トップページに戻る | 配信日分類の総目次に戻る |
カテゴリー分類の総目次に戻る | タイトル50音分類の総目次へ |
カテゴリー | ダメダメ家庭が子供に与えない発想,精神 |
配信日 | 05年11月7日 (10年11月5日,11年2月2日 記述を追加) |
タイトル | 責任感 |
以前に「自己責任」なんて言葉が盛んに言われました。 紛争中のイラクにボランティアをしに出かけ、そこでつかまったバカモノたちに対して言われましたね? 今となっては、その騒動も収まってきました。 今になって、「自己責任なんて言葉で、あの若者たちを指弾するのはヒドイ!」なんて言っていたりする人もいます。まあ、俗に言う「文化人」なる人たちの中に結構いるようです。 その種の人のどこが文化的なのか、私には皆目分かりませんが。 その種の『文化人』に教養があるでなし、知的洞察力があるでなし・・・まあ、おせんべいを食べながらテレビでワイドショーを見ているオバサンたちとしては、そんな程度が『文化的』なんでしょうね。 いずれにせよ、自己責任という考えを肯定するも否定するも、その人の考えといえるでしょう。 イラクでつかまった若者の発想や行動の是非はともかく、あの若者たちの実家が重症のダメダメ家庭であることは確実でしょ?人と会話ができる人たちではありませんでしたよね?そんなダメダメ家庭で育ってしまったので、自己責任という発想とは無縁の人間になってしまったわけです。 ダメダメ家庭では子供に責任感を植え付けることができません。だって、ダメダメ家庭では何か不都合なことがあると、「悪いのは全部○○のせいだ!」、だから「ワタシは悪くない!」なんて言い出すのがお約束となっている。そうやって自分自身で勝手に納得させてしまう。「悪いのは○○のせい。」なんだから、自分自身は責任の取りようがないでしょ?当然のこととして責任感なんて芽生えて来ませんよ。 自分自身はそうやって納得させることができるでしょう。うまく行かない原因を他に求めたい気持ちは誰だってあるでしょう。 自己責任という考えを否定するのはいいとして、では、どこにその人の「尊厳」があるの? 尊厳って、自分で責任を取るという覚悟と不即不離でしょ? 19世紀の哲学者にニーツェという人がいます。有名な人ですから皆さんも名前は聞いたことがあるでしょ? 彼は「神なき時代における人間の尊厳」について考えた人でした。 結局は、「全責任を自分で背負うことが、尊厳につながるのだ!」と彼は考えました。 「自分に降りかかる不幸も、あるいは自分が生まれたことさえも、自分が望んだことであると考え、自分で責任を取ろう!責任を取る覚悟を持とう!」そう考えたわけです。 自分で全責任を取るからこそ、その人は尊厳があるわけでしょ? 「悪いのは○○のせいだ!」とか「ワタシは悪くない!」という言葉を連呼して、自分のせいではないと主張するのはいいとして、そんなことを言っていても、その人の尊厳にはつながらないでしょ?被害者という立場が、そんなに尊敬に値するものなの?「あの人は立派な人だ!だって、あの人はかわいそうな被害者なんだから。」そんな物言いって成立しないでしょ?被害者という立場は、「悪いこと」ではないでしょうが、「よいこと」や「褒められること」ではありませんよね? しかし、ダメダメな人間は、そのような「自分のせいではない!」「ワタシは悪くない!」「自分は可哀相な被害者だ!」なんてことを言っている人間と一緒になって、「そう、そう!!悪いのは全部○○のせいなんだよな!」とグチの花を咲かせる。 そんなグチの共鳴状態のどこに尊厳があるの? イラクでつかまった若者たちの中には女性もいました。あの女性が、もし結婚するとしたら、いったいどんな男性と結婚するんでしょうか?まさか、自己責任をモットーとする男性と結婚するわけがないでしょ?あの女性と同じような「悪いのは全部○○のせいだ!」なんて言う男性と結婚することが簡単に予想できますよね? 自分で責任を取るつもりがない男性と結婚して、結婚生活がうまく行くの?うまく行かなくなったら、その男性が言う言葉は決まっています。「悪いのは全部○○のせいだ!」「国の政策が悪いんだ!」「オレたちは被害者じゃないか?」「ホント、イヤな時代だなぁ・・・」 かと言って、その「連れ合い」の男性が国の施設を攻撃するわけもなく・・・それに国の施設を攻撃したとしても、自分たちの家庭は改善するの? 結局は、その不満が誰に向かうのかについては、火を見るより明らかでしょ? そうしたら、あの女性がこんなことを言うのかな? 「そうねぇ・・・アナタはお気の毒ねぇ・・・とりあえず、このワタシを心行くまで殴っていいわ!」 あの女性当人が自己責任の考え方を否定するのは勝手ですが、せめてパートナーは自己責任が取れる人にしないとまずいでしょ? しかし、現実にはそんな組み合わせがあるはずがありませんよね? 大体、結婚した後ですら、こんなセリフが頻発しているもの。 「そもそも、オレが望んでオマエと結婚したわけではないぞ!こうなったのはオレのせいじゃないんだ!」 そう言われちゃったらどうするの? あの女性が、「アンタ!自分の行動に責任を持ちなさいな!」なんて言うの? そんな夫婦が、子供を作った後で飛び交う言葉も、簡単に予想できるでしょ? 「そもそも、オレは子供なんか欲しくはなかったんだ!オマエが欲しいって言うから、作ったんじゃないか?こうなったのはオマエのせいだぞ!」 そして子供に対しては、「あ〜あ、オマエを育てるためにオレの人生を棒に振ってしまった!」とグチる。 まさに絵に描いたようなダメダメ家庭の状況でしょ? 子供としては、『これってボクの責任なの?』『親には責任がないのかな?』と思わざるを得ませんよね? そんな環境では子供に責任感なんて育ちようがありませんよ。 責任を取れない人間は、尊厳なんてありようがないわけ。 以前にちょっと触れましたが61年のアメリカ映画で「ニュルンベルク裁判」という作品があります。ナチスに協力したドイツの法曹関係者を、戦争が終わった後で裁判に掛ける話です。基本的には実話です。 ここでナチスに協力した法曹関係者の弁護をするドイツ人の若い弁護士は、こんな主張をします。 「法律を侵犯したかどうかは重要ではない。尊厳の問題が重要なんだ!」 そして「この偉大なドイツの法律家は、尊厳を持って行動したんだ!決してやましいことをしたわけではないんだ!当時はそのような時代だったじゃないか!」 しかし、その被告となったドイツの法律家は有罪となる。 だって、そんな指導的立場にあった人だからこそ義務が多いといえる。尊厳を主張すればするほど、それに伴う「責任」が意識されてしまうわけです。 よく言う言い方ですと、「秀でたるもの、義務多し。」 以前に書いた言い方ですと、「ノブレス・オブリージュ」。 知らなかったでは済まされないわけです。一般人では許されても、「秀でたるもの」には許されないわけです。このメールマガジンを購読されている皆様が「ワタシは一般人だから別にいいわ!」と言うことは勝手ですが、せめて「秀でたるものに近づこう!」と思わないといけないでしょ? それには義務を負う覚悟・・・責任を取る覚悟が必要なんですね。 責任感と覚悟は不即不離なのは誰でも分かること。 何事も覚悟を持って始めることが、責任感に繋がるわけでしょ? 逆に言うと、責任感のない人間は、事前に色々と考えることもせず、覚悟もなく、「てきとう」に物事を始めてしまう。 覚悟もなく始めたことだから、成果を出してもいないのに、途中の段階でトンズラしてしまうもの。 そんな人間だからこそ、まさにボランティアをやりたがる。 ボランティアをやっている人は、人をサポートする前に、しっかりとした覚悟を持って始めたの?最後まで責任を持って付き合ったの? そんなことはしないものでしょ? ボランティアの連中は、まさに途中でトンズラすることが簡単にできる状況だからこそ、別の言い方をすると、責任感も覚悟も不要な状況だからこそ、首を突っ込んでくる。 頻繁に言及しておりますが、トルストイ描くアンナ・カレーニナは、「やる必要がない。」ものには積極的に首を突っ込む。しかし、「やらなければならない。」ことに対しては腰が引けている。自分の責任を全うするという発想そのものを持っていないが故に、「やらなければならないこと」に手を付けるのが怖い。 そんな人がボランティア活動をしても、最後までやり抜くわけがないじゃないの? 事態の改善とか、目標の達成など成果を出すためには、説明能力が必要ですよ。 てきとうにお金を出したり、あるいは、何かにクレームをつけていれば事態が改善するというものではありませんよ。 しかし、ダメダメ家庭の人間は説明能力がない。 そもそも、当事者意識がなく、被害者意識が強いので、何かにクレームをつけることはできても、事態を客観的に説明する習慣もなく、説明が必要となっている状況においても、的確な説明ができない。だからこそ、説明不要な立派な大義を求めてしまう。 逆に言うと、立派とみなされることばかりをしているのは、責任感や覚悟の不在の裏面のようなもの。 立派な大義を掲げることによって、自分たちの問題や欠陥を覆い隠すわけです。 そして、途中でトンズラする際には、「ボクたちはこんなに立派なことをやったんだから・・・」と勝手に納得することになる。 被害者意識が強いダメダメ人間は、何事も持ち出しを意識する。 「こんなに持ち出しをしたんだから、もうこれでいいじゃん?」と自分を納得させてしまう。 しかし、それで、そのサポート行為の責任を果たしていると言えるの? 相手への責任はどのように考えているの? 責任を取ろうとしない人間と一緒になって、「そうだよな!ワタシたちはかわいそうな被害者だよな!」などと一緒になってグチっているのは勝手ですが、そんな事前に言い訳ができている状態で、うまく行くわけがないでしょ?やっぱり自分で責任を取れる人間と一緒にならないと、トラブルが発生することは必定でしょ?あるいは、いったん、トラブルが起こってしまったら、責任感を持って対処してくれないと解決なんてできないでしょ?相手に責任感を求めるなら、まずは自分からじゃないの? しかし、ダメダメ家庭は被害者意識に満ちている。親が被害者根性なので、子供も同じような人間になってしまう。 何かトラブルがあっても、 「自分は被害者の側だから責任を取りようがない。」 「責任を持って対処するのは、加害者の側だ!」 「だから、アンタたちでやってよ!」となってしまう。 論理的にはそれも一理あるでしょう。 しかし、じゃあ、このままでいいの? また、よく学校などで、「オイ!アンタも、もうちょっと責任感を持ってよ!」なんて言われたりする子供がいたりしますよね?そのような責任感のない子供は、その家庭そのものに責任感がないわけです。なんの責任感もない人間が、何も責任感もない人間と結婚し、何も考えずに子供を作ってしまう。責任感のない子供は、そんなダメダメな家庭環境の産物なんですね。 責任感も、そして自己からも逃避している人間が、自己責任と無縁になるのは、論理的に当然のことでしょ? そんな場合は、子供に対して、「もっと責任感を持て!」と説教しても、子供が家庭と学校のダブルバインドになるだけ。だって、その家庭は責任感というものが不在の環境なんだから、責任感を要求されると、学校と家庭の間の常識の乖離によって、ダブルスタンダード状態になり、結果的にダブルバインドになってしまうのは、本来なら子供でもわかること。そんな無体なことを子供にするから、子供が追い詰められて、後になって学校が襲撃されちゃうわけでしょ? 子供に責任感を持たせたかったら、責任感を持って子育てしている親の元に養子にやるしかありませんよ。しかし、そんな対処を取ろうとすると、ダメダメな親はいつもの被害者意識に火がついて逆上するだけなのは、言うまでもないこと。 自分の子供を育てることにすら責任感を持っていない親が、子供に責任感を身につけさせることができるわけがないじゃないの? 当事者意識のない人間に対して、責任感を期待しても、絶対に無理なんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 先週末からフランスで暴動が起こっているようです。 まあ、いつものイスラム教徒が騒いでいるよう。 イスラムはまさに、ダメダメの精髄のようなものですよね? フランス人もどっちかというとグチっぽい。だからイスラムを受け入れてしまったのでしょう。かつて「カトリックの長女」と言われたフランスが、今では人口の9%がイスラム教徒って、もはやギャグ。 そもそもグチを言いたい連中は、グチっぽい人間のところに向かうもの。 よく書いていますが、腐臭にハエやゴキブリが吸い寄せられるようなもの。 連中は差別云々と言っているようですが、だったら自国にいればいいだけ。昔からの住人が優遇されるのは、どこの国でも当然でしょ?それにスグに逆上して大騒ぎする連中を誰が雇うの? そもそもアラブは石油があるから、お金があるじゃないの? そのお金で何を買っているのかな?お妾さんと、兵器くらいでしょ? そのお金で工場でも建てて、自国の労働力を使えばいいじゃないの? アフリカ系と言ってもキリスト教系のブラック・アフリカの人たちはあんなに騒がないでしょ?勿論色々と不満もあるでしょうが・・・ 日本にもマラソンなどでケニヤからの留学生などが定期的に登場したりしていますが、いつも継続的に出ているということは、来ている人間が、それなりに成功したということですよね?今回も成功したから、またケニヤから次を呼ぼうということになるのは自然な発想。 まあ、人間を呼んだ場合は成果を上げたというより、問題を起こさなかったということなんでしょう。どうせ「雇う」のなら、そのような「使いやすい」人間を雇うに決まっていますよね? 「オレを雇ってくれないと、暴れてやる!」・・・そんな感じで言われても・・・一体どうすればいいの?そんなことは、石油のお金をムダ使いしているアラブの王侯貴族に対して言うのが先でしょ? しかし、このようなイスラムの発想って、このメールマガジンで書いていますダメダメ家庭の発想を理解していると、かなり理解できたりするものでしょ? 当事者意識の欠如と、被害者意識。そして会話の意欲も能力もない。 実際、日本のダメダメ家庭の人間も、あんな感じで行動しているものでしょ? それに日本でもダメダメ家庭の人間って、往々にしてイスラムに親近感を持っているもの。 日本のある女性が言っていたじゃないですか? 「ワタシはイラクの人たちを嫌いになれない!」 |
|
R.10/11/9 |