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カテゴリー | 会話のスタイル(発言側) |
配信日 | 05年7月27日 |
タイトル | 同じことばかり言う |
老人と話をしていてイヤなのは、同じことばかり言うことですね。 同じテーマや内容について、手を変え品を変えて表現しているのなら、問題ない。人間にとって「言いたい」「伝えたい」ことって、そんなに多くはありませんから、結局は同じテーマを手を変え品を変えて表現することになる。これは芸術などの表現の世界では当たり前のことです。 イタリアの映画監督のパゾリーニという人も「映画作家はいつも同じことを言っているものだ。」と言っていますし。 そのような芸術の世界での表現のしつこさは、芸術家の自覚と確信を持ってやっているわけです。逆にしつこくないような人間は表現者としては失格ですよ。「アンタはいったい何が言いたいの?」「そもそも何故に表現しているの?」と思われるだけでしょ?しかし、そのような芸術表現の世界は一般社会の発想とは違っているものです。一般の社会ではあまりしつこいのはちょっと問題ですよね? だって一般の人は、自覚と確信を持って「しつこく」やっているわけではないでしょ? ちなみに、このメールマガジンでも同じことをしつこく何回も書いています。ダメダメ家庭にも基本的要素というものがあるわけ。それがそれぞれの家庭において、ちょっとモディファイされているだけなんですね。 私も、だから、ちゃんと意識して、同じことを書いているわけ・・・なんですよ。 しかし、自覚や確信もなく、同じ内容のことを・・・それも、往々にして全く同じ言葉でしゃべられたら、聞く方も途方に暮れてしまうものでしょ? 「オイオイ、また同じことを言っている・・・」 「確か先週も、まったく同じ言葉で言っていたよな・・・」 「これで10回目くらいかな?」 同じことを聞かされている側としては、お互い顔を見合わせて、「オイ、オイ・・・この人も、また同じことを・・・ホント、いい加減にしてヨなぁ・・・」と、目配せしたり・・・するものでしょ? まあ、同じことばかり言うのが老人だったらしょうがない。もう頭の働きだって十分とは言えない状態でしょうしね。しかし、アルツハイマー症でもないような年齢の人で、「この人・・・また、同じことを言っているヨ。それも前回と全く同じ言葉で・・・」と思わされる人っていますよね? たとえば、「その人については、NHKのテレビ番組の特集があったヨ。」・・・とか、 「そのことについては、○○さんがこんなことを本に書いている。」・・・とか、 「来月に△△があるよ!」・・・とか・・・ どうでもいいようなことを、さも得意気に話して、「教えてあげる」という雰囲気を漂わせていたりする。 内容のない発言でも、1回目だったら聞くことができるでしょう。しかし、そんな内容の言葉を2回、3回とは聞きたくないでしょ?2回、3回どころではなく、10回も繰り返されたりするわけ。 そんな人って、実際にいたりしますよね? ダメダメ家庭出身者は、自分の出身家庭の流儀を踏襲して、「人の話を聞かない」事が多い。自分の発言に対しての相手からの反応には興味がなかったりするわけ。相手の反応には頓着しないものだから、自分の言葉も印象に残らない。だから、自分が相手に対して言った言葉をさっさと忘れてしまうんですね。 「どんな人に対して、どんなことを言ったのか?」の「どんな」が消失しているわけ。 自分が言った・・・それでオシマイになってしまっている。 おまけにダメダメ家庭出身者は妄想との親和性が高い。実際にやり取りしている相手ではなく、妄想の世界の中で話をしていたりするわけです。 それにダメダメ家庭出身者は、話のネタそのものが少ないわけ。自分の少ない引き出しの中から持ち出しているので、どうしても話すことが同じになってしまうんですね。 そして、その取って置きのネタとやらも、相手に対してどうしてもわかってほしいというものではない。 そもそもダメダメ家庭の人間は自己逃避で、抑圧的であり、相手に対してわかってほしいことそれ自体が存在しないわけ。 分かってほしいことではないがゆえに、やり取りの結果として、相手がわかったかどうかはどうでもよくなってしまう。やりとりの結果として、相互理解なり合意に至ることについては関心がないわけ。 だから相手の反応には関心を持たず、結果的に同じ話を繰り返すことになる。 オマケに、いつも同じ話ばかりしているので、マトモな人からは相手にされなくなってしまう。ということで、数少ない相手に対して、とっておきのネタを何回も繰り返す。 本人がダメダメ家庭出身者であることを自覚していれば、まだ改善の見込みはあるのですが、往々にしてそんな自覚がないことも多いわけ。 自覚が起きるような人間だったら、同じことばかり言うような事態にはなりませんよ。 ダメダメ家庭出身者は会話の能力が低いので、相手になってくれる人も少なく、人からのアドヴァイスも受け難い。それだけでなく、被害者意識に凝り固まった人の場合は、ヘタに的確なアドヴァイスを受けたりすると逆上したりするんですね。だからますます人からのアドヴァイスが受け難い状態となっている。 だから、自覚もなしに、自分自身が体験した『ふつう』の家庭の状態を、つまり、自分にとっての「なじみ」の行動を、自分が親になって繰り返すこととなる。そんな親に育てられたら子供だって、まさに、「同じことばかり言う」子供になっちゃうわけです。 ちなみに、組織のリーダーで実績を上げる人は、部下に対して「同じことを何回も言う。」人であることが通例です。人間というものはそんなに利口でないわけ。部下にやってほしいことは、限定的でシンプルな形で伝達することが、部下のためになること。 部下だって、上司からあれこれと色々と言われたって、どうすればいいのかわからなくなってしまうでしょ?言われたことが全部できるような人は、「言われなくても」ちゃんと出来ますよ。 だから組織のリーダーは、重要なことを絞って、何回も言う必要があるわけです。 目的があるような状況下では、そのような自覚の上でしつこく語る必要があるわけ。しかし、他愛のないおしゃべりの場で、しつこくされても困りますよね。 それにそのしつこく語るネタそのものに価値がない場合には、聞いていて不快ですよ。愛想笑いも限界がありますからね。 せめて、相手の反応を見ながら話すような会話の能力がある人だったら、「アレっ?どうしてこの人たちは、こんなにも、つまんなそうな顔をしているんだろう?ああ、そうか!この話は以前にもしたっけ・・・」と、瞬時に判断できるものです。だから、たとえ同じことを言ったとしても、それほどひどくはないわけ。 ネタ自体が少なく、話しをする相手が限られていて、妄想との親和性が高く、会話の能力が低い・・・そのようなダメダメ家庭出身者と付き合っていると、「同じことを何回も聞かされる」ことになるわけ。 そんな人とは、無理に付き合っていてもロクなことにはならないわけです。ヘタに我慢して付き合っていると、「コイツは、オレのことをわかってくれる!」と入れ込まれるのがオチなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 芸術のような世界ではしつこいのがデフォルト。あるいは、組織運営の場でもトップはしつこくないとダメ。 しかし、気軽なおしゃべりの場ではしつこいのはNGですよね? 要はTPOをわきまえるということになるわけです。 芸術作品において、「しつこくない」作品って、その時代には受け入れられても、時代が経ると忘れ去られてしまうものです。よく言う、一般大衆の気に入る作品というヤツですね。ちなみに、芸術表現でのしつこさも、ただ、しつこければいいというわけではありません。表現以前にちゃんと準備している必要があるわけです。バックに相当の準備をした上で「しつこく」表現する・・・後世に残る芸術ってみなそんなものです。 単純にしつこいだけのは、ただのヘンタイですよ。 |
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R.10/11/21 |