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カテゴリー | ダメダメ家庭出身者のキャラクター |
配信日 | 05年11月23日 (10年3月18日に大幅に追加) |
タイトル | ネコ好き |
このメールマガジンで「ダメダメ家庭では動物をかわいがらない」というお題の文章を、以前に配信しております。 ペットを飼うということは、その家庭の精神的な余裕を表していることが多いといえるでしょう。まあ、ペットの世話なんて、お金にならない行為ですものね。 勿論、実際問題としてペットを飼う飼わないの選択については、住宅事情など色々と事情があります。それに飼っていたとしても、その動物を実際にかわいがっているかどうかは別問題となってしまう。 ペットの問題になると、よく「イヌ派」と「ネコ派」が登場して、論争?したりするものです。これぞ罪のない論争の代表例。お互いが、存分にやればいいこと。 イヌはオオカミと共通の祖先を持っています。オオカミが集団で狩をするように、イヌも集団というものがその意識の基本になっているそう。 イヌというものは、集団内の序列というものを、常に考えている動物なんだそうです。集団を維持し、集団で行動するために、命令と服従の系統を確立させる必要があるんでしょうね。だからイヌにとっては、お互いが同格という状態だと、単に居心地が悪いというだけでなく、精神的に不安になってしまうんだそうです。イヌに対しては、「命令を下す側なのか?命令を受ける側なのか?」ちゃんと決めてあげることが必要なんですね。たとえそれが集団内で最低の序列であっても、ちゃんと序列が確定していれば、イヌにとっては、それが精神的に安定につながることになる。「家族の一員だから同格だ!」なんて奇麗事は、イヌにとっては迷惑なことになってしまう。 実に面白いことに、同じようなことを「ダメダメ家庭は序列意識が強い」と言うことで書いたことがあります。命令と服従というコミュニケーションしか持たないダメダメ家庭の人間は、同格のもの同士の対等な会話ができない。常に序列にこだわらざるをえない。だから韓国人は日本との比較を行い、「どっちが上か?」と常に考えることになる。大阪人も東京との比較を常に行い「どっちが上か?」と考える。イヌも韓国人や大阪人と同じメンタリティーを持っていると言えるんでしょう。勿論、イヌはしょうがない。そもそも、そういう「どーぶつ」なんだもの。 イヌはそのような生き物なんですが、じゃあ、ネコは? ネコという動物から序列意識を見出すことは難しいですよね? ネコは「アンタはアンタ、ワタシはワタシ。」という個人主義。いや、個ネコ主義。 まあ、こんな言い方もできるのかな? イヌは大阪人なのに対し、ネコは東京人。 イヌが「命令と服従」というコミュニケーションのスタイルなのに対し、ネコの場合は、はっきり言って、我関せずの「コミュニケーションなし」でしょ? さて、ダメダメ家庭はコミュニケーション不全の家庭です。だからコミュニケーションの能力が身につきにくい。自分の意向を相手に分かりやすく伝え、相手の意向を真摯に聞くというコミュニケs−ホンの基本的な態度が身に付いていない。だから、自分の意向を伝えるに当たっても、「命令を下す」というスタイルになってしまう。 だからダメダメ家庭出身者は、どっちかというとネコ好きが多い。 「オイオイ?!命令と服従だから、ネコではなく、むしろイヌ好きになるのでは?」 そう思われる方も多いでしょう? 勿論、そのようなケースもあります。 しかし、当人が子供時代に、親から「命令を下されて」きたわけですから、そんなスタイルに強い抵抗を持っているケースが多いんですね。 「自分が命令を下すのはイヤだ!親と同じようなことをするのやイヤだ!そもそも序列関係はもうイヤだ!」 そう思っているケースも多いわけです。 そんな人にとっては、「アンタはアンタ、ワタシはワタシ。」という「ノー・コミュニケーション」の方がラクとなる。 だから、実家では、ペットを飼っていなくて、そこから巣立ったダメダメ家庭出身者がネコを飼っているケースが結構あったりする。 勿論、ネコを飼うこと自体は何の問題もあるわけではありません。ただ、ある種のダメダメの側面と結びつきやすいことは確かでしょ? ネコ好きの人というと、世の中には「ネコおばさん」という類の人間がいるそう。 ノラ猫にエサをやっていたりするオバサンがいますよね? その手の人って、割と共通しています。どっちかというと「野暮ったい」雰囲気。善意はあるのでしょうが、洗練とか才気は感じられませんよね? まあ、そんなにネコが好きなら自分の家で飼えばいいじゃないの? どうして自分の家で責任を持って飼わないのかな? あるいは、ネコの世話をするのはいいとして、そのオバサンには、子供とか孫とかはいないの? ネコの世話をするよりも、そっちの方が重要でしょ? そのような事情を考えれば、何となく見えてくるでしょ? 人間とのコミュニケーションがうまくいかない。かと言って、命令と服従の序列の中には居たくない。かと言って、何かと関わりを持ちたい。しかし、責任を持ちたくない。そんなダメダメ家庭出身者の面が見えてくるでしょ?そんな人はダメダメな親から洗練された美意識を受け継いでいるわけではないので、どうしても野暮ったい。 あるいは、人とのコミュニケーションがうまく取れないので、ちょっとオトオトした雰囲気というか、卑屈な雰囲気となってしまう。 以前にイラクでつかまった自称ボランティアのワカモノがいましたが、その中には女性もいました。その女性の顔が、まさに「ネコおばさん」の顔だ!という人もいました。善意はあっても、洗練とか才気とは無縁な顔でしたよね?はっきり言って野暮ったい顔でしたよね? まあ、彼女にしてみれば、イラクの人にエサをやりにいったわけでしょう。 ネコにエサをやることが悪いわけではありませんし、ネコを好きなことが悪いわけがありません。 しかし、「ノー・コミュニケーション」の動物であるネコと関わっていると安心するという心理は、ちょっとダメダメっぽいでしょ? ネコ好きであること自体は、別にダメダメではありませんが、そのような人は別の面でダメダメな面を持っていることが予想されるわけです。 ネコにエサをあげながら、自分自身のダメダメを考えてみる・・・折角だから、そんなこともやってみてもいいのでは? 上記のように、ダメダメのメンタリティとネコは結びつきやすい。 前にも書きましたが、ネコと人間は、コミュニケーションが薄い結びつきといえます。 あるいは、ネコは、別の言い方をすると、独立心が強いわけだから、放っておいてもいい。 つまり、無理に「構わなくてもいい」。 家庭内でペットを飼っていると言っても、たとえばイヌとなると、いわば家族の一員という面が出てくるでしょ? あるいは、ハムスターのような動物だったら、家族の一員とは言えなくても、家族が一緒になって世話をするというニュアンスが出てくる。いわば家族の一体感の象徴のような扱いとすることができる。 それに対し、ネコだったら、家族の一員というニュアンスが出てこないでしょ? あるいは、家族が一緒になって世話をするという雰囲気でもない。 ネコがいる家族は、その家族の間柄も、あまり相互に干渉し合わない雰囲気となる。 別の言い方をすると、「仲が悪いわけではない。」という二重否定的な状態といえる。 それに対し、イヌを家族みんなでかわいがっている家族となると、「仲がいい」家族といえるでしょ? あるいは、家族ではなく、一人暮らしの人間がどんなペットを飼っているのか? そんな点からも、その人のキャラクターが見えてくることになる。 イヌやハムスターを飼っているのなら、「将来は自分も家族がほしい!」という心理が想定できる。しかし、ネコを飼っているのなら、「家族はそれほどほしいわけではない。こんな薄い関係で充分・・・」そんな心理が想定できてくる。 いわば「一人でいるのはイヤだけど・・・」くらいの二重否定的な心情であって、「誰かや何かと一緒にいたい。」という肯定的な心情ではない。 芸術作品においては、そんなニュアンスの違いを生かして、登場人物のペットの選定を行ったりしています。ネコというペットを使うことで、家族間なり家庭の外との人間との関わりの薄さを表現できたりするものなんですよ。 今後、ちょっと注意してみては? (終了) *************************************************** 発信後記 今回は、ちょっと気軽なお話でした。 ちなみに、先日より、耐震設計を偽造した建築士が登場していますね。 あの建築士の対応を見るにつけ、いかにもダメダメ家庭出身者だなぁ・・・と思われている方もいらっしゃるのでは? 当事者意識がないし、 責任感がないし、 意外に容姿端麗(多分そう言えるでしょ?)だし、 それに、多分「人に合わせすぎた」結果と言えるんでしょうね。 あの建築士の家庭って、どんなペットがいるんだろう? 多分ペットがいないように思います。 ペットを見るだけでも、その家庭について多くのことがわかるわけ。 |
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R.11/2/6 |