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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない体験境遇
配信日 05年11月28日 (11年1月8日,11年1月24日 記述を追加)
タイトル 民間風俗
本などから得ることができる知識もありますし、学校や本からではなく、家庭という場で親から受け継がざるを得ないような知識もあります。
以前に配信した文章において、家庭という場で受け継ぐ知識の代表例として、料理に関する知識を取り上げたことがあります。

料理というものは、食べてみないと実感がわきませんからね。バックとなる料理体験が貧しいと、いくら本で勉強しても、料理について語ることはできませんよ。
ダメダメ家庭はそもそも食卓が壊れている家庭です。一緒にいても楽しくない人間が集まって、「ぞんざい」に作った料理を食べる・・・それがダメダメ家庭の食事風景。
それでは料理の知識なんて持ちようがないでしょ?

料理だけでなく、やっぱり家庭内で受け継ぐ類の知識ってありますよね?
いわば民間風俗とでも言うもの。アカデミックな知識というより、みんなが何となくやっている類の風俗についての知識です。
ダメダメ家庭では、そんな民間風俗の体験を得ることができない。
あるいは、教科書的ではない、お祖母さんの豆知識に類する知識なると、ちょっとした慣用表現があります。

それこそ、「晴れているのに雨が降る。」のを「狐の嫁入り」なんて言いますが、そんな言葉は教科書で習うものではないでしょ?それこそ、親から子へ、子から孫へと雑談の中で習得していくものでしょ?しかし、その雑談そのものがないんだから、そんなちょっとした慣用表現なども習得しようがない。
だから、ダメダメ家庭の子供は、アカデミックな知識は山ほど持っていても、そんなちょっとした慣用表現に異常なまでに弱くなってしまう。
教科書での知識や学校で体験するもの以外の体験は、実に弱いわけです。
試験に出ないような民間風俗も、学校で習得できないので、実に弱くなってしまう。

その民間風俗ですが、民間風俗なんて一般化した言葉を使うと分かりにくいでしょうから、具体例をあげましょう。

たとえば「お墓参り」とか・・・
ダメダメ家庭にも、当然のこととして様々な種類があるわけですから、一概に言うことはできません。しかし、マトモ家庭の出身者で、「ワタシは今までお墓参りなんてやったことがない。」なんて言ったりする大人はいないでしょ?しかし、ダメダメ家庭の出身者だと、お墓参りなどとは無縁の人間も現実にいたりする。

人間は誰だって祖先がいますよね?たとえ祖父母が存命だったとしても、その祖父母の両親は死んでいるものでしょ?一般的にはお墓くらいはありますよね?それこそ祖父母に連れられてお墓参りなんてことだってあるでしょ?
しかし、ある種のダメダメ家庭だったらそんな体験はできない。

そもそもお墓参りなんて、子供がせがむものではないでしょ?
「ねえ!お母さん!ワタシをお墓参りに連れて行ってよ!」なんて言ったりする子供なんていませんよね?
お墓参りなんて、親が子供を連れて行くものでしょ?
つまり、親にその気がなければ、子供は一生涯お墓参りをしたことがないまま、その生涯を終える事態になるわけです。

そもそもダメダメ家庭を作る親は、深層心理的には自分の親が嫌い。それを自覚していればまだしも、自己逃避であり、それを自覚していないことが多い。自分の出身家庭については、そもそも考えないようになっている。そんな状態だったらお墓参りなんてするわけもないでしょ?お墓参りをして、自分の親なり祖父母について改めて考えてみたら、不快な気分になるだけ。どうせイヤな思い出しかないわけですしね。
それを自覚して自分自身と向き合うようにすればいいのでしょうが、ダメダメ人間は常に自分自身の問題から逃げ回る。結局は、何だかんだと理由をつけて、そのような機会を設けない。

お墓参りだけでなく、ちょっとした民間風俗って色々とありますよね?
例えば七五三などもそんな感じ。
ダメダメな親は、子供の成長を喜ぶなんて発想は全く持っていない。七五三などの行事も全く他人事となっている。

テレビのニュースを見ながら、「へぇ・・・今は七五三の季節なんだ!」とつぶやいたりする。その横には5歳になる自分の子供がいたりするのに・・・何を今更ノンキなことを?
そんな家庭で育った子供がどうなってしまうのかなんて言うまでもないことでしょ?
それに、そんなことだから、学校などで、七五三の話題が出てきたら、子供としても、なんとかしてその場をごまかすしかない。ダメダメ家庭の子供は、ちょっとした行事での体験が積み重なるのではなく、そんな気苦労が積み重なっていくだけ。

ダメダメ家庭って、そんなものなんですね。それに、その親自体も、やっぱり、そんな行事には縁がない。そんな人間が何も考えずに子供を作ったりすると、そんなことになってしまうのも当然でしょ?

それこそ「ひな祭り」でも、「端午の節句」でも同じようになってしまう。
雛人形や、こいのぼりを、そもそも持っていなかったり、持っているのに出さなかったりする。
「めんどくさい!」そう言いながら、子供からの依頼を拒否する。
子供が、『ねぇ!お母さん、ワタシの雛人形出してよ!』なんて言ったらどうなるか?
親からの返事は、もう、お約束の世界。
「一体誰のために、私がこんな苦労していると思っているんだ?!」
そう言われちゃったら、子供は何も言えませんよね?

そのような民間風俗って、学校などで教科書で勉強するものではないでしょ?その家庭で実際に行わない限り、そんな風俗を習得することなんてできませんよね?

それこそ、お墓参りもしなければ、別の宗教行事?といえる、7回忌とか13回忌のようなものとも無縁になってしまう。そんなものは、仏教の宗教書に書いてあるものではないでしょ?まさに、民間伝承であり、自分の親なり周囲の人がやっているから、「そんなものもあるんだなぁ・・・」となるわけでしょ?
しかし、仏教の宗教理論は語れても、13回忌については語れなくなってしまう。
だって、宗教理論は本で勉強できますが、13回忌の行事については、本で勉強するものではありませんからね。
だから、そんな面からの欠落になってしまう。

逆に言うと、そんな民間風俗についての知識を見ることによって、相手の実家のレヴェルが推測できるわけです。
大人においても、子供の頃のひな祭りの思い出とか、鯉のぼりを家族であげた思い出とか、七五三での思い出とか・・・ちょっとした雑談で出てきたりするものでしょ?
しかし、ダメダメ家庭出身者は、そんなちょっとした話にも対応ができない。
そんな状況に対し、本から仕入れた知識で対応していても、そのイベントにおける空気感が出てこない。
それこそ、その場における季節感のようなものと結びつきができていない。
「ひな祭りの準備をしていた時に、庭ではこんな花が咲いていた・・・」とか、
「七五三の準備をしていた時に、後で食べた料理は・・・」という付帯する話ができない。
だから、やり取りしている相手方は、「こいつ・・・なんかヘンだなぁ・・・」と怪訝に思ってしまうことになる。だから、やり取りも弾まなくなってしまう。

それに、そのようなちょっとした行事と無縁だったら、当然のこととして写真も撮ることはないし、いわゆる「ごちそう」などを取ることもない。
逆に言うと、写真とか、ちょっとしたごちそうの話ができないということは、その手のちょっとした民間風俗的なイベントとは無縁ということ。

ちょっとした行事の体験なり写真もないような人は、どんな人とやり取りをするの?
マトモ家庭の人と話をしても、お互いが「なんか・・・雰囲気的に話が合わないなぁ・・・」と思ってしまうだけですよ。
だから、そのような民間風俗の知識や体験のない人間は、その手の体験のない同類とくっついて、「入れ込み」「入れ込まれ」の修羅場になったり、あるいはそのまま結婚して、新たなダメダメ家庭を作ったりすることになる。そんな家庭では、当然のように、写真もない。つまり、思い出が何もない。

新たにできたその家庭において、お墓参りとか、七五三とか、お雛祭りをするのかな?
まさかね。

(終了)
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発信後記

度々書いていますが、ダメダメ家庭というものは、見る人が見ればスグにわかるもの。
逆に言うと、覚悟もなしにダメダメ家庭の人間とくっついてしまった人間は、やっぱりダメダメ家庭の出身者ということになるわけ。
こうなった段階で自覚すればいいのでしょうが、もともとダメダメ家庭は被害者意識が強いので「ああ!あの人はヒドイ人!ワタシはなんて可哀想なんだ!」と嘆くだけになってしまう。

日本でドメスティック・ヴァイオレンスの被害にあう女性が15%程度いる、とか書いてありましたが、そもそもそんな男性とくっつくことが問題でしょ?
しかし、ダメダメ家庭出身者同士で「あの人にはワタシが必要だ!」なんて入れ込んで、「オマエにはオレが必要だ!」と入れ込まれ、ドロドロの修羅場になっちゃうわけ。

自分自身の実家のダメダメを自覚すれば、かなり身軽になれるものです。その自覚を阻害しているのが、「一体誰のためにワタシがこんな苦労をしていると思っているんだ!」との親の言葉であることは、言うまでもないこと。

全く親というものはありがたいものですよねぇ・・・
お墓参りでもして、感謝しないとね。もしご存命だったら、「ワタシは一回はお墓参りというものをしてみたいので、あなたのお墓をお参りしたい!」と言ってみるものいいのかも?
R.11/1/24