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カテゴリー 事例から考えるダメダメの問題
配信日 05年9月19日
タイトル 小泉キャンペーンにおけるオペラ技法
このメールマガジンで、ダメダメ家庭は会話不全の家庭であると何回も書いています。
会話においては、「何を(=what)伝えるか?」ということも勿論のこと重要ですが、「どのように(=how)伝えるか?」ということも、重要であるわけ。

先日に配信した文章の後記において、先の選挙における小泉首相の選挙演説と、オペラの技法の関係について軽く書いてみました。今回は、ちょっと番外編的な扱いで、小泉首相の選挙キャンペーンと、オペラの技法との関連をもっと大々的に考えてみましょう。

小泉さんは、呆れるほど、オペラの技法を有効に使っているんですね。
オペラというものは、何百年に渡って積み重ねられてきた、観客に「ウケル」技法の集大成みたいなもの。観客の心をつかむテクニックがテンコ盛りなんですね。
そのような古人の知恵は有効に活用すればいいでしょ?

自民党と民主党なんて、政策自体には大差はありませんが、結果的には大差がついたでしょ?それはまさに「ウケル」テクニックを駆使したhowの勝利と言えるわけです。

では、具体的に見てみましょう。

1. つかみ・・・ダチョウ倶楽部というコメディアンが「つかみはOK!」とかギャグで言っていたそうですが、ある時点で、観客の注意をつかまないと、ダラダラと流れてしまう。やがては観客の注意が切れてしまう。だから往々にして、最初の頃に「つかみ」のセリフで、注意を勝ち取るわけ。

しかし、この「つかみ」も、その状況によって使い分けをする必要があります。書き物のようなものと、ライブパフォーマンスのようなものでは違うわけ。書かれた文章のようなものなら、本当に冒頭に「つかみ」を持っていくことが可能ですが、ライブパフォーマンスで冒頭に「つかみ」を持っていくわけにはいかない。だって、まだ会場に来ていない客もいるわけですし、座席に座ったばかりですと、観客もまだソワソワしていたりするもの。つかみそこなうと、まさに「すべる」ことになる。ということで、オペラにおいては、まず序曲のようなもので、観客の心を落ち着かせ、その後に、「ど派手」なシーンでつかみを行うものなんですね。

たとえば、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」というオペラでは序曲の後、幕が上がると、いきなりレイプと殺人のシーンになります。あるいは、多くのイタリアオペラでは、序曲があって、その後、幕が上がるとすぐに「ど派手」な合唱曲やアリアが歌われたりするわけ。序曲なしにいきなり「つかみ」を行うためには、観客がかなり早くから座席に座っていることが前提になる。だからリスクが大きい。まずは、観客の気持ちを落ち着かせ、その後に「つかみ」・・・これが多くのオペラの流れというもの。序曲なしにいきなり派手な合唱曲をぶつけるオペラもあったりします。たとえばプッチーニの「トゥーランドット」などもそのパターン。しかし、そのような場合では、その派手な合唱曲はストーリーには関係ないものにするわけ。冒頭は聞き漏らしてもいい。それがライブパフォーマンスでのつかみの鉄則。

小泉さんの選挙演説では、まずはご当地ネタをやったそうですが、それはオペラでいうと序曲にあたるわけです。まずは聴衆の気持ちを落ち着かせる意味があるわけ。そうやって落ち着かせておいて、その後の「つかみ」を確実なものにするわけです。

2. 緩急・・・この緩急の技法については、先日の後記で触れました。観客を緊張状態にして、そこから解放させると、劇的なカタルシスがもたらされるもの。観客に疑問を投げかける形で緊張させ、その後で解答を出すことによって、緊張から弛緩への流れを作ることができるわけです。緩急を使って観客を乗せることは、オペラの進め方では常套手段です。

3. じらし効果・・・主人公を早めに出して、その主人公を中心にオペラを進めるのは、一般的なオペラですが、凝ったオペラだと主人公が中々出て来ない作品もあります。たとえば上記のプッチーニの最後の作品である「トゥーランドット」では、主役のお姫様のトゥーランドットは前半はほとんど出てこないし、全然歌わない。チラっと顔を見せるだけ。むしろ、周囲の人間が「トゥーランドット姫は絶世の美人だ!」とか「トゥーランドット姫は冷酷な人だ!」と、トゥーランドットについて散々と語るわけ。語られるのに、出てこないので、観客は「早く出て来て歌ってよ!」と思うことになります。

そうやって観客を散々じらした状態においてから、満を持して登場させると、観客は「やったー!」と思いますよね?周囲の人が語るほど、観客の期待は高まるものでしょ?今回の選挙では亀井さんが小泉さんの悪口を散々言いましたよね?「小泉さんは冷酷な人だ!」とか・・・しかし、その言葉により、観客は「じゃあ、実際の小泉さんを見てみたい!」と思うわけ。亀井さんの言葉は小泉さんの登場を引き立てる見事な役割を果たしたわけです。これってオペラにおいては端役の道化の重要な役回りなんですね。今回の選挙キャンペーンでは小泉首相の露出を公示前にはできる限り限定したそうですが、これにより、観客にじらし状態を生み出し、主役の登場にインパクトを与えたわけです。

4. 極端で単純な対比・・・この選挙では「郵政改革に是か非か?」とテーマを単純化しましたよね?このような単純な対比はオペラでは必ず行うことです。だって短時間な舞台上演に小難しい議論はできないでしょ?テーマをわかりやすく絞る必要があるわけ。オペラだったら往々にして「愛に生きるか?それとも死んでしまうか?」そんなもの。極端で単純な対比なので、観客の注意は持続するわけです。

前記の「トゥーランドット」という作品でも、「お姫様を勝ち取るか?それとも処刑されるか?」という、生きるか死ぬかの極端な対比です。「百万円勝ち取るか?罰金10万円支払うか?」という対比だったら、観客はノレないでしょ?極端で単純な対比だから、観客は手に汗を握るわけ。小泉首相はあえて「過半数取れなかったら辞職」という危機的状況を作り出すことによって、単純で極端な対比を自ら演出したわけです。

5. 周囲の反対・・・今回の解散は小泉首相の周囲は反対しましたよね?それこそ森前首相などが反対しました。しかし、この反対が今回の自民党の大勝利につながったわけ。だって考えてごらんなさいな。森前首相が「解散やっちゃえ!」などと小泉首相を応援したら、国民の支持はこんなに小泉首相に集まったでしょうか?

周囲の端役の反対があるからこそ、主役の決意の固さが強調される・・・これも、オペラでは常套手段です。それこそオペラ「トゥーランドット」でも第1幕のラストでは、カラフという王子が周囲からの「オイオイ、自分の命を大切にしなよ!」「そんな無謀な試練はやめておけよ!」という暖かい助言を振り切って、「姫を得るためには死をもいとわない!我に試練を与えよ!」と大見得を切って幕が降りる。

これが周囲の人がカラフを応援したら、そんなドラマティックなシーンにはならないわけ。周囲の反対を振り切って、「愛か、死か」の場面に突入して行くからこそ、観客が盛り上がるわけです。それに周囲の反対があれば、観客はこう思うもの。「周囲の人はアナタの決意の意味がわからない。しかし、ワタシはアナタの決意を応援しているぞ!」

ちなみに「姫を得るためには死をもいとわない!私に試練を与えよ!」なんて解散前後の小泉首相の立場そのものでしょ?当然のことのように怒涛の拍手が来ますよ。だって劇場で最も見栄のある瞬間なんですからね。オペラ「トゥーランドット」の第1幕の後に万雷の拍手とブラボーの声が上がるのと同じ。

6. 決めポーズ・・・選挙演説なんだから気合を入れてやっているでしょう。だから言葉だって「強い」言葉を使うことになる。しかし、そのような強い言葉をどのようなポーズでやっているか?ということも大変に重要なんですね。まあ、選挙演説だったら拳を握りしめたポーズというスタイルが一般的でしょう。重要なことは「それが言葉とちゃんとリンクしているのか?」ということ。

強い言葉と、強いポーズがリンクすることによって、強い決意を示すことができ、観客に強いインパクトを与えることができるわけ。決めセリフと決めポーズはリンクしているものなんですね。オペラだと男性だったら剣を高々と上げ、「さあ!やるぞ!」と言った決めポーズはおなじみです。女性だったら、ひざまずいたポーズで「どうかお願い!」とか・・・

言葉だけが会話の手段ではないわけ。決めセリフと決めポーズが生み出す劇的効果なんて、オペラだけでなく、それこそ「セーラームーン」のようなアニメでもあるでしょ?というか、「セーラームーン」を見たことがありますが、あの作品もオペラとかミュージカルが好きな人間が作っているのは明白な作品ですよ。今回の自民党の大勝利と、「セーラームーン」の高視聴率って、オペラティックな手法の効果的利用の結果という点では同じなんですね。

小泉さんは決めポーズも決まっているけど、民主党の岡田さんの決めポーズって思い浮かばない。この差って大きいわけ。それだけ観客へのインパクトが少ないということなんですね。ちゃんと決めセリフや決めポーズをやることを前提にして、演説を組みたてる必要があるわけ。だから、これは緩急の問題もあるわけ。決めポーズが決まるということは、それだけ話に緩急があるということです。勿論、もともとの芝居っ気の問題もありますが。

7. 多彩な女性キャラ・・・オペラを見ていて、登場人物が男性ばかりだったら、やっぱりつまらない。やっぱりキャラが立った女性が出てこないとつまらないわけ。民主党は女性議員はいても女性キャラとは言えない。それに対し、今回の自民党ではキャラが立った女性が登場していました。

ちなみに、オペラ「トゥーランドット」では、「愛を拒むお姫様のトゥーランドット」と、「愛に殉じるはかなげな女奴隷リュー」という2人の女性キャラが対比され、オペラの中心テーマである『愛』を鮮やかに浮かび上がらせているわけです。

ちなみに、プッチーニは上記のように「愛を拒む権力者の女性と、愛に殉じるはかなげキャラの対比によって、テーマである愛を鮮やかに浮かび上がらせた。」わけですが、この文章の「愛」という言葉を「改革」という言葉に変えてみましょう。まあ、岐阜の選挙での佐藤ゆかりさんは女奴隷ではありませんが、どっちかというと「はかなげ」キャラでしょ?

大体が落下傘候補なんだから、例えば静岡で出馬した財務省出身の女性候補を岐阜にぶつけてもよかったわけでしょ?しかし、大臣経験者に対し一介の民間のエコノミストが立ち向かうという構図により、「一途さ」が出てくるわけ。大臣経験者と財務省出身者の戦いでは「一途さ」は出てこないでしょ?一途なキャラというものは、観客の心をつかむ重要な要素。オペラでは常に人気キャラなんですね。

8. キャスティング・・・登場人物と役の割り振りも重要。それこそオペラでも太った女性歌手を結核病の役にキャスティングするわけには行かないでしょ?それぞれ、役にあった人物を当てる必要があるわけ。たとえば、広島で出馬したホリエモンを、岐阜の野田聖子さんにぶつけることだって可能でしょ?どうせ落下傘候補なんだから。しかし、そうなると、女性に対し男性の刺客を送ったことになり、印象が悪くなる。

相手が女性であれば、より「か弱い」女性を刺客に送る。重厚なオヤジに対しては、若造を刺客に送る。これによって、保守的な世界に、「下から」立ち向かうという構図が出来上がりますよね?そのような構図を各地で作り上げることによって、小泉さん自身が「下から」立ち向かう人間のように印象付けられるわけ。

本来なら総理大臣なんだから最高権力者でしょ?しかし、刺客の人選とキャスティングを的確に行うことによって、小泉さん自身が最高権力者であることを忘れ去られてしまうわけ。もし、女性や若い反対派に対しオヤジ系の刺客を送ったら、国民の共感は得られなかったでしょう。そのあたりもヘマをしない。見事なキャスティングですね。

9. 舞台の位置・・・オペラなどで舞台でドラマを進めるにあたって、「舞台上のどの場所でやるか?」ということも当然のことながら重要な問題です。重要なシーンを観客に見えない位置でコソコソとやっても、無意味でしょ?劇場だと座席によっては、舞台の端が見えなかったりします。やっぱり重要なシーンは観客のみんなが見える位置でやらないとダメですよね?

今回話題になった岐阜は、かつて戦国大名が「美濃(=岐阜県)を制するものが天下を制する。」と言ったそうです。まあ、織田信長が居城をおきました。それだけ交通の要所だったわけ。昔だけでなく、今だって交通は便利です。東京から行くにも、名古屋から行くにも、大阪から行くにも行きやすい。つまり報道陣が取材しやすい位置にある。報道を通じて、観客に見せることが容易であるわけ。

これが別の反対派の大物である綿貫氏が立候補した富山県だったら、ちょっと行きにくい。つまり報道されにくいわけ。おまけに女性候補同士の対決となった岐阜と、財務省出身の女性候補が立候補した浜松(こちらは徳川家康の居城があったところ)は距離も近い。取材クルーが一日目に岐阜で取材、次の日には浜松で取材というスケジュールを組むのが容易であるわけ。それだけ取材してもらえる可能性が高くなる。だから観客に注目されやすいわけ。話題になった・・・のではなく、話題に仕立て上げたわけです。オペラでいうと、舞台中央でスポットライトを当てたわけです。


今回の選挙については、多くの人が様々な分析をされるでしょう。
私は政策(=what)の問題は度外視して、純粋にhowの観点から、分析してみました。
小泉首相が無類のオペラ好きであることが、本当によくわかるでしょ?単にオペラが好きでCDやヴィデオでよく聞いているというだけでなく、舞台でのオペラ公演を相当聞いていないとできない芸当ですね。

まあ、これだけのことはやっぱり天性の芝居っ気がないと無理ですよ。芝居っ気がある人は、ピーンと来るものなんですね。

しかし、このようなことは一般的なプレゼンテーションなどにも使えるわけです。「つかみ」とか「緩急」などは必須の技法です。それこそ、就職試験での採用面接の場面だって必要になります。面接官の質問に丁寧に答えるだけではダメ。面接官の質問から強引にでも、「つかみ」の言葉を切り出し、自分の主導権の元に緩急を考えながらプレゼンテーションを行うくらいでないと、面接官にインパクトを与えられないものなんですね。

実際に、小泉首相と民主党の岡田さんの間には、言葉の内容そのものには大差がありません。どう表現するか?によって、これだけ結果的に大差がつく・・・このことはどんな分野でも当てはまることです。勿論、家庭という場だってネ。

(終了)
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発信後記

本文中で散々と引用したプッチーニの最後のオペラの「トゥーランドット」ですが、エンディングはこんな感じ。
『愛を拒んでいたトゥーランドット姫が、異国の王子カラフの熱い口付けによって、彼の心からの愛を理解し、その愛を涙を流しながら受け入れ、2人は手に手をとって幕となるわけ。』

反対派の野田聖子さんが小泉首相の口付け・・・は、ないでしょうが、ともかく小泉首相の言葉を涙を流しながら受け入れる。そして2人が手に手を取ってフィナーレ・・・なんてなったらとんでもなく劇的でしょ?

野田さんも泣くなら今のうち。その効果を誰よりもわかっている小泉さんなんだから、泣いて「彼の名は改革です!」なんて言えば、除名なんてなりませんよ。むしろ彼女の将来が開けるというもの。
R.10/11/23