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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない発想,精神
配信日 06年1月16日 (10年8月2日,10年9月7日 記述を追加)
タイトル 健全な保守主義 (中流階級の道徳)
いわゆる中流階級の道徳って、ありますよね?
『自分でできることは、ちゃんと自分でやり、政治的には穏健で、仕事には勤勉で、金銭の支出にあたっては、ムダ使いをせず、リスクも必要以上にはとらない。自分の決めた約束はちゃんと守り、信義を大切にする。』
まあ、こんな感じでしょうか?

ダメダメ家庭の人間がよく言う言葉があります。
「ワタシは普通になりたい!」という言葉がその代表ですし、そのヴァリエーションとして、「ワタシは何も幸福なんて望んでいないわ!ただ普通の生活がしたいだけ!!」なんて言葉も、ダメダメ人間のお約束の言葉。

しかし、「その『普通』って何?」と聞かれると返答に困ってしまうわけ。
「普通って・・・普通のこと。」
そんなギャグのような回答をするんですね。

最初に記した中流階級の道徳って、まさにダメダメ家庭の人間が言う「普通」の姿でしょ?
しかし、ダメダメ家庭の人間は、上記の中流階級の道徳とはかけ離れた考えを持っていますよね?

何か問題があると、「悪いのは全部○○のせいだ!」と、他者に原因を押し付けるだけで、自分自身の問題については何も考えない。被害者意識が強いので、自分が決めた約束だって守らない。約束を破った後で、「だってぇ・・・ワタシはかわいそうな人間なのよ!それくらいはいいじゃないの?」とスグに言い訳をする。自分に自信がなく、見栄をはって必要もないものに対し支出をしたりする。
そんなことをやっているので、結局は上手く行かずに、「ああ!ワタシは、なんて可哀想な人間なんだ?!」と、嘆くだけ。

しかし、そんな人間を信頼する人なんていないでしょ?
そうやって、事態がますます悪くなってくると、「悪いのは政治のせいだ!」「だから、ワタシは悪くないのよ!」などと言ったりするわけ。そうやって、その主張も、ますます過激になって行く。
そんな環境だと、中流階級の道徳なんて、ますます縁遠くなりますよね?

このような中流階級の道徳を、別の言い方で言うと、「健全な保守主義」とでも言えますよね?
基本的には自分自身でできることは自分でちゃんとやる。だから、政治に過大な期待はしない。むしろ、革命などの大きな変革の際には、今現在もっている資産の減少につながるリスクを考える。
今現在の政治システムでも、みんなが自分で出来ることをすればいいじゃないの?問題がある点は少しずつ改革を進め、それでもダメだったら、大きな変革もしなくちゃネ。
・・・そんなところでしょうか?

まあ、前回の総選挙(小泉首相在任時)で、主流となった考え方でしょ?あの総選挙で散々言われた改革と言っても、要は「銘々が自分で出来ることをしなきゃ!」ってところですよね?

このような健全な保守主義を持っていないとダメというものではありませんが、少なくとも理解してないとダメでしょ?
そもそも、ダメダメ家庭の人間が切望する「普通の人」の考え方なんですからね。

実は、以前にこの「健全な保守主義」について、ある人に問いかけたことがあります。
以前にも書いたことがありますが、「自分が就職した業界は、こんなに非常識!」なんて内容のメールマガジンがありました。
「若手○○が見た△△内部事情」なるタイトルのメールマガジンでした。もう1年以上前を最後に発行が止まっております。しかし、廃刊になる前は発行部数1万部以上あったんですよ。
購読者の、質はともかく、量はすごいと言えますよね?

そのメールマガジンを廃刊の要因を作ってしまったのは、何を隠そう、この私で・・・あのメールマガジンを楽しみにしていた1万人の方には申し訳ありませんねぇ・・・まあ、私のメールマガジンとは購読者層は重なってはいないでしょうが。
なんでも、書籍になっているそうですから、そちらでお読みになってくださいな。

私がそのメールマガジンの作者さんにお便りを出したら、そのメールマガジンの発行を停止しちゃったわけ。書籍にもなった人気メールマガジンなのに、あらまあ?!
私が出したお便りは、別に嫌がらせでも何でもないんですよ。
今回の私のメールマガジンのお題である健全な保守主義についての見解を聞いただけなんです。

だって、「自分が就職した業界は、こんなに非常識!」なんて、「非常識な業界」に入った自分の被害を書き綴るのはいいとして、どうして、そんな業界に入ったの?就職試験だってあったでしょう?面接などにおいて、志望理由だって聞かれたのでは?その業界がそのような実態であることを、事前に調べなかったの?本人は学生から就職したのだからいたし方がない面もあるでしょうが、では、その親は何をやっていたの?

子供の就職する業界の実態なんて、親が、その気になれば、簡単に調べられますよね?その親が例え日雇いの作業員の方であっても、パチンコ店の従業員の方であっても、ツテを辿っていけば、話くらいは聞けますよ。その「会社」の実態ということなら無理でしょうが、その「業界」の実態だったら、教えてくれますよ。子供の就職問題の相談に乗ってほしいと頼めば、その業界の人だって、一般的なことは教えてくれますよ。

「この業界のやりがいは、こんなところ。ちょっと問題かな?と思うのは、こんなところ。まあ、自分の子供はこの業界に入れたくはないけど・・・」なんてネ。
そんな言い方だったら、教える方だって問題ないでしょ?会社の秘密を漏らしているわけではないんですから。

そのように自分たちで出来ることをやっておいても、結果的に不都合が起こってしまったら、それによる被害を書き綴るのもいたし方がないでしょう。しかし、そんなことを何もしなかったら、そりゃトラブルだって色々と出てきますよ。

就職した業界の非常識を書き綴る以前に、自分たちの準備不足についても考える必要があるでは?それが健全な保守主義と言うものであり、それが欠落しているのは、その業界の問題というより、出身家庭の問題が大きいのでは?

そのような健全な保守主義の欠落は、まさにドメスティック・ヴァイオレンスの現場で顕著に見られるもの。「被害者の女性」は、自分の被害を大仰に語ったりしますが、「どうしてあんな男と結婚したのか?」「本来なら、実家の親からのアドヴァイスがあってしかるべきなのでは?」なんて当然の疑問を持たないもの。つまり、トラブルが起こった後になってワイワイと騒ぐのは、出身家庭がメチャクチャということなんですね。

そのような「健全な保守主義」という考え方について、アナタはどう考えるのでしょうか?

私からの便りはそんな感じの内容でした。
私からのそのような問い合わせに対して返事はなく、結局は、1万部発行のメールマガジンを、コソっと発行停止というわけ。

そんなことも考えずに、メールマガジンを発行していた発行者さんの「度胸」と「頭脳」には感心しますが、自分を安くしているだけでしょ?

ダメダメ家庭の人間は、「普通!普通!」とお題目を唱えるのが常ですが、その「普通」の人間の道徳と言える、「健全な保守主義」とは全く無縁。当人自身では何もせずに、常に自分の被害を語っているだけ。それのどこが「普通」なの?
結局は、「ホトケ作って、魂入れず」なんですね。

ここで、「健全」なる文言を使っていますが、その根底にあるのは、ある種の「肯定的な姿勢」と言えるでしょう。
現状を基本的には肯定しているがゆえに、その不都合な面を「改善」していくことを考える。
現状を根底から否定しているのだったら、全部ひっくり返すスタイルの、まさに「革命的」で過激な手法を用いることになる。

どちらがよくて、どちらが悪いというものではないでしょう。
その折々の状況にもよりますからね。

しかし、現状を、基本的には肯定的に見ていない人が、そんな社会に子供を送り出してはダメでしょ?
そのすべてを否定的に見ているダメダメな社会に送り出される、徒手空拳の子供としては、いったいどうすればいいの?そして、親の側は、「あ〜あ、ヒドイ社会だなぁ・・・」「あ〜あ、時代が悪い!」と言っているだけ。ということで、子供へのサポートは何もしない。
というか、「こんなダメな社会でもオマエを育ててやっているんだから、感謝しろ!」と親への感謝を要求されるだけ。

現状を、基本的に肯定しているのなら、そんな社会に送り出される子供も、その存在を肯定的に見られているということ。
それに対し、完全に否定している社会に送り出すということは、送り出される子供自体も否定的に見ているということでしょ?
ゴミ箱に大切なものを放り込んだりはしませんよ。
宝石箱には、宝石を入れ、ゴミ箱にはゴミを入れる・・・そんなものですよね?
逆に言えば、「入れた先」が、「入れたもの」の価値や扱いを語っているわけ。

つまり、健全な保守主義を持っていない人間は、その政治的な主張はともかく、子供を持ってはダメなんですね。現状について根底から変えたいと思っているくらいに否定しているのなら、そんなところに子供を送り出す行為は、人質を差し出すようなものでしょ?
その後の自分たちの活動がやりにくくなりますし、人質を無視して勝手に行動したら、それは人の心の観点からみて問題でしょ?
否定でも、肯定でも、どっちでもいいわけですが、どちらかを選択しないとね。

しかし、社会を完全に否定している人ができるのは、子作りだけ。
ダメダメな人間は、子供のアイデンティティを否定して「ふつうの子供になれ!」と要求することになる。

しかし、そんな状況は、親が全否定した社会に、親からアイデンティティを否定された子供がいるというだけで、肯定ではなく、二重否定の状態。
結果的に子供が事件を起こし、ダメダメな親は嘆くことになる。
「あ〜あ、ヒドイ時代だなぁ・・・」
「まあ、ワタシって、なんてかわいそうなの?!」
「ワタシは、ただ、ふつうの生活がしたかっただけなのに・・・」
そうして、周囲の成功者を妬んでいるだけ。

「しっかし、それの、どこが『ふつう』の姿なんだか?」
・・・と、周囲のマトモな人だけでなく、嘆くだけで何もしない親の姿を見続ける子供の側も思うことになる。
その違和感から、子供の側が自覚すればいいわけですが、その自覚がないと、結局はダメダメな親と同じことを繰り返すばかり。
そんなダメダメの連鎖は、まさに人類の歴史とともにある伝統的なものといえるわけですが、伝統的であっても、健全な保守主義とはかけ離れているでしょ?

ダメダメな親は、「ふつうが一番だ!」とよく言ったりするもの。
しかし「ふつうが一番」と言っても、「マジメが一番」とは言わないもの。

本来は、マジメに生き続けた結果が、「ふつうの生活」なり「ふつうの家庭」というものでしょ? しかし、ダメダメ家庭においては、 「ふつう」という言葉を掲げることによって、誠実さとか勤勉さを否定してしまっているわけ。
当人自身では何も考えずに、ただ、周囲に合わせているだけの怠惰さを「ふつう」と言っているだけ。まあ、だからこそ、「ふつう」じゃなくなるわけです。

(終了)
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発信後記

私は別に自民党支持でないとダメと言っているわけではありませんよ。
政治に過大な期待を寄せるようではダメと言っているだけです。

それに、購読者数1万人のメールマガジンにジェラシーを持っていたわけではありませんヨ。
その人がメールマガジンで語る「被害」が、ドメスティック・ヴァイオレンスの被害者の語る「被害」の状況と似ているから関心を持っただけです。

そんな「被害」話を喜んで読んでいた購読者の方がどんな方なのか?そちらにも興味がありますが、まあ、ほとんどがダメダメ家庭の出身者の方でしょうね。
マトモな家庭の人だったら、親のツテをたどれば、もっと「いい」情報が入りますよ。
ダメダメ家庭の出身者であること自体は、子供にとってはなんともしようがないこと。重要なことは、それを早めに自覚することなんですね。
R.10/9/7