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カテゴリー 相談という場におけるダメダメ家庭
配信日 05年11月30日
タイトル 自分の希望が言えない
ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がない。自分自身で物事にあたるという発想がない。そもそも「自分がどうしたいのか?」自分でもわかっていないもの。
このことは、このメールマガジンで頻繁に触れています。
今回は、その点について、ちょっと集中的に書いてみましょう。

このようなメールマガジンを発行しているせいで、この私に相談のメールをされる方もいらっしゃいます。いただいた相談に対しては、私なりの視点から回答を差し上げるようにしています。
そのような回答に対し、多くの方は、「今まで自分が相談を持ちかけた人と全然違った回答だ!」とおっしゃったりするんですね。

まあ、私には洞察力がある・・・人から「怖い!」って言われるくらいにある。だから他の人と回答が違っているのも当然でしょう。この点は、他の人は真似できないでしょう。
もう一つ、私が他の人と違っている点があります。
それは「軸がブレない。」ということ。

相談に対して、回答するにあたっては、「相談を持ちかけてきた人の希望が、どのようにしたら実現できるのか?」考え、文章にまとめることがその本来の形でしょ?
相談の文章を読みながら、「この人の希望は何だろうか?」「その希望が実現されないのは何故なんだろうか?」「どの点を修正したら、希望が実現できるのかな?」そんな点を考えていく必要がありますよね?

ちゃんとした人からの相談の場合は、少なくとも、その人の希望がわかりやすい。
「現状はこんな問題が発生していて、この問題点を解決したい。一体どこが問題だったのか?」そんなスタイルの相談だったら、回答するのも簡単。
『この点を直してみたら?』でオシマイ。

しかし、ダメダメ人間からの相談は、わかりにくいわけ。
だって、そもそも「その人の希望」がわからないんですからね。
文章を読んだ挙句に思うのは「この人・・・一体全体どうしたいの?」
これでは回答しようがないでしょ?

相談なんて、基本的には「ワタシはこうしたいから、協力してくれ!」でしょ?
「困った!困った!」なんて言われても、「あら?そうなの?」としか言いようがないじゃないの?

ダメダメ人間は、相談を持ちかけるという形であっても、結局はグチを並べているだけ・・・このことについては以前にも配信しております。
自分自身で事態の改善をするつもりがないのに、「いかに、このワタシが可哀想な被害者なのか!」と主張するために、相談を持ちかけているケースが多いわけ。そして「困った!困った!あの人はヒドイ人だ!」とやる。
その人がヒドイ人なら、ヒドイ人でわかったから、じゃあ、アンタはどうしたいの?
離婚したいの?ガマンするの?一体どうしたいの?

そんな「困った!困った!」だけのグチに対しては、回答もしようがないでしょ?

不思議なのは、そんなグチでしかない相談に対して、回答をした人です。
一体全体、どんな回答をしたんだろう?
まあ、お約束の「子供にはアナタが必要ですよ!」とか、「夫婦で話し合ったら?」そんなものでしょうね。いわば教科書どおりの回答。
しかし、教科書どおりかもしれませんが、相談に対する回答にはなっていないでしょ?だって、相談の中身を本当には踏まえていないんですからね。
そんな回答は、いわば教科書的な正論を説教しただけと言えるでしょ?

そんな人は、相談を持ちかける人の「困った!困った!」という言葉に、見事にハメられてしまったわけ。そんな程度の人の回答と、この私の回答が違っているのは当然ですよ。
多くの人は、相談を受ける際に、軸がブレてしまうんですね。相談者の語り口に乗せられて同情してしまう。同情するのはいいとして、「相談を持ちかけてきた人の希望をどうやって実現させるのか?」という基本的スタンスが消失してしまっているわけ。

また、そのような相談を受ける人の多くは、いわばボランティア人間。よく言えば善意の人と言えますが、現実的に言うと、自分自身の問題から逃げ出して、他人の問題に関っている類の人なんですね。そんな自己逃避の人が、相手の問題に現実的な回答ができるわけがないでしょ?

そのようなボランティア人間は、相談を持ちかけてきた人が、一番期待している言葉である「アナタはお気の毒ねぇ・・・」を言ってしまい、相談者の真の希望を満足させてしまうわけ。
私などは「で、アンタは一体どうしたいの?」と最後までしつこく聞く。
だって、それがわからないと、本来は回答しようがないでしょ?

勿論こと、私だって、そんな相談者の真の希望が「単にグチを並べること」であることくらいはスグにわかります。だからこそ、少なくとも、そんな相談を受けたら、その相談がグチでしかないことは、相手に理解させる必要があるわけです。

しかし、ダメダメ人間というものは、そんなグチでしかない相談を繰り返すものなんですね。そのような際には、軸がブレることなく、相手の希望を相手の口から言わせる必要があるわけ。
そうしないで、教科書的な回答を出してしまうと、それを「いいとこ取り」されて、やっぱり上手く行かず、「あ〜あ、あの人に相談してもダメだった!全くあの人ったら、ワタシのことを全然わかってくれなかったわ!」と被害者意識に浸られてしまうのは自明のことなんですね。前に相談を持ちかけた人に対するグチを並べる人は、現実では実にポピュラーでしょ?

もし、善意があり、相手の苦境を救いたいと思っているのなら、相手が自身の希望を言ってからでも遅くはないでしょ?相手が語る希望の実現のために協力すればいいだけですよ。

しかし、当事者意識がないダメダメ人間は、自身の希望が言えないわけ。
「で、結局は、アンタはどうしたいの?」と聞くと黙ってしまうもの。
「アンタはどうしたいの?」って、何も難しいことを聞いているわけではないでしょ?
『現代哲学の諸問題を10分以内で答えよ!』
なんて口頭試問しているわけではないんですからね。

「離婚したい。」でも「実家から独立したい。」でも「結婚したい。」でも、あるいは「お菓子をお腹いっぱい食べたい。」でも、何でもいいじゃないの?
「それを実現させるために、協力してくれ!」
それが本来の相談のあり方でしょ?

しかし、ダメダメ人間は、その肝心な自分の希望が言えないわけ。
それこそクレーマーって、そんなものでしょ?
怒っていて、被害を受けたのはわかるけど、「じゃあ、どうしたいの?相手にどうしてほしいの?」って、思わざるを得ませんよね?

韓国人や中国人も日本に文句を言うのはいいとして、「じゃあ、日本に具体的にどうしてほしいの?自分たちはどうしたいの?」って、言われちゃうと答えられないものでしょ?
イスラム教徒は、「アメリカは、出ていけ!」と大騒ぎですが、「じゃあ、自分たちの国をどうしたいの?」それを言うことはありませんよね?ただギャーギャーと騒いでいるだけ。最近のフランスでのイスラムの連中の騒動だって、そんな感じだったでしょ?

「この人の希望は結局は何なんだろう?」
そのような軸をしっかり持った上で、人と接したり、様々な事件に接すると、答えようなない状況に出会うわけ。
そんな場合は無理に回答するのが善意ではないんですよ。
自分の希望が自身でもわかっていないこと・・・それを相手に自覚させることが本当の善意であるわけです。

しかし、そんな人に「で、アンタは、結局は、どうしたいの?」と聞くと、往々にして逆上されるもの。
しかし、「結局は、アナタの希望は何なの?」という質問は、別に失礼なものではないでしょ?しかし、当事者意識のないダメダメ人間には、一番「イタイ」ところを突かれてしまったと感じてしまうんですね。

あるいは、逆上と別の反応としては、「うーん・・・ただ普通の暮らしがしたい。」という漠然としたもの。
しかし、「じゃあ、普通の暮らしって、具体的には一体どんな暮らしのことなの?」と、続けて聞くと、どの道、逆上したりするもの。
結局は、自分の希望が言えないわけです。

自分の希望すら言えないような人は、そもそも明確な考えを持って行動するわけがないのですから、様々なトラブルに巻き込まれることは必定でしょ?そして、そんなトラブルから脱却できないことも自明ですよね?

自分の希望くらい、自分の言葉でいつでも言えるようにならないと上手く行くわけがないでしょ?そんな難しいことではないし、お金が掛かるわけでもないんですからね。
しかし、当事者意識がないと、そんな簡単で基本的なことができないわけです。
そんな人が、家庭を持ったりすると、ダメダメ家庭を作るのも当然ですよね?

(終了)
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発信後記

まあ、私個人は実際に「怖い」て、よく言われます。
決して顔は怖い方じゃあ、ありませんが。
話をしたり、やり取りをしたりすると、「まあ、アンタの言うとおりだけど、どうしてそこまでわかるの?ちょっと怖い!」となる。結構多いケースです。

むしろ私は怖いって言われるとうれしい方です。意外かな?
以前にも書きましたが、イタリアの映画監督のフェデリコ・フェリーニは「ボクはボクの映画を見ている観客の心をザワザワさせたいんだ!」って言っていました。
「心がザワザワ」って、まあ、怖いという心理と似ています。
一般の多くの人は、自分の予想通りの考えが来ないと、ザワザワしたり、怖がったり、逆上したりするもの。しかし、相手の予想を超えるものを出してこそって、あるわけでしょ?

人間の思考というものは、そこから始まるわけ。そもそも予想通りの回答を期待する時点で、その人はもうダメダメでしょ?だって自分で考えることを放棄しているんですからね。自分の考えの限界を指摘してくれないと、相談の意味なんてありませんよね?
しかし、多くの人は、特定の回答を期待して相談を持ちかけるわけ。それでは、事態が改善されるわけがありませんよね?本来は「怖い!」って思わされるような洞察力のある人に相談しなければ意味はないわけ。別に私でなくても結構ですが。

ちなみに、テレビでニュースなどを見る際には、「この人は一体どうしたいのだろう?」あるいは「で、この人は何が言いたいの?」と考えながら見たりすると、人間を見る目が養われると思います。何も家庭問題やクレーマーのニュースだけでなく、経済事件でも、政治の事件でも同じ。

その人の希望がわかりにくいようなケースは、やっぱり、それにふさわしい事件につながっているものなんですね。
R.10/11/25