダメ家庭はムダのない堅実な家庭と言えるわけ。

だから、家庭の中も質素なもの。
花が飾っているわけもなく、ちょっとした絵が飾っているわけもなく・・・インテリアなどがない状態。そのクセ、妙なラッキーアイテムを購入したりすることは以前に書いています。
しかし、ちょっとしたインテリアなどは飾ったりはしないんですね。

部屋を快適に・・・と言うと上記のようなインテリアだけでなく、芳香剤のようなものから、それこそ最初に挙げました照明の明るさの問題もありますよね?
「照明なんか暗くていいじゃないの!?」
「その部屋で楽しく会話ができれば!!」

確かに理屈はそうなんですが、それはあくまで「頭の中の現実」。それこそ裸電球の暗い照明の下で家族が集まってどんな話をするの?
「ああ!オレたちの人生は、この先、どうなっちゃうんだろう?!」
そんな嘆きしか出てこないモノでしょ?
破れた障子などに囲まれていたら、当然のこととして気分だって落ち込んでしまうでしょ?

ダメダメ家庭というものは、まさにその家庭の部屋自体が、ダメダメなものなんですね。
家族の快適さ、などという発想は眼中にないわけ。
ただ「家族が、『て・き・と・う』に生きていればいいじゃないか?!」「オレたちは、『ふつう』にやっていければいいんだ。」
そんな感じ。
しかし、「部屋なんて『て・き・と・う』でいいや!」
と思ってレイアウトしている部屋の中で、どんな会話になるの?

そんな部屋での会話だって、まさに「て・き・と・う」で終わってしまうでしょ?自分たちの部屋にも注意を払わないような人間が、家族との会話にも注意を払ったりするの?

部屋を快適にする工夫なんて、そんなにお金がかかるものではありませんよね?
「部屋を快適にしよう!」と思っている人の部屋と、「『て・き・と・う』でいいや!」と思っている人の部屋なんて、その違いはスグにわかるわけ。

しかし、大人になると、スーパーを比べることはあっても、個人の自宅を比較することはありません。
しかし、子供は友人の家に遊びに行ったりしますよね?その時には、やっぱり「アレっ?!」と思うこともあるわけ。
友人の家の照明の明るい、快適な部屋の後で、自分の家の「薄暗く」て、「て・き・と・う」で、「ぞんざい」な部屋に戻ると、まさに「げっ!」と思っちゃうわけ。

ただでさえ、「いい加減」な部屋なのに、友人の快適な部屋の後に見るから、ますます「げっ!」と思ってしまう。
これではますます気分だって落ち込んでしまうでしょ?

こうなると、「げっ!」という思いを味わわなくて済むように、自分と同じような「て・き・と・う」な部屋の住人と付き合うように成らざるを得ませんよね?
そんな付き合いの結果がどうなるのか?
いつも報道されている通りでしょ?

児童虐待の事件などが報道されたりすると、その家自体が、雑草が伸び放題だったり、障子が破れていたりしていたりしますよね?
草むしりなんて、お金が掛かるわけではないし、障子の張り替えもお金は掛かりません。
もちろん、時間的にヒマがないということがあるでしょうが、そんなことを言っている人間は往々にしてテレビを見ながら、「あ〜あ、何かいいことがないかなぁ・・・」などとブチブチと独り言を言っているだけなんですね。

そんなグチをいうより、部屋のレイアウトの見直しなどの、自分でできることをやればいいじゃないの?環境が快適になれば、自然と「いいこと」だって起きますよ。
しかし、ダメダメ家庭は自分たちの身の回りも「て・き・と・う」。
そんな環境で育った子供がどうなってしまうのか?
それこそ子供でもわかることですよね?

そんな殺伐とした部屋で育ってしまうと、その「殺伐さ」「いい加減さ」「てきとうな感覚」が、いわばデフォルト状態になってしまう。大人になって、自分たちで自分たちの部屋や家を作っていく場合には、子供時代になじんでいる「ぞんざいさ」を基準点とするしかないでしょ?

「こんな素っ気のない部屋はイヤだ。」と思っても、部屋の装い方がわからない。
だから、結局は、親譲りの「ぞんざいな」スタイルを継承したり、あるいは、素っ頓狂な飾り方をしてしまう。基準点がダメダメというだけでなく、そこから改善していく方向性もわからないわけ。だから飾り付けをしようとしても、トンチンカンなものになってしまう。
あるいは、減点法に徹して、「チリひとつ落ちていないような」絵に描いたような清潔な部屋にしようとする。
それだったら、もともとの基準点が「殺伐」としたものであっても、自分なりに考えなくても、発生した減点部分を除去すればいいだけなんだから、対処は可能でしょ?
トンチンカンな飾りつけなり、逆方向での、チリひとつない極端な清潔さも、人間的な快適さとは遠い状態。結局は、そんな部屋を見た訪問者が「げっ!」と思ってしまうことに。

部屋を見るだけで、その人がわかるということは、実に当然なこと。
逆に言うと、そんなこともチェックしないからこそ、トラブルになったりするわけ。

(終了)
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発信後記

暑くなって来ましたので、ダウンしていらっしゃる方もおられることと思います。
そもそもダメダメ家庭出身者は、往々にして「食事に関心がない」ため、暑さに弱かったりするもの。

案の定、私もひっくり返ってしまって、「飯粒は喉を通らん!」と言う状態。このセリフは、確か昔読んだマンガで厩戸王子が言っていたっけ・・・

胃腸がひっくり返るのは、いつものことなので何とも思いませんが、サスガに心臓がガタピシしだすと、シャレにはならない。
心臓が肋骨にくっついているような感じがいたします。
現在はアタマの中でグスタフ・マーラーという作曲家の、交響曲第10番の第5楽章が鳴っている状態。
意外に思われるかもしれませんが、私自身は「すべては神の御心のまま」と思うタイプです。
人間が出来ることは、「自分でできることを、ちゃんとやる。」・・・ということしかありませんよね?
R.10/7/19